『WiLL』と『Hanada』

 本屋さんに行くと、『WiLL』『Hanada』という2冊の月刊雑誌が同じ売り場に並べて置いてあり非常によく似た表紙でもあり、紛らわしいと思ったことはありませんか?雑誌『月刊WiLL』(ワック出版)は、2004年11月に創刊された日本の政治系月刊雑誌であり、主に保守的な観点からの論説や記事を掲載しており、編集方針としては、自由主義や市場経済、伝統的な価値観を支持する内容が多く、保守層からの支持を得てきました。雑誌の創刊の際に、社長がホテルニューオータニで相談を持ち掛けたのが、故・渡部昇一先生でした。「総合雑誌ですか、この時期にそれは剛毅ですね」とのお返事が。創刊号には堂々8ページにわたる渡部先生の論考が掲載されています。誌面には、著名な政治家や学者が執筆する記事が並び、特に日本の歴史や安全保障問題、外交問題について深く掘り下げていることでも知られています。私は創刊時からずっと定期購読をしていました。『WiLL』というタイトルはワック社がすでに「ウィルアライアンス」(willalliance)という社名の広告会社を設立していたからでした。 創刊時から一年間は赤字でしたが、スクープや時々のタイムリーな特集で徐々に部数が増えていき、オピニオン誌として存在感を増していきました。ここで大騒動が起こります。

 数年前に、月刊誌『WiLL』(ワック社)の元編集長、花田紀凱さんが飛鳥新社に移籍して、新しく作った月刊誌『Hanada』の創刊号の表紙デザインやレイアウトなどが、WiLL』に瓜二つで非常によく似ていると話題になりましたね。私も二冊を今井書店から届けられたときにビックリしたのを覚えています。確かに『Hanada』の表紙のデザインや配色などは、WiLL』とそっくりです。『WiLL』の編集部は、ツイッター上で「表紙から本文レイアウトまで模倣する行為は、不正競争防止法2条1項3号『商品形態の模倣』としかいいようがありません」と噛みつきました。花田氏は、『WiLL』編集部員を引き連れて飛鳥新社に移籍しようと企てたとして、ワック社の取締役を解任され、編集長職も退いていました。花田氏はその後、編集部員を全員引き連れて本当に飛鳥新社に移籍しました。

 2016年4月、飛鳥新社から『WiLL』の編集長だった花田編集長が創刊した『月刊Hanada』6月号を本屋で見てビックリしたものです。表紙もそっくり、内容・執筆陣もほぼ同じような雑誌でした。「一体何があったんだろう?」と驚き、不思議に思いながらも、事情が語られることもなく、これも今井書店に定期購読をお願いし、毎月届けてもらっていました。これまでの『WiLL』のような雑誌が2冊になったというわけで、しかも発売日も同じで市場を食い合うことになるのですが、今後、この市場が果たして2冊分あるくらい大きいものなのかということが疑問でした。書き手もかぶっているし、一体これからどうなるか興味深いところもあるなと思って注視していましたが、今のところ両誌とも好調のようです(毎月並列された新聞広告の大きさに驚いてはいますが)。あれから年月が経ち、少しずつ裏の事情が分かるようになり、納得したことを今日は取り上げたいと思います。

 『Hanada』は、『月刊WiLL』から分派した政治系月刊誌であり、2014年に創刊されました。同じ保守的な立場を取る雑誌ですが、より強調された形で日本の文化的価値や国益を重視する記事が目立ちます。月刊『WiLL』から『Hanada』が分裂した主な背景には、編集方針の違いがあると言われています。特に、月刊『WiLL』がやや穏健な保守を標榜するのに対し、『Hanada』はより過激な視点からの論調を取り、戦後史や日本の教育に関して鋭い批判を展開しました。

