セブンカフェの「ブルーマウンテンブレンド」

 かつてコンビニのセブンイレブン「セブンカフェ」において、挽き立てで切れのあるドリップコーヒーが100円で飲めるようになった時には衝撃を受けたものです。そこいらの喫茶店のコーヒーよりもよほど美味しいものが100円で飲めるのですから、全国に衝撃が走りました(⇒私の解説はコチラをお読み下さい)。しかしながら、そのセブンカフェ」のコーヒー開発にあたっては、過去に三度も開発に失敗していたことはあまり知られていません。

◎1975年~デキャンタストーブ式・・・淹れた直後から酸化し、15分程度で品質が
保てなくなった。
◎1994年~カートリッジ式・・・挽いた粉を使用していたが、淹れ立てとはいかなか
った。
◎2001年~エスプレッソ式・・・カフェブームに乗ったつもりが、ドリップ派が離れ
てしまった

 人間三度も失敗すれば諦めるのが普通なのですが、無類のコーヒー好きだったセブンイレブンの開発者はそれでも「ニーズはある」と、上司の反対を押し切って、新たに淹れ立てのコーヒーの開発に挑みます。それが大成功につながったのです。教訓としたい話ですね。

 セブンイレブン「ブルーマウンテン」といえば、毎年11月から期間限定で発売されている高級ドリンクです。「ブルーマウンテン」と言えば、一般的には「世界最高クラスの高級豆」「コーヒーの王様」といったイメージをお持ちの方も多いと思います。確かに、その希少性が故に、喫茶店などでは1杯1,000円〜が相場ですね。ブルーマウンテンは、ジャマイカの東側ブルーマウンテン山脈(標高2,245m)の内側にあたる「ブルーマウンテンエリア」と呼ばれる限られた地域だけで栽培されたコーヒー豆のことを言います。ブルーマウンテンエリアは激しい寒暖差(平均8℃以上)・険しい斜面による水はけの良さ等、高品質のコーヒー豆栽培に適したエリアで、ブルーマウンテン品種は、世界で採れるコーヒー豆のうち0.011%という希少な品種なのです。昨今の世界的な異常気象などで、さらに希少さが増しているようです。①決して広大ではなく生産量に限りがある、②全て手作業で収穫を行っている、③完熟したコーヒーの実のみを収穫している、ことも希少性を増しています。セブンイレブンは、産地であるジャマイカに「苗木」を寄贈するなど支援をしている関係で、それなりに安定してブルーマウンテンの供給を受けているようです。

 とはいえ、さすがセブンイレブン。1杯250円で「ブルーマウンテンブレンド」を提供してくれています。買い方は、レジで店員さんに「ブルーマウンテンブレンドをください。」と言うだけです。レジで店員さんにブラックの専用カップを渡してもらい、専用マシンの「ブルーマウンテンブレンド」Rのボタンを押すと抽出が開始されます。

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▲カップも高級感が漂う!

 このコーヒーに関して、公式サイトに書かれていることをまとめてみました。今年のものは、深化進化を実現させた、3つのこだわりがあります。

❶産地豆を適正に配合したこだわりのブレンド
→ブルーマウンテン本来の風味を最大限に活かすことができ、飲んだ後の余韻も甘く続き、最後の一口まで楽しめる一杯に仕上がっています。

❷素材を最大限に引き出すこだわりの焙煎
→複数の焙煎機を駆使して、それぞれに合った焙煎を行っています。だからこそ余韻も長く続き、最後の一口まで飲みたくなる一杯に仕上がっています。

❸香りとコクを引き出すこだわりのドリップ
→抽出時のお湯の量やタイミングを工夫して、コンマ1秒単位でこだわりぬいたおいしさを追求しています。

 淹れたての芳醇な香りは、苦味みとコクが強く香ばしくどこかすっきりとバランスを整えた印象もありました。上品でウッデイな香りで、ダークチョコレートのほろ苦さと、滑らかな口当たりが特徴的で、酸味はあまり感じられません。ナッツを焼いたような香ばしさもありつつ、甘さがしっかりとあったので最後の一口まで美味しく飲むことができました。これでたったの250円。破格の一杯です!喫茶店で飲んだら間違いなく1杯1,000円以上はするはずです。

 黒い重厚感のあるカップそのものにも、他のコーヒーとは異なる差別感・高級感が感じられますね。そして、飲む前から、かなり上品な香りがプンプンと漂ってきます。この凄まじいまでの香りは今までのコンビニ・コーヒーでは無かった芳香で、かなり期待感が高まります!実際に飲んでみると、酸味と苦味のバランスがバッチリです。しかもあっさりとした口当たりです。口に含んだ際の苦みがスーッとすぐに引き、雑味をほとんど感じません。ある意味「苦い」とも感じさせないほどの、ほどよい苦みと軽やかなコク。飲み込んだ後も、鼻先に抜ける芳醇な香りと軽く残る甘味が幸福感を与えてくれます。後味も非常にスッキリしていて確かに「バランスが良く」、そのレベルは今までのコンビニコーヒーとは段違いです。少し温度が下がった状態で飲むと、酸味がちらりと顔を出し、嫌みのない酸味の変化を楽しむことができます。一言でいうと「優雅」!飲みごたえと満足感が全然違います。まさに王様のバランス感覚を感じる味です。

 お金に余裕がある日、気合を入れたい日、美味しいものと一緒に贅沢したい日、などにピッタリなのがこの「ブルーマウンテンブレンド」でしょう。250円という価格は、コンビニ・コーヒーとしては少々お高いのですが、お金を出しても飲む価値はある!とだけは言っておきたいと思います。ちなみに、ローソンファミマ「モカブレンド」と比べても、香りと味は圧倒していることを付け加えておきます。♥♥♥

 

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大好きな長野選手が引退!

 大好きな巨人の長野久義外野手(ちょうのひさよし、40歳)が現役引退を決断しました。引退会見後には人柄を慕う選手やコーチ、球団スタッフら53人も集結してサプライズで登場し、サカチョーコンビとして打撃を牽引した坂本選手らから花束を贈られました。今後は大学院でスポーツマネジメント・指導方法などを理論的に学び、若手選手の育成に携わるという第二の人生を送りたい意向です。

 勝負強い打撃で入団から9年連続で100安打以上を記録したバットマンでした。広島から巨人に復帰後は、代打の切り札だけでなく、精神的支柱として若手が多いチームを支えました。誰からも愛された「チョーさん」が16年間の現役生活に区切りを付け、惜しまれながらもユニホームを脱ぎます。通算1,651試合で1,512安打、打率2割8分、163本塁打、623打点を誇る長野選手が、熱望したユニホームで現役を終えます。2度の入団拒否を経て巨人入りすると、1年目から9年連続でシーズン100安打以上を記録。ルーキーの2010年に新人王、2011年に首位打者、2012年は最多安打のタイトルを獲得し、「プロ野球って簡単だなと思ってしまった自分がいたんですが」とし、「さすがにそう甘くはなかった世界でした」と頭をかきました。2011~2013年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。走攻守3拍子そろったチームの顔として貢献し続けてきました。そんな長野選手が、2019年に広島の丸選手を獲得した際の人的補償で、広島に移籍した時にはものすごいショックでした。それでも「必要としていただけることは光栄なこと」と気丈に振る舞いました。「素晴らしいチームメート、ファンの皆さんに会えて勉強になった」と、濃密な期間を経て、「いつかユニホームを脱ぐことがあるとしたら、やはり巨人で脱ぐべきじゃないか」という広島球団の親心で、2022年オフに無償トレードで巨人に復帰しました。しかし2023年は75試合、2024年は54試合の出場と年々出場機会は減り、今季は1軍17試合にとどまりました。復帰後の3年間では出場146試合のうち、代打出場が93を占めました。「難しい」とも明かした役割。それでも抜かりない準備は若手の手本になっていました。後輩の萩尾選手「長野さんはいつもめちゃくちゃ汗をかいている。それを見て僕も自分なりに汗をかくようにした」と言います。直前に手首のテーピングを施して打席に行くのもルーティンです。「これから仕事に行くというスイッチみたいなもの。(代打は)気持ちの準備が一番大事だから」とこだわりがありました。最後まで兄貴分として慕われ、精神的支柱としての存在感は抜群でした。前日のCSファーストシリーズでは、ベンチの最前列で声を張り上げチームを鼓舞しました。守備から戻る選手をベンチの最前列で迎え、声をかけ続けました。若手への助言も欠かさず、ミスでうつむく選手の横にはいつも背番号7の姿がありました。2年ぶりのぶっちぎり優勝を果たした2軍の桑田監督「プレーしやすい環境や雰囲気づくりをしてくれた」と感謝をしていました。現役時代も共にプレーした阿部監督からも「俺が見てきた後輩の中で一番練習をしなかったけど、一番天才型だった」と言われた要領の良さもあるにはありましたが、「困った時のベテラン」と絶大な信頼を寄せていました。昨年の4年ぶりリーグ優勝も、チーム事情が苦しい時など「ここぞ」という場面で重用され、終盤の底力としてチームを支えました。多くのファンからもこよなく愛され、登場するだけで東京ドームの雰囲気を一変させてきた「チョーさん」、紳士的な人柄で誰からも慕われ、愛されたバットマンがついにバットを置きます。球団からのセレモニー実施の提案も固辞したそうです。

