渡部昇一先生のエピソード(36)~『歴史通は人間通』

 尊敬する渡部昇一先生(上智大学名誉教授)がお亡くなりになってもう7年以上が過ぎました。このたび渡部先生の著書『歴史通は人間通』(育鵬社、2014年)扶桑社文庫より文庫化されて出版されました(2025年2月)。「現代の賢人」として知られる著者の顔写真とともに、「人生の大局観を養い、機微を知る。」「スピーチにも役立つ心に響く名文集!」とあります。時代を超えて読み継がれる700冊優の膨大な著書の中から精選された著者初の名言集です。本書には、◎歴史の見方 ◎リーダーの条件 ◎日本人とは何か ◎世界の中の道義国家 ◎どう生きるか ◎知的生活のすすめ ◎仕事術・読書術 ◎充実した老後 のほか、著者の全著作の中から「歴史と人生」をテーマに、選りすぐりの断章が収録されています。これは、著者の愛読者にとって嬉しい一冊で、日々の仕事や人生の支えに役立つ貴重な言葉をたくさん見つけることができるでしょう。

 「まえがき」で、著者は次のように述べておられます。

「いろいろ書いたものの中から、大越昌宏氏が拾い出して編集して下さったのが本書である。読者として、またすぐれた編集者としての大越さんの目にとまった章節ばかりであるので、これを読まれる方にも何程かの愉悦と人生のヒントを与えてくれるのではないかと期待している次第である」ここに名前が出てくる大越昌宏氏は、PHP研究所~致知出版社~育鵬社と会社を移られながら、一貫して名著を世に送り出してこられた名編集者です。

 本書は非常に良く編まれた『渡部昇一名文集』です。若い時から晩年までの先生の発言のエッセンスが網羅されており、仕事と人間の全体像が浮かび上がってきます。私の心に強く残った言葉を記録してみたいと思います。冒頭の1「歴史の見方」では、言語学者オーウェン・バーフィールドの書いたエッセイにある「歴史というものは虹のようなものである。それは近くに寄って、くわしく見れば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉にすぎない」という言葉が紹介されています。著者は、この美しい言葉について、「見る側の人間がいなければ、虹と同様で『歴史』は存在しない。いわゆる客観的なものは個々の『史実』だけであり、それはあくまでも虹における水滴のごときものなのである」と述べています。

また著者は、「歴史を語る2つの態度」ということを次のように述べています。

 「私は、自分の国の歴史を語ることは、結局、自分の先祖を語ることだと考えている。要するに、自分の親や祖父について語るようなものだと思う。また、その際、どうしても語る時点の自分の感情がからまってくる。そしてその場合、2つの態度があると思う。1つは、親を憎み、それを告発するような態度をとることである。日本史の暗黒面をあばきだし、きびしい批判をあびせ、しかも、それが激しければ激しいほど真実に近く、正義であるとする立場である。もう1つは、まず親に対する愛情から出発する態度である。親の弱点や短所を承知しながらも、それを許容し、むしろ親の長所やユニークな点に重点を置いて語る立場である」

この2つの態度を紹介した上で、著者は自身の立場(=二番目)を明らかにします。

「私は、まず自分の先祖を愛する立場、先祖に誇りを持つ立場から日本史を見てみたい。愛と誇りのないところに、どうして自分の主体性を洞察できるだろうか。非行少年の多くは、自分の親に対する愛と誇りを失うことによって、基本的な主体性を失い、非行グループという偽の主体性を得た若者たちであるといわれている。それと同じように、国民が自分の国の歴史に対する愛と誇りを失えば、日本人としての主体性(アイデンティティ)を失い、日本よりさらに野蛮な国に、自分の主体性を委ねたりすることになるのではないだろうか」

 歴史を鏡に、己の人生の大局観を養うにもうってつけの章です。3「歴史人物に学ぶ生き方」では、「伝記を読もう」として、次のように述べます。

 「伝記を読んで感奮すると、その偉人に一歩近づくことになる。さまざまな伝記を読んでいると、その中に必ず自分に合っていると思うものが出てくる。同じ感動の仕方でも、これは他のものとちょっと違うという伝記が現われるのだ。そしてこれが、だんだん自分の人生の理想、生きる目標となっていくのである」また、「子供には偉人伝を読ませよう」として、次のように述べています。

