不得意と大得意

 昔、故・多湖 輝(たごあきら)先生の本を読んでいて、「不得意は、うなだれていた頭を上にあげるだけで、ただの得意ではなく大得意になる」という興味深いお話を読んだことがあります。「ああ、なるほどなあ~」と思いました。彼が言わんとするのは、不得意」大得意」は、文字の一画の違いであり、漢字「不」の字の縦の棒を、うなだれた頭と見たてて、これを「よいしょ」と上にあげれば、「大」の字になるということでした。オッ、この話は使えそうだなと思いメモしておいたのでした。

 実は、この奇妙な比喩も、心理学的に見るとあながち見当外れとも言えないところがあります。人間の心には「過補償」という作用があり、弱点を補おうとする傾向は、時にその弱点を補ったあともオーバー・フローして、飛躍的にプラスの方向へ伸びることがあるのです。この「過補償」の典型的な例としてよく挙げられるのは、ギリシアの雄弁家・デモステネスです。彼は、少年時代、極度のどもりに悩まされていましたが、このどもりを直そうと努力しているうちに、どもりが直ったばかりでなく、世間にその名を知らぬ人のない話術の大家になっていたというのです。デモステネスは紀元前384年頃のアテネに生れました。少年時代の彼はもっぱら本に親しむのを愉しみとし、体育の訓練などは別段受けていなかったといいます。薄っぺらな胸板から絞り出される声量ときたら貧弱で、かつ舌が意のままに動かず、よくどもりました・・・・。絵に描いたような青びょうたんの姿であり、ここから後年の大雄弁家たる彼の姿を想像するのはおよそ不可能でしょう。転機が訪れたのは16歳の時でした。伝承によれば彼はこの年、ふとしたことからアテネの政治家カリストラトスの弁論を聴く機会に恵まれ、彼の巧みな身振り手振りや、雄渾そのものな音声を至近距離から浴びせられたその結果、呆れるほどに魅せられて、まったく一大感動を発してしまったといいます。酒などものの数ではない陶酔が、いつまでも体腔の内側に痺れとなって残り続けました。かくの如く人心を震わせ、大衆の思想と目的とを活殺操縦する芸術を、是非とも自分も身に着けたいとデモステネスが願ったのは、必然であったことでしょう。

 そこで、あなたがもし、不得手や苦手から脱出したいのなら、常にこの「不得意こそ大得意に転じる」という心理学上の一つの真理を思い出すのも、一つの有力な自己暗示の手段になることでしょう。不断の努力の支えになるは、いつもこのような強力な精神的バックアップなのです。♥♥♥

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