2月11日建国記念の日に、アパホテルを日本最大級のホテルチェーンに育て上げた創業者の元谷外志雄(もとやとしお)会長が82歳で逝去されました。

▲アパホテル金沢駅前

▲アパホテル新宿御苑前
元谷氏が1984年に金沢片町で第一号ホテルを開業した当時、日本のホテル業界は観光地中心の展開が主流でした。しかし同氏は、ビジネス客をターゲットにした都市型ホテルに特化する戦略を打ち出し、駅近の立地、コンパクトな客室、合理的な価格設定、当時としては異端とされたこれらのコンセプトが、後の出張文化の変化と完全にマッチしたのです。現在(4月28日時点)では1,148カ所、14万8,077室を超える日本最大級のホテルチェーンに発展しています。現在でも次々と新ホテルが開業しており、過去最高売り上げ、過去最高利益を更新しています。重要なのは、トレンドを追いかけたのではなく、自ら市場を創造した点でしょう。これは今の時代の経営者にも通じる視点です。
元谷氏の真価が最も発揮されたのは、2008年のリーマン・ショックの時でしょう。多くの企業が投資を控え、不動産価格が暴落する中、「千載一遇のチャンス」と捉えて積極的な物件取得に動きました。周囲からは無謀との声もありましたが、結果的にこの判断が現在のアパホテルの優位性を決定づけることになります。バブル崩壊、ファンドバブル、リーマンショックという三度の経済危機を、すべて成長の機会に転換してきました。元谷氏から学べる最大の教訓は、「市場が悲観に包まれた時こそ、冷静に本質を見極める」という姿勢です。リーマン・ショック時、同氏は不動産の価値そのものが消えたわけではないと考え、一時的な価格下落は、むしろ優良物件を適正価格で取得できる好機だったわけです。この判断の背景には、ホテル事業の本質的な需要への確信がありました。また、妻の芙美子氏との二人三脚の経営スタイルも印象的でした。芙美子氏が広報や対外活動を担い、外志雄氏は戦略と実行を担うという役割分担は、パートナーシップ経営の理想形でしょう。芙美子さんは個性的なファッションで歌手活動も行うなど、メディアに多く露出し広報活動を担う一方で、外志雄さんも安倍晋三元首相らと親交を深めるなど、政財界に幅広い人脈を持ちました。また、同社で発行する月刊誌などで、保守的な思想を発信するなどしたことでも知られます。事業家としての顔とは別に、元谷氏は藤誠志のペンネームで言論活動にも力を注いでいました。「真の近現代史観」懸賞論文を主催し、田母神論文問題でも知られるように、保守派の論客としての一面も持っていました。月刊誌『Apple Town』へ社会時評エッセイを32年に亘って掲載したほか、『報道されない近現代史』、『誰も言えない国家論』、『誇れる祖国、日本』、『【増補版】理論 近現代史学』等の著書を出版し、日本人が自虐史観から脱し、正しい歴史認識を持ち、国に誇りを持てるよう、啓蒙活動を続け、公益財団法人アパ日本再興財団の代表理事として、「アパ日本再興大賞」表彰制度、「勝兵塾」を主催してきました。自分の信念を明確に示し、それを実践し続けました。経営者として成功した後も、自らが正しいと信じる歴史観や国家観を発信し続けたその姿勢は、単なる商売人ではない、真の事業家たる矜持だったのでしょう。ホテルの部屋には著書が置いてありました。
元谷氏の功績は、単に大きなホテルチェーンを作ったことではありません。誰もが守りに入る局面で攻めに転じる勇気、自分の信じる戦略を貫く胆力、そして長期的な視点で事業を育てる忍耐力。これら全てを体現した経営者でした。「先を見る目」がありました。訃報に接し、改めて「経営者は常に市場の先を読み、逆境こそをチャンスに変える覚悟が必要だ」という言葉を噛み締めていました。元谷さんの残した名言をいくつか挙げてみましょう。
◎願望は自ら実現する
◎能ある鷹は爪を出せ
◎仕事を遊びに遊びを仕事に
