五木ひろしの不可解

 ジャニーズ事務所の「性加害問題」について、マスメディアはひどい人権侵害の問題であるとして一斉に報道を始めました。非難ごうごうで、補償問題、タレントの起用・CM打ち切り問題、会社名の変更、タレントの芸名変更、記者会見NGリストの存在など、大問題となっています。長年の間タブーとされて一切報じてこられなかった問題が、まるで手の平を返したように一斉に非難・批判を始めたのには、実にマスコミらしいと思わず笑ってしまいました。天下のNHKは声明で、「NHKは当時この問題に認識が薄く、その後も取り上げることはありませんでした」と語りましたが、決してNHKが言うようなことではなく、報道しなかったのは確信を持ってしなかったのです。以前から知られていたことですが、ジャニーズ事務所への忖度でこの問題は決して表に現れることはありませんでした。この手の平返しのきっかけとなったのが、日本のマスコミではなく、BBCの報道であったことはまことに皮肉と言わなければなりません。利害の絡む大きな組織に対する忖度は、日本ではいろいろな所に見ることができます。一例を挙げます。

 二年前に、演歌歌手・五木ひろし(73歳、本名松山数夫)さんが、昨年のNHK紅白歌合戦「出場しない」ことを表明しました。「(50回連続出場は)簡単には達成できるものではありません。昨年50回を迎え、大きな区切りをつけました。この喜びを胸に終了したいと思います五木さんは、自身のコンサートでこう明らかにしました。これで1971年に「よこはま・たそがれ」で初出場してからの連続出場記録は50回でストップしたのです。トリを務めた回数は、実に13回(美空ひばり・北島三郎と並ぶトップタイ)を数え、大みそかのお茶の間に、半世紀にわたって歌を届けてきた功績は計り知れません。私も若い頃から、五木さんの歌と歌唱力は大好きでした。演歌界の大物がまた一人、紅白の舞台から去っていきました。

▲このポーズ?

 実は、五木さんは苦労人です。小学生の時、両親が離婚。朝から晩まで懸命に働く母親の姿に「楽をさせてあげたい」と、歌手を目指して上京して4ヶ月後の1964年9月、「第15回コロムビア全国歌謡コンクール」において優勝して、コロムビアの専属歌手となります。さてここからが大変です。「松山まさる」の芸名で「新宿駅から/信濃路の果て」でデビューを果たしますが、全く売れません。その後「一条英一」「三谷 謙」と次々と名前を変えて奮闘努力しますが、一向に芽が出ないのです。しかし、「おふくろの喜ぶ姿を見るまでは」とあきらめませんでした。「いいつきひろうようにと「五木ひろし」と再び名前を変えて「横浜たそがれ」で大ヒットを飛ばします(65万枚)。以来、「夜空」「契り」「長良川艶歌」などヒット曲を連発します。「これからもファイティングスピリットを持ち続けたい。言葉の美しさや奥ゆかしさ、情緒が演歌だと思う。日本の心、演歌の心をかみ締めながら歌っていきたい」と約束しています。五木さんの歌といえば、左手にマイク、右手を拳(こぶし)で握って歌うファイティングポーズが代名詞となっていますが、これはデビュー時に所属した芸能事務所がボクシングジム(目黒ジム)であったことから、選手とスパーリングで遊んでいた時代があって、ボクシングの練習をしていたときの拳のポーズが歌うときに思わず出たためです。あ、これは脱線でした。

 前年度紅白に出場した際にも、「皆様に支えられてたどり着いた50回連続出場。私にとっても大きな区切りに一つとして、万感の思いを込めて歌います」と挨拶してから歌っています。しかし、今回のこの終了宣言には、なぜか不可解な点が残ります。8月下旬から始まった「読売新聞」の連載企画「時代の証言者」(10月6日付け)において、紅白への変わらぬ熱意を明かしていたのが五木さん本人でした。明らかに今年も紅白出場を目指す、と高らかに宣言しています(下線は八幡)。

 「紅白の最多出場を記録することは、最高の箇所として名を刻むことと同義だと思っています。だから記録にもこだわります。/よく「出場辞退」「卒業」といった言葉を聞きますが、僕には理解できません。僕が出場に値しないと判断するなら、選から外せばいい。/そして、今年も思い出に残るステージを実現したいと思っています

 それがこの連載からわずか11日後に、本人が「理解できません」としていた不出場表明をしたことになります。何だかキナ臭いものを感じますね。数日前に五木サイドに、NHKから今年は出場がないことを正式に通達されたそうです。NHKは若返り路線を加速させるために、また視聴率を稼ぐために、人気のある若手を優先させたい意向があり、数年前から五木さんのひき際を模索してきました。これには演歌の大御所・北島三郎(85歳)が関係している、というのが大方の見方です。五木さんは昨年、北島と並んで歴代最多タイとなる50回出場を果たしましたが、どうやらこれがネックだったようです。出場するのか、しないのか?水面下で繰り広げた攻防は激しかったようで…。このままでは「落選」「辞退」といった報道になってしまうので、その前に自ら「終了」を選んだというのが真相のようです。先手を打って出ないことを明らかにすることで、五木さん側の面目も保つことができ、ファンの失望も回避できますものね。さらには、「卒業」「辞退」という表現にすると、今後の企画枠での出演などの機会も狭めてしまいかねないですから。深謀遠慮。

 五木さん以上に紅白に貢献してきたのが北島三郎さんです。2013年に50回出場を達成し、この年を最後に紅白からの卒業を決めました。この〝レジェンド〟の記録は、音楽業界に重く受け止められていたのです。音楽関係者は「演歌のベテラン勢にとって、北島さんの50回という数字が一つの目安となってしまった。紅白サイドにとっても、北島さんを超えさせるわけにはいかないという大義名分となっていた」と話します。それだけに昨年、紅白連続出場50回という記録を果たした五木さんが、北島さんの記録を塗り替えるかどうかというのは、音楽業界では注目の的だったのです。

 音楽関係者は、「50回という節目に向かってここ数年間、NHKと五木さんの水面下での攻防はすごかったですね。とりわけ昨年は、紅白サイドから『紅白の卒業を発表するならば大トリに』という条件を提示されていたという話もありました。でも結局、前半のトリになりました。その提案を五木さんが断っていたということでしょう。今年も出るという意志は強かったと言われています」と話します。北島さん自身は、記録が更新されることにこだわりはなくても、NHKや周囲はいろいろと忖度をしていたのかもしれません。ただ演歌は〝冬の時代〟と言われているだけに、五木さんの紅白不出場宣言は痛いところでした。最近のNHKは、若い人たちに紅白を見てもらうことを重視しており、とりわけここ数年は、演歌勢を減らそうという明らかな姿勢が見え隠れしました。

 五木さんは、芸術選奨文部科学大臣賞(2004年)、紫綬褒章(2007年)、旭日小綬賞(2018年)などを受賞しておられます。遠き昭和の演歌界のビッグネームがまた一人、紅白の舞台を去っていきました。名前を聞いたこともないような、歌の下手くそな、見てくれが華やかで、可愛くてイケメンの歌手たちがどんどん登場し、心に浸みる歌謡曲・演歌を歌える人たちが、「新陳代謝」という大義名分で淘汰されてきました。家でコタツに入り、年越しそばを食べながら紅白を見るという、お年寄りにとって暮れの大きな楽しみが、ますますつまらないものになっていきます。視聴率もスポンサーも気にしないで、番組を制作できるNHKは、年配の方たちの心をもう少し大切にできないものでしょうかね。♥♥♥

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