オムロンと自動改札機

 昭和38年、日本の高度経済成長期のまっただ中、郊外からの通勤客でごった返す都心の駅では、改札で手作業で切符を一枚一枚もぎっていたために、大行列となっていました。当時、都市の通勤ラッシュは深刻な問題だったのです。遊園地の自動入場口のようなシステムが駅でも作れないかと、近鉄本社では、開発してくれる大手電機メーカーを訪ねて回りますが、全て「採算が合わない」と門前払いされました。困った末にたどり着いた先が、知り合いから紹介された誰も知らない小さな企業、昭和33年に立石一真(たていしかずま)さんが創業した立石電機(現・オムロン)でした。駅に立ってラッシュ時にリサーチすると、スムーズに改札するためには、1分間に60〜80人が改札口を通過できなければならないことが分かりました。0.75秒〜0.8秒に1人でです。そのためには人の流れを止めない、立ち止まらせないのが前提条件でした。この難題を解決すべく、開発に乗り出しました。

 その後、導入するつもりのない国鉄からクレームが入り、折り合いがつかず、近鉄自動改札機の導入をあきらめてしまいます。立石電機に残されたのは、これまでにかかった莫大な開発費と、開発中途の自動改札機でした。しかしそれでも立石電機自動改札機の開発をあきらめることはありませんでした。何社にも断られた結果、阪急電鉄が導入を決めてくれました。世界で初めて、昭和42年(1967)、阪急電鉄北千里駅に設置された10台の自動改札装置は、1980年代には近畿地方の大手私鉄・地下鉄のほとんどが導入。それに伴い、オムロンのセンシング技術も飛躍的に高まったのでした。

 創業者の立石一真さんは、経営に関するさまざまな名言を残しましたが、「7:3の原理」もその一つです。現在、オムロンの社内に最も浸透している人気の言葉です。新事業のアイデアを思いついたら、七分の成算があればまず実行せよ、ということです。残り三分のリスクについては、思わぬ事態になった時に打つ手を大ざっぱに考えておけばよい、と割り切るのです。会社が大きくなってからは、「3:7の原理」に逆転させ、「七分のリスクを覚悟しなければ成功なし」と呼びかけました。「7:3の原理」の発想の根底には、試行錯誤を重視するという考え方があります。「理屈ばかりで何もやらなければ、経営はうまくいくはずはがない。まずやってみて、誤りがあれば正していく。試行錯誤。これぐらいの気持ちでやって、ちょうどよいくらいである」というのが一真流でした。一真さんは生涯、新しい技術に興味を持ち続け、新しい技術を産み出す創意工夫のプロセスに興奮しました。創業者の立石さんが築いた社風は「まずやってみる」ことでした。

 永守重信さん(日本電産、現・ニデック会長)が回想しておられます。「若いころ教えを受けたオムロンの創業者の立石一真さんは『頑張りなさい』なんて甘いことは言わない。『私と同じで、貴方の行く道には深い川や険しい山がある。自力で越えられなければ、それだけの器ということや』」

「ある時『では、うち(立石電機)の下請けやるか』と言ってくれたので、ぐらっときたが、『しかしあんた、下請けはやらんというのが社是やったな』の一言で、ハッと我に返った。立石さんは一番尊敬する人や」

 一真さんの人を見る眼は確かでした。永守さんが率いる日本電産は、パソコンなどに使われる精密小型モーターで世界のトップシェアを握るハイテク企業に大化けしました。京都から世界的なハイテク企業が生まれたのは、一真さんの功績といってもいいでしょう。ワコール、堀場製作所、ローム、京セラ、村田製作所などのトップ企業が京都から誕生しています。

 永守重信さんがこの立石さんとの懐かしい思い出を書いておられます。立石さんから「一緒に食事でもしよう」と誘われたので、約束の午前10時に会社を訪ねました。案内された社長室の応接はドア一つはさんで立石さんの執務室に接しています。中からはなにやら激しい会話の応酬が聞こえてきます。当時、鉄道の「自動改札機」の開発をめぐって幹部らと大激論を交わしておられたのです。幹部たちは「うちの技術力では無理です」といって、立石さんになんとか中止を促そうとしていますが、立石さんは「こんなことであきらめるのか!」と一歩も引きません。机をドンドン叩いたり、椅子を蹴って激しく怒鳴っておられます。その修羅場は隣の応接室の永守さんにも筒抜けでした。途中で立石さんは応接室に顔を出し、「ちょっと取り込んでいて申し訳ない。すぐ終わるから」と言って、特上のウナギの出前を頼んで下さいました。一人でウナギに手をつけるわけにもいきません。入れ替わり立ち替わりやってくる幹部たちに対して、立石さんはまるで壊れたレコードプレーヤーのように、延々と大声を張り上げて同じ主張を繰り返しておられました。「我が社の力があれば絶対にできるんだ!」

 結局幹部たちが渋々納得して引き下がったのは、午後3時をまわっていました。延々と5時間以上もやり合っていたのです。ようやく応接室のソファに腰を下ろし、冷えたウナギを一緒に食べながら、立石さんは永守さんに、こんなことを語りました。

 難問にぶつかったとき、初めから「それはできない」と否定から入ってはいけない。とかく頭のいい人間にかぎって、できない理由をとうとうと並べ立てる。できる力を持っていながら、すぐ「限界です」とあきらめる。そんなことを許していたら会社はつぶれる。できることもできなくなってしまう。大切なのは気概と執念だ。部下が疲れ切って「わかりました。もう一度トライします」と根負けして折れるまで、言い続けなければダメなのだ。

 立石さんの話をじっと聞きながら、永守さんは経営の神髄について教えを受けているのだということを全身で感じておられました。経営者として、未来を切り開いていく気概と執念を叩き込まれた、と振り返っておられます。

 立石さんの言葉通り、オムロンはその後、見事に自動改札機」の開発に成功しました。オムロンは現在も駅務機器の関連で国内最大手で、世界各国で「自動改札機」など無人駅システムを導入しています。ちなみに、松江駅自動改札機」が設置されたのは、2016年11月のことでした。♥♥♥

▲JR松江駅の自動改札機

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