澄川喜一先生ご逝去

  島根県吉賀町出身の彫刻家・澄川喜一(すみかわ・きいち)先生が4月9日、お亡くなりになりました。91歳でした。昨年夏に死去した同じく吉賀町出身のファッションデザイナー・森 英恵(もりはなえ)さんに続く悲しい訃報です。曲線に削り出した木材を組み合わせた作品「そりのあるかたち」など抽象的な作風で知られ、造形と素材の美しさを追求した彫刻家でした。

 少年時代を山口県岩国市で過ごし、錦帯橋の造形美に引かれて彫刻家を志望。古い木造建築や運慶、快慶に興味を持ち、東京芸術大彫刻科で平櫛田中(ひらくしでんちゅう)らに師事しました。新制作協会などで活動し、1979年に「平櫛田中賞」を受賞しました。

▲澄川先生のデザインによる「東京スカイツリー」

 建築家の安藤忠雄(あんどうただお)さんと「東京スカイツリー」のデザインを監修したことでも話題になりました。「不思議でしょう。実は左右対称に見えるところって3箇所しかないんだよ」秘密は澄川先生が確立した彫刻哲学「そりとむくり」にあります。高さは東京タワーの2倍近いのですが(634m)、支えている土台の面積はタワーよりはるかに狭いのです。難題解決のために澄川先生のアイデアは、土台を三角形にして頂点に向かい徐々に円になっていく設計にしました。構造上、そり(湾曲)むくり(膨らみ)が所々に生まれ、眺める角度・場所・時間帯により姿が変化します。ヒントになったのは、生まれ育った島根県吉賀町で目にしたコウヤマキの大木です。同町の森林や、幼い頃に親しんだ山口県岩国市の錦帯橋、学生時代に目にした五重塔の心柱構造など、知識と経験を全て注ぎ込んだ集大成が「東京スカイツリー」でした。東京大空襲で多数の人が犠牲になった地にある「鎮魂の塔」でもあり、未来への安寧という思いを重ねた巨塔は、誕生から10年が過ぎ、東京のランドマークとしてそびえ立っています。スカイツリーの足元には、美しい円錐形が特徴の吉賀町の町木コウヤマキが植えられています。澄川先生「心の中ではスカイツリーの姿と重なる」と話したことがきっかけとなって町が2012年に贈ったものです。

 東京芸術大教授として後進の指導にあたられ、1995年から同大学長を務めました。1998年紫綬褒章、2008年文化功労者。2020年には文化勲章を受章しています。日本芸術院会員。島根県芸術文化センター長(グラントワ)、横浜市芸術文化振興財団理事長などを歴任しました。また、大型の施設や記念碑などのデザインでも多くの業績を残し、東京湾アクアラインの川崎人工島「風の塔」や、国立科学博物館のモニュメントなどを手がけました。

▲東京スカイツリー「To the Sky」

▲島根県立美術館 澄川先生の「風門」

 松江市袖師町にある島根県立美術館の宍道湖畔には、澄川先生「風門」がたたずみます。スカイツリーの場所にある先生の「To the Sky」と非常によく似ています。1999年の開館を前に設置されたモニュメントで、しめ縄に垂れ下がる四手(しで)をイメージした御影石の2本の石柱の間に、反り橋が架かっています。制作に際し、「ビューティスポットになるよう心を込めたい」と話しておられた作品です。宍道湖に沈む夕陽とともに、市民の憩いの場を彩っています。10月には同美術館で澄川先生の作品展が開催予定です。❤❤❤

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