青山学院大学、奇跡の逆転優勝!

 お正月の風物詩『箱根駅伝』青山学院大学が大会新記録で3年連続の総合優勝を果たしました。 歴史的な逆転勝利でした。青学大の1区は16位と出遅れますが、2区で11位に、3区で8位に、4区で5位と徐々に追い上げ、5区の山登りで4人を抜きさり往路新記録で優勝しました。その後の復路でも、1位を守り抜き、復路も新記録で優勝しました。 青学大は史上初となる同一大学での2度目の3連覇となります。 復路、総合でも記録を更新しました。原監督の名采配が光った大会でしたが、初優勝以来12年間で9度の優勝、9度宙に舞いました。青山学院大学は私の大好きな小田和正さんの青山のショップ「Far East Cafe」のすぐそばにあり、東京のど真ん中にありながら、緑あふれるキャンパスに美しい校舎が大好きで、何度も見学に行った大学でした。以来、箱根駅伝で有名になり、応援をしている大学です。

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▲緑豊かな本学キャンパス

 2004年の就任後、さまざまな逆境をはねのけ、箱根路の頂点を極めてきました。監督就任と同時に原監督は、夫婦で東京・町田市の学生寮に住み込んで指導してきました。「タイムじゃない。表情や私生活を見ると分かる。合宿所で一緒に暮らしずっと見てきた強みですね」しかし、初出場となるまでには二度の解任の危機がありました。

2004年 予選落ち
2005年 予選落ち
2006年 予選落ち
2007年 予選落ち
2008年 22位
2009年 8位
2010年 9位
2011年 5位
2012年 8位
2013年 5位
2014年 優勝
2015年 優勝
2016年 優勝
2017年 優勝
2018年 2位
2019年 優勝
2020年 4位
2021年 優勝
2022年 3位
2023年 優勝
2024年 優勝
2025年 優勝

 2003年中国電力のの社員だったさんに、青学大監督の話が舞い込みました。3年の嘱託契約で将来の保証は全くありませんでした。最大の危機は2006年10月の箱根駅伝予選会。契約が切れる3年目でも出場切符を逃します。チームは空中分解。女子マネージャーが原監督「選手の前で謝ってください」と詰め寄ります。そこでは奥さんの制止で謝ることは踏みとどまりましたが、1年契約が延長した2007年予選会も次点で逃します。ただ、あと1歩に迫った実績が評価され、嘱託から大学職員の立場に昇格できました。翌2008年の予選会を通り、2009年大会で33年ぶりの出場を決めると、その後は上昇カーブを描き優勝を飾ります。10年間の苦労でした。「前の優勝は監督が主導したが、次はおまえらが勝ち取ってヒーローになれ」と説きました。

 青学大の原監督は陸上界の常識にとらわれずに、独自路線でチームを連覇に導きました。陸上界を盛り上げるため、批判を恐れずメディアに敢えて積極的に出て発言。チームでは体育会特有の縦割り組織も否定し、組織力を高めるとともに選手の自主性を育てたのです。そして、体幹を鍛える「青トレ」で走力を強化。自らの信念に裏打ちされた原改革。なぜ青学大は強いのでしょうか?原監督の口癖は「自分で考えなさい」です。「指導者から言われた練習をしているだけでは絶対に強くなれませんよ」 「学生が練習メニューなどについて、『僕はこう考えます』と言ってきたら、私と正反対の意見でも、まずは思うようにやらせます。それを踏まえて最善の策を考えればいい。その方が学生も納得します。」

 異端を恐れない。大学駅伝界の異端児を自認する原監督は、昨年から60回以上の講演会をこなしました。ゴルフ雑誌に連載を持ち、ファッション誌にも登場し、自著本も3冊出版。テレビもワイドショーも含め多数出演しました。陸上界の人間から「青学は浮かれている」との声も耳に入りましたが気にしません。一部選手から不安視されたメディアへの露出にも、実は意図がありました。「陸上で活躍すれば野球やサッカー選手のようにテレビに出演できる」と、子供たちにメッセージを送るため、選手も次第に理解を示すようになりました。「出るくいは打たれるが、出過ぎたくいは打たれない」原監督の口癖です。

