わかったふりをしない

 故・渡部昇一先生にはいろいろと重要なことを教わっていますが、その中で今でも一番大切にしていることが二つほどあります。一つは「できない理由をさがすな」ということであり、もう一つは「わかったふりをしない」ということです。「できない理由をさがすな」については、かつてこのブログでも詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。⇒コチラコチラです

 今日は二番目の「わかったふりをしない」についてお話しします。渡部先生は中学五年生と高校三年生のときに、恩師・佐藤順太先生に英語を教わっておられます。二年半以上教えを受け、さらにご自宅へうかがい親しく謦咳に接するようになり、ますます「わが師」という思いを強めました。先生の隠居所は決して広い建物ではありませんでしたが、玄関の脇が先生の書斎になっていて、天井まで和漢洋の木版刷りの書物がうず高く積んでありました。図書館でしかお目にかかっったことのないような分厚い辞書が置かれており、イギリスの百科事典も並んでいました。先生はよく、有名な学者の意見でも、「あれは何を言っているかわからぬ」ということをはっきりと述べられたものでした。「わかったふり」は決してなさらない。実感としてそう思われたことは、学界の通説にかかわらず、そのように述べられました。先生はまことに「己に忠実」な方であられました。読書にせよ、勉強にせよ、この己に対する忠実さが、真に人を成長させるのです。佐藤先生を神のごとく崇拝していた渡部先生は、「わからない」と言うことを怖れなくなりました。上智大学に進学されてからも、夏休み、春休み、正月休みに帰省すると、自分の家よりも、先生のお宅で夜の時間を過ごすことが多いくらいでした。師を愛し、学問を愛し、「わからない」ことを怖れずに、知識を愛することができるようになったのは、佐藤先生のおかげであったと、渡部先生は振り返って感謝しておられます。

 学校の教師をやっていますと、わからないことをわからないとはなかなか言いにくいのです。だからついついわかったふりをする。すると、ふりをしているうちにわかった気になってします。渡部先生は、教師の中にはむしろそういう人が多いかもしれない、と言っておられました。それを見分ける方法の一つに、その人がどういうテキストの読み方をするか、ということを挙げておられます。テキストを大意さえわかればそれでよいといった読み方をする人がいます。大意というのはテキストを隅々まで詳細に読んで、初めてつかめるものです。大意さえわかればいいという人は、一字一句ゆるがせにせずに読んだ上ではありません。というよりも、詳細に正確に読めないことが多い。そこを誤魔化して大意がわかればいい、と言っているのがほとんどだとおっしゃいます。自分の考えに都合よく当てはまるようにねじ曲げて解釈し、それが大意だとわかったつもりになってしまっている。私が常日頃、….In fact,….「実は、実際には」などと訳して、それ以上考えようとしない生徒や模擬試験や教師を信用しないのは、そういう訳なんです。

 わからないということをわからないとするのは大事なことです。わからないのにわかったふりをして、わかったつもりになると、そこで疑問が消えてしまいます。疑問が消えてしまっては進歩はありません。わかったつもりになっていることからは、何も学べないのです。対象に真面目に真剣に取り組んでいたら、わからないままに放っておくことはできません。頭の隅に引っかかって、絶えずどこかで気にはなっているものです。折に触れてそれがひょいと出てきて、ああでもないこうでもないと考えることになります。そういうことを繰り返して、初めて本当にわかることができるんです。わかるときというのは、走水のようにひょいとあっけないくらいに出てくるものです。絶えず気にかかるような状態を長く続けていないと、ひょいと、あっけなくわかることはできません。知識であれ何であれ、自分の中に何かが蓄積されるとき、そこには必ず自分自身の「わかった!」という実感があります。したがって、しっかりと自分の頭で考え、面白いと思うもの、ぞくぞくするほどわかったと思うことを着実に積み上げていけば、その全てが自分の血となり肉となるのです。わからないものをわからないとし、わからないという状態に耐え、本当にわかったものだけをわかったこととして、周囲に流されない。考える頭を養うには、この決意が不可欠であると、渡部先生は力説しておられました。

 私は授業では、わからないことは正直にわからないと言うことにしています。それを次の時間までに必死で調べます。生徒たちにも、それが正解となる理由や、筆者は何を言いたいのかに関して説明を求めますが、わからない説明に対しては「何を言っているかわからない」と、さらに突っ込んで質問します。小学生にでもわかるような説明を要求します。わかっていないのにわかった気になっている人は、伸びないということを長年の経験値で知っているからです。今もわからないことは山のようにあります。でもそれを胸の片隅に置いてあたためておくと、偶然天から助けのロープが下りてきて、あっけなく解決するということがよくあります。わからないことを怖れないことが大切です。♥♥♥

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