村下孝蔵さんの切り絵ジャケット

 今までに二回ほど、歌人村下孝蔵(むらしたこうぞう)さんの思い出について語ってきました(2012年8月14日2013年7月24日)。彼は1999年6月24日、脳内出血のために46歳の若さで帰らぬ人となりました。「時代がどんなに変わろうと、変えちゃいけないものがる。それは僕の歌だ」「時代が変わっても、時代が変えちゃいけないものがある。それは少年の心」「少ないよね、大人が口ずさめる歌」 これらは、村下さんがコンサート会場でファンに語ったり、スタッフに漏らしていた言葉です。プロとしては遅すぎる27歳にデビューし、最後のアルバム『同窓會』までのレコーディング総数は129曲。デビューから村下さんをプロデュースした須藤 晃さん(尾崎 豊のプロデューサーとして有名ですね)は回想します。

 ”美空ひばりや石原裕次郎の歌がずっと愛されるのは、いい歌だからです。だから日本人が好きになるような哀愁のある歌を作りませんか”と村下さんにいわれて、僕らは20年間歌を作りました。彼はシンガー・ソングライターではなく、歌人(うたびと)でした。自分の音楽的な業績よりも、愛される歌を1曲でも多く作って歌いたかったんでしょう。ふくよかで優しさが満ちあふれた声は天性のものでしたが、歌うことに関しての切磋琢磨と節制はスポーツマン的ですらありました。昭和の伝統を受け継いだ歌人です。(須藤さん談)

 私は村下さんの歌の魅力と、彼の生きた軌跡は、そのジャケットにすべてが集約されていると感じていました。それまでは本人の写真が使われていたジャケットに、1983年2月に発売された5枚目のシングル曲「初恋」からは、切り紙による少女が登場します。素朴で寂しげな世界と、きまじめで不器用そうな少女、これが村下さんの素朴で純真な楽曲と完全にシンクロするのです。私はこの切なそうな切り紙のジャケットが大好きでした。

 この切り紙の少女を創作したのは村上 保(むらかみたもつ)さんです。東京藝術大学を卒業した彫刻家で、本業は立体アート。余技で始めた切り紙でしたが、1982年東京・銀座の初恋ギャラリーで行われた初めての個展を、村下さんのスタッフがたまたま見たことがきっかけでした。早速会場に足を運んだ須藤プロデューサーは、切り紙の少女の独特のメルヘンの世界に魅了され、感動し、ジャケット起用が即決します。シングルからいきなりというのは冒険ということで、3枚目のアルバムの歌詞カードから、この少女が登場しました。村上さんは最初イメージがつかめず、スタジオに出向いて村下さんの曲を聴き、イメージをふくらませます。村下さんの歌はそのほとんどが失恋、あるいはそれをひきずった寂しい世界を描いているので、同窓会あの少女が描かれるわけです。曲を聴いた人がそれぞれにイメージをふくらませることができるように、少女には名前をつけませんでした。実は、村上さんが切り紙創作を始めた当時、4歳だった姪御さんがモデルだったそうです。具体的なイメージを出さないように、口や鼻を描いていないことに気がつきますね。モノクロのイメージを壊さない程度にしか色も使っていないのが特徴です。murashita一時期「もう女の子はやめませんか」と、須藤さんから言われたこともあったそうですが、村上さんが半ば強引に作らせてもらったそうです。何とも味わいのある少女の表情です。「万年少年」の飾らない村下さんの姿とリンクする気がします。彼の座右の銘は「飾らない、変わらない、僕の人生、僕の歌」でした。村下さんが生前一番愛した歌が「ロマンスカー」で葬儀にも流れました。⇒コチラです

★村下さんのホームページはコチラ

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