広岡監督に感謝

  1980年~1990年代、プロ野球の最強軍団・西武ライオンズの扇の要であった伊東 勤(いとうつとむ)さんの『黄金時代の作り方 あの頃の西武はなぜ強かったのか』(ワニブックスPLUS新書、2025年2月)を興味深く読みました。今はもう見る影もありませんが、当時どうして西武はあんなに強かったのだろうと考えると、主力選手はみんな、体が強くケガをしなかった、いつもベストメンバーで戦えたからだ、さらには盤石な投手陣、そして恵まれた環境施設、という記述がありました。そして広岡達朗監督には感謝しきりであることを明言しておられました。

 唐突ではありますが、あらかじめ言っておきますと、これから西武ライオンズ黄全期を築いた広岡達朗監督の管理野球についていろいろと綴る中で、何か広岡さんに対して否定的な印象を持たれるかもしれません。
 でも、私は本当に広岡さんには感謝しております。若いうちに体づくりの基本を叩き込んでくれたこと、レベルの高い野球を目指すために必要な練習を教えてくれたこと、これらは、私がその後の長い間、野球選手として、また野球指導者、そして解説者として生きていく上で、大いに役に立ちました。
 そして、強いチームで野球ができたことで得られたものは私の財産になっています。そのことだけははっきり書いておきます。

 かつて、徳光和夫(とくみつかずお)さんの「プロ野球レジェン堂」というテレビ番組にゲストで登場した東尾修(ひがしおおさむ)さんが、広岡監督時代に選手みんなで温泉に向かっているバスの中で、「広岡監督辞任」のニュースが流れた時に全員で万歳三唱をしたという衝撃のエピソードを紹介しておられました。伊東さんもこのことを証言しています。

 広岡さんの雰囲気をひんやりとした空気と言いましたが、最大限に良く言うと「冷静沈着」、ちょっと良く言って「クール」、普通に言えば「冷徹」で、悪く言うとかなりの「陰湿」でした。
 一番嫌だったのが、コーチと会話をしているときに織り交ぜるモノマネです。選手の欠点を指摘しているのでしょうが、直接「こうなっているぞ。もっとこうしろ」と言ってくれるのならまだいいのですが、あくまでもそのモノマネは、コーチとの会話の中でやるわけです。そして、それが実に特徴を捉えていて、しかもそれが誇張されていてうまいんです。観察眼の素晴らしさは認めますが、すぐにわかるだけに、やられるとこたえました。
 それは私には陰湿に感じたのですが、フォローするとしたら、誰に対しても同じように接していた点はいいところでした。新人だろうが、ベテランだろうが元メジャーリーガーだろうが、平等に陰湿な対応をしていました。
 1985年の日本シリーズ終了後、確か選手全員で治療を兼ねた1泊の伊香保温泉旅行に出かけたバスの車中に「広岡監督は今年いっぱいでユニホームを脱ぐことになりました」と連絡が入ったんです。みんながワーッて大歓声を上げて、さらに万歳三唱したんです。今でもはっきり覚えています。
 まあそれくらい、何か鬱屈した思いで野球をやっていたんですね。勝利、優勝の喜びはありましたが、日々の面白くないという思いは、またそれとは別にあったということなんです。私も「プロ野球っって面白くないな」っていう気持ちだったので、一緒になって歓声を上げていました。
 余談になりますが、2007年終了後に西武を退団して、NHKでお世話になることとなり、ワールドシリーズの取材に行かせてもらいました。当時のフィリーズの監督が、ヤクルト、近鉄で活躍したチャーリー・マニエルさんでした。それで少し話す機会をもらえたので、「私も広岡さんから指導を受けたんです」と伝えると、「それは大変だっただろう」と言っていました。 さらに、マニエルさんは日本で広岡監督から何を学ばれましたかって質問すると「我慢することだ」と言っていました。かなりしごかれたんだと思います。

 先日、かつてのチームメイト・工藤公康が「当時の広岡野球を思い出すと、やっているときは苦しかったけれど、自分が監督になったとき、やっぱりすごく参考になりました」と言っていました。
 この年齢になって、自分たちが指導者の立場を経験して、やっと理解できたというのはあります。ただし、また広岡さんの下でやりたいかと問われれば、やりたくないという人がほとんどでしょう。私もそうです(笑)。

