私が以前4年間勤務した、島根県立大田高等学校の校門を入ったところに、校舎に隣接して「岩谷会館」という卒業生会館があります。これは「マルヰガス」を創業した同校卒業生の岩谷直治(いわたになおじ)さんの寄贈による2階建ての建物です。当時、職員会議・部活動の合宿などに利用していましたが、森山祐司(もりやまゆうじ)校長の英断で、生徒の自習室に改装されました。「疲れない椅子」を入れて、生徒たちの学習の便を図りました。これは、飛躍的に進学成績が伸びた要因の一つでした。
大田農業学校(現島根県立大田高等学校)卒業。 神戸の運送会社で勤務した後、ガスの製造・販売を行う「岩谷直治商店」を
昭和5年(1930)に創業。 昭和20年(1945)年に株式会社岩谷産業に改組、以後40年間に渡り
社長を務めた。 昭和28年(1953)、50歳の時に家庭用プロパンガスの全国販売をわ
が国で初めて開始。 昭和44年(1969)にはガスホースを使わないカセットボンベ式卓上型
ガスコンロを日本初の市販化。 半生をかけてガス器具や供給機器、安全器具の開発・普及にも心血を注ぎ、
「プロパンガスの父」と称される。 昭和55年(1980)8月には大阪府堺市にLPG輸入基地を完成させ、
翌年2月からサウジアラビアからのLPガスの直輸入を開始し、輸入から
国内販売までの垂直統合を完成。 今日、イワタニ・マルヰガスグループを290万のLPガス需要家を有す
る日本最強のLPガス集団に育て上げた。生活全般から素材関連まで事業
欲は幅広く、岩谷を生活総合産業企業へと一代で築き上げた。また、次世
代燃料としての水素に注目し国内初の液体水素製造装置を造るなど先見性
もあった。