納豆社会

 日本は納豆社会だとよく言われます。お互いに糸を引き合って、なるべく変わったことをするのをやめて、みんなで仲よく一緒にいたいという社会です。糸を引き合っている上に発酵していますから、適度に温かくて居心地がよく、和気あいあいとしているのが大きな特徴です。ところがそこに自分はこういうことがしてみたいと考える異端の一粒が現れます。一生懸命に考えて、自分にとっても、周りの人にとっても良いと判断して飛び出そうとするのです。みんながきっと励ましてくれるに違いないと思って飛び出すのです。ところが、勇気を持って飛び出そうとした納豆に、社会全体が行くなといって糸を引くのです。中でも最も応援してくれるはずと思っている身内(親・親族・親友)の納豆が、実は非常に強力に糸を引いたりするのです。「なぜそんなことをするのか?」「お前は世の中のことを甘く見ている!」と強烈に糸を引っ張られるもので、自立を決意した納豆は驚きのあまり、「お騒がせしました。私は間違っていました」と言ってスゴスゴと帰ってきてしまいます。帰ってきた納豆の運命はそれこそ悲惨なものです。二度と食べられない黒ずんだ固い納豆になって、集団の奥深くに潜り込み厭世生活を送るはめになってしまいます。真の成功者になりたければ、世間が何と言おうが、いくら止めようが、たとえ独りぼっちになろうが、この納豆社会から飛び出る決意をする必要があるのです。

 今思えば、日本の野球界というガチガチの「納豆社会」から飛び出したのが、野茂英雄(のもひでお)投手でした。新たな時代の到来を告げる“歴史の転換点”でした。1995年1月9日、近鉄との契約更改交渉が最終的に決裂した野茂英雄投手は、自らの夢でもあった「メジャー挑戦」を正式表明しました。「プロに入ったときから、大リーグでやってみたい夢を持っていました。FA権が取れるかどうかも分からないし、取れたとしても30歳を超えてしまう。自分の中で今、挑戦したい、そういう気持ちになりました。最初は複数年契約、代理人交渉を認めてもらおうという気持ちでしたが、時間を考えて、大リーグに行こう、挑戦しようと。球団からは『残ってほしい』とは言われましたが『意志が固いのなら』と、送り出してくれるということです」表面上は円満退団を強調し、近鉄への感謝も述べた野茂投手でしたが、互いの主張が真っ向から対立した交渉の内容は、実にシビアなものでした。FA権の取得まで、当時の野茂投手には一軍登録9年、通算1,305日が必要でした。右肩痛でシーズン後半を棒に振った1994年が、プロ5年目26歳でしたから、FA権取得まで残り4年半、つまり5シーズンが最低でも必要となり、その時には31歳。故障による戦線離脱の期間が長引きでもすれば、さらにずれ込むことが容易に予測もできました。だから野茂投手は、リスクヘッジの身分保障として「複数年契約」を要求しました。複数年契約と代理人による交渉を持ちかけて球団と真正面から対立しました。故障で投げられないままシーズンを終えた投手の主張を、マスコミも“わがまま”と批判的に報じて、すっかり悪役に祭り上げられてしまったのです。球団側はあくまで「野球協約にはない制度」と拒否。着地点が全く見えない、平行線の続いた都合4度の交渉の中で、野茂は球団側から出された「任意引退同意書」にサインしたのです。それは交渉決裂、退団という最悪の流れになっても、野茂の意志だけでは日本の他球団には行けないという“縛り”を球団側がかける意味合いがありました。任意引退の場合、国内では近鉄の容認がなければ他球団への移籍はできない。しかし、米国に渡れば「unconditional release」の扱い、つまりはフリーエージェントの立場で、米国全球団を対象とした直接交渉、移籍に関しても完全に自由になります。

 今では、日本人選手の才能と影響を抜きにしたMLBを想像し難いものがあります。ダルビッシュ有、前田健太、田中将大、大谷翔平、今永昇太ら60人以上の日本人選手が後に続けたのは、野茂英雄投手の挑戦があったからです。当時メジャーははるかにレベルが高いと考えられていて、日本での成功を捨ててメジャーに挑戦する選手はそれまで現れませんでした。野茂投手がロサンゼルス・ドジャースと契約した時も、ほとんどの評論家は「通用するはずがない」「態度が悪い」「既に肩は壊れている」「メジャーで通用するわけがない」「すぐに逃げて帰ってくる」「勘違いで自意識過剰」「生意気」などと散々に批判され、冷ややかな目で見ていました。野茂投手の年俸はメジャー最低保証の10万ドル(当時のレートで約980万円)で、近鉄時代の推定1億4,000万円から大幅な減額になっての孤独な挑戦でした。

 ところが予想に反し、メジャー初年度の野茂投手は、最多奪三振のタイトルを獲得するなど大活躍し、新人王に選ばれます。「トルネード投法」で奪三振を取りまくる野茂投手に、アメリカの野球ファンも熱狂し、「NOMOマニア」という言葉まで生まれました。その後も活躍を続けて、ドジャースとレッドソックスでノーヒット・ノーラン(英語ではno-hitter)を達成。メジャー史上で4人しか達成していない両リーグでのノーヒット・ノーラン達成者となったのです。そんな野茂投手の独占手記が、新装版で復刊されました。『ドジャーブルーの風』(集英社文庫、2024年、写真下)です。ドジャース移籍初年度の振り返りと、2年目のシーズンを前にした抱負、当時の日本プロ野球界への提言などが熱く語られています。さらに文庫版特典として、伝説のノーヒット・ノーランを含む2年目シーズンの1996年全登板成績も収録されています。今こそ「納豆社会」を勇気を持って飛び出した彼の言葉を読み返すべし、です。♥♥♥

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