「~ください」

 木村治美(きむらはるみ)さんの『黄昏のロンドンから』(文藝春秋)というエッセイ本をご存じでしょうか?昭和52年、「第8回大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した処女作です。著者は英文学者の木村治美さん。旦那さん(心理学者の故・木村駿さん)のイギリス留学に伴い、ご家族4人でロンドンに8ヶ月間滞在した経験が綴られたエッセイ集です。木村先生は当時千葉工業大学助教授で、一年間の大学休職を取って渡英されました。そんな時に、東京教育大学・英文科の恩師であった故・外山滋比古(とやましげひこ)先生「ロンドン通信」を書くように勧めてくださいました。「私の何か書きたいという気持ちと、先生の何か書けるんじゃないかという気持ちが同機でした」(木村)。そのロンドン通信が雑誌『英語文学世界』に連載され、処女作へと結実し、その後も旺盛な執筆活動を続けてこられました。私は教員に成り立ての若い頃、この本を読んで、その鋭い観察眼と美しい日本語に魅せられ、この人の文体を真似ようと必死で写し取っていた時期があります。知性とユーモアにあふれ、読者を引き込んでしまう魅力がありました。

 こんな美しい文章を書かれる木村先生のお師匠さんである外山先生とは、いったいどのような人物なのか?と興味を持ちました。そこから外山先生の文章を読むようになりました。外国語を学んだ人の日本語がこんなにも美しいものなのだということを、この人の文章で知りました。以来、私は外山先生の美しい文章をほとんど読んできました(⇒コチラをご覧ください)。中でも『思考の整理学』(ちくま文庫)は名著中の名著で、累計発行部数295万部を突破しています。「東大・京大で最も読まれた本」、「読まれ続ける「知」のバイブル」という口コミ宣伝で、米子東高校でも入学前に読んでくるようにと、新入生の課題図書となっていたくらい発見の多い本でした。

 私が最近読んだ先生の『新版 本物のおとな論』(中央公論社、2022年)では、意外な発見がありました。

 高学歴化社会である。同世代の50パーセント以上が大学へ入る。95パーセントが高等学校へ行く。“高等”という文字が空しくなっている。
 かつて、といってもそんな昔のことではない。戦後しばらくのころまで、高校へ進学するものは限られていた。大学へ入るものは数えるほどであった。
 高学歴化して、ことばづかいを知らない人が急増した。おかしなことばが流行しても、それをとがめる人もないまま、どんどん広まる。
 電車にのると、アナウンスがうるさい。
 “かけ込み乗車はおやめください” “ケイタイ電話の電源はお切りください” “網棚の荷もつにもご注意ください”
 “ください”ということばが、ていねいな言い方だと思っているのである。とんでもない誤解である。
 “ください”は命令形である。……せよ、といった命令形よりはていねいだが、目上の人には使えないことばである。電車の乗客には、使えないことばである。それを知らない人が。ください々ことばを乱用させたのである。
 悪気があったのではない。知らないのである。
 もともとは、主人や主婦が、お手伝いにものごとを命じるときに使ったのが、くだ
さいである。“しなさい”よりはていねいだが、見おろしたことばづかいである
 学校はことばを教えるけれども、ことばづかいは教えない。文字の読み書きばかり勉強するが、口のきき方などテストもできないし、点もつけられないから、教える教師はほとんどいない。だいいち教師も、ロクに口のきき方を知らないのである。授業のことばは沈黙のことばである。話すことばは声のことばである。
 学校に長くいればいるほど、ことばづかいがおかしくなる。方言でも、ことばづかいを心得ている人のことばは美しいが、親が都市へ出てきたという都会二世は、まるきりことばづかいのしつけを受けないということもありうる。
 “ください”を平気で使っているのも、そういう人たちである。(pp.81-83)

 こんなことは私は今までちっとも知りませんでした。お恥ずかしい。「~ください」は丁寧な言葉だと思っていましたから。勉強になります。♥♥♥

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