 長野久義選手は、巨人のなかでも最も「ジャイアンツ愛」を持った選手でした。なぜかというと、2回のドラフト指名を拒否しています。日本大学時代に北海道日本ハムから4位指名を受けるも、「巨人に入りたい!」と入団せず、社会人野球のHONDA硬式野球部に進みます。さらに2年後のドラフト会議でも、巨人にこだわる長野選手を、千葉ロッテが強行指名しましたが、こちらも拒否したうえ、会社に残留し、翌年のドラフトでようやく巨人に入団したのです。ワガママだと批判も渦巻く中で、ジャイアンツ愛」を貫いた様子は、巨人ファンにとっては極めて好感度が高く、絶大な人気者となりました。1年目から中心選手として大活躍したうえ、新人王や首位打者などのタイトルも獲得したまさに巨人の顔でした。ちなみに、同じ人的補償選手として西武に移籍した内海哲也投手(現巨人投手コーチ)も、巨人入りを希望し、ドラフト指名を受けたオリックスを拒否して東京ガスに入っています。読売球団は「ジャイアンツ愛」を持った2人の選手を、立て続けに人的補償で失ってしまった時にはものすごくショックを受けたのを今でもはっきりと覚えています。

 そんな長野選手の移籍はショッキングで、一報が流れた際には「広島入りを拒否して引退するのでは?」との声も出たほどです。しかし長野選手は、読売ジャイアンツ公式サイトで、抱負を述べました。このコメントは自ら紙にペンを走らせて何度も推敲を重ね、数時間考え抜いたと言います。「『驚きましたが…』というような言葉は絶対に使いたくありませんでした。まずは選んでいただいたカープの方々への思いを一番初めに伝えるべきだろうと思いました。それからファンの方々やジャイアンツの皆さんへの感謝も。どう受け止められたかは分かりませんが、自分なりにしっかり考えたつもりです」 次の文章です。立派なコメントでしたね。

 3連覇している強い広島カープに選んでいただけたことは選手冥利に尽きます。自分のことを必要としていただけることは光栄なことで、少しでもチームの勝利に貢献できるように精一杯頑張ります。巨人では最高のチームメートに恵まれ、球団スタッフ、フロントのみなさんの支えのおかげでここまで頑張ることができました。また9年間応援してくださったジャイアンツファンの皆様のおかげで苦しいことも乗り越えることができました。ジャイアンツと対戦することを楽しみにしています。

   長野選手は無数のお風呂好き。遠征にもマイシャンプー&リンスを持って行きます。タクシーが大好きで、英会話も大好き。裏方さんを大切にし、打撃投手にスパイクをプレゼントしたりも。チームが連敗中には、選手たちに4,000円以上もする栄養ドリンクを差し入れたりもしました。ある居酒屋で、ふと他球団の裏方さんを見つけると、元気にあいさつ。特に仲がいいわけではないのですが、その裏方さんが会計をしようとすると、店員から「長野さんが、すでにお支払いになりましたよ」。当人だけでなく一緒にいた面々の分まで支払って店を後にしていた―こんな話をよく聞きます。真偽のほどを確かめると、しらばくれて「誰か別の人じゃないですか?」と謙虚。宴もたけなわになり、数人が先に帰りました。そして最後に主催者が、さりげなく店員にお会計を聞いたところ「長野さんが…」と、言うんだそうです。こんな人柄が大好きな八幡で、真似をしています。長野選手の背中を見て「長野さんみたいになりたい」と、大勢投手も真似をしているそうですよ。

 気配りを忘れない人柄で、伸び悩む後輩たちへのアドバイスはもちろん、望まれれば自分が愛用する野球用具などを惜しみなくプレゼント、新入団の選手にはチームに馴染んでもらおうと真っ先に声をかけ、外国人選手は春期キャンプ中に食事に誘いました。試合でミスした選手に寄り添う姿もよく見たものです(泉口選手がバントを失敗して懲罰交代を命じられた時にベンチで肩に手をかけ慰めていた姿が印象的でした)。しゃぶしゃぶやすきやきや大皿料理をチームメイトとつつき合う際には、仲間につつかせることなく、取り役に徹するこだわりがありました。チームが移動する際や決起集会では、全員分の差し入れを用意。球場を離れれば会食した後輩たちに大盤振る舞いでごちそうする気前の良さ、酒席でも紳士的に振る舞う姿は「野球選手のかがみ」として、夜の街には多くの「チョーさん伝説」が残されました。相手チームや審判、裏方、ファン、報道陣にも敬意を持って接しました。人望が厚い理由は、こうした周囲への気配りを忘れない人間性にありました。殊勲打後の発言では、「失投」「甘い球」という言葉を嫌い、絶対に使おうとはしませんでした。「自分も相手の投手も真剣。だから失投、甘い球というのは僕が決めることではないし、相手に失礼だと思う」が理由でした。対戦相手でさえ愛したから、愛されたのですね。引退会見で「好きな言葉は?」と聞かれると、「大学生の頃からスポーツメーカーのミズノさんにサポートしていただいたんですけど、プロ入りしてからも16年間ずっとサポートしていただいた。好きな言葉は『ミズノ』です。」と。企業にまで愛される長野選手でした。♥♥♥

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米子―後藤駅間は電化

 お亡くなりになった西村京太郎先生のミステリー小説『十津川警部シリーズ 空と海と陸を結ぶ境港』(祥伝社文庫、2023年)の中には、こんな場面が出てきます。

 今村が、事件とは関係ない話だが、と断って、続けた。
 「この列車はちょっと面白くて、営業で使われるのは気動車なんですが、米子と三つ目の後藤駅までは、電化されているんです
 「どうしてこの区間だけ電化されているんですか?
 亀井がきいた。
 「この後藤駅には、後藤総合車両所というJRの大きな施設が、あるんです。そこへ故障した電車など、運ぶために、米子とこの後藤駅の間だけ、電化されているので
 今村警部が答える。

▲境線「博労町駅」

  私はこの7年間、週に3回JR境線を利用して米子駅から博労町駅まで通っていますが、この本を読むまではそのことに全く気づきませんでした。そこを走る6種類の鬼太郎列車(「鬼太郎列車」「ねずみ男列車」「ねこ娘列車」「目玉おやじ列車」「こなき爺列車」「砂かけ婆列車」)はディーゼル気動車です。境線で使用している車両はキハ40系キハ47系キハ126系ですから、電気は必要ないのです。境線は少し走っては止まって、少し走っては止まるを繰り返して走り、駅と駅の距離はそんなに長くはありません。でも上の描写に出てくるように、米子駅(ねずみ男駅)から途中の後藤駅(どろたぼう駅)までは電化されているのです。この「後藤駅」という名前は鉄道敷設に尽力した米子の豪商・後藤快五郎に由来します。JR境線は基本、ディーゼルカーのみ走っている非電化路線ですが、後藤総合車両所に出入りする電車があるために、米子駅から後藤駅までの区間は電化されています。元々は電化される予定はなかったのですが、伯備線の電化で電車化された特急「やくも号」で使用する車両(381系)を後藤工場で検査・修理することとなり、後藤総合車両場へ電車を移動させるために電化されているのです。 細かく説明すると、米子駅から後藤駅に入線する手前まで電線があります。 しかし、後藤駅に入線する手前で後藤総合車両場へ入る支線がありますが、その上に電線が伸びています。 その支線のポイントより境港方向へ境線の線路上に電線はなく、そこからは非電化になっています。

