恐ろしや、AI時代

 受験生に英作文の指導をしていて、普通名詞を裸で使うミスを犯す生徒が多いので、私は「名詞にはパンツをはかせてやってちょうだい」と言います。「パンツ」には3種類あって、「a(n)」「the」「~s」の3つです。「ノーパンは絶対にダメ!」と〔笑〕。そうしたら女生徒がやってきて、aはなぜ次に来る語が母音で始まる時にはanになるのですか?という疑問があると言います。なぜだと思う?と聞き返します。ヒントは、「a⇒an」それとも「an⇒a」?だよ、と付け加えておきました。すると彼女は「ChatGPTに聞けば何でも解決する」と言います。じゃあやってみてごらん、と言ってその場を収めました。「もしそうなら来週から僕が来る必要はなくなるね」と付け加えて〔笑〕。次の週にやって来て、ChatGPTの検索結果を報告してくれました。やはりまだまだですね。以前、松江北高でこの問題を「英語のなぜ?」という「学問探究講座」で扱った時の私の解説記事(one→an→a)を渡して解決しました。

 私が若い頃と違って、インターネットが普及して何でも調べることができるようになりました。先日、プロ野球の「ドラフト会議」で、有力投手が複数球団の指名となり抽選になった時、ロッテのサブロー新監督は前日にChatGPTに相談したところ、「上のくじを取るように」とのアドバイスをされそれを実行したところ当たりくじを引いた、という新聞記事を読みました〔笑〕。英作文も簡単にインターネットの翻訳ソフトを使えば、簡単に解答ができる時代になりました。先週もテキストの『システム英作文』(桐原書店)で今やっている12課「否定」の問題の一つで、「台所は、アメリカの歴史のなかでは必ずしも自慢すべきところではなかった」(大分大学)という問題を取り上げて、これは一体どういうことなんだろう?と疑問を呈しました。生徒たちは「女性差別」「奴隷」といったキーワードを挙げて考えているようでした。私もかつてはそうでした。「実は自分もこれが一体どういうことか分からずに、原典にあたってみようと苦労して赤本を学部別に10年分以上調べたんだけれど、結局出て来ずに分からなかった。あきらめかけようとした時に偶然この文章を見つけて解決した。みんなはChatGPTなどのAIを使えば何でも分かると言うから、どんな解答が返ってくるか自分で調べてごらん。僕はこの件の苦労話を「チーム八ちゃん」のブログに数年前󠄂に書いたけれど、このブログの過去の記事を一つ一つ遡るような暇人はいないだろうから。」と宿題にしておいたんです。すると次の時間には、みんな私の該当のブログ記事を読んで解決していました。ちなみにChatGPTでは不十分な解答でした。「どうやって?」と聞くと、「台所」「チーム八ちゃん」などのキーワードをスマホに入力したら、該当記事が出てくるんだそうです。私があれだけ苦労して調べた事柄がこんなに簡単に調べることができる時代になっているんですね(⇒「台所」に関する私の該当記事はコチラです)。恐ろしや、インターネット&AI時代

 最近では、生徒はChatGPTを利用して大学入試の「志望理由書」を作成する、という話を聞きました。ユーザーからの質問や指示に対して、自動で回答や文章を生成するAI(artificial intelligence)サービスを利用するのです。与えられた情報に基づいて一貫性のある文章を生成することができるんだそうです。この機能を使って、個人の経験やスキルを反映させた志望動機の作成に有効活用することができます。生成した文章をそのまま写すとバレバレですから、丸写しではなく自分自身の言葉で置き換えて、それをベースにして自分の言葉で再構築すれば立派な文章が出来上がります。恐ろしい時代ですね。

 インターネットに関していえば、これが出現してから、「論文の書き方」も変わってきました。論文の下書き原稿さえも作ることのできる時代です。また、英文科の論文に参考文献をいくら付けても意味がなくなってきました。以前は、論文末尾にある参考文献を見ただけで、この人は本をよく知っていてよく調べているな、勉強しているな、とある程度は判断することができたものです。しかし最近では、どんなに文献が列挙してあっても、それがそのまま、その研究者が本をよく知っていて、実際に手に取って読んでいるという保証にはならないのです。そのような情報は、インターネットでいくらでも引き出すことができる時代だからです。また、インターネットが出現したことで、ますますはっきりしたこともあります。つまり参考文献の列挙が無意味化したことによって、結局、その論文で言いたいことは何なのか、何を証明したいのかという論理の骨格に、より焦点が当てられるようになったと言えるでしょう。ですから、かえって純粋なものが見えるようになった、という印象を受けます。このことは、喩えてみれば写真と絵画の関係とよく似ています。写真機が発明される以前は、絵画にとって「対象を正確に写す」ことが使命の中心でした。ところが、写真機ができると、「正確に写す」ことは必ずしも絵画の一番重要な仕事ではなくなってきました。写真が出現した以後の絵画の世界は印象派へと向かいます。画家がどういう印象を頭の中にとどめたか、それを見せることが絵画の存在理由になっていったのです。鳥の羽根一本にいたるまで正確に描くというのは、写真機の仕事になりました。ですから、写真の出現によって近代絵画、特に印象派が始まったのと同様に、ある意味では、インターネットによって本当の人文系らしい論文の時代に入るのではないか、というのが尊敬する故・渡部昇一先生のお考えでした。短くきっちりとした主張と論拠が求められ、以前のように参考文献をいくら積み上げても、それには意味がなくなったのですから。

 いくらインターネット万能時代と言えども、誤った情報があふれているというのも事実ですから、注意が必要です。かつて、故・渡部昇一先生ウィキペディアの記述は誤りだらけであったことを、ご本人の先生自身が書いておられました。ここ数年「共通テスト」の問題に、「事実」「意見」を識別する設問が出題されるようになった背景は、ここら辺にあると八幡は見ています。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す