恐ろしや、AI時代

 受験生に英作文の指導をしていて、普通名詞を裸で使うミスを犯す生徒が多いので、私は「名詞にはパンツをはかせてやってちょうだい」と言います。「パンツ」には3種類あって、「a(n)」「the」「~s」の3つです。「ノーパンは絶対にダメ!」と〔笑〕。そうしたら女生徒がやってきて、aはなぜ次に来る語が母音で始まる時にはanになるのですか?という疑問があると言います。なぜだと思う?と聞き返します。ヒントは、「a⇒an」それとも「an⇒a」?だよ、と付け加えておきました。すると彼女は「ChatGPTに聞けば何でも解決する」と言います。じゃあやってみてごらん、と言ってその場を収めました。「もしそうなら来週から僕が来る必要はなくなるね」と付け加えて〔笑〕。次の週にやって来て、ChatGPTの検索結果を報告してくれました。やはりまだまだですね。以前、松江北高でこの問題を「英語のなぜ?」という「学問探究講座」で扱った時の私の解説記事(one→an→a)を渡して解決しました。

 私が若い頃と違って、インターネットが普及して何でも調べることができるようになりました。先日、プロ野球の「ドラフト会議」で、有力投手が複数球団の指名となり抽選になった時、ロッテのサブロー新監督は前日にChatGPTに相談したところ、「上のくじを取るように」とのアドバイスをされそれを実行したところ当たりくじを引いた、という新聞記事を読みました〔笑〕。英作文も簡単にインターネットの翻訳ソフトを使えば、簡単に解答ができる時代になりました。先週もテキストの『システム英作文』(桐原書店)で今やっている12課「否定」の問題の一つで、「台所は、アメリカの歴史のなかでは必ずしも自慢すべきところではなかった」(大分大学)という問題を取り上げて、これは一体どういうことなんだろう?と疑問を呈しました。生徒たちは「女性差別」「奴隷」といったキーワードを挙げて考えているようでした。私もかつてはそうでした。「実は自分もこれが一体どういうことか分からずに、原典にあたってみようと苦労して赤本を学部別に10年分以上調べたんだけれど、結局出て来ずに分からなかった。あきらめかけようとした時に偶然この文章を見つけて解決した。みんなはChatGPTなどのAIを使えば何でも分かると言うから、どんな解答が返ってくるか自分で調べてごらん。僕はこの件の苦労話を「チーム八ちゃん」のブログに数年前󠄂に書いたけれど、このブログの過去の記事を一つ一つ遡るような暇人はいないだろうから。」と宿題にしておいたんです。すると次の時間には、みんな私の該当のブログ記事を読んで解決していました。ちなみにChatGPTでは不十分な解答でした。「どうやって?」と聞くと、「台所」「チーム八ちゃん」などのキーワードをスマホに入力したら、該当記事が出てくるんだそうです。私があれだけ苦労して調べた事柄がこんなに簡単に調べることができる時代になっているんですね(⇒「台所」に関する私の該当記事はコチラです)。恐ろしや、インターネット&AI時代

 最近では、生徒はChatGPTを利用して大学入試の「志望理由書」を作成する、という話を聞きました。ユーザーからの質問や指示に対して、自動で回答や文章を生成するAI(artificial intelligence)サービスを利用するのです。与えられた情報に基づいて一貫性のある文章を生成することができるんだそうです。この機能を使って、個人の経験やスキルを反映させた志望動機の作成に有効活用することができます。生成した文章をそのまま写すとバレバレですから、丸写しではなく自分自身の言葉で置き換えて、それをベースにして自分の言葉で再構築すれば立派な文章が出来上がります。恐ろしい時代ですね。

 インターネットに関していえば、これが出現してから、「論文の書き方」も変わってきました。論文の下書き原稿さえも作ることのできる時代です。また、英文科の論文に参考文献をいくら付けても意味がなくなってきました。以前は、論文末尾にある参考文献を見ただけで、この人は本をよく知っていてよく調べているな、勉強しているな、とある程度は判断することができたものです。しかし最近では、どんなに文献が列挙してあっても、それがそのまま、その研究者が本をよく知っていて、実際に手に取って読んでいるという保証にはならないのです。そのような情報は、インターネットでいくらでも引き出すことができる時代だからです。また、インターネットが出現したことで、ますますはっきりしたこともあります。つまり参考文献の列挙が無意味化したことによって、結局、その論文で言いたいことは何なのか、何を証明したいのかという論理の骨格に、より焦点が当てられるようになったと言えるでしょう。ですから、かえって純粋なものが見えるようになった、という印象を受けます。このことは、喩えてみれば写真と絵画の関係とよく似ています。写真機が発明される以前は、絵画にとって「対象を正確に写す」ことが使命の中心でした。ところが、写真機ができると、「正確に写す」ことは必ずしも絵画の一番重要な仕事ではなくなってきました。写真が出現した以後の絵画の世界は印象派へと向かいます。画家がどういう印象を頭の中にとどめたか、それを見せることが絵画の存在理由になっていったのです。鳥の羽根一本にいたるまで正確に描くというのは、写真機の仕事になりました。ですから、写真の出現によって近代絵画、特に印象派が始まったのと同様に、ある意味では、インターネットによって本当の人文系らしい論文の時代に入るのではないか、というのが尊敬する故・渡部昇一先生のお考えでした。短くきっちりとした主張と論拠が求められ、以前のように参考文献をいくら積み上げても、それには意味がなくなったのですから。

 いくらインターネット万能時代と言えども、誤った情報があふれているというのも事実ですから、注意が必要です。かつて、故・渡部昇一先生ウィキペディアの記述は誤りだらけであったことを、ご本人の先生自身が書いておられました。ここ数年「共通テスト」の問題に、「事実」「意見」を識別する設問が出題されるようになった背景は、ここら辺にあると八幡は見ています。♥♥♥

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やはりミスで負けた!

 ちょっと話は遡りますが、巨人のDeNAベイスターズとのクライマックスシリーズ第2戦。「すげえ、試合だったな…。勝たせてあげたかった。本当に総力戦の素晴らしい試合だった。敗戦の責任は俺にある。選手は必死にやってくれた」 「野球って恐ろしいな」阿部慎之介監督)としみじみ。初回いきなり5点を先制するという巨人にしては初めての猛攻に、これで第3戦に持ち込めるな、と安堵したのもつかのま、先発の戸郷が直後に2本のホームランを打たれ5点を返されて同点となりました。今年の戸郷はいかにも自信がなさそうに投げていて、ここ数試合も全部初回に失点していました。もうこの時点で負けたなとの予感がありました。やはり今年は開幕投手・戸郷のKOで幕を開け、戸郷のKOで終戦となりました。この日は4回から必死の継投策でしのぎ、同点の7回途中には大勢、8回途中のピンチにはなんと守護神のマルティネスを投入してまで、共に回またぎで助け合いながら絶体絶命のピンチをしのいでいました。引き分けも許されない中で、11回に1点を勝ち越し。しかしその裏、回またぎとなった田中瑛がツーアウトランナー無しから4連打でサヨナラ逆転されてジ・エンド。終了時点で残る投手は宮原だけという総動員体制でした。あと一人アウトを取ればよかったのに。

