川上監督とV9

 巨人軍の黄金時代を支えた故・川上哲治(かわかみてつはる)監督は、球史に輝く日本シリーズV9というとてつもない栄光の記録を残しました。あの頃は本当に強かった(「巨人・大鵬・卵焼き」の時代です)!1年でも優勝するのは難しいのに9年連続というのは、今ではちょっと考えられないですね。打者は長嶋、王、高田、柴田、土井、黒江、末次、国松、森……。ピッチャ-は金田、堀内、髙橋一三、城之内といったスーパースターを抱えていたのだから、これだけの豪華メンバーが集まれば、誰が監督をやっても勝てる、監督なんか目をつぶっていても勝てる、と冷ややかな観察をする人もいますが、それはとんでもない考え違いです。熱狂的な巨人ファンの私の今日のテーマはこれにしました。守備の要としてキャッチャーを務めた祇晶(もりまさあき)さんがこう言っています。

 私はこれに対していつも即座に「ノー」と答える。たしかにV9当時のジャイアンツのメンバーはすごかった。打者は長島、王、土井、高田、柴田、黒江、末次……。ピッチャーには堀内をはじめ城之内、高橋一三と、他のチームがうらやむくらいのエース級がそろっていた。一時期には、金田投手もいた。いわば、“綺羅星の如く”スター選手が並んでいた。これだけの豪華メンバーが集まれば、監督なんか目をつぶっていても勝てると思うかもしれない。ところが野球というのは、そんな単純なものではない。スター選手というのは善かれ悪しかれ傲慢さを持っているし、自己中心的な性格の持ち主が多い。勝ち続ければ、慣れというのも生じてくる。そうした危険な芽を摘み取り、数多くの個性を束ねていく監督の仕事は簡単ではない。連覇すれば、「勝って当たり前」というプレッシャーもかかってくる。そうしたなかで勝ち続けるのは筆舌に尽くしがたい努力がいる。 (森祇晶『森祇晶の知のリーダ学』(ごま書房、1997年2月)

 あの毒舌・ボヤキの故・野村克也さんも、川上さんを理想の監督と尊敬して止まなかったのは一体なぜでしょうか?

 ONという真の中心選手がいて、その前後を固める選手たちにそれぞれの特徴があって、彼らが首脳陣から求められる役割をきちんと理解していたからこそ、リーグ優勝、ひいては日本シリーズで9連覇という前人未踏の記録を成し遂げることができたのである。そこにある適材適所の重要性を見抜き、つながりのある打線を組み、それぞれの打者に合った役割を徹底させた川上哲治監督の眼力と手腕を見逃してはいけない。 (野村克也『戦略の書 組織を動かす極意』(セブンアイ出版、2018年10月))

◆巨人V9の軌跡

1965年V1  金田正一をはじめとした移籍組の活躍で大差をつけて優勝 1966年V2  堀内恒夫デビュー V9時代最高勝率.685を記録 1967年V3  城之内邦雄ら先発5投手が2桁勝利で3連覇 1968年V4  ドラ1ルーキー高田繁入団 V9野手陣が固定 1969年V5  金田が400勝達成で引退 4番柴田の奇策で江夏豊を攻略 1970年V6  堀内、髙橋一三、渡辺秀武の三本柱でチーム勝利数の3分の2を稼ぐ 1971年V7  長嶋首位打者 前半戦から圧倒的な強さ 淡口入団 日本シリーズで
         王が阪急・山田久志から劇的なサヨナラ弾 1972年V8  堀内300イニングを超える力投で26勝を挙げて最多勝・MVP獲得
         V9期間にON以外がMVPを獲ったのはこの年だけ 1973年V9! 「勝った方が優勝」という阪神との最終戦で9連覇達成