 3月18日付で『WiLL』の発行元「ワック」鈴木隆一社長)は、『WiLL』編集長でもあった花田紀凱常務取締役を解任。結果的に、花田さんと『WiLL』編集部全員がワックを退社。飛鳥新社から新雑誌を発行することになりました。一方、ワック側は今後も『WiLL』を発行し続けることを宣言しました。しかし、花田さんは連載陣も含めて新雑誌に移行するとしており、双方から執筆陣への働きかけがなされたようです。

   ご本人の説明はこうです。《2015年8月26日、突然、鈴木社長が「花田さんが私のストレスになっている。だから部員一同を連れてどこかの会社に移ってくれ。何なら広告担当のMさんも連れて行っていい」と言ってきたんです。僕は青天の霹靂というか、びっくりしました。実はその頃、鈴木さんは精神的にナーバスになっていて、言動もおかしなことがたくさんあったんです。そういうことがあったので、気が高ぶってそういうことを言っているのかもしれないから、僕はしばらく放っておいたんです。そうしたらまた何度もそういうことを言ってくる。「年内でどこか出版社を決めてくれ」と。移行には時間がかかりますからね。そうしたら「4月発売号をめどに替わってくれ」と。こういう話だったんです。そう何度も言われるんじゃしょうがないなと。それで僕は、出版社にも知り合いが多少いますから、いろんな方に話をして、飛鳥新社の土井尚道社長がぜひということで決まりました。決まったものですから、12月の初めに鈴木社長に報告したんです。飛鳥新社という名前はその時は出さずに、「ある出版社に決まりました」と。すると、いきなり鈴木さんは「花田さんもその出版社の社長もビジネス感覚がないね」と言うんです。まあ実際僕はビジネス感覚はないんですけどね(笑)。鈴木社長は「私はタダで持って行けとは言ってませんよ。そんな虫のいい話がありますか」と言う。「売る」と言うんですよ。「売ると言ったって鈴木さん、あなた出てってくれと、しかもしつこく言ってきたから私は探しただけだ」と。その間に売るなんていう話は一度も出ていませんでした。「そんなことは聞いてない」と言っても「それじゃビジネス感覚がない」と、この一点張りです。「じゃあ念のために伺いますが、いくらで売るんですか?」と訊いたら「5億円だ」と。今の出版大不況の中で、5億円も出して私と4人の編集部員とDTP担当1人を入れた5人を引き取って雑誌を継続しようなんていう出版社はないですよね。だから「そんなところないですよ。だったら鈴木さんが探して下さい」と言ったんです。》 《そのうちにいつの間にか、5億円という話は曖昧になってしまいました。一方で飛鳥新社には既に話はしているから、そちらはそちらで進んでいくしかない。それで、ワックで仕事をしながら飛鳥新社とも話を進めていました。一応5月号まではワックでやるということになっていたので、それまでは私は淡々と雑誌を作ろうと。よしんば別れることになっても、泥仕合ではなく淡々と別れましょうということはしきりに言っていて、その時は鈴木社長も「そうしよう」と言っていたんです。だけど、だんだん鈴木社長の言動もおかしくなるし、言っていることもエキセントリックになってきたんです。》