 延長11回裏。6-5と巨人が1点リードし、あと1人を抑えれば勝利という場面でした。阿部監督は8番手の田中瑛斗を続投させました。田中の被打率を見てみると、対右2割3分6厘、対左2割7分8厘。11回の先頭打者、牧秀悟と次の山本祐大は右打者で、これをどちらも内野ゴロに打ち取っています。DeNAは代打・度会隆輝を打席に送りました。度会はシーズンの対左打率1割9分4厘と苦手傾向があり、回またぎで疲れの見えている田中に代えてここで、ワンポイントで唯一残っていた左投手の宮原を投入していれば、まだ抑えていた可能性がありました。故・野村監督なら絶対に手を打っていたと思います。ベテランの長野を最後に登録した影響で、巨人はDeNAよりも投手枠が1人少ない布陣となり、延長戦で投手継投の余力を失っていました。長野は出場機会のないままシリーズを終え、これが「思い出起用」「その1枠が命取りに」との評価がSNS上で出るのは致し方のないところかもしれません。

 DeNAは主砲オースティンのほか、宮﨑敏郎ビシエドといった主力選手を欠きながらも、筒香の復活や若手が奮起しました。林蒼汰度会らが粘り強くつなぎ、蝦名が試合を決めました。相手打線の穴を突けなかった巨人との差が、短期決戦の明暗を分けた格好です。とにかく初戦同様DeNAはよく打ちました。打線の差ですね。

 ただこの日も、大きなミスを巨人は幾つも犯していることを忘れてはなりません。先発の戸郷の大乱調。リチャードは8回無死一塁からの大勢の速い牽制球を後にスルーしてしまいました。記録は大勢の悪送球となっていますが、気を抜いていたリチャードのボーンヘッドです。1点を勝ち越した直後一死満塁の場面で、若林はカウント1-2からワンバウンドする低めのチェンジアップを気のない空振り三振。ここで食らいついていれば、もう数点取れていた場面でした。前日にホームランを打っていたのでそのまま行かせたのでしょうが、代打・長野もありでした。取れる所で取っておかないから、その裏の劇的なサヨナラ逆転劇へとつながっていきました。回またぎとなった田中瑛も2死一塁から、一塁走者をノーマークにして楽々盗塁されてしまいました。注意不足です。故・野村監督「負けに不思議の負けなし」と喝破しましたが、まさに今年の巨人軍はその通りの展開ばかりでした。リーグ優勝した昨年の失策はリーグ最少の58失策と鉄壁の守りでした。それが今年はリーグワーストの78失策。これだけではなく記録に残らないミスも沢山見ました(特に外野手)。走者二塁から単打で本塁を狙った暴走気味の走者をアウトにできず、みすみす生還を許す場面がほとんどでした(完全に肩をなめられています)。反面、巨人の走者はヒットが出ても一つずつしか進むことができない走塁が目立ちました。盗塁数も無様。足が遅いのに加えて、リード面や打球判断のミスがほとんどでした。バントの成功率(7割2分5厘)はリーグワースト。投手陣は無駄な四球から崩れていきました。明らかに練習不足でしょう。ミスしたら必ず負けます。「負けに不思議の負けなし」の格言が身に染みた2025年シーズンでした。「自分自身も何が足りなくて勝てなかったのか、課題として自問自答したい。選手にも同じことを言った。大きな糧として来年にぶつけてほしい」阿部監督)。

 実は「受験」も同じで、ミスをしたら負けます。先日、志学館を訪ねて話をしてくれた卒業生がいろいろと語ってくれた言葉の中で八幡が最も印象深かったのは、「自分が陥っていた誤り」についてでした。難しい問題が解けることが力をつけることだと思って、簡単な問題をすっ飛ばして難しい問題ばかりをやっていたが、それは自分の大きな過ちだったとして、みんなができる基本的な問題をいかにきちんと間違えずに解けることが本当の力だと実感している。みなさんにはそんな過ちを繰り返さないでもらいたい、という言葉でした。八幡がいつも口を酸っぱくして言っている基礎・基本の大切さですね。「当たり前のことをバカになってちゃんとやる(ABC)」です。誰も解けないような難問で差がつくのではありません。誰もが解けるような基本的な問題をミスした人が負けるのです。『蛍雪時代』10月号(旺文社)には「1点が合否を分けるのリアル」として、1点の間に多くの受験者がひしめきあう実態が特集されていました。合否の分かれ目は、1点以下です。科目間の得点調整や部分点の加算があれば、わずか0.1点で明暗が分かれることもあります。合格者と不合格者は、実は紙一重なんだということを、これまで山ほど見てきました。♠♠♠

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ヘルマン・ルムッシュテルとは?

 ヘルマン・ルムシュッテルは、明治時代に日本の鉄道技術の発展に多大な貢献をしたドイツ人の鉄道技師です。彼は九州鉄道の技術顧問として招かれ、蒸気機関車や客貨車、レールなどをドイツから輸入し、日本の鉄道技術者たちに指導を行いました。彼の指導のもとで、九州鉄道は1889年に最初の区間を開業し、国の重要文化財である門司港駅の駅舎も、彼の指導で建設され、 フレンチ・ルネサンス調と木造二階建て建築でかつてを偲ばせます。ルムシュッテルは学識深く、温厚で親しみやすい人物であり、多くの日本の鉄道技術者たちに強い影響を与えました。その業績を称えた彼のレリーフが、JR博多駅博多シティの屋上の「つばめの杜ひろば」に設置されており、その歴史的な意義を強く感じることができます(写真下)。

▲鉄道黎明期に大きな役割を果たしたヘルマン・ルムシュテル

 ヘルマン・ルムシュッテルは1844年にプロイセン国トリエルの郡長の家に生まれました。コブレンツ州立工業学校を経て機械工場で働いた後、1863年にベルリン工科大学で学びました。彼は陸軍に服役後、学術研究のためフランスで学ぶと、帰国後鉄道局に勤務し、ベルリン府の鉄道敷設工事に技師として従事しました。彼はドイツ鉄道建設会社に入社すると、学術視察のため英国へ派遣され、さらにベルリン市街鉄道の建設及び営業に従事し、米国鉄道視察のため派遣されました。彼はプロイセン鉄道監査官に任命され、工場長、倉庫課長、技術課長、機械製作局長、資材局長を歴任しプロイセン邦有鉄道機械監督に就任しました。

 九州鉄道の事業のため日本外務大臣とドイツ公使が技師ヘルマンを推薦し、明治20(1887)年から三年間の予定で日本に派遣されました。彼は日本に派遣される前にも、皇居の二重橋や大阪の三大橋(天満橋、天神橋、難波橋)をドイツのハルコート製造所において、鋳造の設計と製造の監督を任されています。九州鉄道は私鉄でしたが、鉄道事業は国家経済の重点事項でした。彼は11月9日に横浜に到着すると、「九州鉄道会社のために採用されたことは、自身は勿論、ドイツの名誉なので、本国に尽くす精神を拡充して本国の名誉を毀損しないように、日本と九州鉄道会社のために尽くすつもりだ」と新聞で述べています。

