建築家・安藤忠雄

 私は建築家・安藤忠雄(あんどうただお)さんの建築物が大好きで、全国の安藤建築を巡っています。最近では瀬戸内海に浮かぶアートな「直島」(なおしま)で、数々の安藤建築(地中美術館・ベネッセハウス等)をこれでもかというぐらい堪能してきました。安藤さんが建築に興味を持ったのは、中学2年生の時でした。住んでいた木造平屋建ての自宅を2階建てに改築することになり、やってきた大工さんが昼食もとらずに夢中で働いておられる姿を見て、面白そうだな~と思いました。京都奈良の古寺を見て回り、睡眠時間を4時間に絞って読書に励みました。学歴のない安藤忠雄さんは、なぜこうも世界的に知られる著名な建築家になれたのでしょうか?それはきっと彼は建築の「本質」を徹底的に学んだからではないでしょうか。高校を出たあと、安藤さんはアルバイトをしながら一年間、建築学の教科書を徹底して勉強しました。独学です。大阪大学京都大学の建築学科の学生が4年間かけて学ぶ教科書・専門書を全て買ってきて、一年間で全て読破したといいます。朝から夜遅くまで家にこもりっきりで勉強していたので、近所の人たちからは「忠雄ちゃんはおかしくなってしまった」と言われるほどだったそうです。自分なりの「命がけ」で独学をやり通せたのは、かつて見た大工さんの姿が心に焼き付いていたからでした。それくらい集中して、一年間で建築学の「本質」を勉強しました。その基礎・基本があるからこそ、一流の建築家になれたのではないでしょうか。

 本質を知る人と、知らない人。その差はあとあとになって明確になっていきます。たとえ本質を勉強していない人でも、器用な人は、表面的に事象をとらえて、上手に仕事をこなすことができるでしょう。でもそれでは一流にはなれません。本質を勉強した人と、していない人の差は、初めはあまり現れません。特に若い時は、単純な仕事が多いので、本質を知らなくても、仕事は何とかこなせるのです。表面的に仕事を右から左に流しているだけの時は、大きな差は出ないことでしょう。しかし、ある程度の年齢になって、いろいろなことを総合的に判断しなければならない立場になった時、本質を知っているのと知らないのとでは大きな差が現れます。世の中は複雑で、年齢を重ね地位が上がるにしたがって仕事の複雑さは増していくからです。複雑なことを正しく判断するには本質を知らなければならないのです。

 安藤さんは、「東京大学特別栄誉教授」という肩書で活躍をしておられた時期があります。ご存じの方もいらっしやるかもしれませんが、安藤さんは経済的な事情から大学を出ておられません。高校を卒業したあと独学で建築学を勉強し、実績を築いた人です。その方に「東大特別栄誉教授」という役職を与えた、東大の懐の深さには驚いたものです。そもそも大学の教授は、自校の出身者を選ぶのが普通でしょう。そこいらの大学では自校の出身者の教授の地位を確保するために、わざと優秀な教員を採用しなかったり、追い出したりという噂も聞きます。それでも東大はあえて安藤さんを選びました。安藤さんは、東京大学の入学式において祝辞を述べて欲しいと頼まれた時、自由に喋らせてくれるならという条件の下、引き受けました。入学式の会場になった日本武道館での話です。3,000人の新入生に対して2階の保護者席にはその倍の6,000人が参列していました。そこで彼は次のように言いました。2階席に座っている皆さんは本日は会場から出て行ってください。今日は非常に大切な日です。親が子供を断ち切り、子供が親を断ち切って自立した個人というものを作るスタートの日なのです。そんな重要な日に親がそばにいては邪魔になります。2階席はさぞやざわめいたことでしょうね。これは彼にしかできない発言だったかもしれません。安藤忠雄さんの生きざまを、まさに言葉にしたものだからです。彼は大阪の府立工業高校しか出ていません。高校在学中にプロボクサーのライセンスを取得し、フェザー級でデビューしたのも有名な話です。中学生の頃から建築には興味を持っていました。経済上の理由で大学には通えなかったため、建築の専門教育は一切受けていません。全て独学です。建築科の学生が通常4年かけて学ぶ内容を1年で習得し、建築士試験に合格したという伝説の持ち主です。ここら辺を知ると、なぜ入学式に参列した親たちに向かって、退場を願ったのかが理解できることでしょう。