 当時巨人は、1950年から11年間にわたって水原茂監督が指揮を執っており、1955年から1959年までセ・リーグ5連覇を達成するも1956年から1959年までの4年間は日本一になれず、1960年はセ・リーグ優勝すら逃している状況でした。そこで川上監督はメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースが乏しい戦力にも関わらず、毎年のように優勝争いをしていることに注目する。ドジャースのアル・キャンパニスコーチが執筆した「ドジャースの戦法」を教科書とし巨人も戦法を徹底しました。そもそも川上巨人軍は、最初から強かったわけではありません。就任直後の川上さんは、それはそれは苦労して、いつもクビの危機に怯えていた、とあの400勝投手金田正一さんが証言しています。1960年、前任の水原茂監督が、三原脩監督率いる大洋に優勝をさらわれたことが原因で勇退。ヘッドコーチを務めていた川上さんが昇格して指揮を執ることになりました。しかし成績は安定しません。就任初年度こそ6年ぶりの日本一を達成しますが、翌年の1962年は球団初のBクラス(4位)に転落、翌1963年にはVを奪回するも、1964年は3位に終わっています。危機感を抱いた球団は、川上さんの強い意向を受けて、すでに通算353勝を挙げていた国鉄(球団の身売りが決まっていました)の大投手・金田正一の補強に動きます。他の若い選手たちの良いお手本として、金田さんのストイックなまでの練習、鍛え方、体のいじめ方、食事への気配り、ケアの仕方を見せてやりたかったのだと思います。

 川上監督の14年間の巨人監督の軌跡を見ておきましょう。14年間の監督時代に計11度のリーグ優勝、日本一を成し遂げています。戦前戦後の日本プロ野球の礎を築いた名選手、名監督であり、鬼のような勝負師として知られていました。また、「球際」という言葉を生み出し、ギリギリまで諦めない粘り強いプレーを重要視していました。川上監督は、貧困から逃れるため、少年時代から「飯さえ食えれば死なんばい」という教えを受け、常に食べることへの執念を持ち続けていました。監督としては、徹底した管理野球で組織を掌握し、プロ意識の徹底を重視していました。

1961年(1位) 71勝53敗6分  勝率.569
1962年(4位) 67勝63敗4分  勝率.515
1963年(1位) 83勝55敗2分  勝率.601
1964年(3位) 71勝69敗0分  勝率.507
1965年(1位) 91勝47敗2分  勝率.659
1966年(1位) 89勝41敗4分  勝率.685
1967年(1位) 84勝46敗4分  勝率.646
1968年(1位) 77勝53敗4分  勝率.592
1969年(1位) 73勝51敗6分  勝率.589
1970年(1位) 79勝47敗4分  勝率.627
1971年(1位) 70勝52敗8分  勝率.574
1972年(1位) 74勝52敗4分  勝率.587
1973年(1位) 66勝60敗4分  勝率.524
1974年(2位) 71勝50敗9分  勝率.587

 当時、川上さんの薫陶を受けた選手たちが、次々と監督・指導者として育っていきました。金田正一さん、広岡達朗さん(川上さんに徹底的にいじめられ、反骨心から大成した監督ですが、監督としては川上さんを尊敬しておられます)、藤田元司川上哲治ん、長嶋茂雄さん(彼も反川上派でした)、王 貞治さん、森 祇晶さん、高田 繁さん、土井正三さん、堀内恒夫さん、などです。伝え聞くところによれば、巨人時代の川上さんは、ミーティングで野球の話はほとんどせずに、人としていかに生きるべきか、あるいは人の和の大切さ、礼儀やマナーという人間学を中心に話をしていたそうです。野球人である前に、一人の人間としてどうあるべきかを説き続けたそうです。「人間とは何か?」「社会とは何か?」といった人間学・社会学を選手たちに考えさせていたといいます。川上さんは、福井県の永平寺にしょっちゅう行って座禅を組み、己の修行をする人でした。よく野球人である前に、よく社会人、よき人間であることが大事だ、と自ら実践しておられました。チーム全員がその背中を見て、「人間として尊敬」していたのです。著書『遺言』の中にもこんな言葉がありました。