 彼は新橋から有楽町を経て東京駅に至る市街高架線を作っています。日本鉄道が明治22(1889)年に、新橋から上野までを高架線で結び、三菱ヶ原に中央ステーション(東京駅)を設ける案を決定すると、彼の煉瓦のアーチに鉄道を架ける案が採用されました。彼は明治25(1892)年に九州鉄道を辞して東京へ移り、ドイツ大使館の技術顧問となっています。彼は日本鉄道顧問となったほか、別子鉱山鉄道の建設に関わり、明治27(1894)年、ドイツに帰国しドイツ国鉄に復職しましたが、日本発注の機関車や機器の製作監督に心を配っています。

 九州鉄道を始め豊州鉄道の赤煉瓦橋梁には彼の技術が生きています。プロイセン・オーストラリア戦争勝利後、ドイツが工業国へと産業構造転換をおこなったことが、イギリス鉄道技術に対してドイツ鉄道技術を九州へと導くことにつながったと言えます。彼は九州鉄道で力を発揮していた頃、自宅から職場まで鉄道を敷設させ、汽車に乗って通っていたほどの鉄道好きでした。

 さらに彼が日本に大きな影響を与えた実績として、「メートル法」があります。当時の日本や他の鉄道は、イギリス流のヤード・ポンド法を採用していました。しかしルムシュッテルによりドイツ技術の影響を受けた九州鉄道では「メートル法」が採用されました。そして第二次世界大戦で日本とドイツが同盟したいこともあり、同じ測量の単位のメートルが主流になったとされています。

 現在では世界でもトップクラスの高い技術を持つ日本の鉄道ですが、その黎明期には、あらゆる技術を欧米に依存していました。九州鉄道にその技術を持ち込んだのはドイツ人の鉄道技師でした。九州鉄道は、当時機関車や客貨車、そしてレールなどをドイツから輸入し、技術者も招聘しました。それが、ドイツ人のヘルマン・ルムシュッテルで、肩書きは顧問となっています。44歳で招かれた当時、母国ドイツでの役職は、国有鉄道の機械監督という重要ポストに就いていました。彼は九州の鉄道開業にあたって大きな貢献をしています。学識深く、温厚で親しみやすい人物であり、指導と教育に優れていたことから、多くの日本の鉄道技術者に強い影響を与えました。九州鉄道の最初の区間が開業する1889(明治22)年から翌年にかけ、第一陣となる蒸気機関車が10両輸入されます。その内訳は、ホーエンツォレルン社製の1~3号機と、クラウス社製の4~10号機でした。いずれもがドイツのメーカーです。重要文化財である九州・門司港駅の駅舎も、このドイツ人技師ルムシュッテルの指導で建設されました。九州鉄道で5年間にわたって技術指導をした後は、東京でドイツ公使館の技術顧問となりました。その後、ルムシュッテルが1892(明治25)年に退任すると、それまではドイツ一辺倒だった九州鉄道が大きく転換をします。イギリスやアメリカの機関車が輸入されるようになったのです。国有化されるまでに九州鉄道が輸入した蒸気機関車の総数は263両でした。製造国別に見ると、ドイツが50両、イギリスが9両、スイスが5両、アメリカが199両と圧倒的な多数派となりました。1894(明治27)年に帰国後は、国鉄に復職し、晩年は日本の鉄道発展のために鉄道資材購入顧問を務めました。1918年(大正7)年ベルリンで死去。74歳でした。

 九州鉄道は、筑豊鉄道、豊州鉄道、唐津鉄道、伊万里鉄道を吸収合併します。これら4社から継承した蒸気機関車は全部で57両で、そのうちのアメリカ製が50両を占めます。ドイツの技術を基にスタートした九州の鉄道において、アメリカの機関車が主流になった理由は定かではありませんが、単なる性能だけではなく、価格や輸入商社の力などさまざまな背景があったものと推測されています。

 「鉄道友の会」および「日本国有鉄道門司鉄道管理局」が中心となって、国鉄88周年の記念事業の一つとして、ルムシュッテルのレリーフを1960年(昭和35年)に製作しました。青銅製の高さ75.8センチ、幅57.6センチ、厚さ1センチの物です。製作担当は彫刻家の中野五一で、当時の国鉄総裁の十河信二が揮毫しています。最初は、博多駅のコンコースに設置されましたが、「JR博多シティ」の開業に際して、屋上の「つばめの杜ひろば」に移転して、現在「鉄道神社」に展示されています。このたった一枚のレリーフにもこれだけの歴史が詰まっているんですね。JR博多駅に行かれることがあったら、ぜひ屋上に上がってのぞいてみてください。♥♥♥

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大橋館に「小泉八雲像」

 9月29日(月)より放送が始まったNHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、小泉八雲(こいずみやくも)とその妻・セツをモデルにした物語で、小泉八雲松江市に深く関わりのある人物として、改めて注目されています(ただ、ドラマ中に頻繁に出てくる出雲弁には非常に違和感があります)。テレビドラマ化で注目度が高まっている松江ゆかりの文豪・小泉八雲。ドラマ放送に合わせて新たな観光スポットを作ろうと、松江市「八雲の石像」が設置されお披露目されました。八雲松江で最初に約2ヶ月半滞在した富田旅館」の流れをくむ大橋川沿いにある老舗旅館「大橋館」の前で、お披露目された小泉八雲の石像。台座を含めた高さは約1.7メートル、松江市宍道町名産の「来待石」(きまちいし)が使われています。実際の八雲は身長157㎝、足のサイズは23.5㎝の小柄な男性でした。松江時代にこしらえた特注の足袋が「小泉八雲記念館」に遺されています。ちなみに、八雲のひ孫の小泉 凡さん(記念館館長)も足のサイズは23.5㎝といいますから、遺伝の妙でしょうか。

 設置したのは、松江市中心部のにぎわい創出に取り組む一般社団法人「まつえ東本町へるんロード」で、100万円の寄付を募り制作しました。「八雲の石像」をはじめ、市内中心部に妻のセツ「怪談」に登場する「耳なし芳一」、「むじな」などを合わせて全12体を設置する計画で、9月29日から放送が始まった八雲の妻・セツがモデルのテレビドラマをきっかけに、新たな観光資源を創出しようという狙いがあります。松江市の上定市長は、「たくさんの方々に小泉八雲を訪ねる、聖地巡礼の一つのスポットとしていただいて盛り上がっていくことをとても期待しています。」また、まつえ東本町へるんロード坂根正敏代表理事は、「石像にまつわるストリーですとか、ロケーション自体にいろいろな物語があるので、そこを感じ取っていただいたり、当時の思いを馳せていただいて、思い出作りになるような石像であってほしい。」「松江をこれから訪れるたくさんの方々に一体一体石像を眺めていただきながら、小泉八雲とセツさんの物語に思いをはせ、松江の素晴らしい景観を堪能していただきたい」と。「へるんロード」という名前は、小泉八雲の愛称にちなんで名付けられました。松江市中心部の末次本町東本町やその周辺エリアの飲食店、企業が連携し、人を呼び込むことを目的とした取り組みで、八雲をイメージしたカクテルの提供や、連携イベントの開催、SNSでの情報発信など、さまざまな活動が行われています。八雲が高校で英語を教える姿や、妻のセツが子どもと話す姿など、今年中に12体の石像が各店舗の入り口や駐車場に設置される予定です。この石像プロジェクトは、小泉八雲の功績を多くの人々に知ってもらうための重要な役割を担っています。残る11体の石像も、2026年3月末までに順次設置する予定で(1,200万円の費用は寄付を募る)、ドラマ放送をきっかけにした地域活性化に期待がかかります。

