週に3回、米子・勝田ケ丘志学館に、市営バス・JR山陰線・境線と乗り継いで出かけます。電車に乗って、向かい側のシートや周りの座席に目をやると、腰掛けている高校生・大人がみんな下をうつむいてスマホの画面に見入って、ずっと何やらひたすらタッチしています。博労町駅・米子駅のホームでも、高校生たちがズラーっと並んで、スマホに見入っています。異様な光景です。他にすることはないのでしょうかね?
私自身、ネット上で本を探したり買ったりすることもあるほどです。
では、こうしたネット全盛時代に本を読むとはいったいどういうことなのでしょう。わ
ざわざ本を買って読まなくても、新らしい知識や情報はネット上で済んでしまうのに、な
ぜ本を読もうとするのか―。
(中略)
そんな思いに捉われていたとき、たまたま友人が素晴らしいグレープフル-ツを送って
きてくれました。食べてみると、じつにジューシーで甘くおいしい。そんなグレープフル
ーツを食べながら私はこう考えました。
このグレープフル-ツにはビタミンCがいっぱいだ。いい色がついているから、ひょっ
としたらベータ・カロチンも入っているかもしれない。果肉には食物繊維もあるだろう。
しかしそうした栄養素はサプリメントから、いとも簡単に摂取することができるではない
か。ビタミンCだってタブレットからであろうが粉末からであろうが、簡単に摂ることが
できる。カロチンだって摂れる。すべてはサプリメントで間に合うのに、どうしておれは
このグレープフルーツを感激しながら食べているのか?
そこでハタと思い当たったのです。グレープフル-ツを食べてビタミンCを摂るのと、
サプリメントでビタミンCを摂ることの差が、「読書」と「インターネット情報」の差に
相当するにちがいない、と。
栄養はすべてサプリメントから摂れることはわかっています。しかし私たちはやっぱり
食べ物を食べます。それはなぜかといえば、「おいしいから」というのがいちばんの理由
でしょう。栄養を摂るだけならサプリメントも要らないくらいで、点滴でも十分です。そ
れにもかかわらずおいしいものを食べたいと思う。それと同じように、情報だけならイン
ターネットで十分なのに本を読むというのは、読書にはインターネットから得る情報とは
別の要素があるからでしょう。インターネットよりももっと豊かな「何か」が読書という
体験には隠されているにちがいありません。
―渡部昇一『楽しい読書生活』(ビジネス社)
尊敬する故・渡部昇一先生が、本とインターネットの違いについて気がつかれたことを、実に面白い「比喩」で説明しておられました。先生のご友人が素晴らしいグレープフルーツを贈ってきてくれたことがありました。実にジューシーで、甘くて美味しいグレープフルーツだったそうです。その時に先生が考えられたことは、「待てよ、このグレープフルーツにはビタミンCがいっぱいだ。いい色がついているから、ひょっとするとベータカロチンも入っているかもしれない。果肉には食物繊維もあるだろう。しかしそうした栄養素は今ならサプリメントから、いとも簡単に摂取することができるではないか。ビタミンCだって、タブレットからであろうが、粉末からであろうが、簡単に摂ることができる。カロチンだって摂れる。全てはサプリメントで間に合うのに、どうしておれはこのグレープフルーツを感激しながら食べているの
か?」そこでハタと思い当たります。グレープフルーツを食べてビタミンCを摂るのと、サプリメントでビタミンCを摂ることの差が、「読書」と「インターネット情報」の差に相当するに違いないと。栄養は全てサプリメントから摂れることは分かっています。しかし私たちはやっぱり食べ物を食べます。それはなぜかというと、「美味しいから」というのが一番の理由でしょう。全てこの中身は何かといったら、ビタミンCとクエン酸と糖分くらいのものです。こんなものはサプリメントですぐに摂れる。なのにどうして、グレープフルーツの皮をむいて、においをかぎながら食べるのか?いわゆる「食事」と「サプリメント」の違いは、「本」と「インターネット」の違いではないかと思うようになった、とのことでした。食べ物は、非常に無駄が多い。分かりやすい例を挙げれば、物を食べるとウンチが出ます。サプリメントだけならおそらく出ないと思います。しかし、人間はウンチを出すことによって、赤ん坊から子ども、子どもから大人になるのです。サプリメントだけでも栄養は足りるはずですが、それで成長するかといったら成長しないのではないか?やはり物をよくかんで食べ、そして無駄なものは出しつつ、という過程を経て成長があるのだと思われます。サプリメントは味もなく、即効性でよく効きます。ビタミンCが足りなければパッと飲めるし、できものができたらビタミンB2などを飲めば効き目があります。これはインターネットに喩えることができます。栄養を摂るだけなら、サプリメントも要らないくらいで、点滴でも十分です。それにもかかわらず美味しいものを食べたいと思う。それと同じように、情報だけならインターネットで十分なのに本を読むというのは、読書には、インターネットから得る情報とは何か別の要素があるからでしょう。インターネットよりももっと豊かな「何か」が、読書という体験には隠されているに違いありません。本を読むことで、「あ~、そうだったのか!」「感動した」といった何とも言えない感情を味わうことができるのです。「活字の海」へ漕ぎ出すことができます。