◎出来ない約束はしない、した約束は守る
◎現状を肯定、持てる武器はすべて使い人生を勝ち取れ
◎若さは武器、若さの中に無限の可能性がある
◎勝ち取った物だけが残る与えられた物はいつか奪われる
◎人生どの一瞬を切り裂いても悔いのない、そんな人生を歩いてみたい
◎自分に見栄を張って生きろ
◎全体の中に部分があり、部分を集めても、全体とはならない
◎始める時から、終る時を考えろ
◎情報は発信する人に集まってくる
◎最善の一瞬の選択を求めて、百年常識を養う
◎常識を磨き人間力を高め誇りの持てる決断を
◎人間どう考えるかで人生は決まる
◎未知の領域への挑戦、それはロマンである
◎世の中、とにかく不条理なものである、めげず臆せず王道を歩め
◎自分に納得できる人生を歩め
◎全力で得た結果は総て最高である
◎全体を俯瞰して、部分を洞察せよ
◎気合い入れて、格好つけて、意識して生きろ
◎幸運は喜びと感動を顕にする人に廻って来る
◎時を選び勝てる所で勝て
◎劇的に興奮と感動の人生を演出して生きろ
◎好奇心があれば未来がある
◎今日の全力が明日の最善を作る
◎計画とは将来に対する意志である
◎演ずる自分を、監督する自分が評価できる人生を
◎全力で闘えば負けたとしても誇りは失われない
◎考えて、準備して、そして嵐を起こせ
◎常にドラマチックに年毎に楽しくなる人生を
◎誠実に忍耐強く勇気を持って決断実行
◎負けは小さくとどめ、勝てる時に大勝を目指せ
◎過去を知り現在を解析すれば未来が見えてくる
◎運命ではない意志の力で人生を勝ち抜け
◎人生は短い未来を闘う過程を楽しみ時間に負けるな
私は職業柄、全国を飛び歩くことが多いのですが、大都市部では「アパホテル」に泊まることも数多くあるんです(大半は、その町一番の老舗ホテルに泊まりますが)。結構気に入って会員になっています。「アパホテルは部屋が狭い」とよく言われることがありますが、これは敢えて意図的に小さく作っているのです。だからこそ、料金が安くなり、面積当たり、あるいはゲスト1人当たりの環境負荷が小さくなるんです。炭酸ガスの排出量は、一般的な都市型ホテルの3分の1です。「アパホテル」は、シングルルームでもベッドは横幅140cmあって、寝心地も大変よく、テレビは50型と大きく見やすいんです。枕元に、照明等のスイッチや携帯電話の充電コンセントなど必要な機能をコンパクトにまとめてあるので、ベッドに寝ながらにして必要な操作が全部できるように作られています。浴槽は卵形でゆったり入れるのに(ビジネスホテルのお風呂は好きになれない八幡です)、湯量は通常の80%で済みます。浴槽に湯を入れるのも、一定量溜まると給湯が止まる定量止水栓で、湯をあふれさせるムダや心配がありません。中でも特筆すべきは、置いてある歯ブラシも超高級品で、私の一番のお気に入りなんです。⇒私の歯ブラシの感想はコチラをご覧ください
ちなみに「アパホテル」の名称については、当時の社長の元谷さんが、米国ランドー社に依頼して出来上がったものです。Always Pleasant Amenity(いつも気持ちのよい環境を)の略で、環境への配慮もあり、Aから始まる覚えやすい親しみのある名前だし、英文字3文字で海外からのお客さんにも親しみやすいだろうということで一発で決まりました。平成9年には社名を「アパ(APA)グループ」に変更しています。「ジャパン(JAPAN)の真ん中」という意味です。「日本には優れたものがたくさんある」「誇れる国・日本を再興しよう」と訴え続けられました。