 制作した大田市出身の石像彫刻家で「おもや彫刻」代表の坪内正史氏(68歳)は「大橋館の前の橋から松江城を臨む八雲をイメージした」と話します。着物姿の八雲が、旅館近くの松江大橋から松江城を見上げる様子を表しています。石は松江市で採った県特産の来待(きまち)石を使用。1体100万円の制作費は寄付で賄いました。

 9月29日(月)に、私はいつものように通勤のために松江駅前を通ろうとすると、とんでもない多くの人々の行列(約440人)がつらなっていました。「一体何だろう?」と思いながら、列車に乗り米子に向かいましたが、後で知ったところでは、この日駅前の「松江テルサ」でドラマ初回テレビ放送のパブリックビューイング(PV)が行われたそうです。父親役の岡部たかしさんと小泉 凡さんのトークショーも行われました。小泉 凡さんは、「毎朝、笑いと元気をもらえそう。松野トキがどういうふうに化けていくのかが楽しみになってきた」「毎朝ひと笑いしてから出勤できる楽しい半年になりそう。全国の方にも見ていただいて、松江に関心を持ってもらえれば」と話しました。

▲JR松江駅にも宣伝が

 また、「ばけばけ」の放送開始に合わせて、JR西日本は、車両にヒロインとその夫のイメージ画像をあしらった「特急やくも」ラッピング列車の運行を始めました。2026年3月頃まで、ドラマの舞台・松江市など山陰地方をPRします。ゆかりの地への観光客を増やそうと、出雲市―岡山を結ぶ「特急やくも」11編成(各4両)のうち6編成にラッピング車両を走らせます。各車両の出入り口付近に、主演の高石あかりさんとトミー・バストウさんが演じる松野トキ夫妻をデザインしました。パターンは計3種類あり、縦78センチ、横63~82センチです(写真上)。実際、朝ドラの影響は大きいようで、最近の松江市内は観光客であふれてかえっています。

 また、八雲セツ夫婦が共に過ごした思い出のゆかりの地を(小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、八重垣神社・鏡の池、城山稲荷神社、宍道湖)、約3時間半でバスで巡る旅の「ばけバス」も10月11日から運行されました(⇒詳しくはコチラ)。「第23回日本鉄道大賞」を受賞したブロンズカラーの新型「特急やくも」仕様の観光バスです(3,500円)。♥♥♥

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大阪おむすびケーキ

◎週末はグルメ情報!!今週はケーキ

 米子で教えた帰りに松江駅に降り立つと、喫茶「ドトール」の前に、面白そうなお店が出店していました。その名も「大阪おむすびケーキ」です。見た目はおむすび、なのに中身はケーキ!という変わり種です。後で調べて知ったのですが、全国の百貨店や駅構内で期間限定での販売ながら300万個を達成し、さまざまなメディアへ取り上げられているようです。大阪から全国へ発信する様々なシチュエーションや用途での活躍が間違いなしの究極のコミュニケーションスイーツ。それが「おむすびケーキ」です。この斬新なスイーツは、それがきっかけで会話が始まったり、会話が増えたり、とにかく人の笑顔の手助けになればと開発されました。発売から4年。物珍しさから私は2番人気という「オレンジ」を買ってみました(一番人気は「桃」とのこと)。

 コンビニのおにぎりのようにフィルムをスーッとはがしてワンハンドでお手軽に楽しむことができます。新感覚のコミュニケーションスイーツとして多くの方の笑顔と、その会話のきっかけにもなります。冷凍対応も可能な「OSAKA OMUSUBI Cake」は、お出かけの際にも大活躍。食べる頃には冷たいまま、もしくは半解凍させればアイスケーキとして食べても美味しいスイーツです。こちらの「おむすびケーキ(OMUSUBI Cake)」は大阪の人気パティスリー「TSUKIICHI(ツキイチ)」がプロデュースしているもので、SNSを通じて人気に火が付いたようです。そう言われると、ユニークな発想が大阪っぽいですね三角フィルムに包まれたソレは、どこからどう見てもおむすびです。むしろ、おむすび以外に何に見えるというのか?

 コンビニのおにぎりと同じように、赤色のテープを引っ張りながらフィルムをはがしていきます。するとそこに現れたのは、やっぱりおむすびです。若干、海苔の部分がへにゃっとはしていますが、遠目にはおむすびにしか見えません。しかし嗅覚はしっかりと、スイーツらしさをキャッチです。封を開けたとたんに、甘い香りが一面に広がります。どうやら本当に、正体はケーキのようです。中からスポンジやクリームが登場だ。一つの面にだけパイ生地が入っており、皿に乗せると自立するようになっています。実際に食べてみると、海苔と思われたソレは、クレープ生地であることが判明しました。ブラックココアを使い、海苔のような色つやを出しているとのことです。中からはオレンジのクリームが溢れ出してきて美味しかったです。面白いアイデアでした。さすが、大阪人!♥♥♥

▲まるでおむすびじゃないか!!


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「リトマの日」

 JR松江駅構内にある松江シャミネの端っこの方に、人気のパン屋さんチェーンの「リトルマーメード」があります。私が米子の行き帰りに週に3日ここの前を必ず通るんです。毎月15日「リトマの日」で、お客様への感謝を込めて、800円お買い上げごとにもれなくプレゼントをいただくことができます。


 「リトルマーメイド」のパンをモチーフにした「あのパン!プレート」または「ドリップパックコーヒー(2個入り)」または「スープ」のどれかをもれなくプレゼントしてもらえます。私は毎月この日を楽しみに、プレートを集めているんです。ちょっとした料理の小皿として重宝しています。2022年3月15日までの「リトルマーメイドの日」では、600円(税抜)買うごとにプレゼントをゲットできました。でも、2022年4月15日からは、700円(税抜)お買い上げごとに変更になりました。今は800円です。ニュースでも報じられているように、ガソリン代の値上がりに始まり、卵、小麦や食用油脂などを中心にした食料品の価格がどんどん上昇していますからね。今日は1,000円ちょっとパンを買って(写真下)、下のようなプレートをいただきました。さて、何に使いましょう?一番下の写真は2025年3月、4月、7月15日にいただいたプレートです。