 《昨年8月に鈴木社長から「花田さんは私のストレスだ」と、辞めることを申し渡されたのが騒動の発端なのだが、「私のストレス」とはどういうことなのか。あの会社で鈴木社長より年上なのは私だけでした。ワンマン会社だから、他の連中は異常なことがあっても何も言えないんです。これまでにも次々と社員を辞めさせてきました。でもそういうことについて、おかしいとか変だとか、誰も言えないんです。ところが私は多少言える。私は経営能力はないから、経営に関しては何も言わないようにしてきたんだけど、この10年間で、鈴木社長が営業ですね、広告。私が編集。そういう分業でやってきた。時には鈴木社長がいろいろ言ってくることもありましたが、私はそれがいいと思えばやったし、そうでなければ従わなかったんですよ。そういうことが、ワンマン社長の彼にとっては面白くなかったのかもしれません。》 《そういう中で騒動の遠因となったのは、鈴木さんが病気を患って入院したことでした。もし鈴木さんに万が一のことがあったら、この会社はたちまち立ち行かなくなる。そうしたら30人近い社員とその家族が路頭に迷うことになる。だから、鈴木さんが信頼できる人、どこかの会社のOBでもいいし、経営がわかる人を連れてきておいて、顧問でも社長でもいいですが、置いておかないと、万が一の時に大変になる。そう何度も言ったのです。でも彼は全然聞かない。そういうことがきっとストレスと言えばストレスだったのかもしれない。さっき言った編集のこともあるし、病気になってからそういうことを言ったのも嫌だったのかもしれない。でもそういうことを言えるのは僕しかいないわけですよ。他は全員年下で、言うことを聞かざるをえないわけだから。》結局、花田さんはワック出版を辞めることを決意したのですが、もしかすると鈴木社長の誤算だったのは、花田さんだけが辞めるのかと思っていたら、編集部全員が一緒に移籍することになったことだったかもしれません。《鈴木さんから「編集部員を連れて出て行け」と言われた後に、僕は若い編集部員と相談したんです。こういうふうになった、私は出て行かざるをえないが、あなたたちはどうする?と。そしたらみんな「一緒に辞めます」と。それで私が一応上司だから、3月いっぱいで辞めるというみんなの退職願を預かって、鈴木社長に渡したわけです。》 《編集部員には編集部員の考え方がある。鈴木さんと近しい人もいたし、僕とずっと長い人もいた。だからいろいろ考え方はありますよね。だからそれは彼らの判断なんです。「私は残ります」と言われたら僕はしょうがないわけです。だから部員に説明して訊いたら「私たちも辞めます」ということになった。鈴木社長は少なくとも一人くらいは残ってくれると思っていたんじゃないでしょうか。》 《結局、編集部員は全員辞めたわけです。それからずっと担当だったDTPも辞めた。『歴史通』の編集長を建前上の編集長にして、部員は誰もいないんだけど慌てて募集しています。でも集まったにしても、それをまとめていく役がいませんから難しいでしょうね。というか、私は筆者の方々にはお話して、連載は全部持って行くんですから。》花田さんとしてはもちろん『WiLL』という雑誌に愛着があるし、できれば雑誌そのものを持って移籍し、『WiLL』を編集発行し続けたかったのでしょうが、ワック側が了承しない限りそれは難しいのです。

 《『WiLL』はロゴも私が考えたし、タイトルもiは小文字にするというのも私が考えた。それから私は『LIFE』という雑誌が好きなんだけど、あれを真似て赤地に白抜きにしたし、文字の太さも同じようにした。だからすごく愛着はありますよ。だからそれでやらせてくれと頼んだのです。》 《別れるにしても11年間苦労してやってきたし、僕も最後じゃなくなっちゃったけど、最後の場を与えてもらった。だから鈴木さんに恩義は今でも感じているんです。だから少なくとも泥仕合はやめましょうと。そう言っていたにもかかわらずこういうことになって、非常に残念なんです。》

 ワック社側の訴えはこうです。

①まず、際限ない増ページについて。『WiLL』は特別号を除いて256ページが適正頁ですが(最初は240ページ)その後、増ページが常態化しピーク時には334ページに膨らみました。およそ100ページ増です。当然印刷費、用紙代はもとより、原稿料等も嵩み雑誌の収益を圧迫したのです。金額にすると年間約三千万円以上の損失になりました。編集の内容でみれば、本来の『WiLL』にそぐわないエンターテイメント系の連載が増えつづけました(AV監督の人生相談、爆笑問題の対談、等々)。

②編集経費について。年間、千五、六百万円をほぼ花田氏が一人で費消していたので、削減を申し入れました。しかしながらこれもまた聞き入れられませんでした。媒体の性質にもよりますし、花田氏は役員でもあるのでプラスアルファ分をみてもその二分の一が小社の適正範囲と考えます。

