松下幸之助の偉大さ

 松下電器産業(現パナソニック)創業者の故・松下幸之助さんについて書かれた本は何百冊もあります。それだけ見ても松下幸之助さんの偉大さが分かります。八幡の自宅の電化製品は全てがパナソニック製品であることも、私がどれだけ尊敬しているかが分かってもらえると思います。1962年2月23日に、米誌『TIME』の表紙を飾りカバーストーリーに取り上げられました。松下さんが67歳の時でした。『タイム』のカバーストーリーになるということが、どれだけ大きなプレステージ(威信)であるかといえば、日本の国内で、文化勲章をもらうこと以上に匹敵すると言われています。お父さんが米相場で失敗して貧乏になり、小学校もろくに出ないままわずか9歳で丁稚(でっち)奉公からスタートして、日本一の家電メーカーを作り上げた「経営の神様」が世界に認められた瞬間です。「無から最大の電器工場を作った男」「製造、販売の天才」「ちょっと悲しい目つきの男」などの見出しで紹介されました。

 また1964年の米国『Life』誌では、松下さんを単なるビジネスマンとしてではなく、「5つの顔を持つ男」として取り上げ、文化人の側面も強調しています。当時アメリカ国内で800万部の発行部数を誇った同雑誌が特集記事を組んだのです。その頃多くの日本人は、松下さんのことを金儲けのうまい実業家として見ていたのですが、アメリカ人は松下さんを単なる実業家として捉えるのではなく、以下の5つの点で高く評価していたのです。

(1)最高の産業人であること。
(2)最高の所得者であること。
(3)最高の哲学者であること。
(4)最大級の雑誌の発行者であること。
(5)ベストセラー作家であること。

(1)は、アメリカ人は機構組織の中で出世した人よりも下積みからたたき上げの実力で出世した人物を讃えるので、松下さんは彼らの好みにピッタリだったのです。カウボーイや新聞配達から身を起こして、やがたえ大陸横断鉄道をつくるとか、大発明家になるとかというのがアメリカンドリームなのです。その夢を実現したのが松下さんでした。当時の松下電器はすでに重電も含めた全電機業界で最高の売り上げと最高の配当をやっていた大会社でした。これこそまさに「最高の産業人」でしょう。

(2)は、大金持ちであるということです。松下電器の大株主であり、当時長者番付のトップは松下さんという時代でした。所得が多いということはやはりアメリカ人にとっては偉大なことなのです。所得が多いということはそれだけ税金も納めており、国家に貢献しているということなのです。所得が多いということを素直に自慢し讃えるお国柄なのです。

(3)は、日本人にはない、とても面白い見方だと思われます。アメリカ人は、松下さんの経営哲学がきわめて日本的で、しかも生きて動く思想である点を高く評価しているのです。松下さんの経営というのはその根底に揺るぎない哲学があり、終始一貫としてブレることなく繁栄への道を歩み続けたのです。例えば、「わたしの会社は“人をつくる会社”。本業が人づくり、家電製品は副業」と言っておられました。「経営の神様」と言われるゆえんの言葉です。

(4)は、PHP研究所の雑誌『PHP』の出版者である点を評価したものです。当時『PHP』という雑誌は毎月150万部もの発行部数を誇り、部数としては日本一だったのです。

(5)松下さんの著作は当時ノンフィクション部門では日本最大級の発行部数を持っていました。それほどよく売れたのです。発行点数も多かったのですが、その一つひとつが確実にベストセラーになっていたのです。知識伝播の出版業という知的産業においても屈指の成功者だったのです。

 松下幸之助が世界の注目を集めたのは、以下の理由だったと思われます。

①ビジネスで成功し、億万長者となった。
②思想家、哲学者としての顔も持ち、著作はベストセラーを連発した。
③雑誌、出版社のオーナーでもある。
④経営者だけでなく、一般の人からも広く尊敬されている。
⑤学歴もなく、貧乏だったところからスタートして、大成功した。

ここまで広範囲に活躍した人はいないでしょう。欧米では、哲学者、思想家でかつビジネスでも成功を収めた知的文化人として尊敬されているのです。当時は不況と経済の弱体化に悩むヨーロッパでも日本に注目するようになり、松下幸之助がヨーロッパでもスターになっていました。

 私の尊敬する故・渡部昇一先生は、戦前の国民的雑誌『キング』で読んで知っていた松下さんをずっと尊敬の念を持って興味深く観察を続けられ、その著作の中でしばしば松下さんに言及しておられました。それを松下さんはくまなく読んで、その的確性に惚れ込んで大変喜ばれたと聞いています。それがきっかけとなって渡部先生松下さんに目をかけられ、伝記を依頼されておられます。それが渡部昇一『松下幸之助全研究 日本不倒翁の発想』(学習研究所、1983年)です。それをベースにして内容を再構成して加筆したのが、渡部昇一『松下幸之助成功の秘密75』(致知出版、2012年)でした。晩年には一ヶ月に一度くらい松下さんとお会いして、食事をしたりお話をする機会を持っておられました。♥♥♥

 

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す