入試問題はメッセージ

 2022年の河合塾「第1回全統記述模試」の英作文の問題に、次のような日本文が出題されました。実に考えさせられるいい出題でした。問題文をよく読んでみてください。


 入試問題は学力を調べるためだけにあると思っていませんか。確かにそのような側面もありますが、実は入試問題にはそれぞれの学校の教育観が表れているのです。単に知識の量や情報処理能力を試しているわけではありません。大学がどんな生徒に来てほしいのかという独自のメッセージが込められているのです。そのような視点で入試問題を見るようになれば、興味深いものになるかもしれません。  (第1回全統記述模試より)


 まさにおっしゃる通りで、入試問題は大学側から受験生へ、ひいては現場の教員に向けたメッセージであることが多い(そんな意識はこれっぽっちも無い大学も多いですが)ことは、毎年入試問題を解いてきた人間として感じるところです。「試験問題」という場を借りて、大学側が「意見」を表明しているのです。例えば、今年の京都大学のⅣの自由英作文の問題は、次のようなものでした。明らかに大学側から受験生への熱いメッセージですね。大学は研究に行くところであって、遊びに行くところではありませんよ。京都大学はそのような研究者を育てたいと宣言しています。

 大学で研究をするうえであなたが最も重要と考えることを一つ挙げ、その理由を2点に絞って100語程度の英語で具体的に説明しなさい。(京都大学 2022年)

  京都大学の入試問題の英作文は、日本語との格闘を要求しているのですが、間違いなく、我々にメッセージを発していると思われます。再考すべき社会問題・価値観を取り上げていますね。英会話の重要性ばかりがクロースアップされる中で、英語の試験にもかかわらず、「日本語力」が問われています。専門性と思考を深めるための道具として「母語」の重要性を伝えようとしています。発信力はもちろん大切だけれども、「その前にもっと必要なものがあるでしょ?」というメッセージだと私は感じています。いくつか例を見てみましょう。

 女性が従来学問の世界で十分活躍できなかったのは、男性中心で作られてきた社会に原因があったことは疑う余地はありません。とくにわが国は従来年功序列の社会でありましたので、出産、育児のため女性が休むことは昇進の面で著しく不利でありました。今後は休んだ後の復職を容易にするとともに、復職後業績を上げれば速やかに昇進できる体制を作り上げて行かねばなりません。(京都大学 2005年度)

 わたしは、家具や道具はなるべく木の素材を選んでいます。木は命あるもの独特のやさしい雰囲気があるので、心地いいんです。人工的な素材は新しい時が最高の状態だけれど、木は新品の時が出発点です。年月に磨かれて、味わいも美しさも増していく。そこが一番の魅力です。(京都大学 2004年度)

 自分の仕事に妥協するようだと誰もその道のプロにはなれないと思う。私は頑固者だとよく言われるが、仕事に対する姿勢がまじめだからそう言われるのだ、というように理解している。融通がきくタイプの人間は周囲には受けがいいかもしれないが、仕事の方は何か物足りないところがあるように思われる。(京都大学 2003年度)

 私たちは、周囲にあまりにもたくさんある文化財になれっこになって、その存在を当然のように思いがちである。しかしほんとうは、一つ一つの文化財は、それを維持するために尽くしてきた数多くの人々の多年の努力の結晶なのだ。文化財をおろそかにすることは、そうした人々の努力をないがしろにすることであるという事実を忘れてはならない。(京都大学 2002年度)

 週末にキャンプを楽しむ人が増えてきました。確かに、都会生活でたまった疲れをいやすためには、自然の中でのんびりするのが一番でしょう。ただ残念なのは、木々の枝を折ったり、ゴミをそのままにして帰ったりする人がいることです。これでは、自分の疲れはとれても、自然の方はいい迷惑だと思います。(京都大学 2001年度)

 東京大学も、入試問題に社会的メッセージを込めた出題をすることで知られています。「ゆとり教育」全盛の頃、「円周率を3として教育する」といったバカげたことが決定された2003年には、「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」という問題が出題されて、「ゆとり教育」への警鐘が鳴らされたのでした。2006年度には、小学校の運動会において、競争心をあおる種目の是非について出題しました。続いて、2007年度には英語のリスニング学習についての学び方の指針が示されています。こうやって受験生に(ひいては現場教員に)メッセージを送っているのです。東大の英語試験では、難しい知識を問う問題はほとんど出ません。どれも「基本をどれだけ柔軟に使いこなせるか」を問うものなので、英語の基本構造を本当に理解していれば解ける問題ばかりです。しかし、英語の原理について深く掘り下げて使える学生は多くないので、そこに東大入試問題の難しさがあるのです。メッセージ性の強い問題や、応用力を問う問題を出題する背景には、物事を研究したり考える人間を養成したいという目的があるのでしょう。固定観念や目先の利害にとらわれず、目で見たものを疑い掘り下げて考える学生を求めているのです。

 「詰め込み教育」に対するアンチテーゼという意味があるのかもしれません。最近の各大学の入試問題では、知識があれば解けるようなものが増えてきています。受験生に考えさせる問題が減っているのは、とても憂うべき流れです。しばらく前、自分たちで入試問題を作ることのできない大学は入試問題を外注するということが話題になりました。大学の入試問題作成を大手予備校が有料で請け負う。現実にそういうことが行われています。♥♥♥

「現在の行動にばかりかまけていては、生きるという意味が逃げてしまう」と小林秀雄は語った。それは恐らく、自分が日常生活においてすべきだと思い込んでいることをやってそれでよしとしているようでは、人生などいつのまにか終わってしまうという意味であろう。  (東京大学 2018年度)

 世界中でプラスチックごみを減らす動きが活発だ。食品などプラスチック製容器や包装をなくしたり、レジ袋を有料化したりするのはもっとも容易にできることだろう。それらを紙製品や生分解性の素材に変えたりする動きも目立つ。しかし、もっとも重要なのは、プラスチックごみによってかけがえのない自然環境を汚染しているのは私たち自身であると、私たちひとりひとりが日々の暮らしのなかで自覚することである。とはいえ、そうした意識改革が難しいことも確かで、先日もペットボトルの水を買った際に、水滴で本が濡れてはいけないと、ついレジ袋をもらってしまった。 (東京大学 2019年度)

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