大塚国際美術館

 みなさんは、徳島県・鳴門公園にある「大塚国際美術館」(大塚美術財団、3,300円)に行かれたことがありますか?私は津和野高校に勤務していた頃、「全国PTA大会」に出かけた際に、PTA役員の方々と鳴門の渦潮を見たり、人形浄瑠璃を見学したり、徳島ラーメン「いのたに」(全然美味しいと思わなかった)を食べに行ったりした時に初めて訪れました。日本でも最大級の美術館で、世界の一流名作品が陶板画(大塚グループ大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術によって、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたもの)で1,000点超展示されています。本物に見劣りしない緻密な作品群で人気を集め、1998年の開館からこれまで650万人超の人が訪れています。隅から隅まで見たらどれぐらいの時間がかかるのか、ため息が出るぐらいの広さの館内(6万6630平方メートル、地上3階地下5階で鑑賞ルートは約4キロに及ぶ)に、素晴らしい名画が原寸大で展示してあります。私は時間がなかったので、さーっとしか見ることができなかったのですが、それでも強い印象を残しました。以前、ロンドン「大英博物館」(無料)を訪れた時と似たような感動でした。もう一度ゆっくりと時間をかけて歩いてみたい場所で、八幡が多くの人に強く薦めている美術館です。ホームページでちょっとだけ感動を味わうことができます。⇒コチラ  オロナミンCドリンク、ポカリスエット、カロリーメイト、ボンカレーなどのヒット商品で知られる大塚製薬が、創業75周年事業として、1998年に開設したものです。 女優の水野真紀さんや、横綱白鵬の結婚披露宴が行われた会場としても知られていますね。

 鳴門海峡の砂を使って、需要が見込まれる建材用タイルの開発の事業化が決まり、大塚オーミ陶業をを1973年に設立してすぐに、会社の存続自体が危ぶまれる石油危機でビル建設が軒並み止まり、製品の需要が消失しました。役員会で出た生き残り策が、絵を焼き付ける美術陶板の制作でした。絵画の色彩を再現するには既存の釉薬では足りず、新たに2万色近くを開発しました。受注が増え、事業が軌道に乗ったところに、グループ発足75周年記念事業として美術館の構想が持ち上がったのです。世界中の美術館から許諾を取り付け、7年かけて1074点を制作。総工費の約400億円は、バブル崩壊後の景気低迷が続く中、予定していた大阪本社の立て替えをあきらめて捻出しています。「鳴門に恩返しをしたい」という並々ならぬ熱意で実現した美術館でした。2007年には、美術を通してキリスト教の伝統への理解を深めたとして、当時館長だった大塚昭彦さんがローマ教皇から勲章を授与されておられます。

 徳島県の一地方メーカーにすぎなかった大塚製薬が、すさまじい急成長を遂げ、製薬業界屈指の大手企業に躍進した秘訣を、大塚明彦会長「80点主義」にある、と語っておられます。社員に100点を求めず、80点でよしとする考え方です。

 100点を取るエネルギーは並たいていではない。そのエネルギーがあるなら、80点で満足し、残りの20点分で先に進むという考え方を採ったほうがよい。人間の行動に100パーセントの完璧さをもとめるのは、それが困難だからです。80パーセントまでは多くの人がやれても、あとの20パーセントがなかなか難しい。社長や本社があれこれ指図しなくても、80パーセントまでなら誰でもやれる。つまり、80パーセントでいい、と思えば安心してまかせられる、ということです。

目標を80パーセントにおいて、気持ちにゆとりを持たせることで、人生の視野を広げようという狙いですね。なるほど。でも、これについては賛否両論ありそうですね。

 私が大塚製薬」のファンになったのには、ちゃんと訳があります。私は熱狂的な読売ジャイアンツファンでして、もう昔からブレることなく応援し続けています。その昔、長嶋茂雄さんが初めて巨人の監督になったとき、若手主体のチームはペナントレースで最下位に沈み強烈なバッシングを受けました。当時巨人軍選手をコマーシャルに使っていた企業が、手のひらを返したように(結果がすべての厳しい世界です)次々と降りていきました。選手の収入が激減します。責任を感じた長嶋監督はスポンサー探しに奔走します。大塚製薬にも足を運ばれます。大塚会長は窮状を察して、気持ちよく協力してくださいました。これが、長く続いた巨人軍選手によるオロナミンCドリンクのCM誕生秘話です。会長曰く「いったん縁を結んだら、相手が落ち目になっても、こちらの態度を簡単に変えるものではありません」 この話を感激して聞いて、私は若い頃は毎日のようにオロナミンCを飲んでいたものです!尊敬する故・渡部昇一先生オロナミンCの大ファンだったそうですよ。❤❤❤

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