食事には、サプリメントのように即効性のものではなくても、美味しいものを食べれば「美味しい!」という肉体的な快感のようなものがあります。それから、緩やかではあるけれども、食べた物が体を作ったりします。そこに大きな差があるのだ、と先生はおっしゃいます。体が出来上がった大人が、自分に合ったサプリメントを選んで摂るのは非常にいいことですが、まだ体のできていない人間が、サプリメントばかりやっていてもしょうがないのではないかと思うのです。

▲尊敬する新 将命氏
ところが、スマホやインターネットの普及とともに、人々の読書時間はどんどん減っています。一週間の読書時間が二時間以下というのは、ほぼ読まないことに等しいので、日本人の三分の一はほとんど読書をしていないことになります。高校生・大学生にいたっては、1日の読書時間ゼロという人が半分以上います。若者たちは、本を買うお金を携帯電話代などに回していますから、読書時間はこれからも減る一方でしょうね。本は「精神の食べ物」です。本を読むことで、(1)論理的思考力や教養が身につく、(2)想像力が鍛えられる、(3)感情や感性が豊かになる、(4)体系的な知識を吸収できる、(5)信頼性の高い情報にリーチできる、(6)先人の知識・体験を追体験できる、(7)語彙が増える、(8)視野が広がり、人生のヒントをもらえる、などの数多くの恩恵が受けられます。安直な情報だけに頼っていたら、日本人の精神は痩せ細ってしまいます。このことに、私は非常に強い危機感をいだいています。尊敬する経営コンサルタントの新 将命(あたらしまさみ)さん(彼の本は片っ端から読了しました)は、「1日に4回メシを食え!」と主張されます。3回の食事と、1回は「活字のメシ」です。私は毎日「活字のメシ」を美味しく食べています。
最近ではニュースもネットで見ることができることから、新聞を読む人もずいぶん減っているようですね。私が教えている生徒たちも全部スマホで見ていて、新聞を読みません。本も電子書籍が出ていて、読まなくなっています。次から次への雑誌の休刊、売れ行き不振などはまさにその影響をもろに受けたものと思われます。
最近の若い先生方は、本当に本を読みませんね。私の若い頃の先輩の先生方は、本当に本をよく読んでおられました。授業で取り上げるテキストの話題に関連する本をよく貸していただいたのを覚えています。あ~、こうやって勉強するんだな、と後ろ姿で教えてもらった気がします。私が教員になりたての頃は、月に5,000円の本代をやりくりするのがやっとの給料でした。それでも、夏と秋のボーナスをもらう度に、親戚のある岡山市の丸善や紀伊國屋へ出かけて大量に買い込んでくるのが楽しみだったものです。なにせ洋書は今のようにネットで入手することなどできない時代ですから、大きな書店に行かないと手に入らなかったんです。(株)研究社で辞書の仕事をさせてもらうようになってからは、必要な英書・辞典類は全部入手して送っていただけたので、めちゃ楽チンになりました(今は各自でネット書店を利用です)。月に10万円くらい本代に使っていました。ハズレ本もいっぱいありましたが、時々ビッグ・ヒットに巡り会いますから、買わない訳にはいきません。❤❤❤
読書というのは現実に得られない体験を広げてくれたり、ある時は人間を鼓舞してくれるものですが、わたしにとっては常に疑問を投げかけてくれるひとつの材料です。 ―平岩外四(東京電力会長)
週に一度、本屋さんに行く人は必ず何かできる人です。 ―三笠書房ブックフェアにて
本を読むのは、知らない街を訪れるのに似ています。とりわけ十代の半ばから二十歳過ぎぐらいまでに読んだ本は、いつまでも記憶に残って、その後の人生の地図みたいな役目を果たすでしょう。これからあなたがどこまで旅をできるかは、その地図の大きさにかかっています。細かな縮尺や方角の狂いは後からいくらでも修正が利きますが、地図全体を見渡す視野の広さは、意外と若いうちに決まってしまうものです。最初は余白だらけでかまわないし、気に入った街を何度も訪れるのもいいでしょう。どんな街もそれだけで孤立しているわけではなく、世界に向かって開かれているからです。遠く離れた国でも、旅する者にとって、街と街はつながっています。本を読むことがそうであるように。 ―法月綸太郎『松江北高 図書館報』第100号記念号 平成24年3月
関連