KiLaさん痛恨の失敗!

 今日6月24日(火)は私にしては珍しくたまたま休みだったのでお昼時にテレビを見ていました。フジテレビ系の「ぽかぽか」という生放送番組です。私の好きな天才マジシャンのKiLaさんが登場しました。「マジックにらめっこ」という人気コーナーで、ゲストの面々が超絶マジックを見てもノーリアクションでいられるかを試すものです。最後のゲストに対して一個のルービック・キューブをゲストに適当に混ぜてもらい、もう一つのキューブKiLaさんが6秒で揃えると言って 回転し始めました。あ~、これはゲストが適当に混ぜた面と同じ面に揃えるマジックだなと直感しました。さてここでハプニングが起こります。揃うはずのキューブをずーっと回し続けておられます。苦笑いを浮かべながら一生懸命揃えようとしておられますが、揃いません。やばい、やばい、失敗しています。「本当にしくじったな、本当にしくじったぞ」と、結局面が揃わずギブアップです。ここで突然コマーシャルに切り替わりました。生放送の怖さです。番組の最後に、もう一度リベンジする機会をもらって見事にリカバーして、最後には片手で6面を揃えておられましたが顔面は蒼白でした。今年の1月にもこの番組で失敗されたKiLaさんですが、プロでもこういうことは起こるんです。KiLaさんの超絶なテクニックはもう見事というほかはありません。さらには上品な物腰と言葉遣い、そして見事なストーリー・テリングの才能は非常に好感が持てます。そんな彼でも失敗するんです。何が起こるか分からないのがこの世界なんです。特にルービックキューブのマジックは、ツボを外すとひどいことになります。

  以前、テレビ番組「全力教室」に先生役で出演したマジシャンKiLaさんは、数年前、マジシャン・コンテストの決勝でしでかしてしまった自分の失敗(紙がひとりでに折りたたまれて紙飛行機となっていき、最後は空中高く舞い上がるというものが、土壇場で△△が手にひっかかって落下してしまった)を告白しておられました。最後のKiLaさんの、天を向いていかにも悔しそうな顔が印象的でした。6年もかけて準備した構想が、なぜもろくも崩れ去ったのか?どこが足りなかったのかを、突き詰めて考えることで、今の自分につながった、と回想しておられましたね。自分の失敗を真摯に受け止めて教訓にして、さらに良いものを作り上げた結果が、今のKiLaさんの存在でしょう。失敗を単なる失敗で終わらせないところがすごいですね。「辛い」という漢字は「立」に「十」と書きます。これに横棒一本足すだけで、「辛い」が「幸せ」になるのです。まさに自分の心の持ちようで、自ら一歩動くことで、幸せになれることを物語っていませんか?「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」(本田宗一郎)

 そういえば、思い出すことがあります。あの大御所Mr.マリックさんでさえ、その昔「アッコにおまかせ」という生放送番組で、カード・マジックがとんでもないことになってしまい、青くなっておられました。あんなマリックさんを見たのは初めてでしたね。和田アキ子さんからマリックさん、失敗したなら失敗したと言っていいんですよ!と突っ込まれていたのが懐かしく思い出されます。私はこの生放送を見ながら、自分でも思い当たるフシがありました。Tomas Medina(トーマス・メディーナ)というマジシャンの、「Cardiologist Deck」という作品をアメリカから送ってもらって、練習していたんですが、なかなかうまくいかないんです。そんな時にあのマリックさんがこれと同じものをやって失敗したのです(マリックさんは海外の新しい作品はすごくチェックしておられるんです)。後日、しっかりとリベンジしておられましたけどね。生放送の恐ろしさです。