 自立した人間を育てるために、親が子供を甘やかしてはいけないということはよく言われます。しかし、現代において全てを与えられている恵まれた子供たちは、「夢」を持てないでいるのです。考えてみれば気の毒なことなのかもしれません。格差社会です。幼い頃からさまざまな塾へ通い、恵まれた環境にいなければ、高偏差値の大学へ入学することは難しいのが現実です。ある程度、どういう暮らしをしてきたのかで、その後の人生が決まってしまうのです。安藤忠雄さんが生き抜いてきたような社会は現在、目の前にはありません。大学は人生で最後の教育機関です。社会へ出るため、どのように自ら責任ある行動をとれるようになるのか。それを訓練するための場です。入学式について行きたい気持ちを抑え、自立への第1歩を踏み出す意志を見せなくてはならないのではないでしょうか?

 安藤さんは2009年8月に、胆管胆嚢十二指腸の交点にガンが見つかり、三つとも取り除いておられます。2014年6月には膵臓にガンがあることが分かり、膵臓脾臓を取ることにしました。医者から「膵臓の全摘をして生きている人はいるけれど、元気になった人はいない」と言われ驚きました。「五つも臓器を取って元気なのは縁起がいい」と、設計の仕事を依頼されたこともあるとか。今の仕事の比率は、設計3、後進の指導3、ボランティア3といった感じで取り組んでおられるそうです。これからも人の心の中に残るような建築を造りたいと願って闘っておられます。「人々の記憶に残り、あってよかったと思ってもらえるものを造りたい」。ものはいずれ消えてなくなりますが、住んだり、見たり、使ったりした人の心や記憶の中で、どれだけ再現されるのか。それを大事にした建築物を設計したいという挑戦心なのでしょう。年齢を重ね、体だけでなく、好奇心のメンテナンスも心がけておられる安藤さんです。「人生100年、熟さない青いりんごのように青春を生きる」が人生哲学だとか。次々と新しい建築物を引き受けて快進撃しておられる印象がありますが、コンペでの勝率は「1勝9敗」とご自身がおっしゃっておられました。

 NHKのEテレで、2017年3月26日(日) 午前5時~(60分)に放送した「こころの時代~宗教・人生~「“しゃあない”を生きぬく」」が再放送されていたのを興味深く見ました。世界的な建築家の安藤忠雄(あんどうただお)さんを取り上げた番組で、がんで5つの臓器を全摘した今も仕事を続けておられます。幾多の困難を「しゃあない」と受け入れ、その状況に応じて工夫する生き方を聞きます。安藤さんは、7年前からがんと向き合い「しゃあない」と受け止めながら、活動を続けておられます。安藤さんは大阪の長屋で育ち、独学で建築家になりました。恵まれない環境や幾多の困難を「しゃあない」と受け入れ、その体験を発想源として建築に生かしてきました。「立ちはだかる壁にこそ無限の可能性がある」と語ります。今、病や死という大きな苦難を受け止めながら、前に進む心のあり方を伺う内容の濃い番組でした。

 建築家の枠にとどまることなく、幅広い社会活動にも専心しておられます。2019年に大阪市に寄贈した図書館「こども本の森 中之島」を発端とした「こども本の森プロジェクト」の国内外への広がりを見渡すことができます。香川県では、離島の子どもたちのために安藤さんが県に寄贈した「こども図書館船ほんの森号」の運航も4月24日から始まりました。船内には、地域住民から寄贈された海に関する絵本や図鑑など約2,000冊が収蔵されています。

 安藤さんは、人生を通して建築に打ち込んでこられましたが、青春とは年齢ではない、と感じておられます。建物が手入れをすれば良いコンディションを保てるように、人間も心の持ち方をメンテナンスすることで、いつまでも青春を生きることができるのだ、と言われます。♥♥♥

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