 原監督「ぼくはファーストペンギン。最初にやる人はたたかれますから。」と語っていました。ペンギンは群れで行動します。その中で魚を取るため、1番に海に飛び込む勇気あるものをファーストペンギンと呼びます。批判に惑わされることはありませんでした。ビジネスの世界に身を置いた原監督は、陸上界の悪しき因習にとらわれるところがなく、合理性がないと判断した体操などは「ただの儀式」と廃止。骨格の動きに沿ったトレーニングを研究し、選手に指導してきました。一時期までは練習に遅刻してきた選手には「丸刈り」のペナルティがありました。原監督は前時代的な「体育会特有」の罰則には賛成しなませんが、選手同士が決めたルールを尊重します。4年生を中心に話し合った結果、「ミスをしたら丸刈りの罰は意味がないのでは。丸刈りにすればいい、という考え方になってしまう」という結論に達し、撤廃しました。原監督「指導しない指導」で、大人だったチームは本物の大人になったのです。学生寮の掃除当番は1年生だけではなく、4年生を含めた全員が担当します。「4年生には“いばるな”と言っている。掃除など嫌なことは進んでやる。それがお兄ちゃんの役目」原監督。一部の大学では4年生が一番風呂に入り、付き人を与えるところもありますが、4年生への優遇はありません。11月の全日本大学駅伝で負けたときには、2年生が「もっと引き締めた方が良い」と4年生に意見したそうです。全体ミーティングでも「1年生だろうが、正しいと思ったことは言いなさい」と学年、実力は関係なく自由に発言させます。下級生が上級生に意見を言うことは珍しくありません。体育会の問答無用な上下関係は排除します。

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 今年は歴史的な逆転劇でした。青学大の1区は16位でした。直前にランナーの変更がありました。 1区を走る予定だった選手が2日前に胃腸炎になり、4区を走る予定だった小河原選手が1区を走ることになりました。 4区では8位から5位まで順位を上げましたが、4区も変更の影響を受けていました。当日変更で外れる予定だった平松選手が4区を走ることになりました。急遽、走ることになりましたが、区間3位と健闘。5区はスタートの時、5位でした。走るのは黒田朝日選手。フルマラソンの学生記録を持っています。2時間6分5秒です。 青学大原晋監督は、「5区には黒田朝日がいる。3分30秒先頭と離れていてもなんとかするだろう」と話していましたが、「ギリギリだった」と振り返ります。

 私はもちろん、テレビの前で箱根駅伝に釘付けになっていました。第102回大会となった今年の箱根駅伝、往路からとんでもないドラマが待っていましたよね。特に5区の山登り。あんな展開、誰が予想できたでしょうか?小田原中継所の時点で、トップの中央大学と青山学院大学の差は「3分24秒」。正直なところ、「さすがの青学でも、このタイム差は厳しいかも…」と諦めかけた人も多かったのではないでしょうか。駅伝の常識で言えば、往路で3分以上の差というのは、もはや背中が見えない、絶望的な距離なんです。でも、そこからの大逆転劇。鳥肌が立ちましたよね。昨年の区間記録を1分55秒も更新、驚異的な快記録にはライバル大学の監督たちもお手上げでした。速さと強さでチームの難局を突破した黒田選手を、原監督「箱根史上最強ランナー」「シン・山の神だ!!」と名付けました。さすがに限界を越えて走ったので、ダメージは深く、ゴール後はけいれんが止まらなかったそうですが。

