渡部昇一先生のエピソード(25)~先生の健康法「散歩」

 故・渡部昇一(わたなべしょういち)先生の一日の生活リズムは、朝起きてから冷水シャワーを浴びることから始まりました。全身に、足からゆっくりと水をかけながら、特に顔と首と頭にはゆっくり十まで数えます。真冬でも励行しておられました。渡部先生のお宅の水道は特別契約で水道管が太く、シャワーの勢いが非常に強いのです。いい気持ちになったところで油断すると、それこそ「年寄りの冷や水」になりますので、身体を拭いたらすぐに毛糸の腹巻きをしてから和服を着て、絹のマフラーを首に巻きます。それからニンジンジュースを飲みます。それが朝食でした。この朝一番に冷水を浴びる、という習慣について書いておくと、上智大学の学生寮(進駐軍のカマボコ兵舎を転用)におられた頃に遡ります。先生は毎朝4時45分に起床し、水をかぶられます。夏でも早朝にいきなり水をかぶるというのはなかなかしんどいことで、ちょっと覚悟が要ります。しかし、一日の最初にしんどいことをやってしまうと、大概のことは億劫でなくなるのです。後は大したことはない、どんなことでもやれるという気分になるのです。そしてそれから約二時間、勉強をみっちりやられたのでした。

 それからすぐに書斎に入って、20分から30分ほど、英文学の古典的名文を音読します。朝起きてから大きな声を出すのが身体にいいということは、作家の寺内大吉さんから聞いたそうです(寺内さんは高名な僧侶でもありました)。お坊さんは朝早く起きて大きい声でお経を上げることで、ボケないし、健康的なんです。これは英語教師という職業上、舌がなまけものにならないようにという訓練でもあり、ボケ予防も兼ねているとおっしゃいます。そして午前中から昼過ぎまでは、専門の本を読んだり、原稿を執筆したりされました。

 午後は小説を読んだり、昼寝をしたりして過ごされます。先生にとって重要なお昼寝の習慣についてはコチラに詳しく書きました。夕食の時間になると、今では安く美味しく食べられるお店も多いので、料理をするよりも、奥様とご一緒にしばしば外に食事に出かけられました。

 晩は、雨が降らなければ、タクシーに乗って1,000円ぐらいで行けるところに出かけ、喫茶店でコーヒーを飲みながら、種類の違う書物を読みます。退職されてからは、コーヒーをエサにして外出して、現役の頃は読めなかった英語の詩集をずいぶん読まれたそうです。そして、4、50分かけて歩いて家に帰り(この「散歩」は先生にとっての重要な健康法でした)、お風呂に入って汗を流します。その際には全身を松葉たわしでこすります。新陳代謝がよくなるのでしょう。

 先生の健康法で重要な要素である「散歩」については、『知的生活』の著者であるハマトン「五十歳を越えたら、意思を持って散歩でもしなければならない」という、彼自身の体験に影響を受けています。ドイツ留学中に恩師のシュナイダー教授の散歩のお伴をして二時間くらい森を歩き回ったことも動機となっています。さらに晩年の谷崎潤一郎夫妻の生活からもヒントを得た、と言っておられました。ある時間になると、ハイヤーが迎えに来て、谷崎松子夫人が乗っていく。最寄りの公園に行って二人で散歩を済ませると、待たせておいたハイヤーに乗って戻ってきたそうです。渡部先生は、まさかハイヤーを散歩に使うわけにはいきませんが、タクシーぐらいならできるぞ、と思われました。タクシーで家からだいたい1,000円ぐらいのところにある喫茶店に行き、軽く読めるような本を長いときには1時間以上読んで、帰りには40~50分かけて歩きます。夜の10時頃に行って、喫茶店が閉まる11時までいます。帰りは夜道を歩きながら、過去を思い起こして懐かしんだり、未来の希望を考えたりしながら、外気を胸いっぱいに吸い込みながら歩を進めます。歩きながら次々といろいろな考えが浮かんできて、それらについてあれこれ思いを巡らせると、ある瞬間に、意識がそれらから離れて、ひたすら歩いているだけの別の世界に入り込んだ状態が訪れるのです。その後、また考えていたことに意識が戻ると、パッといいアイデアが浮かんだりします。瞑想しながら雑念を出し切るという先生の散歩は座禅と同じではないかと思い、先生はこれを「歩行禅」と名付けられました。夏は汗をかきますし、冬もヤッケを着ていますから汗ばみます。家に帰ってお風呂に入って、松葉たわしで体をこすり、あがるときに水を浴びます。

 年をとるとどうしても「散歩」もサボりがちになるので、先生の大好きなコーヒーを「エサ」にして散歩をするのです。コーヒー好きの先生は、若い頃は自分で淹れて飲んでおられましたが、後年は自宅にコーヒー豆を置いておられません。コーヒーが飲みたくなったら、タクシーに乗って1,000円ほどの距離の繁華街のコーヒー店に行かれるのです。当時コーヒーは一杯350円ぐらいでしたから、二杯飲んでも700円、タクシー代が1,000円くらいですから、約1,700円。そのぐらいの贅沢なら、谷崎夫妻よりも安上がりだし、週に3~4回やっても許されるだろうと続けてこられました。だからなのか、先生は病気にかかることは一切ありませんでした。授業に穴をあけられたことは一度もありません。この「散歩」が体調の維持に役立っていることは、何かの都合で数日散歩しないと、血圧が上がったり、顔がむくんだ感じになることからも、間違いのないことでした。何か身体にいいことを習慣づけるときには、このように、自分に「エサ」を与えることで体を動かす、というのも一つの手ではないかと提案しておられます。自宅にコーヒー豆が置いてなければ、飲みたくなったらコーヒー屋まで行かざるを得なくなります。行く時に歩くとすると、億劫な気持ちが先に立って止めてしまうこともあるので、歩くのは「帰り道」と決めておられました。「気が向いたときに」などと言っていると、いつのまにか「散歩」に出る回数が減ってしまいます。意識的に「散歩」に出る「動機」を作り出しておられたのですね。

 これが渡部先生にとっての幸せな健康生活リズムでした。老年の生活において同じリズムを繰り返すことは決して悪いことではないとおっしゃっておられました。♥♥♥

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