死力をしぼる

 私が大好きなエッセイストに櫻木健古(さくらぎたけふる)さんという方がおられます。数年前󠄂に彼の本をまとめてむさぼり読んだ時期がありました。今では著書は全て絶版になっており読む人はあまりいないと思います。新聞記者として活躍した経験を活かして、様々な局面で見せた当時の上司の指導力、統率力等を分析しつつ、部下の立場から見たリーダーのあるべき姿を説き明かした本『強いリーダーの条件』(PHP文庫、1987年)があります。教員生活の後、中日新聞社に入社し、福井支局と外信部に勤務、韓国と西ドイツの特派員を歴任し、意を決して著述に専念すべく退社を決意されました。

 櫻木さんがその時体験したささやかな例が、上記の本に出ていました。著述に専念しようとして、新聞社を辞めたものの、こと志と違って、書くもの書くもの、何一つとして出版社が採用してくれません。これが三年ほども続くと、さすがにへこたれてきて、再就職の考えさえもが、脳裡をかすめるまでになっていました。

 かなり追いつめられた心境にあった、そんな頃のある日、仕事机の上で一匹のハエが、ひっくり返ってジタバタしていました。飛び立とうとするのですが、もうその力が残ってないらしく、あお向けのまま、ただむなしく回転するだけでした。やがて、その努力をさえやめてしまいました。おそらく、死期が近いのに違いありません。すこし残酷とは思いましたが、ある可能性を期待して、ハエに蚊取線香の火をブーツと近づけていきました。

 はたせるかな、アワヤというところで、ハエは勢いよく飛び立ち、怒り狂ったように部屋のなかを飛び回り始めました。“さいごの力”をふりしぼったのでしょう。「そうだ、これだ!」櫻木さんは手を打ちます。「死力をふりしぼれば、できないはずのことができる。おまえも、もういちど卜ライしてみろ。“さいごの力”を出しきって、やってみよ」 「もう一度だけ」を誓って、櫻木さんは新たな稿を起こしました。「もし、これもまた失敗するなら、永久に著述のペンは持たぬ」と固く決意して。すると紹介状もなしに持ちこんだ出版社に、採用されたばかりか、凖ベストセラーというほどの売れゆきを示しました。衰えた一匹のハエに、ギリギリの“気力”というものを教えられて、ひとつの出発をなすことができたのでした。人間は死ぬ気になって力を振り絞れば、どんなことでもできる、ということを示すいい例だと思います。♥♥♥

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