悪役道アイアン・シーク亡くなる

▲WWF王者となったシークはマネージャーのフレッド・ブラッシーと歓喜のポーズ

 元WWEヘビー級王者で、WWE殿堂者の“鋼鉄怪人”ことアイアン・シーク(本名コシロ・バジリ)さんが、6月7日にお亡くなりになりました。81歳でした(死因については明らかにされていません)。かつて「イランアメリカ大使館人質事件」が起きたときには、この悪役・シークへの憎悪も倍増し、命の危険にもさらされる場面は生涯に何度もあったといいます。それでも最後まで「悪役レスラー」の我が道を貫き通したプロ中のプロでした。

 イラン・テヘランの出身でレスリング選手として活躍した後、1970年に米国に亡命。1972年にバーン・ガニアの指導を受けてプロレスデビューしました。1970年代後半から「アイアン・シーク」のリングネームを使用し、必殺技の「キャメルクラッチ」(ラクダ固め)と、先が曲がった独特のレスリングシューズを代名詞に、悪党レスラーとして全米各地を暴れまわりました。新日本プロレス、全日本プロレスにも参戦しています。

 1983年12月26日、ニューヨークの聖地MSG(マディソンスクエアガーデン)で帝王・ボブ・バックランドを破り、WWF(現WWE)ヘビー級王座を奪取しました。悪役道を貫き通したこの憎きアイアン・シークには私は思い出があります。私が大好きだったボブ・バックランドは、当時不動のWWF世界ヘビー級王者として確固たる地位を築き、実に4年間にわたって王座を保持していました。1978年6月、当時WWEが提携関係にあった新日本プロレスに参戦したボブアントニオ猪木と対戦し、時間切れドローで防衛を果たしますが、キーロックをかけられたまま、相手を持ち上げたる怪力ぶりを発揮し、ハイアングル・アトミック・ドロップ、豪快なダブルアーム・スープレックス、ジャーマン・スープレックス、UWF誕生以前から使用していたチキンウイング・フェースロック、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールドと、数々のいぶし銀のテクニックを日本のファンの前に披露し、人気を得ました。その「ニューヨークの帝王」ボブ・バックランドから王座を奪い取ったのが、このアイアン・シークで、歴史上の一代事件でした。長いWWF史上でも大番狂わせの一番として今でも語り継がれています。後になって分かったことですが、WWFの総帥ビンス・マクマホンはスポーツマンの典型のようなベビーフェイスのバックランドに代わる王者像を求めており、シークの王座奪取は、バックランドを王座から引き下ろすために仕組まれたものであったことが暴露されました。

 バックランドは選手権試合の2日前に左肩を脱臼しており、試合のキャンセルを訴えましたが、認められずに強行されました。シークの攻撃はパンチもキックも全て左肩に集中し痛めつけ、バックランドに馬乗りになると、首をガチッと決めて必殺の「キャメルクラッチ」に入ります。両足をピクピクとけいれんさせる王者の顔からは血の気が引いてしまっています。コーナーから心配そうに見守っていたセコンドのアーノルド・スコーランがたまらずタオルを投入し、2万2000人の大観衆の場内はシーンと静まり返り、王座転落の夜となりました。そしてこの悪役レスラーに王座を一度預けておいて、わずか28日後の1984年1月23日に、“超人”ハルク・ホーガンへとベルトが渡るのです。WWFの仕組んだ茶番王座交代劇でした。その後もサージェント・スローターと激しい抗争を展開するなど、トップヒールとしての地位を確立しています。1992年に引退しましたが、2005年にはライバルだったホーガンらとともにWWE殿堂入りを果たしました。

 バックランド自身は、セコンドのアーノルド・スコーランがタオルを投入して敗れたことを回想し、「WWFのルールでは、フォールかギブアップ以外では王座は移動しない。それなのに、タオルを投げられて王座を奪われたことには今も納得していない」と衰えないプロレスラー魂をのぞかせていました。さらに「リベンジの機会を望んでいたが、ビンス・マクマホン氏が病気になり、アイアン・シークからハルク・ホーガンがチャンピオンになった。そしてマクマホン氏が亡くなり、その機会を失ってしまった」と告白しています。WWFのプロモーターが故・ビンス・マクマホンから息子のマクマホン・ジュニアに移ったことで、タイトルを奪還することがかなわなかったことも明かしていました。

 シークとともに、ガニアのトレーニングキャンプで指導を受けてプロレスキャリアをスタートさせた“狂乱の貴公子”リック・フレアーは、自身のツイッターで、「私たちが一緒にレスリングを始めたのは1972年。遠い昔のことで、私たちは何年にもわたって何度もすれ違ったが、あなたはいつもとても楽しかった。安らかに眠れ、友よ」などと同期の死をいたみました。

 「ザ・ロック」こと米人気俳優ドウェイン・ジョンソンも、自身のインスタグラムに動画を投稿して追悼。幼少期からシークさんを「シーキーおじさん」と呼んで家族ぐるみの付き合いがあったといい、新人レスラーのころにシークさんから受けたアドバイスを披露しました。「ロッカールームに来たら座って、口を閉じて、何も言わずに見て学ぶんだ。そうすれば、誰がいい人で、誰がジャブローニ(負け犬野郎)なのかがわかるようになる」「アイアン・シーク、思い出をありがとう」と感謝の言葉を捧げました。リング上での姿と違って、いい人だったんですね。♥♥♥

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