▲JR後藤駅 確かに架線が見える

 「後藤総合車両所」(ごとうそうごうしゃりょうしょ)は、鳥取県米子市日ノ出町に所在する西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両基地および車両工場です。境線後藤駅富士見町駅の線路沿いに並行して敷地のある大きな工場です。山陰での最初の鉄道建設の際に、車両工場の土地を提供し、鉄道省当局に代わって足りない土地を買収することで誘致に貢献した後藤快五郎の名が付けられています。敷地面積は82,271㎡。下関総合車両所が管理する以外の統括本部管内の自社車両に加え、金沢総合車両所富山支所の気動車・金沢総合車両所敦賀支所のキハ120系気動車・吹田総合車両所福知山支所豊岡派出所・吹田総合車両所京都支所配置のキハ189系気動車・嵯峨野観光鉄道・京都丹後鉄道・智頭急行・若桜鉄道の車両や東海旅客鉄道(JR東海)大垣車両区配置の285系3000番台の車両検査・要部検査・改造、および日本貨物鉄道(JR貨物)のディーゼル機関車のエンジンや井原鉄道・一畑電車の部品検修、JR西日本に在籍するすべての気動車とディーゼル機関車に搭載されるディーゼルエンジンの整備を行っています。♥♥♥

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グリーン車の由来

 昨日10月14日は、「鉄道の日」でした。ルーツは、1872年(明治5年)10月14日に遡ります。 この日、日本初の鉄道が「新橋駅(現在の汐留付近)」「横浜駅(現在の桜木町駅)」の間に開業しました。わずか全長29kmという短い路線でしたが、日本の近代化の象徴として非常に大きな意味を持っていました。「鉄道の日」の目的は、鉄道の歴史を振り返ると同時に、現代社会における役割や未来の可能性を考えることにあります。

  • 鉄道の発展に貢献した先人たちを顕彰する
  • 鉄道の安全・利便性を再認識する
  • 次世代に鉄道の魅力を伝える
  • 観光・地域振興・環境保護における鉄道の価値を広める

このように、「鉄道の日」は「過去と未来をつなぐ」記念日と言えるでしょう。さて今日はそんな鉄道の「グリーン車」について考えてみましょう。

 新幹線や在来線の特急列車のほか、一部の普通列車に連結されているJRの「グリーン車」は、別途「グリーン料金」が必要になる特別車両です。普通車と比べて1席あたりの専有面積がゆったりと広かったり、背もたれを深くリクライニングできたり、普通列車ではこの車両にだけ車内販売が行われたりと、ワンランク上の設備とサービスが提供されています。私はどこへ観光旅行に行くにもこの「グリーン車」を利用しています。ゆったりとした快適な旅を楽しみたいからです。飛行機のクラスと同様に、良い座席は料金がかかる分、設備もサービスも上質で、ゆったり乗車できることから、ラッシュアワーの混雑を避けたい時や、長距離旅行、ハイクラスの人々の移動などに長く愛されてきました。「グリーン車」は、そもそもどのように生まれたのでしょうか?また、なぜ「グリーン車」と呼ばれるのでしょうか?

 その由来には諸説あるものの、有力なのは、かつての一等車の車体側面に引かれていた淡い緑色(若草色)の帯にちなむというものです。国鉄は、車両に一等車、二等車、三等車の「3等級制」を設けていましたが、1960年(昭和35年)に一等車、二等車の「2等級制」に、1969年(昭和44年)5月にこれを廃止し、運賃と特急・急行料金の単一化が図られ、「グリーン車」と「普通車」に区分し直したのです。ただ、「一等車」の概念が時代により異なる点は注意が必要です。1960(昭和35)年代以前の国鉄の列車は3等級制でしたが、もともと一等車は、展望デッキ付きの車両など限られた人に向けた豪華車両であり、当時は実質的に連結されていませんでした。そこで、それまでの三等車を二等車に、二等車を一等車にする形で2等級制に改めました。したがって現在の「グリーン車」は、3等級制時代の二等車に相当すると言えます。

 由来は他にも、急行列車の「特別二等車」において指定席と自由席を区別するために、1958(昭和33)年から指定席のヘッドレストに淡い青緑色のカバーが被せられたから、という説も存在します。また、「東海道新幹線50周年」を記念したJR東海の特設ウェブサイトには、一等車のきっぷが緑色だったから、という説も紹介されていました。

 かつて国鉄では、車両の等級によって運賃そのものも異なっていました。「グリーン車」の導入時、運賃もあわせて改定され、車両のグレードを問わず一律運賃となり、「グリーン車」の利用には別途「グリーン料金」を徴収する現行の形になったものです。

 「グリーン車」のドア付近に付けられたグリーンの四つ葉のクローバーのマークの由来は、黄緑色の四つ葉のクローバーが「幸運の印」とされていることから、利用する人に幸せが訪れますようにという関係者一同の願いが表現されたもの、と言われています。なんだかほっこりしますね。数々の国鉄特急のヘッドマークデザインを担当した黒岩保美(くろいわやすよし)さんによるものだそうです。クローバーマークは「グリーン車」導入時に制定され、1978年(昭和53年)までの9年間は窓下のグリーンのラインクローバーマークが併存していたそうですよ。

 現在では、JR九州の在来線特急における「DXグリーン」や、東北・北海道・北陸新幹線「グランクラス」など、「グリーン車」よりもさらに上質の設備やサービスを提供する列車も登場していますね。また首都圏では、東海道本線宇都宮線(東北本線)をはじめ、一部のいわゆる通勤列車にも「グリーン車」(⇒詳しい私の紹介記事はコチラ)が連結されています。

▲九州新幹線「みずほ」グリーン車

▲新幹線「N700S」グリーン車

▲「特急ソニック」グリーン車

 このようなグリーン車の起源が、2016年度の福岡工業大学の入試で、英語の長文問題として出題されています。次のような英文でした。どこで何が出るか分からないものですね。いろいろなことに興味を持っておくことが大切です。♥♥♥

  In Japan, some trains have special cars called “Green Cars” that are fancier and have larger, more comfortable seats. Basically, they are the same as first-class cars in other countries. The fare in these cars is higher, so you need to buy a supplemental ticket if you want to ride in them. Japanese trains used to have three classes of cars, but the system was changed in 1960 to a two-class system. Then, in 1969, the name for first class was changed to Green Car. This name was chosen because first-class cars used to have a green stripe on the side under the windows, so passengers already associated the color green with first class. Today, the stripes are gone and cars are marked with a large, green four-leaf clover.

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働いて働いて働いて働いて

 ワークライフバランスは、働く人の仕事と生活の両方を充実させるため、政府がその実現に向け憲章まで策定し、推進しているものです。与党の党首が、就任のあいさつでその方針を投げ捨てると公言しました。個人の意気込みと擁護する声もありますが、法律を作る政治家のリーダーが軽々しく放つ言葉ではない、過労死で命を落とした人々の家族らが異論を唱えるのは当然のことだ、という批判もあります。「一部の経営幹部(や政治家)だけが、誰かにその責任を押しつけられる強者です。その人が『馬車馬のように24時間働くぞ』って宣言すると、97%の人は苦しくて肩身が狭くてやる気を失います」と断じる人もいます。

