渡部昇一先生のエピソード(30)~完全な幸せはない

 『知的生活』の著者ハマトンが死後公表された絶筆の中で、「幸福」に対する考え方を示しています。ハマトンには優秀な子どもがいて、フランスの大学教授の資格まで取ったのですが、自殺してしまいます。大変仲のよかった奥さんの耳が聞こえなくなったりと、いろいろと辛酸をなめています。幸福というのは、このまま続いてくれればいいのにと思っていると、いきなり取り上げられてしまうものだ、と書いています。面白い本を読んで大変幸せな気分に浸り、もっと読みたいなと思っているときに、いきなり取り上げられた感じ、こんな感じが自分の人生の中にはしょっちゅうあった、と言っています。このまま続けばいいのにと思っていると、いきなり取り上げられる。その代わりまた別の面白い本が出てくる。それをまた読み続けていると、途中でまた取り上げられる。その繰り返しだったと言うのです。つまりハマトンは、「幸福に完全というものはないのだ」と言っているわけです。同じことが、人生における勝ち負けについても言えます。

 小学校で優秀だった子どもが中学校でも優秀だとは限りません。中学校で成績が良かったからといって、高校でも良いわけではありません。いい高校を出たからといって、いい大学に入れる保証はありません。ましてや、いい大学を出たからといって、そこから順風満帆の出世コースを歩けるとは限りません。生徒たちは目先の成績に一喜一憂したりしますが、中学校の成績がそのまま高校の成績につながるかというと怪しいところがあるし、高校の勝ち負けが、大学に入るとまた別の勝ち負けになり、社会に入るとこれまた全く別の勝負となります。かつては、大学時代優秀な成績でエリートコースに乗ってしまえば幸福をつかめると多くの人が考え、ものすごい競争率の難関を突破して、その時代の花形産業なり大企業へ入っていきました。ところがそういう会社に限って、何年か経つと斜陽産業になったりするという例は今までたくさん見てきました。逆にそういった花形へ行けなかった人が、突然注目されるなんていうこともよくあります。幸福な結婚生活を送っていても、最愛の伴侶が突然病気や自動車事故で命を落とすということもあります。子どもが小さい頃から実によくできて、将来どんな立派な人間になるだろうと期待していたら、突然グレ始めることだってあるでしょう。どんなことが起こるのか分からないのが人生なのです(東大の英語入試問題では「人生はチェス(chess)ではなくバックギャモン(backgammon)だ」という比喩で、このことを表現していました(2002年度入試)。生徒たちはこの文の理解に四苦八苦です)。つまり、人生には「完全な幸福」とか「完全なる勝利」というものはない、ということなのです。

 ところが日夜受験、受験でもまれ続けた生徒たちは、「人生にも完全な勝利がある」と錯覚してしまいます。学校であれば、試験で一番になるとか二番になるとか、ライバルに勝つことができます。あるいはライバルよりいい大学に合格した、と完全なる勝利を手にしたと勘違いしてしまいます。学校というところは点数で判断しますから、もともと勝った負けたがすぐわかる仕組みになっているのです。でも勝ち負けが割合はっきりしているのは、学校にいる間だけなんです。そんなことを社会へ出てからの勝ち負けとごっちゃにしてしまってはいけません。目先の勝ち負けは、ちょっと年月が経つと何の意味もなさなくなってしまうのです。

 このようなことを分かった上で、学生時代の勝ち負けが人生の全てではない、ということを悟って、勝敗を怖れずに競争をどんどん望んでやるのが大切だ、というのが故・渡部昇一先生の教えでした。勝っても負けてもいいから、鍛えるだけ鍛えてみる、という姿勢が大事だとおっしゃいます。スポーツでも、初めから負けてもいいやと思うんじゃなくて、負けたってどうってことはないけれども、勝てるかどうか試してみよう、という気持ちがあったほうが、人間的に幅が出てきます。学生の時の成績争いは、スタートラインにつく以前の準備体操、ウォーミングアップです。ただしだからといって、ここで手を抜き、逃げるクセをつけると、負け続ける可能性が高くなります。大学までは負けてもいいから、とにかく勝負に臨む。ここでの勝負は常に一定のルールの範囲内でやるのですから、度を超したアンフェアな競争をする必要は全くないんです。

 昔は、いい学校を出ると、その後の人生のコースはもう決まったみたいなところがありました。ところが今は短距離競走ではないから、出身校では決まることはありません。その場その場の勝負が人生全般の勝負というわけにはいかなくなっているんです。それだけ、人生に勝つ生き方というものが難しくなってきているのです。日本電産(現・ニデック)で、2000年頃から採用した新卒社員について、仕事の成果と卒業大学の相関関係を調べてみると、一流大学卒でも三流大学卒でも、10年ほど経つと何も変わらないことが分かった、と会長の永守重信(ながもりしげのぶ)さんは喝破しておられます。むしろ三流大学出身者のほうが、成果を出していることも珍しくなかったと言います。♥♥♥

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