 私の時代は、チームをひとつの「家庭」と考えていた。監督はいうならば父親だし、コーチは母親だ。(中略)父親が父たりえて、母親がまた母親たりえて、時には厳しくしつけ、愛情をもって目を配り、きちんと子供を育てていかなければ家庭だとてチームだとて、まっとうなものにはなりにくいものだ。声高に「個の尊重」「個の自己責任」という今ならば、なおさらにその個をはぐくみ、その個を形成する家庭というものが大切になってくるはずだ。

 「トイレのスリッパは揃えて脱げ」 川上監督は、選手たちに厳しくそう命じていたそうです。後に使う人のことを考えろ」という意味ですね。川上監督のミーティングでは、野球の話はほとんどしないで、人としての在り方、礼儀やマナーなどを厳しく説いたと言われています。王選手長嶋選手などの大スター選手といえども、いっさい特別扱いすることはなかったと言います。ここら辺の「人間教育」が疎かになってきたことが、最近の一連の巨人の忌まわしい不祥事の根源だと思います。

 野球選手というものは、自分が大金を稼ごうと一所懸命やっていればそれでいいと考えている。それがファンのためにもなると思っている。自分のためにがんばる。それは当然のことだが、その一点に終始すれば、それは平凡な小我の世界だと言わざるをえない。常に自分で、まずおれが―自分の欲、自分の満足のみに終始、踏みとどまるということであれば、いくら良い成績をあげられてもその選手は、『技術』だけの人である。たんに仕事ができる小我の人と、その職業や社会に報恩感謝の気持ちをもってやっていく人では、日々の取り組み方も、選手としての充実も、ふくらみがまったく違うものである。自分の今ある立場、自分が生かされている環境や社会に報恩感謝の心を強めていってこそプロ野球の道、人の道である。

 当時の巨人の名ショート黒江透修(くろえゆきのぶ)さんが、新聞に書いておられたことですが、川上さんは、春のキャンプ中も、選手やコーチの自宅に、ご主人は頑張っています。何の心配もいりません」というはがきを、毎回送っていたそうです。キャンプ中の休養日には、選手たちにも体を休めるだけでなく、これまでお世話になった人に手紙を書く時間に充てなさい」と、口を酸っぱくして言っていたといいます。巨人の選手たちは、宮崎で行われているキャンプ中の休日も、感謝の手紙を書いて過ごして、9年連続で日本一になりました。いい話です。私はそんな巨人軍が大好きだったんです。今でも熱狂的な巨人ファンですが、ここ最近の指導体制には辟易しています。

 川上監督は、「思い切っていけ」なんてことは絶対に言わなかった、とかつての教え子淡口憲治(あわぐちけんじ)選手が証言しています。そんなことくらい当たり前のことです。口数が少ない分、おっしゃることには意味があったと言います。さんには「足の上げ方が遅い」平松のシュートが打てない長嶋さんには「長嶋、打てんじゃ困るじゃないか!」、代打に出た柳田選手が見逃し三振して帰ってくると「柳田、バットをふらにゃァ~当たらんぞ」黒江さんには「好球必打というが字の通りではダメだ。ど真ん中に来てもタイミングが合わない時は打つな。狙いを絞ってタイミングが合った時に初めて打て」、プロ初ヒットのレフト線二塁打で出塁した淡口さんが、次打者のヒットで本塁突入ベース直前でタッチアウトになった時は、「何やっとんじゃ!あれでホームに帰れんとはプロとして恥ずかしいわ」とボロクソでした。以降、ヒットを打って出塁しても、すぐに代走を送られたといいます。それも一年も続きました。たった一度の走塁ミスも決して許さない。プロとしてミスをするというのは何か隙がある、それを考えろ、という意味だと理解した、と淡口さんは懐かしく回想しておられました。選手の性格をしっかりと把握して、技術的な指示を使い分けていたんですね。ベンチ内で、他の選手への指示をその他の選手が聞いて、自分の打撃に置き換えて考えるのが、川上流の教育だったと言います。だから一つ一つの言葉に、全員が注意深く耳を傾けていたと言います。「集中力」の大切さを説いて、川上さんはこんな話をしています。選手たちは真剣な顔つきで耳を傾けました。