 私にも似たような苦い経験があります。2018年6月16日(土)東京・市ヶ谷・TKPセンターでの英語の講演の冒頭に、私は「成功の秘訣は二つしかない。それはコツ コツだ」と申し上げて、その実証実験として「サイコロの透視」を行いました。サイコロを振っていただいて、その目を透視するというものです。最初は、振っていただいた先生(サクラではない!)と対面しながら、「質問するので全部「違います」と答えて下さい」とお願いして実験を始めました。1ですか?」―「違います」―「2ですか?」―「違います」・・・―「6ですか?」―「違います」このやり取りから、相手の顔の表情、声の調子、口角の部分の微妙な動き、などから判断してサイコロの目を当てるという第一段階です。私はコレに見事に失敗してしまいました。ごまかすのに一苦労です。講演終了後に先生からは、失敗とは思いませんでした。わざとやっておられるものと思っていました」と言っていただきましたが、実は痛恨の大失敗でした。今度は全く質問もせずに、しかも相手を見ることなく当てるという第二段階の実験に挑みましたが、これにも失敗します。パニック状態で、最高難度のサイコロ3個(白・黒・赤)をいっぺんに振ってもらって、テレパシーで送ってもらい当てるという最後の第三段階に進みましたが、動揺は隠せず、2個は当たったんですが、1個をハズしてしまいました。いつもはパーフェクトに成功するんですが、この時はある原因(?)のためにハズしてしまいました。猛反省です。後日、東京羽田国際線ターミナル5階にご勤務のテンヨーのカリスマディーラー清水さんと、そこでお会いしたプロマジシャンの太田さんと、その話で盛り上がっていたんです。教室で初めてやった時には失敗の連続でしたが、練習の成果で最近は外さなくなっていたんですが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 松江に帰ってから、主催者のラーンズの責任者の方々から、リベンジ期待しています!」とメールが入り、絶対に成功しないわけにはいきません。いい目標ができました。めちゃ練習して、一週間後の6月23日(土)、土浦の会場に早めに入った私は、「うん、これなら大丈夫!」と、自信を持って講演会を始めました。初めての先生方を相手に(サクラではない!)、第一段階成功、第二段階も成功、第三段階はなんと「3―3―3」とぞろ目が出たんですが、これも見事に「透視」に成功しました!リベンジ大成功です!大きな拍手をいただきました。私のこの時の大きな目標はコレだったので、ホットしました。一体何をしに行っているんだ、と叱られそうですが〔笑〕、コツコツ」と練習すると、こんなことまでできるようになるのだという良いお手本を示すことができ満足でした。やりっ放しにしない!」という私の「指導哲学」も証明することができたように思います。今は絶対に外さないように、サイコロ1個だけで実演して、100発100中です(先日も米子東高校3年生280人に実演してきました)。♥♥♥

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「パン工房」のぶどうパン

◎週末はグルメ情報!!今週はぶどうパン

 松江市山代町HOK山代店「手造りパン工房」に、それはでっかいぶどうパンが売れています。私は以前、松江南高校に勤めていた頃、この近所に住んでいたので(大庭町)、ここの「HOK」はよく利用していました。当時はこんなでっかいパン屋さんはありませんでした。山代のここら辺は、私が住んでいた頃とはずいぶんと様変わりしましたね。

 「大きなレーズンのパン」(511円)という商品名です。ラム酒漬けにしたレーズンを大量に含み、しっとりと焼き上げたレーズンの甘味たっぷりの大きなレーズンパンです。表面には砂糖がまぶしてあります。中にはレーズンがこれでもかっというほどに、ゴロゴロと入っています。私のようなレーズン好きには堪らないパンです。ハーフサイズにしてもらうこともできますが、私はいつもでっかいサイズのを買って帰ります。♥♥♥

▲美味しそうでしょ!?

 

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エナージェルインフリーのピンク

▲エナジェルインフリー

 「エナージェルインフリー」は、ぺんてるから発売されているゲルインク・ボールペンで、書き味に病みつきになる人もいるくらいなめらかでスラスラ書ける、色濃く、インクが速く乾いて使いやすいのが特徴のボールペンです。「インフリー(infree)」という名前は造語で、既成概念にとらわれない自由(free)という考え方が自分の中に入っている(in)という意味が込められています。それは、想い描くことと書くことの境界を超えていく体験で、何にもとらわれることなく、どこまでも広がるイマジネーションのように、軽やかに、自由に、エナージェルは、あなたに寄り添い、共に走り、先導します。アイデアを出す時も、メモをとる時も、勉強をする時も、あなたが望む時には、いつでもです。芯の太さも0.4㎜、0.5㎜、0.7㎜と3種類出ていて使い分けることができます。私はもっぱら一番太い0.7㎜を愛用しています。主な特徴は次の三つ。私が一番気に入っているのは(1)です。

