「クリスマスの約束」の原点を語る

 オフコースが活動休止をした1982年に、小田和正(おだかずまさ)さんは、「日本にもアメリカのグラミー賞のようなものが創設できないだろうか?」と考えて、一人奮闘したことがありました。もちろん日本にも「日本レコード大賞」をはじめ、いくつかの音楽賞は存在はしていました。でも小田さんが目指したものは、それらとは全くスタンスが違うもので、彼がこだわったのは、「実際に音楽をやる者同士が、お互いを尊敬して認め合い、仲間に対して投票する」というものでした。その結果、多くの賛同を得て、全体のミーティングも実現しましたが、全ての人たちをまとめきることまでには至りませんでした。「盛り上がっているのは自分だけでは?」と、醒めた気分まで湧き上がってきました。小田さんが自ら「挫折」と呼ぶ出来事でした(ここら辺の詳しいいきさつは、『TIME CAN’T WAITというエッセイに書いておられます)。

 幻となったこの「日本グラミー賞構想」から、約40年の歳月が流れました。TBSテレビのプロデューサー阿部龍二郎(あべりゅうじろう)さんが、当時担当していた「うたばん」で、彼が大好きだった「さよなら」を歌って欲しい、と小田さんの元へ依頼に行きました。答えは「ノー。」 阿部さんは当時のことを回想します。「当初は、「出てくれそうだ」ということで、局内でも期待が高まっていたんです。美術や技術のスタッフに小田さんのファンもいた。でもだんだんあやふやになっていき、最終的に断られた。僕らと小田さんを繋いでくれた人間の事情もあったんでしょうが、こちらとしてはどうしても小田さんじゃなきゃいけないというわけではなかったのに、断られて意地になった」 それでも思いつく様々な企画を捻り出し、食い下がったところ、小田さんから『新しい形の音楽番組を作るのなら』との返答が返ってきました。「グラミー賞のような賞が日本にあったら…」という想いは依然として心の中で続いていたし、アーティスト同士が誇りを持って音楽を作っていける環境作りが番組で実現するなら、賞の創設にこだわる必要もないだろう、というのが小田さんの考えでした。

 小田さんの頭にあったのは、お互いをリスペクト(尊敬)し認め合うという趣旨で、一流のアーティストたちが一堂に会する、というライブ形式の音楽番組でした。企画会議が始まります。小田さんは「あくまで歌が主役なのだから」要らないものは一切省きたい、と考えていました。一方、テレビ局のTBS側はエンターテインメントとして楽しめるように、そこに何かを付け足そうと試みます。両者には埋められない根本的な溝があったのです。小田さんの事務所の会議室に、丁寧に作られたステージセットの模型が置かれました。「もっとシンプルでいい。色も黒で。」小田さんはそのセットを全否定します。「小田さんとはもう仕事ができない」と離れそうになるスタッフもいる中で、のたうち回るような日々が続きます。阿部さんは番組の意義よりも、視聴率が気になりました。「気難しいと言われてる人も、実際に会うときさくだったりする、でも小田和正という人は、一度もニコリとしなかった」 アーティスト同士が認め合うのが理想とはいえ、まず自分が軸になろう。7組のアーティストに出演依頼も自ら買って出て、一人一人に心を込めて自筆の手紙を送りました。阿部さんは、テレビ局がやるべき出演者のキャスティングを、小田さんが率先してやり始めたことに焦りました。「僕らがやって断られるならそれでいいけど、それを小田さんにやらせてしまった。凄く大きなリスクを背負わせてしまった」。しかし、アーティストたちからの返事は、すべて「辞退」。企画はどんどん進んでいます。出演者はいない。阿部さんは上から叱られます。NKホールのリハ初日。やおらピアノの前に座った小田さんは、挨拶代わりに「言葉にできない」を歌います。リハとは思えない、全身全霊を捧げた声で歌い上げます。「あくまでも歌が主役」「局側のステージセットを突っぱねたのも自分」「アーティストに手紙を書いたのも自分」たとえゲストが一人も来なくても、「俺が一人で歌う」リスペクトしているアーティストたちの名曲を小田さんは一人で歌い上げました。「あれでブルッと、ビビっときたって、みんな言いますからね。この番組は凄いことになるぞ」って。ファンの間で語り継がれる、2001年の第1回の「クリスマスの約束」放送は、こうして誕生したのです。今では世代が異なるアーティスト達の交流が魅力の番組へと成長しました。

★なぜ美人を大写しにしたのか?~撮るものがなかった!!