 なぜ、青学大はここまでの強さを発揮できたのでしょうか?もちろん今回の往路優勝の立役者は、間違いなく5区を走った黒田朝日選手です。彼の走りは、これまでの「山の神」の概念を覆すような衝撃的なものでした。常識を覆した「1時間6分07秒」のタイム。普通の選手であれば1時間10分を切れば「速い!」と賞賛される区間です。それを4分近く上回るスピードで駆け抜けたことになります。しかも、今回の凄さはタイムだけではありません。単独でトップを走るのではなく、前を走る4校(早稲田、國學院、駒澤、中央)を次々と追い抜いていく「ごぼう抜き」での記録だという点です。前のランナーが見えてくる度に、ギアを一段階上げるような力強さがありました。これまで「山の神」と呼ばれた選手たちは、小柄でピッチ走法(歩幅を狭く回転数を上げる走り方)を得意とする「登りのスペシャリスト」が多かったんです。でも、黒田選手は少しタイプが違います。彼は学生ながらマラソンで「2時間6分5秒」という日本学生記録を持つ、超一級の長距離ランナーです。

彼の走りの秘密は、ここにあります。

  • エンジンの大きさが違う標高差800m以上を駆け上がるには、酸素をたくさん取り込む能力(心肺機能)が必要です。マラソンで鍛え上げた彼の心臓は、他の選手よりも圧倒的に「エンジン」が大きいんです。だから、苦しい坂道でも出力が落ちないんですね。

  • 下り坂でも加速するスタミナ5区は登り切った後、最後に芦ノ湖へ向かう下り坂があります。多くの選手は登りで足を使い果たしてしまい、ここでペースが落ちがちです。ところが黒田選手は、この下り坂でもさらに加速していました。

結果として、トップを走っていた中央大学に対し、この区間だけで4分以上の差をつけることになりました。3分24秒の借金を返すどころか、お釣りがくるほどの快走。これが「新・山の神」と呼ばれる理由です。

 黒田選手の頑張りはもちろんですが、彼をこの5区に配置した原晋監督の采配も見事としか言いようがありません。「なぜエースを平地の2区で使わなかったの?」と疑問に思った方もいるはず。駅伝において、各校のエースが集まるのは「花の2区」というのがセオリーでした。しかし、原監督はあえてそのセオリーを外しました。その理由は「リスクとリターン」の考え方にありました。

  • 2区の場合(ハイレベルな混戦)エースを投入しても、他校のエースも強いため、稼げるタイム差は数十秒程度に限られます。

  • 5区の場合(差がつきやすい)山登りは特殊なコースなので、適性のない選手や調子の悪い選手が走ると、平気で2分、3分と遅れてしまう「大ブレーキ」のリスクがあります。

 原監督は、「最もタイム差がつきやすく、失敗のリスクが高い5区」に、あえて「チームで一番信頼できる黒田選手」を投入しました。これは、「不確実な要素(山)」「確実な資産(黒田選手)」で埋めることで、リスクをコントロールしつつ、最大のリターン(タイム差)を狙った戦略だったと言えます。さらに、当日まで黒田選手を補欠登録にして隠していたのもポイントです。「黒田くんは2区に来るのか?5区なのか?」と他校に迷わせることで、相手監督の戦略を揺さぶる情報戦も仕掛けていたんですね。

 もう一つ、青学の強さを支えているのがメンタル面です。原監督は毎年ユニークな作戦名を発表することで知られていますが、今年は「輝け大作戦」でした。一見、楽しげなネーミングですが、ここには深い意図があります。

  • 「結束」から「個」へこれまでは「チームの絆」を強調してきましたが、今年は一歩進んで「一人ひとりが輝くこと」、つまり「個人の能力を最大限発揮すること」を求めました。

  • プレッシャーを「楽しむ」力「失敗してはいけない」と縮こまるのではなく、「自分が主役だ、輝く場所だ」と捉え直す(リフレーミングする)ことで、選手たちは過度な緊張から解放されます。

実際、黒田選手もレース後に「記録は狙っていなかった」と淡々と語りつつ、チームの強さを誇っていました。ビハインドの状況でも焦らず、自分の走りに集中できたのは、この「楽しむメンタリティ」が浸透していたからこそでしょう。