(1)インスピレーションが湧く、なめらかな書き心地

(2)汚れを気にせず、ストレスなく書き進められる速乾性

(3)想いをしっかり伝えられるクリアで鮮明な文字、筆跡

筆跡の速乾性

筆跡の速乾性汚れを気にせず、ストレスなく書き進められる速乾性も魅力です。

濃く鮮やかな筆跡

濃く鮮やかな筆跡想いをしっかり伝えられるクリアで鮮明な文字、筆跡も気に入っています。

“スッと書けて、サッと乾く”エナージェルインキ・高発色の着色剤配合
・潤滑剤が従来のゲルインキの3倍 ※当社比、ボール径0.5/0.7において

・筆記時の粘度が従来のゲルインキより低い
・紙との親和性が高く素早く浸透する

 エナージェルインキの特長を最大限生かす専用チップは、エナージェルインキに最適化したボール回転抵抗と、インキ流路設計がなされています。リフィル(替芯)として多様な色のインクが販売されているのが大きな特徴ですが、私はもっぱら「ピンク」を文書の校正に使っています。松江市ではインキが入手できないので、箱ごと大量に注文してストックしている八幡です。♥♥♥

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SARD UNDERGROUND

 私は40歳で若くして亡くなったZARDの故・坂井泉水(さかいいずみ)さんの大ファンで、これまで日本各地で行われた追悼イベントには必ず出かけるようにしてきました。四年前には東京都・町田市で行われた「ZARD―坂井泉水 心に響くことば展」(⇒詳しくはコチラをご覧ください)を堪能してきました。彼女の書く詞の世界には、人を惹きつける不思議な魅力があるんです。清純派で歌が上手いのも大好きな点です。

 さて、「SARD UNDERGROUND」(サード アンダーグラウンド)は、ボーカル・神野友亜、ベース・杉岡泉美、キーボード・坂本ひろ美の女性3人組グループです(2021年に1人脱退)。2007年に40歳で亡くなった坂井泉水さんボーカルのZARDのトリビュート・バンドとして2019年にデビューしてもう5年になりますか。ZARD長戸大幸プロデューサーから「作品を後世に伝えて」と託されて、2019年9月にカバー・アルバムでデビューしました。私は全く知らなかったんですが、メンバーの一人、坂本ひろ美(さかもと・ひろみ)さんは1995年12月29日の生まれの、島根県松江市出身で、島根県立松江商業高等学校の卒業です。キーボード&コーラスを担当しています。特技は手品、トランプと言いますから、私と一緒です〔笑〕。昨年9月には初の全国ツアーも開催しました(ホームページはコチラ)。デビュー直後のインタビューで、「性格が違う3人が混ざることで私たちだけの色が出せるようになれたら」と語っていた3人です。5年という月日を経て、「その化学反応によって生まれた色は?」と聞くと、「私たちならではだと思うし、すべてがちょうどいい」と、3人は笑顔で胸を張ります。個人的には、私は坂井さんの澄んだ歌声が忘れられないので、それをなぞる彼女たちの演奏や歌声(二番煎じ?)には、あまり共感できないでいました。

▲松江商業高校卒業の坂本ひろ美さん

 デビューを目指してレッスンを受けていた頃から、ZARDの作品と向き合い、デビュー後もアルバムやライブでZARDの楽曲を大切に歌い継いできた3人です。「デビュー当時は何が自分たちに合うのか、何もわからない状況だった」と振り返る神野さんですが、5年間の歩みの中で、自らの成長に合わせて、やりたいことや自分たちらしさが明確に見えてきたようです。それはベースの杉岡泉美さん、キーボードの坂本ひろ美さんも同じです。カバーする際は、常に「坂井泉水さんの歌への想いと世界観を大切にしている」と語ってきた3人。数々の名曲を歌い継いで5年、その素晴らしさをより一層感じるようになった、と言います。「聞けば聞くほど、歌えば歌うほど、ここもすごい、あそこもすごい、と発見することが多いです。とくに最近、よく思うのは、声が唯一無二ということです。今回レコーディングして、改めて、どれだけ頑張っても自分には出せないな、と思いました。だから私は似せるのではなく、私が出せる自分のよい声を見つけて、『この人の声、めっちゃいいよね』って思ってもらえるように頑張りたいと思っています」(神野)

 ZARDのトリビュート・バンドとしてデビューした頃は、批判の声もずいぶんとありました。SNSのコメント欄では、「下手だからやめろ!」「こんなの意味がない!」とかいろいろ言われたりもしました。 「死ねっ!」と言われたこともありました。ひと言ひと言を受け止めちゃって辛かった時期もありました。ただ、直接イベントとかでお会いした時に、ファンの方に温かいメッセージをたくさんいただけて「こういう人もいるから頑張れるな」と思っていました。

 松江市出身の坂本さんは「私は何か起きたときにも動じなくなったというか、受け入れる心が大きくなったような気がします。その分、周りを見られる余裕ができたというか、視野が広がって、感受性のアンテナが増えたように思います。キーボードに関しては、弾けば弾くほどできない部分が見えてくるので、悔しくて、欲が出てきています。自宅では自分で弾いたものを録音して聞いて、また弾いて、を繰り返しています。上手な方の演奏を聞くと、まだまだだなって思うことばかりなので、もっと突き詰めて行きたいと考えています」と語っていました。

