YKK吉田忠雄の哲学

 世界的企業のファスナーメーカーである「YKK」の創業者・吉田忠雄(よしだただお)さんは、1908年(明治41)に富山県下新川郡(魚津市)の貧しい家に生まれました。高等小学校を首席で卒業後、長兄のゴム靴売りを手伝います。昭和3年兄からもらった70円を持って上京。日本橋の陶器輸入商古谷商店に勤めますが、同店が解散したために、吉田工業の前身サンエス商会を創立します。しかし世界大恐慌の影響でわずか4年で会社は倒産。倒産した倉庫に眠っていたファスナーを全部買い取り、郷里の仲間と3人で会社を設立します。昭和9年、26歳の時でした。家内製造で始まった会社は、軍の指定工場となり、従業員300名の企業に成長します。しかし昭和20年の大空襲で全てが焼失。郷里に戻って再出発します。それがYKKの前身となる「吉田工業所」です。世界的なファスナーメーカーを一代で築き上げたのです。

 その考え方のルーツは、吉田さんが小学生の頃まで遡ります。一見、東洋哲学的で仏教的な考え方ですが、きっかけは小学生の頃に読んだ、米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの伝記でした。大正時代、当時の日本は富が資本家に集中し、貧しきものにとっては理不尽なものを感じずにはいられなかったのでしょう。カーネギーの伝記の中に出てくる「富は神よりゆだねられたものである」といった記述や、「富は独占するものではない」といったところに大いに感銘を受けたとみられます。「善の巡環(ぜんのじゅんかん)」は、この吉田さんが考え出した言葉です。これは、自分の目先の利益よりも周りとの関係を重視し、自分だけが成功するのではなく、関係する全ての人が成功することが結局、自分に跳ね返ってくるという考え方です。吉田さんは、これを小学校の時に読んだ鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーの伝記から学びました。 カーネギーはアメリカの鉄鋼業界で活躍した実業家で、文化や教育などの発展にも大いに力を注いだ人物です。

 人間、一人では何もできません。必ず他人様の力に何らかの形で頼っています。ですから、その成果、例えば会社の収益も社会のいろいろな方々のお世話になって得られる物なのです。したがって他人の繁栄を図らなければ、自らも栄えることはないのです。それを吉田さんは「善の循環」と呼びました。個人や企業の繁栄が、そのまま社会の繁栄へとつながっていくのです。ちょうど池に石を投げると、波紋が大きな輪になって広がっていくように。自分さえ儲かりさえすればいい、という商いの仕方は、これまで栄えたためしがありません。「他人の利益を図らずして、自己の繁栄はない」これが吉田さんの座右の銘でした。戦後いち早くアメリカから最新鋭の機械を購入して大量生産体制を確立した吉田工業は、ライバル会社を一掃することもできたのに、それをしませんでした。販売を任せるという形で「共存共栄」を図ったのです。あのアメリカの安いファスナーが大量に入ってきたら、もはや生き残れなくなる、早く機械を導入しないとダメだと強く思いました。ですが、その事を業界に持ちかけても誰も賛同はしてくれません。戦後の復興の時期でしたから、作れば売れる時代でした。何も高い機械を入れなくても、製造は人の手だけで充分だという見解でした。そこで吉田さんは、独自に機械を輸入をするしか無いと考え、輸入許可を取るために通産省へ通います。なんと2年半もの時間をかけ、やっと輸入許可を手にして4台の機械の導入をすることになりました。YKKの資本金が19万8,000円であったのに対して、機械の導入に掛かった費用は35,000ドル、日本円にして1,260万円です。その内の1,200万円は日本興業銀行からの融資でした。この多額の融資を受けての高額の買い物は、大きな賭けでしたが、この選択が大成功を治め、圧倒的なシェアを獲得することができました。当時、日本のファスナー産業は弱小でしたが、この吉田さんの英断で大きな成長を遂げ、結果的には世界のトップメーカーにのし上がることができたのです。もし、自社だけで満足していたら、逆に外国メーカーに日本の業界全体が駆逐されてしまっていたことでしょう。

 名前のYKK式会社」の頭文字を取って名づけられました。昭和48年、中東戦争に端を発する「オイルショック」ではYKKにも大きな打撃がありました。「石油が入って来なくなり商品の生産や輸入が出来なくなる…」という憶測から、国民は大パニックに陥ります。スーパーからトイレットペーパーや洗剤が消え、諸物価が高騰し、便乗値上げが相次ぎました。YKKでもファスナーの材料費が2倍以上に跳ね上がり、苦境に陥りますが、吉田社長は頑として安易な値上げに走りませんでした。彼は、YKKは、たとえ100億円損しても値上げはしない」と宣言します。今のような狂乱物価が長く続くはずはない。原材料の値上がり分はYKKが損をかぶって売る」「販売の皆様は在庫を皆無にしてユーザーに尽くして下さい。さらに値上がりするのではないか、在庫を持っていたらえらく儲かるのじゃないかというが、そうではなくて、いまこそ裸になってユーザーにお尽くしする年であると、私は考えます」「今は損をしても、消費者にサービスする」と、堂々と宣言したのです。 吉田社長の予測通り、事態は数か月で沈静化に向かい、実際には40数億円の損失で収まったといいます。マスコミでもこの毅然とした姿勢が大きく報道され、YKKの信用がより一層高まったといいます。日本国内90%以上、世界でも50%近いシェアを誇るYKKの飛躍は、こんな出来事にその基盤を見ることができるんですね。損して得取れ」そういえば、以前紹介した宅急便の元祖・クロネコヤマトの創業者・小倉昌男さんのモットーも、サービスが先、利益は後」でしたね(⇒コチラに紹介しました) もう一度かみしめてみましょう。

 人間には我欲があるのは当然です。「まず自分」という思いは、人間誰でも持っています。もしうまくいかなくなったら、他人を優先してみるといいと思います。人に何かをしてあげると、必ず自分に戻ってくるものです。「情けは人のためならず」と言いますものね。『経済界』の1971年4月号のインタビューでも吉田さん本人が、なぜ上場しないのかについてこう語っています。卓見です。

「なぜ株式を上場しないのか、ですって。別にこれというワケがあるのではないんですよ。要するに人が働いてつくりあげたものを、金で買って、権利を主張して、さぁ働け、さぁ働けと叱咤する。そして業績が上がると株価も上がる。だから俺たちは儲かった。しかも、いくら儲かっても税金は払わなくてもいい――こんなことで果たしていいのだろうか、ということですよ」

 故・稲盛和夫さんが、最後までこだわり続けた「利他の心」とも通じる考え方です。私も真似をして生きています。⇒コチラに詳しく書きました ♥♥♥

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