ヤマト運輸の転機

 「サービスが先、利益は後」と喝破して、何よりもお客さんへのサービスを第一に考えたヤマト運輸の社長・故小倉昌男(おぐらまさお)さんのことを若い時に知って、いっぺんで大ファンになりました。目先の利益よりも、お客様の「ありがとう」を追求すると、結果は後からついてくるという企業哲学ですね。「松本ミカン事件」として知られる、ヤマト運輸を象徴する事件がありました。営業所の中で、配送作業中に壊れた箱の中からコロコロとこぼれたミカンを、営業所員が食べてしまったことを激怒した小倉昌男社長が、ミカンを食べた複数の社員をクビにしたというものです。たった一個のミカンです。わずかな出来心です。でもヤマト運輸の哲学・理念からすると、ミカンが一個だろうが百個だろうが関係ないのですね。お客様のこととなると、不実な態度にはとても厳しい。ただし、クビにされた社員の行く末を案じて、働き口を見つけるフォローもされたそうですが。

 以来ずっと、私は宅配便はクロネコヤマトに決めて利用してきました。ドライバーの方も親切な人で、毎日のようにいつも同じ方が荷物を持ってきてくださるので、仲良くなっていきました。玄関先で会社内のいろいろな苦労話を聞かせてもらっては感心したものです。ただ最近は、ドライバーさんも次々と変わり、質も変わってきたみたいで、指定時間を守ってくれなかったり、配達日が不安定になったり、サービスが劣化してきている感じです。日本郵便とのゴタゴタも話題になりました。創業精神が忘れられつつあるのかもしれません。「お客様への感謝」「ドライバーさんへの感謝」の気持ちを忘れないようにしたいものです。

 今でこそヤマト運輸といえば「宅急便」というイメージができあがっていますが、当時は日本通運佐川急使などの長距離路線を中心とした運送会社が幅を利かせていて、ヤマト運輸はそれほど力のある会社ではありませんでした。宅急便のスタートは1976年です。1919年創業のヤマト運輸(当時は大和運輸)は、戦前には関東中心に企業間物流を営んでいたトラック運送会社でした。ヤマト運輸が開発した大和便と呼ばれるサービスは、荷物の乗り合いバスのような仕組みで、取引先の企業が輸送したい荷物があるときにトラックが立ち寄り、その荷物を載せることができるものでした。これが、のちの「クロネコヤマトの宅急便」へとつながっていきます。当時、ヤマト運輸は関東一の物流会社でした。

 戦後、貨物の長距離輸送が鉄道からトラックにシフトしていった時、ヤマト運輸は地域内の物流にこだわったため、長距離輸送への進出が遅れました。その結果、ヤマト運輸の経営は、徐々に苦しくなっていきます。そこで、ヤマト運輸は、長距離輸送も含め、戦前から得意の企業間物流や百貨店配送、それに通運事業、航空貨物、海運業などありとあらゆる物流を扱う多角化戦略をとるようになりました。それでも、一向に経営改善は見えてきませんでした。苦戦が続く中、1971年に小倉昌男さんがお父さんのあとを継いで社長に就任します。1973年の「オイルショック」を機に業績がますます悪化していった頃、小倉さんは会社の進むべき方向についてあれこれ考えをめぐらして悩んでいました。このまま、多角化路線でいくのか、それとも事業を絞り込むべきかでずっと悩んでいた小倉さんは、二つのことを自身の目で見て、経営の本質に気づくのです。

 一つは、「日本経済新聞」の牛丼の吉野家に関する記事です。吉野家が、それまであった多くのメニューを一切やめて、牛丼一本に絞り込むという記事でした。記事を見てまず考えたことは、牛丼以外のメニューを選びたい人はよその店に行ってしまい、結局収益が悪化するのではないか?ということでした。記事を読み進めると、そうではないことが分かりました。メニューを牛丼単品に絞り込んだことにより、良質な牛肉を大量に安く仕入れることができ、味はいいし値段も手ごろだと評判になっていたのです。調理もシンプルで、熱々の牛丼を素人のアルバイトでも簡単に提供できる。お客さまが増えて、人件費がずいぶん抑制できたといいます。「そうだ、これだ!」当時、小倉さんは個人向けの物流に高い関心を持つようになっていましたが、もう一つ踏み切れないでいました。そうした時、吉野家の記事を見て、個人宅配ビジネス、今でいう宅配便、ヤマトでは宅急便と呼びますが、これ1本のトラック会社になろうと決意したと言われています。小倉さんが宅急便の市場性に気づいたきっかけが、このたった一本の吉野家の記事だったのです。

 もう一つ、小倉さんが同じ頃、アメリカ・ニューヨークを訪れた時きのこと。マンハッタンの交差点の四つ角に立ち、ふと周りを見ると、交差点の近くにUPS(ユナイテッド・パーセル・サービス)のトラックが4台停まっているのに気づきました。UPSは世界最大の小口貨物運送会社です。当時から個人宅配ビジネスのトップ企業です(私もアメリカからマジック作品を大量に送ってもらうときには利用していました)。そのUPSのトラックがニューヨークのど真ん中に4台も停まっている。「日本でも、これから個人宅配ビジネスの成長が期待できるのではないか」と、後の宅配便事業の成功に確信を持ちました。1976年1月20日、ヤマト運輸が宅急便のサービスを始めました。ちなみに、「宅急便」というのは、ヤマト運輸の商標であり、その後日本通運佐川急便などトラック運送会社が続々と参入し、総称として「宅配便」と呼ばれるようになりました。「これからは、箸でひとつずつ豆を移すんだね。それが宅急便だよ」宅急便誕生初日に扱った荷物は、わずか11個でした。それが初年度には170万5195個もの荷物を配送、現在の総個数が48億個を超えるまでに拡大しています。(2022年3月発表)その中でクロネコヤマトの宅急便は4割超のシェアを誇るダントツの1位です。♥♥♥

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