セレンディピティ

 最近、「セレンディピティ」という言葉を至る所でよく聞きます。「思いもかけないところからの偶然の発見」という意味です。私はかつて、故・外山滋比古先生『最高の雑談術 乱談のセレンディピティ』(扶桑社文庫、2018年12月)を読んでいて詳しく知りました。“目で考える”人間は孤独を好む。“ひとりで考える”ことは、主観的になりやすい。すぐれた知能は、視覚的思考によって育まれるより、聴覚的 思考力によって伸びると考えられる。ひとりではなく、仲間といっしょに、語らい合っているうちに発動する思考力というものをわれわれは、これまでほとんど問題にしたことがなかった。ひとりではなく、同志と、本を読むのではなく、談話によって、新しい文化を開発することができる。そういう信念をもとにして、クラブ的芸術、思考を模索していくと、乱談の思考、セレンディピティ」(serendipity)に至る、というのが本書の要点であったように思います。最近では、この「セレンディピティ」というのが流行語となっており、各所で目にするようになりました。ある目的に向かって、研究・実験が行われているがなかなか成果が上がらない、その途中で全く思いもかけなかった新しい知見が飛び出してくる。それが「セレンディピティ」です。

 そもそもこのserendipityという言葉は、イギリスの政治家・小説家のホレス・ウォルポール(1717~1997)が1754年に生み出した人造語です。ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、ある時、友人に宛てた書簡において、自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてであり、その書簡の原文も知られています。

 この私の発見は、私に言わせればまさに「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉は、とても表現力に満ちた言葉です。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。たとえば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?

 その頃イギリスでは、「セイロンの三王子」という童話が流行していました。三人ともしょっちゅう物をなくすのですが、探してもいっこうに出てきません。ところが、探してもいなかった物が思いもしないところから飛び出してきます。思いがけない偶然の発見です。ウォルポールはそれにあやかって「セレンディピティ」(serendipity)という語を創造しました。その頃、セイロン(今のスリランカ)セレンディップ」と呼ばれていたのです。

 特に科学分野で、失敗が思わぬ大発見につながった時などに使われる言葉です。第二次世界大戦後、しばらくした頃の話です。アメリカは敵の潜水艦の接近を探知する高性能の集音機器の開発に没頭していました。ある時、潜水艦から出ていると思われる規則音がキャッチされます。一大事だと研究陣は色めき立ちますが、いくら調べても潜水艦は存在しません。だとするとあの音は一体何か?ということになり、音源を追いました。そしてその正体がイルカだと判明したのです。それまでイルカが信号を発して、相互に連絡し合っているなどと考える人はいなかっただけに、イルカに言語らしきものがあるというのは大発見となりました。そればかりか、アメリカ沿岸のイルカと日本近海のイルカとでは使っている“コトバ”が違うことまでが明らかとなったのでした。

 1928年、イギリスの微生物学者A.フレミング(1881-1955)が、感染症治療の決め手になったペニシリンを、青カビの一種から発見したのもセレンディピティでした。フレミングが実験していたところへ偶然土壌菌が飛来、それが殺菌力を持っていることが分かったのです。私たちが日常使っていて便利な「付箋」に使われている剥がすことのできるのりもセレンディピティでした。ノーベル賞に輝いた田中耕一さんの業績も、セレンディピティであったと言われています。

 教育を長く続けていると、読書量が大きくなり、それだけ博学多識にはなりますが、それだけセレンディピティの確率は小さくなります。いったん頭の中に入れたものはそうそう簡単には捨てられるものではないからです。それが災いして頭が不活発になる危険性は指摘しておく必要があります。本も読まない、新しいことも考えない、人と話しもしない、ではつまらない不毛です。

 私たちは目的を持った、役に立つことしかしない、というところがあって、用のない、役に立たないことは全て無駄なことだと決めつけていますが、その無駄の中に、実は思いもかけない宝物が眠っていると考えることが、人生を豊かにすることにつながる思考なのです。セレンディピティを遠く縁のないことのように考えがちですが、気づかないだけで、案外、日常身近なところに小さなセレンディピティはごろごろと転がっているかもしれませんよ。♥♥♥

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