木戸 修死す!

 新日本プロレスなどで活躍した元プロレスラー・木戸 修(きどおさむ)さんが、がんのために12月11日にお亡くなりになりました。73歳でした。数年前からがんを患っており、長い療養生活で抗がん剤治療を受けておられました。木戸さんは、1969年2月21日に日本プロレスでプロレスデビュー。アントニオ猪木さんらとともに、1972年3月、新日本プロレスの旗揚げメンバーとなりました。猪木、山本小鉄に続く第三の男として旗揚げに貢献した人物です。テレビ局がつかなくて経営が苦しい一年間を持ちこたえることができたのは、木戸さんの陰の努力・地道さがあったからこそです。海外遠征時には、カール・ゴッチさんに師事して技術を習得しました。第1次UWFに参加後、新日のマットに復帰すると、1986年8月5日両国国技館大会では、前田日明とのタッグで「IWGPタッグ王座」を奪取。寡黙でありながら、熱い闘志を秘めたレスラーでした。黒のショートタイツに、ゴッチさん譲りの研ぎ澄まされたグラウンドレスリングと、関節技テクニックは「いぶし銀」と称され、多くのファンを魅了しました。私も大好きな玄人肌のレスラーでした。

 頚髄損傷でリハビリ中のゼロワン〝炎の戦士〟大谷晋二郎(51歳)が、師匠の死を悼みました。1996年に半年間、木戸さんの付け人を務めたことがあり、当時を「荷物をいつも整理整頓されておられ、巡業の際に僕が持たせていただく木戸さんのスーツケースの中身はいつも必要最小限の荷物のみでした」と綴りました。布団にシワ一つあってもダメ。荷物整理もちゃんとして、決まった物は決まった所に置く。髪型と一緒できちっとした人でした。新日本プロレスの旗揚げメンバーの藤波辰巳さんは、二人で新日初の海外遠征としてドイツに8ヶ月間行き、その後は米国・フロリダで「プロレスの神様」カール・ゴッチに師事しました。「試合もうまかったし、練習熱心で、先輩風を吹かせる人じゃなかったですね。淡々と自分の練習をする感じの人で。試合中でも髪の毛をキチンとするのは、ゴッチさんの教えだったのかな。試合中に髪の毛を触ったら、えらく怒っていましたけどね」と振り返りました。一事が万事、控えめな人でした。でしゃばらないし、すごく寡黙で喜怒哀楽を表さない。自分のやるべきことを黙々とやる、本当の意味で昔気質の職人みたいでした。UWFで一緒に活動した前田日明さんが、先輩である木戸さんに意見を求めたときも、必ず一歩引いて前田さんを立ててくれました。「木戸さんがいることで心強かった部分はあるよね。自分たちがやってることの正しさというか。それまではどちらかといったらまがいもん扱いみたいな感じだったけど。『あの木戸修もUWFに行ったんだ』って、見られ方の変化があったんじゃないかな。ゴッチさんもずっと最初の頃から『木戸は呼ばないのか』ってことあるごとに言ってたからね」信頼を置かれる人柄であったことが伺えます。うそをつかない。悪口を言わない。「俺が、俺が」という世界の中で、木戸さんが引退まで人と争ったことはありません。プロレス界では貴重な存在でした。

 「プロレスの神様」カール・ゴッチは、木戸さんのことを「マイ・サン(私の息子)」あるいは「私の領域に一番近付いた男だね」と評しています。帰国後の新日本プロレスでは木戸さんは、地味なファイトスタイルや寡黙な性格が災いしてか、前座試合の出場がメインとなり、デビュー当初はライバルと目されていた藤波さんとはずいぶん差がついてしまいました。表向きの派手な部分は藤波さんが引っ張り、木戸さんは縁の下の力持ちという感じでした。しかし、1984年9月から第1次UWFに参加すると徐々に評価が高まり、木戸さんの職人肌のグラウンド・テクニックは「いぶし銀」と呼ばれるようになりました。1985年に行なわれたUWF内の格闘技ロード公式リーグ戦では優勝しています。1985年12月に第1次UWFの崩壊に伴い新日本へ復帰すると、キド・クラッチ脇固めを駆使して活躍するようになりました。ゴッチさん直伝のグラウンド技術は高い評価を得ました。

 大技の攻防が日常化していく1990年代以後の新日本プロレスの中で一人、地味ながら切れ味鋭いレスリングスタイルを貫いた実力者の木戸さん。2001年11月2日、木戸さんの引退記念興行が行われ、この興行には、関東各地の後援者の他、遠く札幌からも応援隊が駆けつけ、試合後の木戸さんの引退セレモニーではゴッチさんからのメッセージが代読されました。木戸さんの姉や愛娘2人がリングで花束を渡すセレモニーも続き、控室での木戸さんのインタビューでは盛んに「家族」という言葉が発せられ、家族思いの優しい人柄が改めて確認できるものでした。長女の愛(めぐみ)さん(33歳)は、ツアー1勝のプロゴルファーとして活躍しています。木戸さんは度々ゴルフ会場を訪れ、娘さんをサポートしておられました。「私にとっての木戸修は、優しい父親でもあり、偉大な先輩アスリートでもあり、尊敬し、父の娘であることを誇りに思っております。現在は、とても悲しく寂しい気持ちでいっぱいですが、これからは父が天から見守り、一緒に戦ってくれると信じて、一層競技生活に精進して参りたいと思います。父を応援して下さった皆様、お世話になった関係者の皆様、本当にありがとうございました。ここに生前のご厚誼を深く感謝し心より御礼申し上げます。」

 昨年はアントニオ猪木が亡くなり、今年は木戸さん、新日本プロレスの旗揚げメンバーが次々と亡くなり(山本小鉄、柴田勝久)、残るは藤波、北沢の二人だけになってしまいました。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す