エスカレーター人間

 大好きな「知の巨人」である故・外山滋比古(とやましげひこ)先生の超ベストセラー『思考の整理学』(ちくま文庫)の冒頭で、「グライダー人間」「飛行機人間」という絶妙な比喩が出てきますね。私は教室でよくこの話をするんです。人に引っ張ってもらわないと飛べないグライダーではなく、自分の力で飛び立つことのできる飛行機を目指しなさい、と。

 さらに外山先生が、こんなことを言っておられたのが印象に残っています。

 いまの日本は、一生、エスカレーター人間であるという人口が半分くらいを占めている。きわめて不自然、不健康な社会である。えらそうな顔をしているエリートたちも、まったくエリートとしての力量を欠いている。だいたいエスカレーターは、じっとしていても上へのぼっていかれることであり、努力しなくても、高いところへ行かれることである。  (外山滋比古)

 外山先生は、全く努力しなくても、高いところへ自動的に行くことができる人のことを「エスカレーター人間」と呼び、そういった人間が人口の半分くらいを占めている、とも言っておられました。こういった人は、人間らしさ、苦労、生き甲斐などというものとは全く縁がありません。よほどの間抜けでもない限り、転んだりすることもありません。「エスカレーター人間」とは、まず始めに「教育エスカレーター」として、小学校から大学までの十数年間をエスカレーターに自動的に運んでもらって、その後「企業エスカレーター」が始まり、そのエスカレーターは定年までへと、とても長く続きます。そして、そのようにして「エスカレーター人間」が仕上がっていくのです。

 エスカレーターには、必ず終わりがあります。そんな当たり前のことすら、分からない人間が多くいます。退職になり、エスカレーターが終わりとなったら、どうしてよいか分からない。うっかりしていなくても、「エスカレーター症候群」にやられます。体がおかしくなる。心も少し変になります。病気になるが、そんなものを治してくれる医学はないから、老化していく他、道はないのです。定年後に、急に老け込んでしまう方が多いとよく耳にします。そういう方は、エスカレーターを一度も降りることなく過ごし、ましてや途中で降りようかなどと考えたこともないのかもしれません。それに対して、若いときから、自分の足で道を歩き、階段をのぼって生きる人は、五十にもなれば、知命※(天命を知ること。また、「論語」の「五十にして天命を知る」から50歳のこと)、つまり、一人前の大人になることができ、生活賢者なのです。中高年ともなれば、そろそろ自分の「知命」というものに目を向け、生き始めてみることが必要です。若い時から、自分の足で道を歩き、階段を登って生きてきた人は、一人前の大人になることができます。

 エスカレーターの上で転ぶのは容易ではありません(とはいうものの、最近は事故が多いですね)。階段なら、転んだり足をすべらせたりして、痛い目にあって、立ち上がってはまた、歩き出す。それが大人というものです。エスカレーターに乗って喜んでいるのは物の分からない子どもである、と言ってもよいでしょう。苦労の経験が知的な人間をつくり、その人の人生を豊かにします。『大人は一日にしてならず。大人は学校では育たない。生きる苦労で大人になれる。しかし、その苦労が、嫌われるものときている。大人たること、まことに難しい』

 イギリスの哲人トーマス・カーライル「経験は最良の教師なり」と言いました。さらに「ただし、月謝がひどく高い」と付け加えています。失敗、不幸、挫折、難儀などの辛い経験が人間を育てる最大の力なのです。私の大好きなシンガーソングライターのさだまさしさんは、今まで「下りのエスカレータを登る覚悟で生きてきた」と、波瀾万丈激動の人生を振り返っておられます。見習いたいものです。♥♥♥

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