 米粒に字を書く人のことを知っているか。その人は筆を直角に持つのだそうだ。そして体全体の自然な動きに任せて筆先を動かして、あの小さな文字を書く。手先ではない。体で書く修練を積んでいる。修練で自然に精神が集中できるようになっている。

 かつて川上さんがNHKの解説者時代に、その淡口憲治選手を評して、「この選手は親孝行だから大成しますよ」と語りました。実際に、淡口選手は入団1年目から1軍に昇格し、打球がとても鋭く速いことから「コンコルド打法」と呼ばれ、素晴らしい外野手として活躍しました。入団一年目からベンチで川上さんの隣に座る大役を任され、三塁コーチスボックスに立っている牧野さんに川上さんのサインを伝える役目を、河埜和正さんと担っていましたね。定岡がごねてトレード拒否したときの交換要員として浮上し、近鉄に移籍したときにも、大阪を本拠地とする近鉄に移籍すれば、当時西宮市に住んでいた母親にいつでも顔を見せることができる、とトレードを承諾したぐらいです。野球と親孝行?、どこが関係あるのでしょうか?

 「親孝行」な選手は、自分を産んで苦労して育ててくれた両親に心から感謝して、早く恩返しをしたい、今度は自分が親を楽にさせてやる番だ、と考えています。そのためには野球選手として大成して、たくさんの給料をもらえるようにならなければなりません。その目標のためにも、人一倍努力しようとし、「いい成績をあげるにはどうすればいいか?何をしたらよいか?」を徹底的に考え、自分を鍛え抜き、創意工夫をしながら猛練習をすることでしょう。先輩やコーチからのアドバイスも貪欲に吸収し、自分を高める努力を惜しまないでしょう。努力が苦にならなくなるんです。当然、大成する確率は高くなるわけですね(あの野村さんもまさにそうでした)。川上さんはそれを「親孝行」という言葉で端的に表現したのですね。川上さんに習い、たくさんの野球選手を育てた、あの名監督・野村克也(のむらかつや)さんも、成功している選手は例外なく「親孝行」だと断言しておられました。親がいなければ、自分はこの世に存在しません。その自分をこの世に生んでくれた親に孝行しようとする感謝の気持ちがない人間が、どうして満足な仕事ができるでしょうか?野村さんも「親孝行は、大成するための必要にして最低限の条件なのである」と明言しておられます。そして、このことは親に限ったことではなく、自分は誰かに支えてもらって生きている」という感謝の気持ちを持つことは、非常に大切です。大勢の人が自分を支えてくれている」と常に認識しながら生きていると、どんな逆境にも負けない強さが生まれます。ここ一番の勝負所で集中力が違ってくる。自分の成績や名誉だけしか頭にない人は、それがないから、逆に気負って空回りしてしまうんです。報恩感謝」が大切、ということですね。

 今の球界を見渡しても、川上さんのような「人間教育」ができる監督が見当たりませんね。実は私は、学校現場でも同じことだと考えています。点さえ取ればそれでよし」という教育には、私は与しません。挨拶もろくにできない若い教員を見ると、「あー、これではな…」とため息が出ます。❤❤❤

 川上さんは、組織はリーダーの力量以上には伸びないっていう、これを地でいった人だと思うんですよ。チームを強くするのに、みんなどのチームも、いい選手を集めたり補強だのなんだのっていう、そういう方向に頼っていますけど。やっぱり川上さんはその辺が違う。自分自身が成長進歩しないことには、チームも成長していかないっていうような思いがあったんだと思うんですよ。(野村克也談)

 

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す