「もらい泣き」でデビューし、「ハナミズキ」で国民的シンガーとなった一青 窈(ひととよう)さんの歌が大好きでずっと追いかけていましたが、三児の母となりテレビに出ることもめっきり少なくなったこともあり、しばらくご無沙汰していました。先日久しぶりにBS-TBSの歌番組「Space Sound S」の彼女のライブを見て、懐かしく心を揺さぶられました。そんな時に『理念と経営』10月号(コスモ教育出版)を読んでいたら、一青さんのインタビューが掲載されていました。その中で、一青さんが18歳の頃から取り組んでおられる「慈善活動」のことを初めて知ったのです。「一般社団法人gigi」(じじ)。小学校から続けたバスケット部でのニックネームに由来する「gigiプロジェクト」です。子供の病気、貧困、障害、シングルマザー等の諸問題を音楽を提供することにより緩和、解決へと促し困難を抱える子供と大人がより生きやすい環境を整えることを目的とした団体です。
歌(ライブ)には人を元気にする力があると信じています。それは一青さんが16歳の時に自身が身をもって経験をしたことが始まりです。
十六歳の時、母が胃がんになった
余命宣告を受けた母は、生きる希望を失い
訪れる死をただただ待つのみ
当時の私は、自分にできることがわからず
そんな母を見守るだけの毎日で
生きることがこんなにも辛いなら、
いっそのこと死なせてあげたい。
言葉にすると不謹慎
だけど、そう思わずにはいられないほど辛そうだった
続いたある日
母は友人に連れられて、ミュージカルに出かけた
そして戻ってきた母の姿に驚いた
母の目はもうほとんど見えてなかったはずなのに
音楽を全身に浴びたことで目はキラキラと輝き
生命力に溢れていた〝生(ライブ)〟の音が
どんな抗がん剤治療よりも母を元気にさせたのだ
その時ライブの持つ力を実感した
そして、自分ができることに気づいた
この日を境に、全国の病院で歌を届けることを始めた
一人でも多くの人の〝希望〟につながるように
この法人の発起人の一青 窈さんの言葉です。
中学生の頃から夢みていた事がこうして形になって支えてくれる仲間と出会えました。尚、「歌を聴きたい」と言ってくれる方が目の前にいる。それが続けられることに心から感謝します。うつむいて、膝を抱えた瞬間にも音楽はいつもあります。そこで得たものを、明日へ踏み出す一歩にしてくれたらこんなに嬉しいことはありません。歌が必要なあなたへgigiがお届けに参ります。遠慮なくお声がけくださいませ。せいいっぱいの気持ちでお応えしてゆきます!!
誰かの希望になれるなら、どんな場所にでも行って、生歌を届けたい!「もらい泣き」や「ハナミズキ」で知られる歌手の一青窈さんが、デビュー前からずっと続けてきたことです。それは、音楽を聴くことが困難な状況にある人たちに、無償で歌を披露するチャリティライブ活動です。デビュー20周年を機に「gigi project(じじプロジェクト)」を発足し、今まさに活動を本格化させています。あえて公にはせず、30年間も地道に取り組み続けてきた社会貢献活動の軌跡、そしてその先に一青さんが見据えているものとは一体何でしょうか?

障がいがある人たちのために、自分に何かできないか。一青さんがそう思い始めたのは10代の頃でした。中学時代の親友が、突然の事故で下半身不随になったことがきっかけでした。頸椎損傷で車いす生活になった友人と街中へ出かけるようになると、一人で歩いている時には絶対に気付かなかったさまざまなバリアに直面します。車いすで普通に日常生活を送るだけでも、決めなければならないことや制約がたくさんあることを知りました。「車いすで電車移動するためには、駅員さんによるスロープの介助が必要です。どこの駅で何時何分に乗り降りするか、何車両目に乗るかを毎回伝えないといけません。外食するときの店選びの基準は、味よりも店内の構造。間口が狭い、もしくは階段を使わないといけないような店は、入りたくても入れません。服を買うにしても、座ったままで着脱が楽にできるものでないと着られない。そうするとデザイン性で選べないことがほとんどで、おしゃれを楽しむことも難しい。車いすの友人をそばで見ていて、障がいがあるとこんなにも生きづらい世の中なのかと思い知らされました」

大学1年生のときに飛び込んだのが、雑誌の世界でした。車いすユーザー向けの情報誌『チェアウォーカー WaWaWa』に1999年の創刊から携わり(2013年より休刊)、アートディレクターとして表紙のデザインを手がけたり、コラムや詩を書いたり、積極的に誌面作りに取り組みました。その傍ら、車いすユーザーの編集スタッフたちとバンドを結成。全国各地の社会福祉施設や老人ホーム、病院などに出向いてライブ演奏をするボランティア活動をスタートさせたのは、ちょうどこの時期でした。
一青さんの転機となったのは、聴覚障がいのある人たちの前でライブ演奏をした時でした。たまたま会場に来ていた芸能プロダクションの社長が一青さんのライブに感銘を受け、その社長の紹介で音楽プロデューサーの武部聡志さんと出会います。そこからデモテープの制作が始まり、後にデビュー曲にして大ヒット作となる「もらい泣き」が誕生したのです。2002年に歌手デビューをして、多忙なスケジュールの合間を縫って、チャリティライブ活動はずっと続けてきました。



