上善は水のごとし

 「上善は水のごとし」老子(ろうし)の言葉です。老子は、この“水”に理想の生き方を見い出していました。水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせていますよね。しかも、万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとします。水は高い所から低い所に向かって流れます。そんなしなやかさと粘り強さこそ、“究極の理想”だと言うのです。

 老子は、現代でも語り継がれる様々な名言を残した人物として知られていますが、最も馴染みのある言葉が、この「上善如水」ではないでしょうか。この「上善如水」という言葉通り、老子は、“水”の姿に「最上の善」というものを見出していました。最上の善とは、争いを避けて生きることです。というのも、老子が生きた時代(紀元前6世紀~紀元前4世紀)の中国は、国同士の争いが絶えず、争うことで利を得ようという生き方が一般的だったからです。当時は誰もが、「人よりも上に行こう」「人を蹴り落としてでも上を目指そう」と躍起になって戦っていたことでしょう。そんな時代にあって、老子は、「人と争わず、常に低いところに留まりなさい。まるで水のように」と、生き方の見本として“水”を挙げているわけですね。

 ちなみに老子が考える理想の生き方とは、具体的には次のようなことです。「住まいはしっかりとした土地の上がよく、物の考え方は奥深いのがよく、人との交わりでは情の深いのがよく、言葉は誠実であるのがよい。政治はよく治まり、事の処理能力は高いのがよく、行動は時を誤らないのがよい」いずれも、現代にも通ずるところがありますよね。理想論といえば理想論なのですが〔苦笑〕。

 「上善如水」「無為自然」という言葉によく表れていますが、老子の基本的なスタンスは、「競争しない」ということ。ともすれば私たち現代人は、「競争から降りて生きる」=「負けを認めること」と捉えがちですが。老子によれば、水のように「争わず、低きところに留まる」生き方こそが堅く強いものに打ち勝つことができる秘訣なのだとか。弱さに徹した水の性質を変えさせるものはない、だからこそ、水に勝るものはないのだと言います。確かに、水は、その流れの力で少しずつ大きな物(土石)を動かすこともできますし、山を侵食することも、岩に穴を開けることさえもできますよね。流れに触れても、手には何も残らない。それなのに、何にも勝る力を秘めている。やわらかでしなやかでありながら、実は何よりも強い!そんな“水”のような生き方ができれば、向かうところ敵ナシかもしれませんね。水が最善の上である理由はいくつかあります。

①万物に理を与えている点。水がなければ生き物は存在することができません。しかし、それだけ大きな存在でありながら、水が他と功名を争うことはありません。それどころか、他の汚れを清め、他を動かす力を持っています。

②人間が一歩でも高い位置を望むのに、水は反対に低いところ、低いところへとおのれを運んでいこうとします。力を誇示することなく、あくまで謙虚な存在です。

③低いところへ行く毎に、谷川から大河、さらに大海へと大きな存在になっていきます。

④岩をも打ち砕く巨大なエネルギーを持ちながらも、普段はその力を秘めています。常に自分の進路を求めてとどまるところがありません。

⑤時に氷となり、霧となり、その形を自在に変える柔軟な変化対応力を有しています。

 大きく多様な力を持ちながら、絶えず自分を低い所へ運び、自在に形を変えながら、一時も停滞しない水のような有様を一つでも身に付けることができれば、理想の生き方に近づけるはずです。♥♥♥

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