 先日10月15日(水)にはこんな可愛らしい「あのパン!プレート フランスパン」(10月~12月)をいただきました(写真下)。♥♥♥

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水戸岡鋭治先生の感動哲学

 最近、尊敬する鉄道デザイナー・水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生の記事を続けて2本読みました。『PHP』11月号に掲載された「デザインの力で感動を届けたい」、もう1本は『理念と経営』9月号「経営も仕事も「感動」から始まる」という唐池恒二(からいけこうじ、九州旅客鉄道株式会社相談役)さんとの対談です。お二人はJR九州の数々の画期的な観光列車を生み出してきた名コンビですが、「直感的にパッとひらめくアイデア」は嘘だと断言されます。何もないところからひらめくことは決してなく、アイデアは今までの経験の集大成として、マグマのように潜在意識の中にしっかりと眠っていて、そのマグマが何らかの刺激やタイミングによってドッと吹き出すものだ、と言われます。そしてそれが引き起こす「感動」は、作り手がかけた手間暇やエネルギーに比例して生まれると言います。本気で作ったものは、見る相手がたとえ子どもであっても作り手の思いがちゃんと伝わりますから、絶対にそれを汚したり壊したりはしないのです。逆に手を抜いていい加減に作ったものはエネルギーがないから子どもに落書きをされたりします。かつてのJR九州の多くの列車がそうでした。

 水戸岡先生が生まれたのは1947年、岡山県吉備津という自然豊かなところです。田んぼに囲まれた小さなわらぶき屋根の家では、入り口のわきに鶏を飼っていて、その卵を毎日とったり、向かいの家によくヤギの乳をもらいに行ったりしていました。食事はシンプルながらも、味わい深いものでした。かまどで炊いたごはんに削りたてのかつおぶしを載せてちょっと醤油をたらすと、なんともいい香りが立ち上がってくる。そして産みたての卵の目玉焼きに、しぼりたてのヤギのミルク……。今の時代ならお金を払ってまでわざわざ体験しに行くような、日本の古きよき豊かさがそこにはありました。先生の遊び場は、近くにある吉備津神社の境内でした。国宝にも指定されている立派な社は、日本の伝統的なデザインの宝庫です。そうとは知らず遊んでいるうちに、形や色、素材の質感などが自身の中に染み込んでいたのでしょう。先生のデザインの原点ですね。子ども時代の感動や体験は、その後もずっと心に残り続けます。それを今の子どもたちに提供することが、私たち大人の仕事。子どもたちには最高の感動体験を享受する権利があって、大人にはその機会を作る義務があります。先生がそんな思いを持ってデザインに取り組んでいるのは、やはり自分の子ども時代の体験があるからだと思います。長男だった先生は、家業の家具製造業を継ぐべく育てられました。工業高校のデザイン科で学び、卒業後は大阪のデザイン事務所で三年間修業したのですが、「もう少し勉強したい」という理由でイタリアへ。といっても、勤めさせてもらったミラノの事務所は数カ月で辞め、鉄道の乗り放題ユーレイルパスで一年半ぐらいヨーロッパを放浪していました。食事はいつも街で買ったパンとハムをかじる貧乏旅行でしたが、言葉が通じない環境での一人旅は、人間を観察する力を鍛えてくれました。会話ができなくても、しっかり観察していると、相手の本質が見えてくるのです。楽しくて面白い人、文化の香りのする人、やさしい人、人の役に立ちたい人、常に新しさを求める人。そういう人たちとの出会いに恵まれてきたのも、この時の経験が役立っていると言います。帰国した後家族を説得して、デザインの図面製作を手伝うことを条件に、弟に家業を継いでもらうことになりました。それで仕事のあてもなく東京に出てきたのですから、本当にいい加減です〔笑〕。でも、お金もなく言葉も通じないままヨーロッパを鉄道でめぐるうちに身についた、「なんとかなる」という妙な自信だけはありました。東京で事務所を構えて、しばらくはイラストの仕事で忙しく生計を立てていました。

 当時、JR九州の社長だった石井幸孝さんに、「水戸岡さんは日本の鉄道をどう思いますか?」と尋ねられたのですが、石井さんがJR九州の社長だとはつゆ知らずに、「速いだけで、ダサいですね」と失礼なことを言ってしまいました。でも、それがきっかけでJR九州の仕事をさせてもらえるようになったのですから、人生は面白いものです。石井さんからは、「予算とスケジュールとルールさえ守れば、デザインに一切口をはさまない」と言われました。鉄道の素人の自分になぜそこまでしてもらえるのかと聞くと、「だからいいんだ。鉄道を知っている人間では、ありきたりのものにしかならない。崖っぷちの経営状態にある会社は、いまだかつてないことをやらないとだめなんだ」と。それならこちらも本気で応えなくてはなりません。世界中の鉄道を調べ上げて、どうすればオンリーワンの車両や鉄道サービスになるのかを徹底的に検証しました。後にJR九州の社長になる唐池恒二さんや、車両を製造してくれる日立製作所のメンバーたちと丁々発止のやり取りを繰り広げながら、未だかつてない鉄道を実現させようとチームで取り組んできました。先生の斬新なアイデアには、いつも「コストが高い」「手間がかかる」「安全性に問題がある」などの反対の声が上がります。たとえば、木を素材に使おうとしたら、「燃えるからダメ」となる。でも、防炎処理などの技術を用いれば、それはクリアできます。問題点をあげてただ反対する人たちを相手に、アイデアを形にするためにどう工夫するかを徹底的に議論し、ねばり強く説得をする。毎回その連続でした。

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 私が初めて長崎に行った際に、「特急かもめ」に乗った時には、まず、まばゆいくらいの白のボディに惹きつけられました。著書・水戸岡鋭治(みとおかえいじ)『電車をデザインする仕事』(日本能率協会マネジメントセンター、2013年)によれば、セラミック形ハイブリッド塗料の「N9.5レベル」という、塗料の中でも最高レベルのこれ以上ないほどの「純白」を採用しているそうです。一般の新幹線がN8.5~9.0といいますから、その純白度は際立っていますね。しかし綺麗な反面、一方ではそのメンテナンスは大変なんです。通常の車体であれば、二日に一度洗浄すればいいところを、「かもめ」は毎日洗浄しなければいけません。当然、現場からは猛反対されたそうです。「車両の白さを維持することが、JR九州のスタッフの誇りとなる。そしてそんな会社にお客様は夢や企業努力を感じてくれる。さらにメンテナンスのレベルアップにもつながる。私はそう伝え、現場に納得してもらってきました。」『THE 21』2014年6月号インタビュー(PHP)) 白は国鉄時代からタブー色とされてきました。蒸気機関車が走っていた時代に、石炭の「すす」で車体が黒く汚れてしまうために、車両デザインで明るい色合いが用いられることはなかったのです。その影響で、JRでも長い間「白」を使うことを極端に嫌っていました。水戸岡先生はそのタブーをあえて逆手にとって、挑戦をしました。「そして実際、お客様からは『白い車体がきれいだね』という言葉を多くいただいたそうです。そう言われたらもう、きれいにし続けるしかないですよね。このように、高いハ-ドルがあるからこそ、人は一層努力できるのです。」水戸岡先生。なるほど、逆転の発想ですね。