 まだ40代の頃、島根県立大田高等学校で進路部長を3年間務めました。島根県の中規模校で、国公立大学の合格者がだいたい40人~50人で停滞していた学校でした。進路指導部の体制も課題だらけで、変えなくてはいけないことが山ほどありました。それらを一つ一つ克服していったのですが、教員からの反対も多く、普通にやっていたのでは変えられません。「働いて働いて働いて働いて」頑張りました。一年間ほとんど休まずにさまざなな取り組みを行いました。まず進路指導室のレイアウトを根本から変えました。一部屋潰して生徒が気軽に利用できる進路資料室(赤本、各大学パンフレット完備、コピー機)を新設しました。英語の苦手な生徒達に早朝講座も始めました。最新の進路情報を提供するために進路だより「あむーる」を毎週全校生徒に発行しました。それまで希望者参加だった進路検討会も全職員参加に変えました(管理職の先生にご尽力いただきながら)。そこで検討する資料の内容も再吟味し全面的に新しくしました。当時はまだ珍しかった「進路シラバス」の冊子(1年~3年の担任業務を毎月掲載)を作成しました。生徒たちの強く希望したお正月の学校開放も実現しました。受験の面接練習は担任⇒進路部長⇒校長・教頭の流れで学校をあげて徹底的に応援しました。各地で行われる地区PTAには私が全て出向き直接保護者の方々に訴えかけました。さすがに働き過ぎか、3月高校入試の採点日に倒れて病院直行でしたが。それぐらいにやらないと、改革はできませんでした。全ての取り組みに初めは反対されましたから。幸い、私の進路部長一年目に、国公立大学の合格者が一気に103人にまで伸びました。理解のある管理職(校長・教頭)のおかげと、熱意・バイタリティのある若い先生方のご協力で、さまざまな改革を行い進路指導体制を少しずつ変えていった成果です。全国から学校訪問が相次ぎました。「どうやったらこんなに伸びるんですか?」に対する解答が、訪問の大きな目的でした。生徒たちが最後の最後まで粘って頑張ってくれた結果です。子どもたちが自分の行きたい大学・専門学校に進んでくれたことが、何よりの喜びでした。ものすごく嬉しかったのを覚えています。この成果が契機となって、私が進路部長を務めた3年間は、飛躍的な伸びを記録しました。新しい取り組みがどんどん可能になっていきました。

 当時進路部長として、『合格わが道』(島根県立大田高等学校)のに寄せた私の原稿を挙げてみます。2000年のNo.24に掲載された巻頭言です。当時の森山祐次校長南場俊一教頭の卓越したリーダーシップの下、全職員が同じ方向を向いて、ベクトルを合わせて、組織の力で取り組んだことが、好成績につながったものと確信します。♥♥♥

         『できるんだよ、君たちは』

進路指導部長 八 幡 成 人

 今年度、大田高校は見事な進学好成績を記録した。担任の先生方は、その要因を「生徒がやる気になった」「クラス全員でお互いに励まし合いながら頑張ろうという雰囲気を最後まで持てた」「最後まで生徒に付き合う姿勢を担任だけでなく、各教科担当の先生方も示した」「チームワーク」「学年集団の団結力と先生方のきめ細かい指導の成果」などと分析された。私は個人集団の相乗効果」であったと総括したい。一人ではできないことが集団でなら可能になる、ということをまざまざと見る思いであった。京セラ会長の稲盛和夫さんが、(人生の結果)=(考え方)×(情熱)×(能力)という成功方程式を紹介しておられた。自分の夢を実現したいという情熱も、個人差こそあれ学力(能力)も、みんなが持っている。これに正しい考え方さえ加わるならば、たとえ個々の値は小さくても掛け算のすごい所、期待以上の結果が得られるのだ。足し算ではなく掛け算であり、考え方⇒情熱⇒能力の順であることにも注目したい。ただし、考え方を誤ると、結果はゼロあるいはマイナスとなってしまうことに留意したい。心の持ち方・考え方がちょっと変わるだけで、こんなにも結果が違ってくるものかと驚くことしばしばである。

 では学習を進める上で、大切だと思われる「考え方」を5つほどあげてみよう。授業は真剣勝負(一時間の授業を大切にしよう。授業での集中力高揚のために予習があり、次へのステップを踏み出すために復習が必要となる) ②自らの学習に満足感はあるか(平日最低3時間、土・日あわせて10時間の勉強が不可欠!) ③教科書が最良の参考書(基本は全てここにあり、入試問題も教科書が原点) ④答案を見直す(模試や定期考査の聞違えた箇所こそが宝庫であり、学力向上へのカギ。成功した先輩たちに一致して見られる学習法だ) ⑤恐れずに自己変革を(成果が出なければこれまでの勉強方法が誤りだと思って、取り組みや姿勢を進んで変えてみる進取の精神が重要) みなさんはどうでしょうか。

 このような成功するための「考え方」の実例が、この小冊子 『合格・わが道』には満載されている。私自身からの提言は「ウサギと亀」のお話に出てくる亀の行動から引き出すことができる。つまり、(1)他人を気にせずに、(2)自分自身の力を信じ、(3)目標を1点に集中し、(4)最後まであきらめずに100%の力を出し切る、これに尽きるのだ。今年はたくさんの生徒の素晴らしい笑顔を見ることができた。ぜひみなさんにも後に続いてもらいたいと思う。『できるんだよ、君たちは』(金八先生)

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小田和正ツアー完走!

 日本の音楽史に刻まれる記念すべき一夜となりました。小田和正(78歳)。シンガーソングライターとして半世紀以上にわたり第一線を走り続けてきたその人が、遂に全国アリーナツアーのファイナルを地元・横浜アリーナで迎え笑顔で完走しました。小田さんは1970年にオフコースでデビューし、今年で55周年。「アルバムTOP3入り最年長アーティスト」記録で歴代1位と、人気・実力共に衰えることはありません。今日はそのレポートです。

 『明治安田Presents KAZUMASA ODA TOUR 2025「みんなで自己ベスト!!」』(⇒ツアースタート時の私の紹介記事はコチラ)、全国13都市28公演、延べ31万人を動員する人気を見せつけました。77歳7か月で実施する全国アリーナツアーは、小田さん自身が2年前に打ち立てた記録(75歳2ヶ月)を更新し、“史上最年長記録”という前人未踏の金字塔を打ち立てました。9月20日に誕生日を迎え、名実ともに「78歳での全国アリーナツアーを完走した唯一無二のアーティスト」として新たな伝説を築き上げたのです。円熟を極めた透明感のある歌声、心を震わせるメロディ、そして会場を埋め尽くす観客との一体感、世代を超えた小田さんの歌の力が、確かにそこにありました。

 ライブスタートの直前、会場の照明が落ち、スクリーンに小田さんの幼少期の写真が映し出され、金沢文庫にある実家の小田薬局の前で無邪気に笑う少年時代の姿から、『自己ベスト-3』のジャケット写真を手に持ち、やがて映像は「自己ベスト島」のカラフルなアニメーションへと移り変わっていきます。そこには、今回のツアーを共に駆け抜けてきたバンドメンバーたちが、ギターやドラム、キーボードを手にして愛嬌たっぷりのキャラクターとして登場し、観客にわくわく感と笑顔が広がっていきます。まるでこれから始まる大冒険に誘われるような映像演出に、手拍子と歓声が加わり高揚感が増してゆくのでした。そしてオープニング映像が終わるやいなや、イントロが流れたのは1991年の国民的ヒット曲「ラブ・ストーリーは突然に」でした。大歓声がアリーナを揺らし、観客は一斉に立ち上がり、横浜アリーナは一瞬にして総立ちとなりました。続いて届けられたのは「wonderful life」。2016年にSUBARUのブランドCMソングとして広く知られる楽曲で、小田さんの澄んだ歌声と軽快なリズムが、横浜アリーナを爽やかな風で包み込みます。観客はまるでツアーと共に新たな旅に出るような感覚に浸りました。2曲目を歌い終えると、小田さんが「ありがとう『みんなで自己ベスト!!』は本日で終了してしまいます。明日からは皆さんが自己ベストを更新し続けていってください!」と笑顔で挨拶。続いて長きにわたりサポートしてきたバンドメンバーによるユーモラスな自己紹介に、客席は大きな笑いと拍手に包まれました。緊張がほぐれ、会場の空気がぐっと温かくなる瞬間でした。地元の横浜最終公演では約1万3,000人の声援を受け、場内を8の字にアリーナ席をぐるりと一周する約210メートルの花道を縦横無尽に何度もダッシュ。さわやかな白シャツを肘まで腕まくりをし、笑顔で客席を指さし一人一人に手を振りながら「ありがとう!」と笑顔で観客に感謝を伝えました。