 史上初となる2度目の総合3連覇を達成した絶対王者は、一昨年9月にリニューアルした寮をフル活用して、食事面、メンタル面で大きなプラスとなっていました。以前の寮は調理する設備が整っておらず、業者が配達した食事を摂っていました。しかし、現在はOBで栄養士の鶴貝彪雅さんが調理した料理を食べることができます。原監督の妻で寮母でもある美穂さんは「温かいご飯を食べれたり、ちょっと体調が悪い子に対してだったり、一人ひとりに合わせて提供ができている」と語りました。身体の栄養はもちろん、心の栄養も蓄えることができるようになったのです。箱根駅伝前は感染症予防のため、美容院に行くこともできません。気分転換の機会が限られる中、料理で季節感を味わえるようになったといいます。「今までだったらクリスマスやお正月でも関係なしで普通の料理しか来なかったけど、今はイベント食みたいなのを考えている。年末にはおせち料理的なものをつくったので、学生も喜んでいるんじゃないかな」と明かしました。

 さらに食堂兼ミーティングルームが憩いの場になっています。選手たちにとって原監督は「雲の上のような人」だが、美穂さんや鶴貝さんは気軽に相談できる相手です。美穂さんは「食堂に行ったら話を聞いてくれる人がいるのって結構いいじゃないですか。緊張した時に抜いたりとか、ちょっと話したい時に話したりとか、そういった部分では(ストレスなどの)はけ口にはなっていると思う」とメリットを口にしました。選手寮で飲酒できるのは年に一度だけ。復路が終わった1月3日の夜だけです。1月7日からは通常通り午前5時半から真っ暗な公園で朝練習が再始動しました。これが青学選手の日常です。

 前回大会の主力メンバーが6選手も卒業して抜けました。今季は新チーム結成時に原監督「箱根駅伝、勝つ確率は0%だよ」と厳しい言葉を掛けるも、選手たちは一念発起をし、1年をかけて進化を遂げました。1日目の往路を終えて「青学大は往路で選手を使い切った。復路での逆転はある」とライバルチームの監督は口を揃えました。確かに復路には無名の選手ばかりでした。しかしこの発言に発奮した選手達がトップの座を一度も譲ることなく快走を見せます。美穂さんは「毎年学生のすごさを身に染みて感じる。本当に急に成長しちゃうのでうれしい」と笑みを浮かべました。競技内だけでなく、競技外でも体制を整えた結果のタイトルでした。彼らが最初に取り組んだのは、寮の部屋掃除だったそうですきっかけは9区の区間賞を取った寮長の佐藤有一選手(4年)黒田選手の部屋をのぞいた時だったそうです。机に置かれた本の向き、ゴミも一つもない。整然とした部屋に寮長は「こういうところが競技力につながると思って全員に呼びかけた」と語ります。

 昨年2月に血液のガンで亡くなったチームメートの皆渡星七(みなわたりせな、21歳)選手への思いを、選手たちは腕や脚に油性ペンで「★7」と書いたり、七つ星がデザインされたリストバンドを巻いたりして、七つ星マークを記したタスキをつないで激走しました。

 東海地区の中京大学出身の原監督「私自身が箱根駅伝を走ったことがないからこそ、試行錯誤の経験の中で『箱根駅伝を勝たせるためにどうするか』という戦略を作り上げた」と。全路ベースから緻密に練られたノウハウが、青山学院大学の優勝を支えていました。原監督は選手育成をする上で「技体心」を強調します。「正しいノウハウを持って一年間鍛えていけば選手はものすごく成長し、身体も出来上がって、最後には『勝つ』心意気になる」の信念の下に、緻密で柔軟な選手指導こそが原監督の真骨頂です。「今回の常識は、明日の非常識です。我々もリミッターを切らなければならない」と気を引き締めました。♥♥♥

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