松下電器のDNA

 私の自宅の家電製品は全てがパナソニック製です。創業主・松下幸之助をこよなく尊敬する私は、ナショナル時代から同社の製品をずーっと愛してきました。かつて「松下電器産業」「パナソニック」と社名を改めました。これに従って、系列会社の「松下電工」「パナソニック電工」と名前を変え、私の大好きな「ナショナル」というブランドが完全に消えてしまったのです。人気テレビ番組だった月曜・夜8時からの「水戸黄門」の時のCM「あかるーいナショナル、あかるーいナショナル」というコマーシャルソングももう耳にすることはありません。世界からナショナルが完全に消えてしまいましたが、パナソニックの中で唯一「ナショナル」が消えないところがありました。

 2005年の1月に、福島県のペンションで、ナショナルFF式石油暖房機を使用していたところ、一酸化炭素中毒で小学生の子供が死亡しました。外気を吸い込むゴムホースが経年劣化で亀裂を生じ、不完全燃焼を起こしたために起こった事故でした。この時、公にリコールを発表せず、内々に処理をしようとしている間に、11月に二人目の死亡者が出ました。マスコミは松下の対応のまずさを一斉に叩いたのです。釈明会見を開いた松下電器の副社長はマスコミのあまりの怒号に、ただただ謝罪するしかありませんでした。松下の企業イメージは一気に急降下、経済産業省からも、対象製品のリコールや危険性の周知を徹底するよう、消費者生活用製品安全法による緊急命令を受けました。松下電器は社内に「FF式緊急市場対策本部」を設置。当時の中村邦夫社長が自ら本部長となり陣頭指揮を執って、対象25機種15万2000台を、最後の一台まで見つける覚悟で対象商品の回収修理、買い取りを最優先事項に松下電器は動きました。1台5万円で暖房機を買い取るキャンペーンなども行われました。テレビで石油式暖房機の改修修理のコマーシャルをひっきりなしに流したり、松下電器の社員、子会社の社員に、地域のパナショップのオーナーに至るまで、石油式暖房機の回収修理について書かれたビラを各家庭に配りました。さらに宛名を特定しなくても配達してもらえるサービスを使って、全世帯6000万カ所に回収修理を訴えるダイレクトメールを配布しました。日本中全国全ての人に石油暖房機の事故と自社製品の危険性を知らしめるために行われた、日本史上最大の告知行為だったと思います。自主的にビラを配っていた社員も多くいたそうです。それだけ危機意識が松下内部にあったからでしょう。当時、松下にいた人に聞いてみると「もう会社が潰れるかと思った。」と。松下は経営危機に陥り、赤字に転落しました。中村邦夫社長「創造と破壊」をスローガンとした経営改革でV字成長をしました。これからは業績が伸びる一方、と思ったところでのこの事故でした。松下の社員の危機意識は相当高かったはずです。最初は松下を叩き続けていた世間ですが、松下のこれでもかこれでもかという告知行為のために、松下電器は12月からクリスマス商戦を返上しました。全ての商品コマーシャルを止めて、石油暖房機の事故による警告CMに切り替えます。いろんな大きさや種類の告知広告が郵便受けに入り、ダイレクトメールが郵便受けに入るうちに、世間の反応が変わっていきました。1年も経つと最初は「松下の製品は絶対に買わない」と言っていた人も、松下がずっと告知広告を続けているうちに「これだけやっても出てこないなら、もう無いぞ。」とか「これで知らないやつなんて誰もおらんぞ。」と言うようになりました。最初は松下のイメージを悪くするだけの告知CMが、気がつけば、松下電器が「お客さま第一」であることを一番知らしめるCMになりつつあったのです。ホームページでも一面全てが「いま一度、心からのお願いです」と、ファンヒーターの回収の呼びかけの告知記事でした。

 クレームが起きたときの大原則は、即座に対応することです(先般の「ビッグモーター」はこの点で失格です)。会社のトップが「指揮官先頭」の気持ちで矢面に立ち、全社を挙げて誠心誠意で対応することです。そんな時、パロマの事故が起きます。パロマの給湯器が不完全燃焼を起こして、一酸化炭素中毒を起こしたのです。1985年から2005年にかけて一酸化炭素中毒事故が相次いで起きました。事故件数27件、うち死者が20人という大事件に発展します。それも、記者会見をする度にころころ発表内容が変わる、といったお粗末な内容や遅い対応で、世間は一斉にパロマを叩きました。後に1992年には社長に報告が入っていたことが判明します。つまり同社は1992年から2005年まで少なくとも13年間は問題を放置していたことになります。告知を行った後も、最初の頃は、全てはサービス業者による不正改造のせいだと主張し続け、「自社製品には一切問題がない」という姿勢を崩しませんでした。これが火に油を注ぐ結果になったことは言うまでもありません。「お客さまのため」よりも「会社のため」「自分たちのため」を優先した内部志向が大きな要因でしょう。「松下があれだけやっているのにパロマは何をやっているんだ。」この間、実は松下の売り上げは落ちていません。一時は落ちたようですが、松下の徹底した対策に世間が好感を抱いたようです。危機を転機に変えたのです。「パナソニック株式会社」と名前を変えた今も、パナソニックは本気で最後の1台まで探し出す気です。この部署がある限り、パナソニックから「ナショナル」の文字が消えることは無いが、それがパナソニックがお客様第一の企業であり続ける証拠であるとも言えるのでしょう。「産業報国」「お客さまのため」という同社のビジョンが社員一人一人に浸透している証拠です。

 この「松下電器のDNA」ともいうべき精神は、未だに生きながらえているということを私は身をもって実感しています。今私の乗っているパナソニック電動自転車は現在で5台目なんですが、数年前から電動自転車のバッテリーに不具合があるらしく、該当番号のバッテリーを持っている方はご連絡くださいという封書を、何度も何度も受け取っています。私のバッテリーはその番号に該当しなかったので、放っておいたんですが、それでも引き続き数回ダイレクトメールが届きました。そのままにしておいたんですが、先日は自宅にまで電話がかかってきました。事情を説明された後、「私の電動自転車はどれにも該当しません」ということを申し上げたら、念のために住所・氏名をお聞かせいただきたい、記録に残しますのでとのことでした。ここまでして、最後の一台まで追跡をされることに感銘を受けました。恐ろしや、「松下電器のDNA」♥♥♥

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