 メンバーの挨拶が終わると花道沿いのステージへと移動して「夏の日」。透明感のあるメロディが夏の記憶を呼び起こし、観客は体を揺らしながら聴き入ります。続く小田さんの真骨頂とも言える「woh woh」「東京の空」で、切なくも力強い歌声がアリーナに響き渡ると、静寂の中、観客の想いが重なって、深い感動が生まれました。ステージはしっとりとした空気へと移り変わります。そして2005年に明治安田生命のCMソングとして広く親しまれた「たしかなこと」。多くの観客が目頭を押さえ、涙を流す姿が見られました。78歳となった小田さんが歌い上げる「たしかなこと」は、それぞれの人生を共有するかのように深い余韻を残しました。そして「こころ」。2007年にフジテレビ系ドラマ『ファースト・キス』の主題歌として書き下ろされた名曲です。

 ライブ中盤では、この30年間の小田さんのコンサートで定番となっていた「全国ご当地紀行」の傑作選が流されました。各地での旅先の様子やハプニング、地元ファンとのふれあいを切り取った過去のダイジェスト版も放映され、ファンとともにこれまでの思い出に浸りました。各地区で繰り広げられる小田さんの等身大の姿に観客は大笑い、会場の空気を温かく和ませました。長年のファンにとっては「これぞ小田ライブ」と言えるお楽しみコーナーであり、会場全体にたくさんの笑顔と笑い声が溢れました。

 ご当地映像が終わると、2024年TBS系ドラマ『ブラックペアン シーズン2』の主題歌として書き下ろし、今回のツアーで初披露された新バラード「その先にあるもの」です。力強さと儚さが同居するメロディに、観客は静かに聴き入り、会場は静寂に包まれました。「風と君を待つだけ」では、爽やかで軽やかなリズムが広がり、再び会場の空気が盛り上がっていきます。さらに「Yes-No」が始まると、アリーナ全体から歓声と拍手が沸き起こり、観客は総立ちで手を振りながらリズムに身を委ねます。続く「キラキラ」では、フロアに降りて、小田さんがマイクを片手に観客席や車椅子エリアを縦横無尽に練り歩き、ステージと客席の境界が消え、全員が同じ空間で音楽を楽しむ一体感が広がります。その熱狂の後に届けられたのは「言葉にできない」でした。語りかけるように歌い始めると、会場は水を打ったように静まり返り、観客はただただ小田さんの声に身を委ね、ひとつひとつのフレーズを胸に刻み込むように聴き入りました。

 いよいよコンサートも終盤。ここで披露されたのは「すべて去りがたき日々」。2024年、明治安田生命の企業CMのために書き下ろされた新曲で、今回のツアーで初めて披露されました。優しいメロディに人生の深みを感じさせる歌詞が重なり、観客は新たな名曲の誕生を確信するかのように聴き入りました。そして本編最後を飾ったのは「君住む街へ」。伸びやかな歌声とともに、地元・横浜でのファイナルのステージはクライマックスを迎えます。ステージ上の小田さんと観客の表情は、共に過ごした音楽の時間への感謝と喜びに満ちていました。終盤を終えても、会場の熱気と余韻は冷めることなく、ファンの拍手と歓声は止むことはありませんでした。

 鳴りやまない拍手と「小田さん!」のコールに応えるべく、白いTシャツに着替えてステージに再登場。客席から一斉に大歓声が湧き上がりました。アンコールの1曲目は、オフコース時代のセルフカバー「愛を止めないで」。曲の中盤には客席のあちこちから直径2メートル近い巨大なバルーンが放たれ、カラフルに舞い始めます。観客が次々に頭上へと押し上げ、会場を飛び交う様子はまるでお祭りそのものです。小田さんはそのバルーンを見つけると、満面の笑みを浮かべながら力いっぱい客席へシュートし、バルーンを受け取ったファンが大歓声を上げる一幕も見られました。ファンと一体になって遊ぶ姿に、会場全体が温かい幸福感に包まれたのでした。続く「Yes-Yes-Yes」では観客が一斉に手を振り、サビを大合唱。小田さんはこの日最長の距離を走ってみせました。「hello hello」「今日も どこかで」では深く穏やかな声で感謝を込めて歌い上げ、最後は、メンバー全員でアカペラ「いつも いつも」を歌唱。大きな歓声と拍手が沸き起こりました。

 ステージ上に残った小田さんに鳴り止まぬ拍手と歓声が生まれる中、小田さんの突然の呼びかけに、ステージ袖から親交のあるアーティスト仲間たち(昨年で終了したTBS系の音楽特番「クリスマスの約束」そのままの光景が現出です)が次々と登場します!熊木杏里、JUJU、スキマスイッチ、根本要(STARDUST REVUE)、松たか子、水野良樹(いきものがかり)、矢井田瞳、和田唱(TRICERATOPS)らが「僕らなりに御礼が言いたくて」と。豪華すぎる顔ぶれの登場に会場はどよめき、客席からは割れんばかりの拍手と驚きの声が上がりました。全員で披露したのは「キラキラ」小田さんを中心に、アーティストたちが花道を歩きながら歌声を重ね、客席に手を振り笑顔を届けます。続く「ラブ・ストーリーは突然に」では、イントロが流れた瞬間に再び大歓声。客席は総立ちとなり、華やかなコーラスと小田さんの歌声が重なり合い、盛り上がりは最高潮に達し、圧巻のラストを飾り、有終の美に花を添えました。

 ダブルアンコールを終えても鳴り止まない拍手と「ありがとう!」の歓声に包まれる横浜アリーナ。ゲストの去ったステージで、約30年前に母校の聖光学園中・高で講演した思い出に触れ、静かにピアノの前に腰を下ろし、最後は地元・横浜への想いを綴った「my home town」を最後まで変わらないよく通る澄んだ歌声で歌い上げると、観客の多くが涙をぬぐう姿が見られました。「my home town」の余韻が会場全体に広がり、観客はこの特別な一夜を胸に焼き付けました。こうして、『明治安田Presents Kazumasa Oda Tour 2025「みんなで自己ベスト!!」』 は、地元横浜で奇蹟のファイナルを迎え、長いキャリアの金字塔となる瞬間を刻んだのです。横浜で迎えたファイナルは、78歳の小田和正が築き上げてきた“音楽の絆”を体現する、歴史的な瞬間となりました。アンコールを終えた小田さんは、深々と一礼しながら観客に向かって「また会おうぜ!!」と力強く叫ぶと大きな拍手と歓声が沸き起こり客席が一つとなりました。そして観客一人ひとりの胸に“奇蹟の時間”が刻まれる夜となったのです。

 関係者によれば、ツアー中の小田さんは、会場入りしてから約4時間、歩いたり走ったり、声出しや、ラジオ体操などで体を温め、体調を整えて本番に臨んでいました。喉の調子が悪くなったり、発熱や気合の入り過ぎでライブ中の呼吸の乱れに襲われたこともありましたが、ツアーを通してコンディションは順調でした。関係者によると、小田さんはジム通いやゴルフ、30~40分にわたる早歩きのウオーキング、所属事務所での発声練習などで体調管理を徹底していたとのこと。今回のツアーでは各会場で本番の約4時間前には楽屋に入り体操などで準備を重ねました。

 この日は「『みんなで自己ベスト!!』は本日で終了してしまいますが、明日からも皆、自己ベストを更新し続けていってください」と呼びかけ、場内を8の字に張り巡らされた全長210メートルの花道を何度も巡りました。「Yes-No」ではファン一人一人にマイクを向け、「キラキラ」ではフロアに降りて客席や車椅子エリアに入ってふれ合い、アンコールの「YES-YES-YES」ではこの日、最長の距離を走ってみせました。

 小田さんと同じく70代のビッグアーティストでは、矢沢永吉(76歳)さんが11月からアリーナツアーを開催予定。自身は78歳でアリーナツアー完走の最年長記録を樹立しましたが、関係者によると小田さんは「更新のたびにどんどん年寄りにさせられている」とユーモラスに感想を漏らす一方で、「将来の目標などを語ることなく、目の前の観客を大切にする姿勢を貫いている」と説明しました。