 「道徳、あるいは徳目の起源については諸説があるでしょうが、先人や他人の行為を見て『美しい』と感じることができる時に、その行為につけた名前が徳目ではないでしょうか。『忠』とか『孝』とか『悌』とか『信』とか、徳目が名づけられる前には、その基となる何かしらの人を感心させた行為があったに違いありません。そのような、よい徳目が発揮された話は、読んだり聞いたりした人を感激させ、共感させ、心のどこかにその影響を残すのです」

 明治維新以降にも、偉大な日本人はいました。松下幸之助さんもその1人です(⇒松下幸之助観はコチラをご覧ください)。彼は「経営の神様」と呼ばれながら、PHP運動」を推進しました。「PHP」とは「Peace and Happiness through Prosperity」です。著者は「スルー・プロスぺリティ」と付け加えた松下さんの慧眼を最大限に評価しており、「フィロソファー松下幸之助」で次のように述べます。

 「ピース(平和)とハピネス(幸福)はみんな説いています。釈迦でもピース・アンド・ハピネスです。麻薬でもピース・アンド・ハピネスは得られる。しかし、それではダメであり、繁栄(プロスペリティ)によって得るピース・アンド・ハピネスでなければならないと松下幸之助は考えた。お父さんが働いて月給を家に持ってくる。それをもって家が治まりハピネスになる。こういうような感じでしょうか。これは世界に類を見ない。『繁栄のための努力によって』というのは、通俗といえば通俗だけれども、強力な哲学であると思います」

 16「人生を充実させるための仕事術」では、「溶鉱炉のごとく」として、次のように述べています。

 「溶鉱炉は一度火を消してしまうと、再び鉄が溶けるようになるまでに、たいへんな時間を必要とする。そこでどんな場合でも火を消さないようにするというのである。そしてひとたび火をつけたなら、火を落とすことなくどんどん温度を高めていかなければならない。知的作業もそれと同じで、頭のエンジンも中断されることなく回転していけば、温度が次第に上昇してきた溶鉱炉のごとく、頭はますます冴えてくるものだ。かくて、その仕事に取りかかった時には、予想もしなかった展開や思いがけないひらめきが次から次へと生まれてくるのである」

 そして、17「読書で耕す人生」では、「読書の醍醐味」についてもこう語ります。

 「人間は時間と空間に限定されて生きている。平均に生きても80年に足らず、せいぜい旅行してもそれほど多くを見るわけにいかない。また一生の間に会う人の数、特にすぐれた人に会う数は知れたものである。ところがひとたび狭い書斎にひきこもり、書物を取り出せば、たちまち時間の制約も空間の制約も取り払われてしまう。そしてどんな時代の、どの国の偉大な思想家の考えにも触れうるのである。読書というものの不思議さは正にここにあると思う。深夜の物音1つしない書斎でこの人たちの書いたものを開けば、その人たちは眼前に立ち現われて私に語りかけてくるかの如くである」

 まさに「人生の大局観を養い、機微を知る」という帯のキャッチコピーそのままです。いつ読んでも、どこから読んでも、「なるほど!」と納得させられてしまう珠玉の言葉が並んでいます。自分に恍惚を感じさせてくれるものは何で、それはどこにあるのか?人生の後半において最も大切なのはそれを発見することであり、足元と行く先を照らしてくれる灯火となる一冊です。それぞれの文章の最後には出典が明記されていますから、気になった言葉はオリジナルの本に当たればよいでしょう。改めて自分でも驚いたのは、私は著者の本をほとんど読んでいたこと。本書に登場する本で、未読のものはなかったと思います。いかに、私の魂が著者から薫陶を受けていたかがよく分かりました。なお「あとがき」には、渡部先生の長女の早藤眞子さんの渡部家での言語教育についての興味深いエッセイが収録されています。♥♥♥

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