神社参道論

 今はJR九州の相談役を務めておられる唐池恒二(からいけこうじ)さんが昔から提唱しておられる持論が「神社参道論」です。「神社の参道は長ければ長いほどありがたみが増し、参拝時の感動が大きくなる」というものです。ある程度の歩く距離というのは気分の高揚につながるというものです。私の経験でも、伊勢神宮出雲大社に参拝したことを思い起こすと、このことは当てはまることですね。長い参道を歩いて参拝する度に気持ちが高揚し、ありがたみを強く感じることです。

 もう一つ、私の大好きな学問・文化芸術の神様として崇敬を集める太宰府天満宮(現在御本殿を大改修中)の例を挙げてみましょう(私は北高で三年生の担任をしていた時には、ここでご祈祷をしてもらって「お札」を各教室に掲げ、3月に好結果が出るとお礼参りに行っていたものです)。西鉄・太宰府駅を降り立って右に曲がると、参道が400メートルも長く続き、沿道の風景を楽しみながら歩くことができます。お土産物屋さんや甘味処(「梅ヶ枝餅」が大好き!参道・境内周辺に約30軒)など80軒を超える店が軒を連ねており、ショッピングや食べ歩きという御利益にも恵まれます。ようやく天満宮の「大鳥居」をくぐるとまず迎えてくれるのが、御神牛「撫で牛」です。体に悪いところがある人が、牛の同じ部分を撫でるとよくなると言われています。そこから「心字池」に架かる朱色の「太鼓橋」を渡って、立派な「楼門」をくぐると「本殿」に到着します。この時点で気持ちが相当昂ぶっています。手を合わせた時には、絶頂に達するのです(写真下参照)。 「参道の長さが感動の大きさに比例する」のですね。名付けて「神社参道論」。 

▲400m続く参道

 そして、洋の東西を問わず、御殿のような邸宅のアプローチにも共通するものがあります。アプローチとは、道路あるいは門から家の玄関までの通路のことをいいます。建築関係の書籍には、「アプローチの長さが住んでいる人の個性とセンスを引き出す」「アプローチを長くとることによって訪れる大を楽しませるような感動的な演出ができる」「アプローチが長いと、お出かけするとき、わくわく感が増す」などアプローチの長さを重視する言葉が目につきます。神社と同じく豪邸にも長い参道、いやアプローチが求められているのです。豪邸は、門から建物の入り口までのアプローチが長ければ長いほどステータスを感じますものね。

 その昔、16両編成の東海道新幹線にも食堂車が10号車にありました。1号車や2号車から歩いて行っても全然苦にならなかったものです。かえって、今から食事にありつけるという嬉しさやワクワク感で、それはそれは楽しい道のりでした。あの豪華寝台列車「ななつ星」にもこの持論が導入されています。食事用のダイニングカー(1・2号車)と最上級の客室(DXスイート、7号車)を両端の車両にそれぞれ配置。「最上級のお客さまが最も長い距離を歩くけれど、主役は最後に優雅に登場するものだ」との狙いと言います。「歩く楽しさ」を設定しているのですね。

 「神社参道論」は、お店にも当てはまります。老舗の料亭の店構えを注意深く観察すると、たいてい、門と建物の玄関の間によく手入れをされた前栽に囲まれた通路が設けられています(例えば、松江一番の料亭「みな美」がそうです)。料亭の主たちも、通路、つまりアプローチの大切さを心得ているのです。東京のホテルでは、「ホテルニューオータニ」のアプローチが秀逸です。都心のど真ん中に、あれほどゆったりとしたアプローチを備えたホテルはそうはありません。お宿では、私の大好きな由布院温泉「王の湯」を一番に思い出します。入り口でお宿の人に出迎えられて、雑木林に囲まれた小径をたどると、こぢんまりとしたフロントに着きます。この小径は「王の湯」を定宿とした『考えるヒント』の著者・小林秀雄さんのアイデアを基に造られ、「小林秀雄の径」とも呼ばれています(⇒詳しくはコチラをお読み下さい)。 

 このことは室町時代に能を大成させた世阿弥(ぜあみ)の言う 「序・破・急」にもつながります。テンポがゆっくりの導入部、破け変化に富んだ展開部、急は一気にテンポを速めてクライマックスを迎える終章、をそれぞれ表します。もともとは日本の伝統芸能である雅楽の楽曲の3部構成に由来します。この様式を能楽に導入し完成させたのが世阿弥です。能の構成、足の運び方、楽曲の組み立てまで、この理念が支配しています。世阿弥が著した能楽の秘伝書『風姿花伝』の中でこう語られています。「一切の事に序破急あれば申楽(さるがく)もこれ同じ」 申楽とは能楽のこと。世の中の一切のことに「序・破・急」のリズムが存在し、能楽においても同じだという意味です。♥♥♥

▲唐池恒二さんの新著『ななつ星への道』

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す