 関係者によれば、ツアー後の予定は全く白紙で、何も決めていないといいますが、小田さんは最後に「また会おうぜ!!」と絶叫して涙ぐみ、名残惜しそうにステージを降りています。この約束を守るために、きっとまた帰ってくるはずです。MCではツアータイトル「みんなで自己ベスト!!」に重ねて、「明日からも皆さん、自己ベストの更新を続けてください」とメッセージを送りました。終盤では花道から降りて客席の通路を歌唱しながら練り歩き、歓喜のファンと数十センチの距離で交流しました。熱気を共有すると、感極まった表情で「また会おうぜ!」シャウトして涙ぐみ、再会を約束して名残惜しそうにステージを降りました。ひとつひとつのステージに集中し、〝完全燃焼〟する不変のアーティスト魂で、今後も音楽シーンを軽やかに駆け抜け、必ずや戻って来るはずです。♥♥♥

[バンドメンバー]
木村万作(ドラム&パーカッション)/ 栗尾直樹(キーボード)/ 稲葉政裕(ギター)/ 吉池千秋(ベース)

[ストリングス]
金原千恵子(ファーストバイオリン)/ 吉田翔平(セカンドバイオリン)/ 徳高真奈美(ヴィオラ)/ 堀沢真己(チェロ)

【小田和正ツアー最終日公演セットリスト】
1.ラブ・ストーリーは突然に
2.Wonderful life
3.夏の日
4.woh woh
5.東京の空
6.たしかなこと
7.こころ
8.その先にあるもの
9.風と君を待つだけ
10.Yes-No
11.キラキラ
12.言葉にできない
13.すべて去りがたき日々
14.君住む街へ
ENCORE
15.愛を止めないで
16.YES-YES-YES
17.hello hello
18.今日もどこかで
19.いつも いつも
20.キラキラ
21.ラブ・ストリーは突然に
22.my home town

 

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プラムプディング

◎週末はグルメ情報!!今週は和洋菓子

 小泉八雲(こいずみやくも)がこよなく愛したお菓子が復元されました。 松江ゆかりの明治の文豪、小泉八雲セツ夫妻がモデルのNHK連続ドラマ「ばけばけ」のスタートを前に、セツが、八雲の大好物と書いているイギリスの焼き菓子プラムプディング」を、松江市の老舗和菓子店「彩雲堂」(さいうんどう)が再現しました。10種類のドライフルーツやシナモン、ラム酒が効いた香り高い大人のケーキです。さらに松江市の紅茶専門店「パンジェシー」が、八雲の父親の出身地ギリシャのハーブティーと松江産の紅茶を使ったオリジナルブレンドティーを開発し、スイーツとセットで提供することになりました。松尾大樹社長「何気ない普段の時間が、このお茶をすることで、ちょっぴり優雅なやさしいティータイムにばけてくれる」と語りました。私は砂時計と一緒に出てきた紅茶のポットを、店員の方に説明を受けて、時間を計りながら抽出して最高のタイミングに味わうことができました。美味しかった。

 商品開発にあたって手掛かりにしたのは、八雲がまとめた「クレオール料理読本」です。「サンラポーむらくも」照沼秀則総料理長は、「この本を見る限りだと、なかなか分からないんですよね、抽象的に書いてありますし、日本でいうグラムがポンドになっていたり、難しくて。」これをもとに、総料理長が約1年がかりで再現したプディングの味を和菓子に合うようアレンジ。現代の名工でもある和菓子職人が、和の技法で繊細に仕上げました。洋と和の絶妙なバランスは、まるで国を超えて結ばれた八雲セツのようです。 彩雲堂山口周平社長「八雲夫妻が国境を越えて愛情を築かれたように、和菓子と洋菓子も枠を超えて新しい世界を作って行ければ」と。この 「小泉八雲が愛した『プラムプディング&紅茶セット』」は松江市天神町の彩雲堂本店の喫茶コーナー(1階・2階)でいただくことができます。私は早速お店に出かけて、いただいてきました。

 新商品の「プラムプディング」は、小泉八雲がこよなく愛したというイギリスの伝統的な焼き菓子です。松江市の和菓子の老舗・彩雲堂がテレビドラマの放送をきっかけに開発、9月27日(土)から販売を始めました。スパイスとお酒の香りがして、濃厚な味がします。ナッツとドライフルーツがごろごろ入っていて、ザクザクとした食感です。洋酒が効いていたので、すごく香りがよくて美味しかったです。単品で持ち帰ることもできますが(756円)、落ち着いた店内ではオリジナルブレンドの紅茶とセットで楽しむことができます。

▲「彩雲堂」喫茶コーナー

 彩雲堂山口周平社長は、「松江という町が非常にむかしながらのゆったりとしたものが残っているいい町だと思います。全国の皆さんに松江の良さを知っていただいて、一度訪れていただければと思います。」「小泉八雲さんとセツさん。国境を越えて愛情を築かれたように、和菓子と洋菓子も枠を超えて新しい世界を作っていければと思っております」と。

▲おみやげに単品としても買うことができる

 彩雲堂では、八雲をきっかけに和菓子どころに生まれた“ニューフェイス”が、観光客の心をつかんで新たな名物になればと期待をしています。


 松江市ではこの他にも、八雲作品にちなんだスイーツが次々と誕生しています。JR松江駅の構内シャミネの土産物店「中浦本舗」では、怪談スイーツなど小泉八雲関連の「特設コーナー」を設置しており(写真下)、売り上げが前年の5倍となっているそうですよ。♥♥♥

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カズレイザーとさだまさし

 先日、女優・二階堂ふみ(30歳)さんとの電撃結婚を発表したお笑いコンビ「メイプル超合金」カズレーザー(41歳)さん。「カズレーザー」という芸名は仮面ライダーV3に登場するカニレーザーからきています。金髪に真っ赤な派手な衣装がトレードマークのお笑い芸人さんですが、読書家で高学歴のインテリ芸人としても有名です。伝統校で進学校の埼玉県立熊谷高校時代から、あの金髪・赤い服装でずっと通していたそうです。筑波大学を不合格となり、滑り止めに受けた同志社大学商学部に進みました。趣味は読書、筋トレ、自衛隊研究、社会科見学、絵画、美術館巡り、などさまざまな分野に通じている芸人さんです。読書家であり、年間200冊以上を読み、絵本・図鑑・専門書など、ジャンルは小説に限らず多岐に渡ります。貧乏暮らしをしていた頃、図書館に入り浸って図鑑を読み漁っていた時期があり、その時に得た知識がクイズ番組での活躍に繋がっていると言われています。彼が司会を務めるテレビ番組の「X年後の関係者たち」を見ると、この人がありとあらゆる分野において、半端な知識の持ち主でないことがよく分かります。いろいろなことに通じています。ただのお笑い芸人ではありません。

 その歯に衣着せぬトークは10~20代の若者の支持を集めていますが、このテレビにひっぱりだこの人気芸人が、さだまさしさんの影響を色濃く受けているということを知り驚きました。半端なファンとはレベルが違います。相当マニアックな信奉者です。そのことは『さだまさしとゆかいな仲間たち うらさだ』(小学館文庫、2023年)を読むとよく分かります。“さだまさしマニア”であるカズレーザーは、金髪に赤いスーツという派手な出で立ちですが、その内面は文学や音楽への造詣が深く、少年期よりさださんのラジオや楽曲に親しんできたそうです。“さだ愛”の深さゆえ、テレビ番組では、ゲスト出演したさださん本人の目の前で、さだ楽曲の魅力を熱弁する一幕もありました。カズレーザーは大好きな曲について独自の解釈や分析を披露し、歌詞の真意をさださんに直接ぶつけるというマニアぶりを発揮しました。その鋭い考察に、さださん自身も「彼の曲の聴き方には感心する」と驚きを見せ、異世代/異分野で活躍するファン・カズレーザーによる熱いアプローチを受けていました。カズレーザーにとって、さださんの詩の世界は人生の指針となっているようです。カズレーザーは、歌手・さだまさしを好きだと明かし、「すっげえ好き。ライブ、超行きたいですけど、タイミングが合えば、もちろん行きたいですけど。(ライブの予定が)なきゃ困るとかでもない」と話しました。

