狭き門

 このブログのトップに挙げた言葉力を尽くして狭き門より入(い)れは、新約聖書ルカ伝の一節で有名なものです。高校生のときに、アンドレ・ジイドの名作『狭き門』を読んだ時に、本の扉に書かれているのを見て、いい言葉だなと思って大切にしてきました。生徒に色紙を頼まれる度に、必ずこの言葉を添えるようにしています。災難は楽をして生きようとする輩を好む」(文覚)という言葉もあるくらいです。私は、辛い道と楽な道があったら、躊躇なく苦しい方を選択することにしてきました。後で楽ができることを、経験上知っているからです。新約聖書のマタイ伝にも「狭き門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく、それを通って入っていく人は、多いからです。一方、命に至る道は狭く、その道は狭められており、それを見出す人は少ないのです」とあります。詩人のロバート・フロストも言っています。「森に二すじの道があった。そこで私は、みんながあまり足を踏み入れない道を選んだ。その決定が、私の人生の全てを変えたのである。」

 ある新入社員に人事部の人間が尋ねました。「どこに配属されたいか」――「できるだけむずかしい部署にしてください」――「ほう、どうしてか」――「あとが楽ですから」この新入社員こそ、のちの阪急グループを創始した小林一三(こばやしいちぞう)さんでした。

 生徒たちによく下の話をしました。私は、若い頃に、渡部昇一先生の自己啓発本でこの話を読んで、ずっと教訓としてきました。卒業生に色紙を頼まれると、「力を尽くして狭き門より入れ」と書くことにしているのですが、それと相通ずるお話です。

 鉄砲打ちの名人に、ある人が「地面にいる鳥と、高い枝に止まっている鳥、どちらのほうが撃つのが難しいですか?」と尋ねました。すると、名人は、こう答えたと言います。「地面にいる鳥も、高い枝に止まっている鳥も、どちらとも撃つには同じくらいの集中力と技術がいる」 素人考えで見ると、地面にいる鳥の方が楽に撃てそうですが、実際に要する集中力と技術は同じだと言うのです。つまり、一見難しそうな目標であっても、そこへ到達するのに必要な努力は、一見容易そうな目標とさして変わらないということです。逆に言うならば、一見たやすそうに見える目標も、難しそうな目標を達するくらいの努力が必要だということです。要するに、目標が高かろうが、低かろうが、必要な努力は同じだということなのです。ならば、高い目標を掲げたほうが得策ですね。 

 教員人生最後の卒業式で、教室に帰って生徒・保護者のみなさんに贈った私からの最後のはなむけの言葉は、老婆は一日にしてならず(笑)。親に感謝の気持ちを忘れないこと。被災地の復興の手助け・日本の発展に寄与できる、困っている人の手助けができる有為な人となるために、大学では死にもの狂いで学ぶこと。「力を尽くして狭き門より入れ」 楽な道と苦しい道と二つの道があったら、自ら進んで苦しい道を選択すると、後で楽しいことが待っているぞ。」でした。 

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