 先生の挑戦の集大成とも言えるのが、2001年にデビューしたクルーズトレイン「ななつ星・in九州」です。たとえば車内の通路は組子細工を施し、270枚もの絵を飾ったギャラリーになっています。客室の扉は一面ガラスです。「外から丸見えだ」と反対意見もありましたが、部屋が通路を通して視覚的に外とつながり、広い空間を感じられます。定員20名ほどですから人の行き来は少なく、プライバシーはカーテンで確保することができます。こういう挑戦を無数に積み重ね上げてできた列車なのです。細部にまで徹底して施したこだわり抜いた工夫は、お客様の心にしっかり届くんですね。一回乗って気づかれなくとも、回を重ねると分かってもらえる。「ななつ星」に8回乗ったお客様は、「まったく飽きない。毎回違う発見があるから」とおっしゃっていました。高額な料金にもかかわらず何度も乗ってくださることが、感動の奥深さを物語っていますね。

 相手を感動させるには、デザイナー自身が感動体験をきちんと積み重ねている必要があります。それまでの人生で楽しいとか気分がいいと感じたことは、「感動」の原石のようなもので、自分の引き出しに一つでも多くそれらを持って、お客様の要望に合わせて取り出し、デザインに生かすのです。子どもたちから、「イラストレーターやデザイナーになるには、どうしたらいいですか?」と質問されることがありますが、先生は「絵だけではなく、いろんなものに触れてたくさん経験し、そこから学ぶこと」と答えています。多くのことを知れば知るほど世界が広がり、自分の好きなことも見つかります。すると自然に学ぶようになって、周りから「すごいね」と言われるようになる。そうなれば自由なステージが与えられて、もっと楽しくなります。だから、絵が上手になることよりも、自分が好きだと思えるものを見つけることの方がもっと大事なのです。人が幸せに生きるには、「三つの好き」が大切だ、と先生は言われます。「好きな仕事に就くこと」「好きな人と暮らすこと」「好きな土地で生きること」。この三つがあれば、たくさんのお金はいりません。まずは「自分の好き」を見つけることです。「好き」は感動体験から生まれます。感動体験が人生を作るのです。だからこそ、手間暇を惜しまず、心を込めて、人の心に響くものを作り続けることが大切だ、と水戸岡先生は信じておられるのです。♥♥♥

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カキクケコの法則

 潜在意識を味方にすれば、私達の願望も速やかに叶います。そのためには潜在意識の性質をよく知ることが早道です。潜在意識はよく氷山に例えられますが、ここでは豪華客船「クイーンエリザベス号」で考えてみましょう。「意識」「潜在意識」の関係はこのクイーンエリザベス号の船長と船の関係と同じです。右に行くのも左に行くのも、すべて船長の操作する舵にかかっています。船長の腕次第でどんな港へも自由自在に連れていくことができるのです。もし船長がいなくなって、誰も舵を取る者がいなくなってしまったらどうなるでしょう?大海原のまっただ中でさまよってしまうか、どこかの暗礁に乗り上げて難破してしまうことでしょう。それと同じように私達もまず、自分の意識内でしっかりと目標を明確にする必要があります。さもないと私達の人生も、気がついたら暗礁に乗り上げてしまいかねません。さて、この巨大な船の方向転換を図ろうとする状態を思い浮かべてみましょう。船長が舵を切っても切っても、最初はなかなか行き先は変わりません。いったん方向が決まって走り出した船は、誰もその動きを止められないほど大きな力を持っています。しかし一生懸命切り続けていると、やがておもむろに船は方向を変えていきます。これは私たちの潜在意識にこびりついた、過去の習慣を変えることの困難さを暗示していますね。しかし、それでもあきらめずに新しい、いい行動を続けていると、習慣といえども必ず変えることができることをも意味しています。つまり私達の潜在意識は、この巨大客船のように慣性力があるのが大きな特徴で、この慣性力をうまく利用するためには、いったん方向を決めたら、しょっちゅう方向を変えないことです。もし船長が行く先を、気まぐれで決めていたらどうでしょう。今まで神戸港に向かっていたのに、急に高知港に舳先を向け、さらにその方向が定まらないうちに、今度は函館港に舵を切る。これでは、いくらいい性能を持った船であろうと混乱してしまうばかりですね。

 こういった性質のある潜在意識をうまく使って、願望を達成する方法を、コンパクトにまとめたのが、願望を必ず達成する名付けて「カキクケコの法則」といいます。命名は見山敏(みやまさとし)さんです。昔、オムロンにお勤めになり、死を覚悟したほどの大病の後、株式会社ソフィアマインドを起業されました。私がまだ若い頃、ご親切にも無料で送ってくださる「ソフィア」という自己啓発の機関誌を楽しみにしたものです。見山さんの真摯な生き方には大いに刺激を受け、手当たり次第に著書を読んだものです。現在も見山さんのホームページ(⇒コチラです)にも、貴重な情報がたくさん出ていますのでお勧めしておきます。

◎「カ」・・・紙に「書く」。

 「書かれざることは実現しない。目標を文字にしてその実現を念ぜよ」と言われます。 私たちの頭の中は、多くのことが詰まっていて整理がついていないことが多いのです。いろんな考え、いろんな思いで頭の中はごちゃごちゃになっています。書いて書いて書き出すことによって、私達の考えが次第に明確になってきます。まず自分のやりたいことは何なのか、書き出してみることです。次にそれを達成するための行動計画です。いついつまでに、何をどのような手順で行なうのかを明らかにしましょう。そして大事なことは、それを折に触れて眺めることです。成功者の手帳を見る機会があれば、見せてもらうといいでしょう。その人達の手帳は、将来の行動予定で埋まっています。自分の目標の実現のため、何月何日は何をする、ということが明確になっているはずです。その日暮らしの、出たとこ勝負では決してありません。寝ても覚めても、自分のやりたいことが頭から離れないくらい自分の潜在意識に刻印されていると、無駄な行動はしなくなります。その願望実現のための行動を最優先させることになります。例えば、つき合いでもそうです。無益な時間つぶしを慎むことでしょう。当然、自己コントロールも行なおうとしますね。

◎「キ」・・・希望をもち、望む結果がまちがいなくやってくることを「期待」しよう。  

 感謝の先取りを行ないましょう。これらの行為は、ちょうど大地に種を蒔いたその後に水を与え、太陽の恵みを注ぎ、肥料を施すことと同じくらいに願望を育てる上で大切な行為です。

◎「ク」・・・「口」に出して唱えよう。

 口に漢数字の十と書くと「叶う」という字になります。この叶うという字が示すように、常に口に出していると願いは叶うのです。特に夜寝る前のうとうとした時に、紙に書き出した願望があたかも叶ったかのように、自分の耳に聞こえるくらいの声で唱えてみましょう。あなたはきっと思いもかけないような奇跡的なことを体験することでしょう。いつも口癖のように「忙しい、忙しい」と唱えていると、本当に忙しくなってきます。また常に生活が「苦しい苦しい」と言っていると、本当に苦しくなってきます。逆に「大物になりたい」と声に出して繰り返し唱えていれば、それらしい態度や行動になってくるものです。言葉には「言霊」といって物事を実現する不思議な力があるのです。