 あらかじめ観覧希望者を募った公開ライブ形式の収録で、小田さんがみんなの前に現れると、大きな拍手が沸き起こりました。やがてピアノに向かい「言葉にできない」を歌い始めます。会場はピーンと張り詰めた心地よい緊張に包まれる中、歌い終わった小田さんはマイクに向かって「結論から先に言いましょう。今日は誰も来ません!」波乱の幕開けです。「僕も散々断ってきました。オフコースの時は、何を頼まれても“出ません、出ません”って、全部断った。」(「ザ・ベストテン」という音楽番組に「さよなら」「Yes-No」「YES-YES-YES」「君が、嘘を、ついた」と4曲がランクインしましたが、一切出演しませんでした)互いの理想が激しくぶつかり合う事前ミーティングの様子、事務所やスタジオで候補曲に挑戦する小田さんの必死の練習風景も、番組内で流されました。ファーイーストクラブ・バンドの面々も、演奏で小田さんを支えます。ここで独自のテレビ演出も生まれました。演奏中にアップで観客の一人(美人の女性)が大写しされるのです。目頭を押さえながら美人が涙する姿を、カメラがアップで捉えます。大写しにするのは、一人の例外もなく美人ばかりです。阿部プロデューサーは回想します。「ゲストも来ないし、小田さんとバンドの皆さんばかり撮ってるわけにもいかない。他に撮るものがなかったともいえるけど、小田さんの歌がお客さんに伝わり、凄いことになっていったんですよ。中には泣いている人もいた」翌年、第2回の放送でもゲストは来ませんでした。第3回目で初めて、Mr.Children桜井和寿さんをはじめ、豪華ゲストがやって来ました。第1回の放送で、揉めに揉めた小田さんとTBS側は、その後も何度も揉めることになります(例えば、2014年の確執はコチラです)。毎回が筋書きのないドキュメンタリーとなっているのは、そのような制作サイドとの緊張感があるからでもありましょう。出演者たちはみんな、小田さんが求める、高いレベルに達するまで、もの凄く練習していました。そしてそこで得たものを持ち帰ることが、全体のレベルアップになる。小田さんの“目指したグラミー賞”は、まさに別の形で実を結んだわけです。

 そんな「クリスマスの約束」が、今年は二年ぶりに復活しました(12月1日舞浜アンフィシアター公開収録,12月24日TBS系24時20分より26時まで)。19回目の特番になります。昨年は12月に、「2020年、『クリスマスの約束』は、新たな収録・放送を行いません。コロナ禍の中、番組のあり方をどうすれば良いのか、小田さんと話し合いました。感染防止に配慮した上であっても、大勢のアーティスト、ミュージシャン、スタッフ、そしてお越しくださるお客様が参加する中で、完璧な方法を見つけることはできませんでした。今年は新たな番組をお届けすることはできませんが、来年、新たな『クリスマスの約束』を、小田さんと一緒にお届けしたいと考えています」発表していました。今回は、4万7000人もの応募者の中から選ばれた1,600人が見守る中での収録でした。小田さんは「いろいろな世代と演奏できることはとても幸せ」と笑顔を浮かべました。個人的には、今年1月元日にリリースされたデジタルシングル「風を待って」が初披露されるのが楽しみです。この曲はコロナが収束していくことを願って作られた一曲で、「今を大切にする」がテーマとなっています。レコ-ディングから1年半を経て、初めて歌うことができました。またすごいものを見せてもらえることを期待しつつ、クリスマスの夜を迎えたいと思います。♥♥♥

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