③他業と本業とのバランスを欠く。花田氏はWeb番組のレギュラー番組二本、紙媒体のレギュラー連載数本を持ち社外で活躍していますが、ここにきて社でその姿を見かける機会が減り簡単な打ち合わせにも不便を感じさせるほどでした。まったく報告のない週もありました。社長ならずとも本来の社業は大丈夫かと思わせるほどでした。

 月刊『Hanada』の発刊に至った背景には、月刊『WiLL』の編集方針や理念に対する不満が一因とされています。特に、政治的な立場や報道のアプローチに関する違いがきっかけとなったと言われています。月刊『Hanada』は、これまでの月刊『WiLL』とは異なる視点での記事や特集を取り上げ、独自の編集方針を貫いてきました。この新しい雑誌は、より多様な読者層をターゲットにし、内容的にもより広範囲な社会問題を扱っています。

 当時「ワックとは編集方針の違いがあった」とコメントしていましたが、「編集方針の違いなんてないんですが、あの時はそう言わざるをえなかった」というのです。改めて聞くと花田さんはこう答えました。「鈴木さんと路線の対立は全くないですよ。両方ともちょっと右寄りですから」月刊『Hanada』は、『月刊WiLL』と同じく政治や社会的なテーマを扱う雑誌ですが、その発刊にはいくつかの背景があります。『月刊WiLL』は長い間、保守的な立場からの発信をしてきましたが、その運営方針や編集方針が変更された時期に、『Hanada』が登場しました。『月刊WiLL』から月刊『Hanada』に関わる編集者やライターが移った経緯については、当時の編集方針の違いや、編集者間の意見の食い違いが関係しているとされています。しかし、「喧嘩別れ」という表現が使われることが多い理由には、編集部内での意見対立や方向性の違いがあったからとも言われています。

 花田さんが生涯で一番好きな雑誌が、アメリカのグラフ誌『LIFE』で、この題字が“赤に白抜き”です。彼が『WiLL』を創刊した時に、その題字を赤に白抜きにしたのは、『LIFE』をオマージュしたものでした。また赤枠で囲んだのは、『TIME』誌へのオマージュでした。

 この分裂騒動の際に、故・渡部昇一先生の自宅に「『WiLL』は飛鳥新社に編集部ごと版元を移すことになりました。つきましては、今後は飛鳥新社『WiLL』の編集部へ……」というファックスが送られてきました。これは一体どういうことでしょう、という連絡が渡部先生からワック社に入ります。このようなファックスが今までの執筆者や関係者多数に送られていたのでした。鈴木社長「有り体に申し上げれば『WiLL』を丸ごと持っていきたいのでしょう。それができると考えている。当たり前ですが、『WiLL』は弊社の商品です。自分が壮観編集長として立ち上げた雑誌であることはわかりますが、私物ではありません。ただカリスマ性のある編集長でしたので、そのようなことができるのかと信じた方もおられるかもしれません。移籍さきの会社も信じておられたのか、『WiLL』編集部の座席表や方名刺まで作っているのです」と事情を説明されました。その後、トーハン日販の取次会社に対して『WiLL』という雑誌名を申請までされ、さすがに弁護士に依頼し対応が取られることになりました。渡部先生は、「こんなことが出版界で許されるべきではありませんね。その雑誌にはもう書きません」と宣言されました(実際に渡部先生はその後『WiLL』のみに執筆されました)。「花田さんは、『WiLL』は自分がつくったと言っているそうですね。私は創刊の準備段階から知っていますから、そんなことはありませんね。鈴木さんが、こういうコンセプトの雑誌をつくりたいとおっしゃたし、私は鈴木さんがつくったと思っています。雑誌の編集長をやったから、それはオレのもの、なんて誰も言わないですよ。それにしてもいろいろ言われたそうですね」(病気でおかしくなったとか、女性問題があるとか、社内で怒鳴り、暗い雰囲気になるとか、『WiLL』花田氏にタダであげると言ったとか)とおっしゃいました。「晩節は矩をこえずが一番なんですが」と才を惜しんでおられました。♥♥♥

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