◎「ケ」・・・「決意」し「継続」する。

 私達が決意しなければ物事は実現しません。断固として決意し続けることです。決意するということは代償を払うことをいとわないことです。肚をくくるということです。人から非難中傷されようが、信念を貫き通す覚悟をすることです。肚をくくれば必ず天地が味方してくれます。

◎「コ」・・・言うまでもなく「行動」するということだ。

 いくら念じても行動しなければ何も叶いません。行動こそが全てです。潜在意識を味方にするとは、とりもなおさずこの行動の原動力を高めることなのです。

 もう一つ。世界的ファッションデザイナーのコシノジュンコさん(最近文化勲章を受章なさいました)の好きな言葉で、特に大きな感動を呼んだ「か・き・く・け・こ」のお話が、『致知』2019年8月号に出ていました。「『か』は『感謝』、『き』は『希望』、『く』は『くよくよするな』、『け』は『健康』。最後の『こ』は『行動』。この5つって、仕事でも人生でも重要じゃないかと思いますね」(コシノ談)

 さらにもう一つ。仕事ができる、できないの基準は職場や仕事内容によるでしょうし、上下関係によってもその評価は異なったりするものです。でも、「この人は信用できる」という印象を与える人には、必ず共通していることがあったりしますよね。例えば、お仕事における「かきくけこの法則」もあります。仕事ができる人が絶対に忘れない「かきくけこ」とは? ①「か」……感謝の気持ち ②「き」……興味 ③「く」……苦労 ④「け」……謙虚 ⑤「こ」……更新 これも忘れずに心したいですね。今日は幾つかのバージョンの「カキクケコの法則」をご紹介しました。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(42)~できない理由を探さない

 尊敬する故・渡部昇一先生が、小学校6年生の時の担任の先生の教えで、その後ずーっと守ろうとひたすら懸命に努力されてきたことがあります。それは、「できない理由を探すな!」ということでした。何か「これは!」と思うものをやろうとする時、人は必ず二つの壁にぶち当たります。それは、自分の「能力の壁」「環境の壁」の二つです。「能力の壁」とは、自分自身の問題、いわば「内なる壁」と、言ってもいいでしょう。これは自分の努力次第でどうにでもなる場合もあるだろうし、ならない場合もあります。「環境の壁」とは、自分の置かれている状況が、その目標に向かって進むことを阻んでいるということです。金銭的な問題や、両親が反対しているといったケースが考えられるでしょう。「内なる壁」に対比させるなら、これは「外なる壁」と言えるかもしれません。さて、こうした壁にぶつかり、それがちょっとした努力では乗り越えられそうもない時、人はたちまち無条件降伏してしまいがちです。まさに「できない理由」を探し始めるのは、こういう時なのです。その熱心さたるや驚くべきものがあります。むしろその情熱をやりたいことにひたすら注げば、「内なる壁」「外なる壁」もたちまち崩れ去ることもあると思うのですが、壁にぶつかっていくことを恐れ、失敗を恐れるがゆえに、人は挑戦することをやめてしまうのです。

 例えば、専門分野を本格的に勉強するために、外国の大学に留学したいと思ったとします。当然、さまざまな心配・不安・苦労を強いられることでしょう。慣れない異国での生活、金銭面の問題、言葉の問題、勉強の辛さ、対人関係等々。しかし、そこでさまざまな悪条件をあげつらって、やはり無理だと諦めてしまっては、結局何も得ずに終わってしまいます。そこで、もろもろの悪条件を乗り切ることは、ただ平凡に国内で勉強を続けるよりもはるかに自分のためになるし、その辛い経験は、結局は自分の血肉となるのだ、とこう考えるべきなのです。物事を簡単に諦めるという傾向は、最近の若い人によく見られることです。それは、一つのことに真剣に取り組んだことがないために、臆病になっているだけなのではないでしょうか。「できない理由」など、探し始めたらそれこそきりがありません。そんなことを言っていたら、何一つできなくなってしまいます。ならば、「できない理由」、すなわち諦める口実を探すより、「やれることに着手せよ」「やれない理由など探してはならないのだ。どこかで決然と、断乎として始める」と、渡部先生は強く主張されておられました。できない理由を探すから、不可能に思えるのです。できる理由を探していけば、不可能を可能にする方法が必ず見えてくるのです。

 私は学生時代に、渡部昇一先生の『知的生活の方法』(講談社現代新書)に魅せられて以来の大ファンで、この本は私の生き方を大きく変えた一冊と言えます。今でも、生徒たちにこの本を勧めているんです。渡部先生が、人生で一番大切なことを一つだけ挙げよ、と求められた時に、いつも口にされたのが、「できない理由を探すな!」でした。どんなに困難なことであっても、努力を絶やさずに頑張っている人には、不思議なことに、天の一角から「助けのロープ」が降りてくるのです。私もそんな体験を今まで何度も経験してきました。これは至言です。

 鉄砲撃ちの名人に、電線の上と地面にいる鳥とどちらが簡単に撃ち落とせるか?と聞いてみる。一見、地面にいる鳥のほうが撃つのはたやすそうである。しかし彼は、電線の上にいる鳥も地面にいる鳥も、撃つには同じくらいの労力と技量が要るというのである。難しさとしては大差なく、むしろ電線の上にいる鳥を撃つほうがかえって楽かもしれないということである。ならば、目標は高く掲げたほうが良い、ということになる。

 私のような素人考えで見れば、地面にいる鳥を撃つほうがいかにも簡単そうですが、専門家から見れば、実際に要する集中力と技量は同じということです。これは素晴らしい教訓を含んでいる話だと思います。つまり、一見難しそうに見える目標でも、そこへ到達するのに必要な努力は、一見易しそうな目標とさして変わらないということです。逆に言うならば、一見たやすそうな目標も、難しそうな目標を達するくらいの努力が必要だ、ということです。目標が高かろうが、低かろうが、必要な努力は同じということなのです。ならば…。そんな訳で、「できない理由を探さずに、目標を高く掲げて、努力せよ!!」と、毎日生徒たちには口を酸っぱくして話しています。

 “寝食を忘れる”という言葉がある。大きな事をなしとげるにはそのくらいの覚悟がなくてはならないということだ。終了時間ばかり気にしている人には大きな仕事はなしえない。これは確かに“若い人たちの一番覚えておくべき”ことに違いない。(渡部昇一)

 どんな逆境にあっても決して天を怨まず人を咎めず、自分を信じて心穏やかに道を楽しむ。これは天命だと受け入れることが大事なのである。すると、霧が晴れるように視界が開けてくるものである。(渡部昇一)