 彼がさだまさしを好きになったのは、両親が運転する車の中がきっかけでした。小学生の頃、毎週土曜日に、自宅から離れたそろばん教室に通っていたのですが、自宅を出るのが午後3時頃で、車のラジオをつけると、さださんがしゃべっていました。その時、「北の国から」も知っていたし、「関白宣言」も聴いたことがあったのですが、ラジオの中でしゃべっている人と、「北の国から」を歌っている人が繋がりません。そもそも、番組ではリスナーのハガキを読んでるばかりで、さださんの曲はほとんどかかりません〔笑〕。しばらくの間、土曜3時に文化放送でしゃべっているおじさんは、しゃべりが流麗な「ラジオパーソナリティ」だと思っていました。ところがこのラジオがとてつもなく面白い。気がつくと、毎週、さださんのラジオを車内でがっつり聴く、というのが生活のサイクルになってしまい、すっかり習慣化されてしまいました。一人でカラオケに行く時は、ヘビロテでさださん。さださんを歌い続けて、最後は 「主人公」で締める、というお約束です。最近の「ひとりカラオケ」でのお気に入りは、「二軍選手」です。この曲名を聞いただけで、めちゃめちゃマニアックなファンだということが分かりますね。行きつけのカラオケ店にはこの曲が入っておらず、なかなか歌えないのが残念だとか〔笑〕。「誰もが夢見るスターのポジションは  もう僕らには与えられることはないけど」「彼は心から野球を愛してる  僕は心から歌を愛してる  たとえ泥まみれで捨てられても笑ってみせる  たぶん自分の事以上に愛してる そう 自分の事以上にね」という詩を、当時売れない自分の姿に重ねていたのでしょう。

 カズレイザーさんが、さださんのアルバムで、最初に購入したのは 『夢の轍』(ゆめのわだち)でした。この中の一曲「償い」(作詩・作曲さだまさし)をじっくり聴いた時に、「こんな歌を歌う人がいるんだ!」と大きな衝撃を受けました。この歌の中に、こんなフレーズがあります。〈人間って哀しいね だってみんなやさしい〉これだ!と思いました。さださんの魅力って。圧倒的な人類愛を伝えようとしている。それは歌手さだまさしであっても、小説家さだまさしであってもそうです。さださんの作品の全てに「やさしさ」が通底している。さださんのテーマは「やさしさ」なのだということを思い知りました。「前夜(桃花鳥)」「遙かなるクリスマス」もそうです。ここでは「人間個人の幸せ」が語られているんですが、実はそれを広げていっても、人類全体の幸せには決して繋がらない、という現実や矛盾を描いていて、これがさださんのメッセージだと思うんです。個人の幸せ=人類全体の幸せ、ということじゃないのなら、個人と全体を切り離してしまって、個人の幸せだけを考えればいい、ということじゃない。二つを断ち切るんじゃなくて、「人間愛」を接点として、個人と人類全体を繋げようとしています。

 「個人の幸せ」がぶつかり合うこともあります。たとえば 「甲子園」(作詩・作曲さだまさし)。この歌は、喫茶店のテレビで夏の甲子園の準決勝を見ている、という設定なんですが、テレビの実況が突然、「ホームラン!」と叫びます。普通に考えれば、ホームランはプラスのイメージです。しかも喫茶店で何気なく見ているんだから、「おっ、やったね」となる。ところがさださんは、このプラスのイメージを反転させてしまうんです。〈また誰かの夢がこわれる音がする〉ホームランを打たれたピッチャーの側から、ホームランを表現する凄さ。個人の幸せが、一方で別の個人を不幸せにしているというリアルな現実。この切り口はさださんだなあ。「二軍選手」でもそうですが、さださんは一貫して、敗者にやさしい眼差しを向ける。これがさださんの「やさしさ」「人間愛」です。「「やさしさ」を定期的に取り込むためにさださんを聴いているところがある。聴いていなければ、もっとひどいヤツになっていたかもしれない」こんなことが語れるカズレイザーは、やはりただ者ではありません。♥♥♥

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エスカレーターの故障(out of order)

 アメリカのトランプ大統領が国連総会で演説しました。演説をするために、国連本部にメラニア夫人と連れだって現れたアメリカのトランプ大統領。 このあと“まさかの事態”に見舞われました。 エスカレーターに乗った瞬間、“異変”を感じ、後ろを振り向く2人。 突然、エスカレーターが停止して動かなくなってしまったのです。2人はたまらず、急停止したエスカレーターを歩いて上っていきます。これにトランプ大統領は国連に対し、皮肉交じりにこんなジョークを飛ばします。 「ファーストレディが、よい体勢でなければ転げ落ちていたところだが、彼女は大丈夫だった。」「鋼鉄の階段の鋭い縁に顔から真っ逆さまに転落しなかったのは奇跡だ。手すりを握っていたから惨事を免れた」と強調しました。また演説においては、直前に原稿を登壇者のために映し出すプロンプターが作動しなくなるなど、相次いで見舞われたトラブルを取り上げ、国連の「機能不全」を皮肉りました。「プロンプターなしで演説しても構わない。なぜならプロンプターは機能していないからだ(場内笑い) 誰がプロンプターを操作しているにせよ、大変な苦境に立たされるだろう(場内爆笑)。」演説時に原稿を映写するプロンプターに不具合があった他、会場の音響もおかしかった、と述べ「国連による三重の妨害工作だ」と主張しました。「国連が私にくれたものは2つだ。動かないエスカレーターと作動しないプロンプターだ」と皮肉を込め、再び笑いを誘いました。自身が各地で進めた紛争の仲介努力を国連は支援しなかったと主張し「国連から得たのは壊れたプロンプターとエスカレーターだけだった。ありがとう」と最大限の皮肉を込めて話しました。約9分半演説した後、プロンプターは正常に戻りました。

 この後、トランプ大統領は、割り当てられた時間の15分をはるかに超えて1時間に渡り大演説です。 国連は「機能不全」に陥っていると批判を繰り返しました。この“エスカレーター騒動”を問題視したホワイトハウスのレビット報道官は、「国連職員が故意に停止させたのであれば、その人は直ちに解雇され、捜査されるべきだ」とSNSに投稿。 関係者が意図的に仕掛けた可能性があり、責任を取らせる必要があると強調しました。一方、国連報道官はエスカレーターの停止の原因について、「トランプ大統領の前にいた人物が誤って安全装置を作動させた」と説明しています。イギリスの「タイムズ」紙は、「国連の職員たちがトランプ氏らが使うエスカレーターの電源を切り、“資金が尽きたので階段を上っていただくしかありません”とトランプ氏に伝えることを冗談として話している」と伝えていて、レビット報道官はその記事を引用し、エスカレーターの停止が意図的なものだったのではないかと問題視しているのです。「国連で、誰かが大統領とファーストレディのエスカレーターを意図的に止めたのだとすれば、その人は直ちに解雇され、調査されるべきだ」と述べています。現在資金不足に直面する国連では、エスカレーターの故障が頻繁に発生しているそうです。

 トランプ大統領は、紛争解決や移民問題などで国連が「役割を果たしていない」と批判を続ける一方、「国連から得たのは、途中で止まってしまうエスカレーターだけだった。ファーストレディがこんなに元気でなければ転ぶところだった。幸い、妻は元気だし、私たちふたりは絶好調だ」かつて自身の企業が、国連本部ビルの改修工事を応札できなかった事実についても不満をぶちまけています。

 「エスカレータの故障」ということで、英語の「out of order=故障中」という英語表現について補足しておきます。かつて、二次試験のための特別講座の英作文の授業で、生徒が “My watch was out of order…”(私の時計が故障した…)と黒板に書きました。 この男子生徒は英語がかなりできる難関大を目指す生徒だったんですが、頭の中に「故障した=out of order」という図式があったのだと思います。しかしこの英語は、文法的には間違ってはいないものの、オカシク響きます。私は黒板に黄色いチョークで、“was broken”と訂正をしました。out of orderという表現は、私的所有物ではなく、機械類、それも多くの人が共同して使用する公共性の強い機械、器具類に使われるのが普通です。例えば、エスカレーター、エレベーター、公衆電話、ビルのエアコン、自動販売機などですね。公共性のある物が故障しているときにout of orderを使うのです。時計は個人の所有物ですから、不自然に響くのです。このことはキャサリン・クラフト『日本人の9割が間違える英語表現100』(ちくま新書、2017年)にも書いてあります。最近の英和辞典では、注記を載せるものも出てきました。

〇 The elevator has been out of order for three weeks. エレベーターが3週間前から故障している。

○ The vending machine was out of order, so I couldn’t get any canned coffee. 自動販売機が壊れていて、缶コーヒーが買えなかった。

? The vacuum is out of order again.  掃除機がまた故障しちゃった。

? If this watch should get out of order, we will replace it. この時計が故障したら、新しいのと取り替えることにしよう。

? The door won’t open; the lock must be out of order. ドアがどうしても開かない。錠が壊れているに違いない。

 最後の文に関して、普通、家の錠前は機械と呼べるほど複雑なものではなく、公共性が強いとは言えないでしょうから、out of orderは不自然に聞こえるのです。もちろん、最近の高級マンション等に見られる、居住する人たちが共同で使う公共性の高いオートロックなどの場合だったら、自然な英語となるでしょうね。♥♥♥

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戦争省?

