私が大ファンであった、トラベル・ミステリーで有名な故・西村京太郎(にしむらきょうたろう)先生は、伊勢志摩方面の取材に、計四回行っておられます。もちろん取材の目的は、それぞれに違っていました。第一回目は志摩スペイン村の取材、二回目は円空の絵が賢島近くの寺にあるというのでその取材で、『伊勢志摩殺人迷路~円空の謎』DVDのためでした。三回目は、伊勢志摩にあるミキモトパールアイランドと伊勢神宮近くのおかげ横丁を取材しました。四回目では、神宮式年遷宮の様子を見に行かれておられます。

その三回目に「おかげ横丁」に行かれた時には、ちょっとした事件にぶつかっておられます。取材の後、おかげ横丁にある赤福(あかふく)本店に、お土産の赤福を買いに行かれたのですが、夕方に行かれたので、店の人は東京まで持ち帰るのなら明朝もう一度来てください、と言うのです。理由を聞くと「うちでは冷凍は作っていない。毎日朝早く作るので今から東京まで持ち帰ると味が落ちる。それはうちの誇りが許さない」というのでした。西村先生はいたく感動され、もう一日ホテルの泊まりを延ばして、翌朝再び赤福を買って東京へ持ち帰られたのです。その後友人たちにも、この赤福のお店の哲学を褒めておられたのですが、その半月後に新聞を見てびっくり仰天されます。赤福が冷凍品をその日に作っていると嘘をついたとして逮捕されてしまったのでした。しばらくの間は営業停止だというので、連載を書くのに困ってしまわれます。作品の書き出しで十津川警部が赤福本店の床几に腰を下ろして、前を流れる五十鈴川を眺めている設定にしておられたからです。営業停止がいつまで続くものか分からないのでは、赤福本店の床几に腰を下ろして、五十鈴川を眺めているわけにはいきません。あわてて連載の書き出しを別の場面に書き換えられました。この件を思い出す度に、なぜ赤福が、嘘をついてまで冷凍であることを隠そうとしたのかが不思議で仕方がない、と言っておられました。今、食べ物のお土産はどこも冷凍です。従って冷凍だからといって誰も買わないことはないはずです。多分赤福は、冷凍ではないという「誇り」を守ろうとしたのかもしれない、と回想しておられました。
伊勢の名物「赤福餅」を製造する老舗和菓子店「赤福」(三重県伊勢市)で、2007年10月、消費期限の偽装が発覚しました。店頭に並べていた売れ残りの商品を回収し、冷凍して再包装。解凍した日を新たな製造日として出荷していたことなどが明らかになり、三重県は、食品衛生法に違反したとして同社を営業禁止処分としたのです。日本の食品業界における信頼を大きく揺るがす象徴的な事件の一つとなりました。店頭で売れ残った製品を一度回収し、餅と餡を分離して再利用したり、包装を新しくし直してその日作ったものとして再出荷する「まき直し」や、出荷が追いつかない時のために、あらかじめ製造日を先送りにして印字していた「先付け」や、解凍したした製品の包装を剥ぎ、その日の日付を印字して出荷する「むき直し」などの食品衛生法違反の偽装が、本社工場生産分だけで8月までの2年間に41万箱に上ったことが明らかになりました。約30年前から常態化していた組織ぐるみの行為でした。食品衛生法違反で3カ月の営業禁止処分を受け、当時会長だった浜田益嗣氏は引責辞任し、社長を務めていた典保氏は経営再建のため続投することになりました。
県がまとめた調査報告書によると、2005年10月~2007年8月に本社工場で生産された約1,830万箱のうち、同法違反の「先付け」は約32万箱、店頭売れ残りの生製品の「まき直し」は約2,300箱、同じく冷解凍した製品のまき直しは約9万4千箱で、合計41万箱でした。さらに、冷解凍工程を経て出荷された商品のうち、店頭売れ残り品の再出荷分が2005年10月~2006年9月は27.7%、同年10月~07年1月は28.2%に及ぶと推計。同社内では、消費期限を2日間過ぎたものまで再使用することを基準にしており、回収品から再使用する「むきあん」「むき餅」は、ほぼ全てが消費期限切れでした。また、赤福餅の生産量に対する廃棄率が2%台と極めて低いことが分かり、県健康福祉部では「廃棄率を減らすため、会社として完璧(かんぺき)な仕組みができている」とし、一連の偽装について「組織ぐるみと判断せざるを得ない」と断じました。
赤福は、繁忙期(正月や大型連休)の大量需要に応えるために、閑散期に製品を製造してマイナス20度以下で急速冷凍保存していました。本来、冷凍したものを解凍して販売すること自体は、適切な表示があれば法的に全く問題はありません。しかし、赤福は「作りたて」というブランドイメージをあまりにも優先させるあまり、解凍した日を「製造日」として偽り、あたかもその日に作ったかのように装って販売し続けていたのでした。県は赤福が違法行為を繰り返した要因について、(1)法令順守の意識の欠如(2)強すぎる営業優先の姿勢(3)行きすぎた効率性の追求、などの点を挙げました。特に浜田社長の父・益嗣(ますたね)氏が社長だった73年頃に導入した冷解凍設備について、県は「根拠のない消費期限を表示するなどの違反を誘引した」と指摘しました。
しかし、その後の誠実な対応によって、現在は再び「伊勢の顔」として多くの人々に愛される存在に立ち戻っています。「一度失った信頼を取り戻すには、それまでの何倍もの正しい積み重ねが必要である」という教訓を、日本の食品史に刻んだ事件でした。
私もこの「赤福」が大好きで、生徒を伊勢に引率した際に、おかげ横丁の店先で一緒に赤福を食べています。時々、東京駅や大阪駅のお土産店で売れていることもあり、買って帰って楽しんでいます。私の尊敬する故・渡部昇一先生も甘い物が実にお好きで、「赤福」が大の好物であったことが、先生のご長男の渡部玄一さんの著書『明朗であれ~父、渡部昇一が残した教え』(海竜社、2020年3月)に出ていました。晩年の渡部先生のお姿は、涙無しには読めません。♥♥♥
暮れも押し迫ってきたある日、実家を訪れた私は父が食卓の前にぽつんと座っ
ているのを見た。
父の目の前には好物の赤福が置かれていたが、父が手をつけた様子はなかった。
私が食べないのかと聞いたら、
「あんなに大好きだったはずのものが、たべられなくなってなあ」と一言私に
言った。
その夜、私は父のことで初めて涙を流した。

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