朝で差をつける

 私が尊敬する故・竹内 均先生(たけうちひとし、東京大学名誉教授)は、かつて「できる男は「朝」で差をつける」とおっしゃっておられました。「早寝早起き」が先生の生活の基盤でした。これは体の「健康」面だけでなく、頭のコンディションにも良い影響を与えておられました。また、先生は朝が最も頭脳労働に適した時間帯だと考えておられたのです。逆に夜は心身共に一日の疲れがたまっている時であり、頭の働きも自然と鈍くなります。自分では調子がいいと感じていても、実は能率が上がっていないことが多いのです。夜に比べて朝は全くの逆で、前日の疲労が回復して、リフレッシュした時です。この時間こそが、人間が勉強するために神様が下さったものだと思ってもいいくらいだ、と先生はおっしゃっておられました。

 竹内先生がまだ旧制高校の学生だった頃、哲学者のカントと、詩人にして政治家のゲーテが、同じ早寝早起きの生活パターンだったことを知り、自分のやり方に自信を持たれました。カントは朝の5時から研究を始めました。15分前に召使いが必死になってカントを起こしたのだといいます。カントは起きるとまず紅茶を二杯飲んで、煙草を一本吸い、その後に仕事に取りかかりました。ゲーテは未明に目を覚まし、空にまたたく星を眺めながら朝日が昇るまでの時間、瞑想にふけったといいます。朝は人間の力が最もみなぎる時であって、この貴重な時間を寝て過ごすか、有効に活用するかで、随分差が出るはずです。

 竹内先生東京大学の研究室に通っておられた頃は、午前4時に起床し、二時間ほど勉強し、6時半に朝食をとる。午前7時には自宅を出て、オフィスに向かう。そして早い時で7時半頃には着いておられました。学園紛争があった当時は、メインキャンパスを通り抜けて、根津にある研究室に通っておられたのですが、そのためには、幾つかの門を通ることになります。当時、時間によっては門が閉鎖されることになりました。乱暴な学生が夜中に侵入して良からぬことをするとも限らないからです。先生が学校に着く時間は、まだ開門の前です。門が閉ざされた最初の日のこと、先生は門を叩いて守衛さんを呼びました。「私はここの教師だ。通して欲しい」。そう言うと、守衛のおじさんは目をパチクリさせて、「東大の先生がこんなに朝早く来るんですか?」と驚いておられました。当初は「大学の教授はお昼頃、出勤する」といった変な常識がありました。その裏には大学教授のはなもちならぬエリート意識と甘えがあると、先生は普段から思っておられました。そういうものが大嫌いな先生は、自分がばかげた常識に陥らないように、気持ちを引き締めるためにも、早朝出勤をずっと実践しておられたのです。仕事をして、12時に昼食をとり、午後1時から4時半まで仕事をし、5時半には帰宅の途につく。6時半までには夕食をとり、その後9時くらいまで読書などをして過ごし就寝する。規則正しい規則正しい生活を、数十年間続けてこられました。

 大学紛争で思い出される逸話がもう一つあります。ある日、先生の研究室のある建物が封鎖されたことがありました。しかし学生たちが登校(?)してきたのは朝の9時頃でした。もちろん先生は朝の7時半に研究室に入っておられたので、すでにセッセと仕事に打ち込んでおられます。先生の秘書が9時頃にやって来て、学生たちにつかまりました。そこで先生のことが大いに問題になったそうです。「タケキン(先生の愛称でした)を引っ張り出せ!」という強硬意見も出ました。しかしネコの首に鈴をつけるネズミが出て来ません。結局は、「先生はしょうがない」というところに落ち着いたのでした。翌日、先生は学生の代表を呼んで、こうお説教をしたものです。「建物の封鎖をやるならもっと真面目にやりなさい。私が7時半から来ているのに、君達が9時では遅すぎるではないか!」この珍妙な説教を学生達は神妙な面持ちで聞いていたそうです〔笑〕。

 私も小さい頃から「早起き」でした。これはなぜかというと、信仰心があつく信心深かった(日蓮宗)母親が、朝の5時から神様にお勤めの行をするんですが、鐘をチーンと鳴らしてお経を上げる、その鐘の音でパッと目が覚めるような習慣が幼い頃から出来上がっていたのでした。前日(当日?)も何時に寝ても朝の5時にはちゃんと目が覚めるのです。実にいい習慣をつけてもらったと感謝しています。以来、私はずっと早起きをして、学校に行くまでの数時間をひと仕事に充てていました。長い間、私は松江北高に機械警備の解除される朝の6時半に登校していました(警備員さんと仲良くなったのはそういう訳です)。まだ誰もいません。定年前に、私より早くやって来る女性の新任の英語の先生が、私に美味しいコーヒーを淹れて待っていてくれたことがありましたっけ(4月の退職時に、全てのお申し出を断って悠々自適の生活に入り、家でゴロゴロしたり、旅に出たりしてのんびりと暮らしていました。退職前の最後の二年間に私が指導した新任の若い女先生は、当時、毎日私よりも早く来て、美味しいコーヒーを淹れて待っていてくれたんです。私の退職後、この先生が6月からアメリカの大学院でもっと勉強がしたいと言われ、彼女のためならと(二年間の早朝のコーヒーの恩です!)、私が「お留守番」を引き受けて6月から北高に復帰したのでした。以来、ズルズルと働くことになってしまいましたが…〔笑〕そしてこの話には後日談があります)。

 物音一つしないシーンと静まりかえった学校で、始業時までの約2時間を、予習や調べ物、教材作成に充てることができました。これを毎日続けるわけですから、年間にすれば相当の仕事量になりますね(「チリも積もれば山となる」)。私がこれまでに作り溜めた教材は、全部こうやって完成したものなんです。また、私が朝早く来ることを知っている生徒たちが、質問や添削指導を受けにやって来ます。学校が始まるまでの時間を、実に有意義に使うことができていました。始業時間ギリギリに、ゼーゼー言いながら遅刻すれすれでやって来る教員も結構いますが、これでは立派な仕事はできないだろうな、と思って見ていたものです。今日も朝早く起きて登校する、という良い習慣それ自体、そしてそれを続けることができていることこそが、私に与えられたご褒美なんです。カール・ヒルティに、「仕事というものは本当に熱心にやると、面白くなるという性質を持っている」という言葉があります。仕事は極めれば極めるほど面白くなっていく、私は教えることが楽しくて楽しくて仕方が無い、と思って毎日働いていました。英語のVirtue is its own reward.も、そんな意味の諺です(英和辞典では「徳はそれ自体が報いである」「徳行は自ら報いる〔報酬を求めない〕」「善行の報いはその中にあり」「徳行はそれ自体が尊い」「美徳はそれ自身の報酬である」などと説明されていますが、その意味するところがイマイチピンときませんね)。『ライトハウス英和辞典』(研究社)には、「徳はそれ自体が報いである(徳はそれを行うことで得られる満足感で十分報いられる)」とあります。♥♥♥

   「能力」の差は、小さい。
   「努力」の差は、大きい。
   「継続」の差は、とても大きい。
   「習慣」の差は、いちばん大きい。

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