1971年、夫・外志雄さんが「信金開発株式会社(現アパグループ)」を立ち上げます。起業当初、第一子を妊娠中だったが、経理や事務職をして手伝い、出産後は営業にも出ました。すると営業成績は、トップに。実力で取締役となります。その後、営業手腕を買われ、「ホテルでお客をもてなすのは女将や」と、代表である夫に指名され、1994年、アパホテル社長に就任します。そして、あの有名な元谷さんの広告が誕生するのです。「史上最悪の広告」「やめてくれ」「公共の福祉に反する」などと、ごうごうたる非難の抗議に沸きましたが、逆にそれだけの反響があった証拠で、世の中に浸透した結果と思った、と言います。元谷芙美子社長は派手な衣装に身を包み、「私が社長です」のコピーをひっさげ、看板や新聞広告や中吊り広告に一斉に登場します。あまりのインパクトに、「もっと違う人を使えや!」と、本社には苦情が殺到したらしいですが、元々それが狙いです。「アパホテル」の認知度は一気に上昇しました。「社長を広告塔にする」ことで、コスト削減(タレント使うとお金がかかる)&スキャンダル防止(なんせ自分ですから管理しやすい)という理由で、この広告戦略を取ったそうです。それが大ヒットします。

「アパホテル」は、ホテル業界では、種々の先駆けのサービスを提供することにより、他社との差別化を図ってきました。「ウィンドウズ95」が発売された平成7年にホテルのネット予約をスタートさせています。駅から徒歩3分以内で、宿泊料も安く、大浴場もあって、朝食が美味しい。評判もあって、着実に人気を重ねてきました。2007年、耐震強度不足問題が発覚した際の、複雑な心境も語っていました。京都のホテル2棟で勧告を受け、ホテルは営業停止。マスコミからは叩かれ、大騒動になりました。銀行からは融資の全額返済を要求されましたが、マンションの建設予定地をいくつも売却し、何とか危機を切り抜けます。その時「リーマン・ショック」が起き、資金繰りのために土地を売り余っていた資金で、今度は、都心の一等地を底値で買い入れて、ホテルを次々に作ります。これが現在の大躍進へのきっかけとなったわけです。今も、全国に次々と新しい「アパホテル」が誕生しています。
二人の息子の母親である元谷さんの教育方針は、「勉強するな」です。難関大学に行っても大成しない。勉強はただ記憶力の強い子を作るだけ。トップの経営者になるには、人を引きつける魅力と精神力が必要だ、と教えてきた、と言います。一方、妻としての元谷さんの顔は…「夫婦喧嘩はしない」というもの。夫の意見には反対せず、夫を最大限に立てる。夜は「居酒屋ふみふみ」を開店し、手料理と、焼酎で夫をねぎらいます。仕事もプライベートも全力投球。小さな体から溢れ出る元谷さんのチカラの源が語られました。私が元谷さんの哲学で感心したのは、次のものです。
二兎を追うものは一兎も得ずと言いますが、一兎だけを追っていたら、どんなにがんばっても一兎しか得ることはできません。だから、たとえ難しくても二兎を追ってみる。そうすれば、二兎をを得るチャンスが広がります。 ―元谷芙美子『強運』(SBクリエイティブ、2017年)
そういえば、私が赴任した頃の松江北高は「二兎を追え、三兎を追え!」と、生徒たちに檄を飛ばしていましたっけ。最近では、そんな言葉を聞くこともなくなりました。新型コロナウィルス騒動が起こると、いち早く感染軽症者の受け入れを表明したのも「アパホテル」でした。懐が広いと感じます。世界的にも観光産業は新型コロナウィルスによる大打撃を受けておりますが、「アパホテル」では部屋を求める方がいる限り営業することが「ホテルの使命」と考え、休業せずに営業を続けました。また、安倍首相(当時)より「新型コロナウィルスの軽症者の受け入れ」要請の電話があり、即座に全面的に受け入れる意向がある旨を伝え、ホテル業界のリーディングカンパニーとして医療崩壊を防ぐために側面から貢献したいという一念から、いち早く受け入れを決めました。素晴らしい決断でした。
2020年の2月に、金沢市の「武家屋敷」を案内してもらっていた時に、ここが元谷さんの大邸宅だよと教えてもらいました(写真下)。♥♥♥

▲元谷邸
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