 米国のトランプ大統領は9月5日、国防総省(Department of Defense)の呼称として「戦争省」(Department of War)を使えるようにすると大統領令に署名しました。大統領令により、公的文書などで「戦争省」「戦争長官」などの呼称が使えるようになります。正式な名称変更に向けて、政権は必要な立法措置を進める構えです。トランプ大統領はホワイトハウスで記者団に、「我々は世界最強の軍隊を持っている。匹敵する国は他にない」と強調しました。「強さ」を内外に誇示すると同時に、省内で「戦士の精神」を取り戻そうとするトランプ政権の施策の一つと考えられます。「戦争省だったころは信じられないほどの勝利の歴史があった」と。同席したヘグセス国防長官「我々は防衛だけでなく攻撃にも回る」と述べ、政権が掲げる「力による平和」の実現に向け、戦う姿勢を強調しました。官僚機構や軍に対して強い不信感を持ち、自身の色を強く出すために名称変更を進めているようですが、名称変更が軍事費削減や外交カードとして使われる可能性が懸念されます。ただ、正式な名称変更には議会の承認が必要で、当面は国防総省」戦争省」の二つの呼称が併用されるものとみられます。日本でこんなことをやったら、と思うとゾーッとしますね。「自分にノーベル平和賞を与えろ」と迫るトランプ大統領の図々しさにも辟易しています。

 米国は1789年に陸軍などの運用を担う戦争省」を設立し、1949年に現在の国防総省」へと改称しました。ホワイトハウスによると、今回の命令はヘグセス国防長官国防総省、および部下の職員に対し、公式文書や公的なコミュニケーションで「戦争長官」「戦争省」「戦争副長官」といった副称の使用を許可するものです。 この措置により、改名を恒久化するための必要な立法措置と行政措置を勧告することになります。トランプ大統領は1月の就任以来、メキシコ湾を含むさまざまな場所や施設の名称変更に着手しています。 省庁の名称変更はまれで、議会の承認が必要となりますが、共和党は上下両院で辛うじて多数派を占めており、同党の議会指導者らは、トランプ大統領の構想に反対する意欲をほとんど示していません。米国では1947年に成立した国家安全保障法で、陸・海・空軍を単一組織の下で統合することが定められ、1949年に可決された修正法でこの組織が正式に国防総省」と名付けられました。それまで同省は戦争省」と呼ばれていました。名称を再び変更するには費用がかかり、国防総省」だけでなく、世界中の軍事施設で使用されている標識やレターヘッドを更新する必要があります。 退役軍人で上院軍事委員会のメンバーである民主党タミー・ダックワース議員「なぜこの資金を軍人の家族支援や、紛争を未然に防ぐ外交官の雇用に充てないのか?」と問い、「トランプ大統領は国家の安全保障を強化し、勇敢な軍人とその家族を支援することよりも、政治的な得点を稼ぐために軍を利用したいからだ」と指摘しました。ヘグセス国防長官「『アメリカ第1主義』、そして『力による平和』を『戦争省』によってもたらし、この国の気風を形づくっていく」と述べ、「戦争省」という名称を使うことによって、トランプ政権の理念を具体化していくことに強い意欲を示しました。ただ、アメリカのメディアには「名称の変更のために多大な費用がかかるのに、権威主義的な国々への対応など軍が取り組むべき課題解決にはほとんど役立たない」といった指摘もあり、今後、国内外でさまざまな反響が出てくることも予想されます。名称変更に巨額の税金を使うよりも、軍人家族や外交強化に回すべきだという声や、言葉の持つ力(攻撃的な印象が強い)が国際社会に与える影響を疑問視する意見があります。トランプ大統領は名称変更に伴う費用について「それほど多くない」と説明していますが、地元メディアからは国防総省傘下の数百に上る機関の名称の変更に関わるほか、紋章や制服などの刷新により数十億ドルの費用が見込まれる、との指摘も出ています。

 2021年、バイデン前政権下で、米軍はアフガニスタンから完全撤退しました。2001年の9・11テロを契機に、米国がアフガニスタンに侵攻してから20年目の出来事でした。アフガニスタンに自由民主主義と自由市場経済を信奉する親米国家を樹立しようとする試みは、すでに水泡に帰していました。アフガニスタン民族は、たとえ生活が厳しくとも、他国の干渉や支配を容易には受け入れないと断言しており、19世紀に世界的な大帝国を築いた英国も、20世紀に共産主義陣営の盟主として米国と肩を並べたソ連(現ロシア)も、最終的にはアフガニスタンを支配下に置くことには失敗しています。米国もその例外ではありませんでした。9・11テロへの報復として始まった「対テロ戦争」で主たる標的になったのは、まさにアフガニスタンとイラクでした。ニューヨーク中心部でイスラム過激派によるテロで多くの市民が犠牲になった9・11は、米国の若者の愛国心を高揚させました。テロ集団と戦うために志願する若者が相次ぎましたが、20年近くが経過するうちにその熱意も次第に冷めていきました。ジョー・バイデン前大統領はアフガニスタン完全撤退を命じる際、「アーリントン国立墓地のアフガニスタン戦没者墓地に並ぶ墓石をご覧いただきたい」と訴えました。アフガニスタンでは約2,400人、イラクでは約4,500人の米軍兵が戦死しており、9・11での犠牲者は3,000人弱に上ります。世界最強の軍を有する国であっても、全てが思い通りになるわけではありません。第二次世界大戦に勝利し、国力が頂点に達した米国が、従来の「戦争省」(Department of War)を「防衛」概念中心の「国防総省」(Department of Defense)へと改編したのは、そのような謙虚さの表れであったのかもしれません。

 ところが、9・11テロから24年を迎え、米国全土が追悼ムードに包まれる中、米国のドナルド・トランプ大統領はペンタゴン庁舎に立ち、反米的テロ集団を念頭に「米国が攻撃されたならば、我々は最後までその全てを追及する」と警告し、さらに「我々は一切の容赦なく彼らを叩き潰し、確実に勝利を収める」と述べた。そして「以前の国防省という名称を戦争省に変更した」と強調しました。これは、防御ではなく「攻撃」を通じて、国際社会に米国の望む秩序を必ず確立するという強い意思の表明のように聞こえます。この「戦争省」の復活が新たな戦争の火種とならないことを祈るばかりです。

 トランプ大統領は、「「戦争省」の省名の下で、我々は第一次世界大戦にも第二次世界大戦にも勝った。しかし、我々はその後『ウォーク』になってしまった」と述べました。ウォーク(woke)とは、社会正義や人種・性差別への意識が高いことを揶揄する言葉です(⇒wokeに関する私の詳しい解説はコチラで)。今日では皮肉を込めて使うことが多くなっています。ヘグセス国防長官は、米軍幹部を世界中から招集し、「戦争省へようこそ。『国防総省』の時代は終わった」と切り出し、「戦士(warrior)の気風」の回復を改めて訴え、「我々は『ウォーク省』になってしまっていたが、もうそうではない」と語りました。「太った軍を見るのは嫌気がさす。太った将軍や提督も絶対に受け入れられない」と主張。戦闘に関わる将兵には、性別に関わらず、最高水準の男性の基準を課すことを命じ、あごひげや長髪といった個人の表現も認めない、と断じました。「あまりにも長く我々米軍は、人種、ジェンダーに基づいて割り当てるクォーター制、いわゆる『史上初』…などの誤った理由で、あまりにも多くの制服組の軍人を昇進させてきた」と。♥♥♥

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