 私にはここで思い出す話があります。「小枝にしばられたゾウ」のお話です。

 サーカスで使われるゾウがまだ小さな子供の頃、足には細いロープがつけられ、地面に刺さった小さな杭に結ばれていました。幼いゾウは何度も逃げ出そうとしましたが、その力ではロープを引きちぎることができませんでした。やがてゾウは「自分には無理だ」と諦め、挑戦をやめてしまいます。時が経ち、ゾウは大人になり、その力はかつての何倍にもなりました。しかし、大人になった今でも、ゾウは小さな杭と細いロープに縛られたまま動こうとしません。なぜなら、子供の頃に学んだ「自分にはできない」という思い込みが、今でも彼の行動を支配しているからです。

 この話が伝えている教訓はとてもシンプルです。過去の失敗や経験が、現在の自分を縛りつけている可能性があるということです。かつての状況では「できなかった」ことが、今のあなたにはできるかもしれないのに、その思い込みによって行動を制限してしまっているのです。ビジネスや家庭の生活場面でも同じことが言えるでしょう。「自分には無理だ」と決めつけてしまう前に、「本当にそうなのか?」と問い直してみてください。実際に無理なのは、細いロープではなく、あなたの心が作り出した見えない「ロープ」かもしれません。「どうせできない」と思ってしまう瞬間は誰にでもありますが、その背後には過去の経験や思い込みが潜んでいます。「小枝にしばられたゾウ」の話が教えてくれるように、私たちを縛っているのは、実はその細いロープではなく、心の中の見えない枷です。まずはそれに気がつき、小さな行動から挑戦してみることが大切です。そうすれば、あなたの可能性は無限大に広がるはずです。まず「自分にできる」と信じることです。例えば、新しいプロジェクトに挑戦する際、たとえ失敗した経験があったとしても、それは過去の自分です。今の自分は、努力を重ね、成長し、多くの経験を積んできたことを思い出しましょう。

① 過去の思い込みに気づく

 自分が「無理だ」と感じていることを全部書き出してみます。次に、それがどのような過去の経験に基づいているのかを振り返り、今の状況と本当に同じかどうかを考えます。過去との違いに気がつくことで、「思い込み」を手放すことができるでしょう。

② 小さな挑戦を始める

 過去の失敗に基づいた思い込みを打破するために、小さな挑戦から始めてみましょう。どんな小さな挑戦でも、まず第一歩を踏み出すことが大切です。小さな成功体験を積むことで自信を育てましょう。

③「できる」と信じる

 自分が変わったこと、成長したことを意識し、「自分にはできる」と肯定的に捉える習慣を持つことが大切です。特に、過去の思い込みが顔を出したときは、意識的に「今の自分は違う」と思い直すことが重要です。

④できることから断固としてやる

 自分にできる身近なことからやり始めることが大切です。

 この本の著者がこんなことを言っています。♥♥♥

僕はかつて、平凡な人生に縛りつけられ、そこから抜け出せないかのように感じていました…。まるで自分を向上させる力などどこにもないかのように…。しかし、今では、その力が自分に備わっていること、すべてのひとにその力が備わっていることを知っています。誰でもしようと思えば何でもできるし、どこでも行けるし、なりたい自分になることができるのです。人間の可能性は無限にあり、人はそれぞれ、困難な状況を打開して未知の世界を創造する能力を与えられています。僕たちはその力を自覚し、それを活かす努力をすればよいのです」

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foreverとfor good

 受験用の熟語集の中には単にfor good=foreverと書いてあるものもあります。英米の辞典でもfor goodを引くとforeverと書いてあるので(例えばCOD, CALD)、やむを得ないことかもしれません。しかし、両者の意味は全く異なります。“for good”は、何かが永遠に続くことを意味せず、むしろ、何かが永遠に終了し元に戻らないことを示すフレーズです。これは通常、二度と戻ってこない決定的な変化や別れを表現するために使用されます。無期限に停止された行為や状態という点を強調したい時に使うのです。“it never changes back or comes back as it was before”(元あった状態に変わることがないあるいは戻らない)というCOBUILDの定義が参考になります。またOALDに挙がっている例文 This time she’s leaving for good.(=she will never return)の( )内に添えられた説明がそのことをはっきりと物語っていますね。

  • He left the company for good.「彼は会社を永久に(戻らない形で)辞めた。」

  • She decided to quit her job for good and pursue her passion for art.「彼女は仕事を辞め、芸術への情熱を追求するために決定的に変えました。」

  • I’ve given up smoking for good; I’ll never smoke again.「私は喫煙を永遠にやめました。二度と吸いません。」

  • He left his hometown for good and moved to a new city.「彼は故郷を決定的に離れ、新しい街に引っ越しました。」

  • He decided to quit smoking for good after his health scare.「彼は健康上の不安が生じたので、この先ずっとタバコは吸わないと決めた。」

  • I’m giving away my old clothes to charity for good; I won’t need them anymore.「私は古い服を慈善団体に永遠に寄付します。もう必要ありません。」

 これに対して、“forever”は、永遠に続くことを意味し、時間的な制約なしにこれから何かがずっと続くことを示します。これは、永遠に続く愛や関係を表現するのにも使われます。感情的、詩的、ロマンチックな場面でもよく使われます。“OUR GIANTS WILL LIVE FOREVER”(わが巨人軍は永久に不滅です)という有名な言葉がありましたね。

  • Their love for each other is so strong; they’ll be together forever.「彼らの愛は非常に強い。彼らはずっと一緒にいるでしょう。」

  • The memory of that special day will stay with me forever.「その特別な日の思い出は永遠に私と共にあります。」

  • Their love story will be remembered forever in our hearts.「彼らの愛の物語は私たちの心に永遠に記憶されるでしょう。」

  • The diamond is said to last forever, making it a symbol of eternity.「ダイヤモンドは永遠に続くと言われ、永遠の象徴とされています。」

  • We promised to be friends forever, no matter where life takes us.「私たちはどこへ行こうとも、永遠に友達でいることを約束しました。」

  • This road seems to go on forever. 「この道は果てしなく続いているように見える。」

 “for good”“forever”の違いについてまとめると、“for good”は、何かが永遠に続くのではなく、決定的な変化や別れを表現し、永遠に終了することを示します。それまで当たり前だった習慣や状況が、終わってそれが無くなったり変わったりすることを意味し、後戻りのできない大きな変化や最終決定の瞬間について用いられます。“forever”は、何かが未来永劫、この世の終わりまで永遠に続くことを示し、感情や自然の有り様などについて用いられます。新刊の石橋尊侍・里中哲彦・島田浩史『大学入試瑛熟語最前線1515』(研究社、2024年)にはこうあります。大学入試の熟語集にしては珍しく正確な記述です。

 for goodは習慣などを金輪際やらないという意味で使われることが多く、foreverは続けてきた状況をこれから変わらず続けるというニュアンスで用いられることが多い。

 したがって、次の例では「辞める」という行為は永遠に続けられるものではありませんのでforeverは使えませんし、「愛する」行為は永遠に愛し続けられるのでforeverが選ばれるのです。♥♥♥

彼女は30年間勤めた仕事を辞めた。
○She quit her job for good after 30 years of service.
×She quit her job forever after 30 years of service.

あなたのことは永遠に愛し続けます。
○I will love you forever.
×I will love you for good.

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