  最近読んだ、工藤公康(くどうきみやす)さんの二冊の著書でも同じことを書いておられましたね。投内連携だけで2時間といった猛練習漬けの毎日でしたが、そういう練習量がプロ野球チームでは当たり前だと思って育ちました。監督やコーチから「やれ!」と言われたら、みんな「はい!」と言って黙々とやる時代だったし、そのやり方で入団4年にして、3回のリーグ優勝と2回の日本一を経験していますから、何の疑問も持ちませんでした。広岡監督時代の4年間に技術的に伸びたかどうかは分かりませんが、その猛練習のおかげで「どんなに練習しても壊れない強い体」を手に入れたことは確かだ、と回想しておられます。猛練習が当たり前というマインドと、強い体という土台があるからこそ、実働29年間も現役を続けられた、だから広岡さんには非常に感謝している、とおしゃっておられます。当時は選手からいくら煙たがられていても、後になって改めて感謝されるというのが理想の指導者でしょう。その証拠に、広岡さんに指導を受けた選手たちが、どれほどたくさん監督となっているかを思い起こして下さい。一番すごいことなんですが、監督時代に指導した選手の中から、後の監督経験者を16人も輩出しているのです。田淵幸一、東尾 修、森 繁和、石毛宏典、渡部久信、工藤公康、辻 発彦、秋山幸二、伊東 勤、田辺徳雄、大久保博元、若松 勉、大矢明彦、尾花高夫、田尾安志、マニエルの16人です。これは史上空前のV9を成し遂げた川上哲治や、知将・野村克也、闘将・星野仙一ですらも成し得なかった偉大な功績です。立派な指導者を育成することも、監督の大きな役割なんです。

 プロ野球ファンの中には、広岡さんに対して「冷酷な絶対権力者」というイメージを持っている人もいるかもしれませんが、4年間一緒に野球をした工藤さんに言わせると、何事も理論立てて、きちんと選手に話をする監督でした。広岡さんは、野村さんのID野球よりも早く「データ野球」を行った監督でもあり、頻繁に選手たちを集めてミーティングもしました。そういうときに、よく広岡さんは「野球必勝法70か条・野球必敗法70か条」という小冊子を使って「どうしたら試合に勝てるのか?」という話を事細かく説明していました。後年、小冊子「必勝法・必敗法」は読売ジャイアンツのV9時代の監督、川上哲治さんのもとでコーチを務めた牧野茂さんがロサンゼルズドジャーズの戦術を取り入れて作ったものでした。最近は巨人に対して辛口の批判を続けておられ、巨人ファンからは嫌われていますが、私は心からの巨人愛の裏返しだと感じています。その主張はどれもがもっともであり、首尾一貫しています。

 西武の教え子の石毛宏典(いしげひろのり)さんも証言しています。

  私は若い頃に、広岡達朗さんの『勝者の方程式』という本を読んで、これは野球だけでなく教職現場の世界にも通用する考え方であることに気づき、「勝者の方程式」という一枚プリントにまとめて各所で使っていたことがあります(写真下)。


 いくら「鬼だ」「悪魔だ」と嫌われようと煙たがれようとも、自分の信念を通して生徒達を徹底して鍛える、後になってあの時教えてもらったことがよかったと思ってもらえるように全力投球していたことを思い出します。退職してからその時の生徒達が、こんなことを言ってくれただけでもう十分です。「手が震える思いで受けた英語の授業、怖かったです。ですが、そのおかげで英語は得意科目となりました。」  「先生の怒濤の教壇の姿が今でも目に浮かびます。今でも感謝しています。」  「長い間お疲れ様でした。高校時代のことはずっと忘れません。」  「高校時代には、先生から厳しいご指導を多々いただきましたが、今思えばすべてがありがたいお言葉であり、その一言一言に感謝しております。」  「先生に鍛えられた高校時代がついこの間のように思われますが、もう20年以上経ったのですね。」  「毎日情熱をもって、熱心にご指導いただいたことが、どれだけ有り難いことだったか、分かる歳になりました。本当にありがとうございました。」  「先生に高校時代教えていただいた英語が、こんなに必要になるとは夢にも思わず、ただただ感謝しております。もう少しで3歳になる息子がいますが、将来八幡先生のような厳しくそして温かみのある先生に出会って欲しいなと切に願っています。」  「八幡先生の一本筋の通った教えは、今の自分の仕事にも活かされています。」♥♥♥

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