「寝台列車」の廃止

 日本でも、かつては多数の夜行列車が運転されていました。1974(昭和49)年10月号の『国鉄監修 交通公社の時刻表』によれば、東京駅を発車する東海道、山陽方面の特急、急行の夜行列車(毎日運転の定期列車のみ)は、下に示すように12本もありました。その多くは車内にベッドを設けて寝られるようにした「寝台列車」です。殺人事件の恰好の舞台だということで、私の大好きな推理小説家・故・西村京太郎先生も、好んで作品の舞台に取り上げておられました。

   ・10時00分   急行「桜島・高千穂」西鹿児島行き
   ・16時30分   寝台特急「さくら」長崎、佐世保行き
   ・16時45分   寝台特急「はやぶさ」長崎、西鹿児島行き
   ・17時00分   寝台特急「みずほ」熊本行き
   ・18時00分   寝台特急「富士」西鹿児島行き
   ・18時20分   寝台特急「出雲」浜田行き
   ・18時25分   寝台特急「あさかぜ1号」博多行き
   ・18時55分   寝台特急「あさかぜ2号」博多行き
   ・19時00分   寝台特急「あさかぜ3号」下関行き
   ・19時25分   寝台特急「瀬戸」宇野行き
   ・21時30分   寝台急行「銀河1号・紀伊」大阪、紀伊勝浦行き
   ・22時45分   寝台急行「銀河2号」大阪行き

 もともと、「寝台列車」の削減は国鉄時代からの大きな課題でした。現在の国土交通省である運輸省は、1979年5月17日に国鉄に対して寝台列車はもとより、夜行の貨物列車までも廃止を検討せよ、と指示を出していたほどです。運輸省の指示の意図は、経営の合理化のため、具体的には、当時42万人余りが在籍していた国鉄の職員を7万人削減するためでした。

 1980年代にJRが発足すると、寝台特急「北斗星」などの豪華寝台特急が誕生して人気を博し、夜行列車が一時的に息を吹き返したように見えました。ところが1990年代以降は、豪華寝台特急でさえも利用者が減少し、夜行列車が次々と廃止されていきました。バブル崩壊で節約ムードが蔓延したことや、価格競争による高級運賃の実質的な値下げにより海外旅行が身近なものになり、レジャーが多様化したことなどが背景として挙げられます。そして何よりも民営化された結果、利益を求める一般企業が運営することになり、利益を生まない寝台列車は事業縮小に向かうしかなかったということです。東京大阪から九州東北北海道などに向かって行った夜行列車は全廃されてしまいました。

 それが現時点では、貨物列車を除いたJR線の定期夜行旅客列車は、東京~出雲市間を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」と、東京~高松間を結ぶ寝台特急「サンライズ瀬戸」の2本だけになってしまいました。どちらも「サンライズエクスプレス」と呼ばれる電車特急寝台です。この2本は東京~岡山間では連結して走りますから、東京駅ではわずか1本しか発着していないということになります。この2本だけが残ったのには、2列車だけが比較的安定したニーズに支えられたからでした。車両を変更し、プラバシーに配慮した個室寝台中心の寝台電車を新たに開発して、古い客車を置き換え、新時代のニーズに対応したのでした(ミサワホームが協力)。1998年に運行を開始しましたが、航空機や新幹線の空白時間に移動できるようにダイヤを組んだことで、ニッチで安定した利用客のニーズをつかんだのです。夜明けの霞をイメージしたベージュ色を基調として、朝焼けの太陽を象徴する赤色の帯に金色のラインをあしらった285系電車は、25周年を迎え、今や風格さえ漂わせています。

▲米子駅に入線してくる「サンライズ出雲号」

 国鉄を引き継いだJR旅客会社としても、さらなる収益力の強化に当たっては寝台列車の存在が重荷となりました。新幹線の延伸や航空の発達によって、国鉄時代からの寝台列車の得意客が激減したからです。ここで言う寝台列車の得意客とは、帰省客など多客期に移動する人たちではありません。仕事を理由に平日に利用してくれるビジネス出張旅客です。国鉄は独自の調査に基づき、寝台列車の主要な顧客層は仕事での利用、つまり出張で利用していたビジネスパーソンであったとの結果を得ていました。こうした人たちが交通機関を選択する基準は、金額よりも速さであることは言うまでもありません。しかも、交通機関の速さを基準にしたほうが、結果的には出張費も安く上がります。一般的に航空運賃は新幹線を利用したときの運賃、料金と比べても高いものの、その分目的地には早く着き、大多数のケースで日帰りでの出張が可能となって宿泊費や出張手当を抑えられるからです。運賃に加えて特急券や寝台券といった料金が必要な寝台列車は、新幹線や飛行機と比べて安くもないし、何よりも日帰りでの出張が不可能となってしまって出張手当がかさむ。おまけに寝づらいとあっては、寝台列車の利用者は増えようもないのです。

 かつては、今よりも宿泊施設が少なく、宿泊費も割高だったので、睡眠時間を移動時間に充てられる夜行寝台列車は、時間や費用を有効に使えるという点では非常に便利な存在でした。その寝台列車が消えた背景は、交通手段の多様化です。国内の道路網が整備され、新幹線の延伸の影響や、深夜の人件費の問題もありますが、競合する航空機のジェット化や、低運賃の夜行バスの登場などで、アドバンテージが失われてしまったのです。また、全国各地にビジネスホテルが作られ、価格競争によって宿泊費が値下がりすると(格安ビジネスホテルチェーンの急成長→全国展開)、出張先で宿泊することが一般的になり、夜行列車を利用するメリットが薄らいでしまったのです。1976年(昭和51年)に国鉄が大幅な運賃値上げを行ったことも影響しました。予定に間に合うのなら、前日の夜や当日の朝に新幹線や飛行機を使えばいいのです。宿泊費を浮かせたいなら、運賃の安い夜行バスを使えばいい。最近はLCC(格安航空会社)という選択肢もあります。そうした時代の変化が、夜行寝台列車の衰退を招いたのでした。この傾向は日本だけでなく、欧米、アジア、アフリカ、南米、オーストラリアなども同様で、寝台列車は世界的に衰退していくことになりました。鉄道会社には、スピード一辺倒の考えを脱して、時代の変化に応じたサービスを期待したいところです。♥♥♥

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