 ところがびっくりしました。昨年9月に初の全国ツアーを終えたSARD UNDERGROUNDのメンバーの2人、杉岡さんと坂本さんが、同グループから脱退したのです。脱退の理由について杉岡さんは「今までの5年間や、これからの5年の話をメンバーとしたり、今後の自分を想像する機会が増える中で、SARD UNDERGROUNDの杉岡泉美ではなくひとりの人間として普通の生活を送ってみたいと思うようになり、決心しました」坂本さんは「5周年を迎え、10周年を想像したときに、ひとりの人としてどう生きていきたいか悩み、今回の決断をしました」とコメントしています。SARD UNDERGROUNDは今後、神野友亜(Vo)のソロプロジェクトとして活動していくようです。神野さんは「三人で過ごした日々はかけがえのない時間です。三人で掲げていた目標も、追い続けます。私自身も、もっと強い人間になれるように頑張ります」とコメントを寄せています。

<神野友亜 コメント>

 SARD UNDERGROUNDメンバーの、杉岡さん、坂本さんが脱退することになりました。ライブツアーを今まで通り全力で楽しむため、そして、皆さまにも変わらない気持ちで楽しんでほしいという想いから、急なご報告になってしまいました。驚かせてしまって、申し訳ありません。5周年というタイミングで、三人で話し合うことが増え、それぞれの将来を遠く見つめていく中で、杉岡さん、坂本さんの二人から、新たな道へ進んでみたいという言葉を受けました。私は歌手になることが幼い頃からの夢だったので、一人になってもやめるという選択肢は一度も浮かびませんでした。これからも全力で続けていきたいし、ZARDさんの楽曲も届け続けたいです。この先もずっと三人で頑張っていきたかった、三人で夢を叶えていきたかった。という気持ちはもちろんあります。でも、二人が決めた道なので、応援します。悲しい。寂しい。悔しい。という感情は、少しずつ、これからの活動の燃料に変えていきます。

 三人で過ごした日々はかけがえのない時間です。三人で掲げていた目標も、追い続けます。私自身も、もっと強い人間になれるように頑張ります。これから二人の歩んでいく人生が、豊かな心と共に、愛に満ちた幸せな日々であることを心から願っています。本当にありがとうございました。私は、変わらずSARD UNDERGROUNDのボーカルとして、今の環境を大切に、多くの方を笑顔にできるアーティストを目指して、歌い続けたいです。応援してくださっているファンの皆さま、これからもよろしくお願いいたします。

<杉岡泉美 コメント>

 いつもSARD UNDERGROUNDを応援してくださっている皆様へ
急なご報告ではありますが、私、杉岡泉美はSARD UNDERGROUNDを脱退することを決めました。今までの5年間や、これからの5年の話をメンバーとしたり、今後の自分を想像する機会が増える中で、SARD UNDERGROUNDの杉岡泉美ではなくひとりの人間として普通の生活を送ってみたいと思うようになり、決心しました。このような形になってしまい、応援してくださっている方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。友亜ちゃん、ろみさんと一緒にこれまで色々な経験ができ、イベントやライブなどで沢山の方々とお会いできたこと、私にとって大切な思い出です。応援してくださった皆様、関係者の皆様、そして何より、友亜ちゃん、ろみさん、本当に今までありがとうございました。これからも、友亜ちゃんが続けていくSARD UNDERGROUNDの応援を宜しくお願いいたします。

<坂本ひろ美 コメント>

 いつも応援してくださってるみなさま、関係者のみなさまへ
この度私、坂本ひろ美は2024年9月30日をもってSARD UNDERGROUNDを脱退することとなりました。5周年を迎え、10周年を想像したときに、ひとりの人としてどう生きていきたいか悩み、今回の決断をしました。驚かせてしまい、悲しい思いをさせてしまい、本当にごめんなさい。何から伝えていいのかわからないくらいいろんな感情で溢れています…。この世界に飛び込んで、ZARDさんに出逢い、メンバーと出逢い、人生、想像もしてなかった経験をたくさんさせていただきました。そんな5年間を過ごせたのも、ファンの皆様のあたたかい応援、メンバーの存在、スタッフさんの支え、関わってくださったみなさまのおかげです。私にとって本当に夢のような、幸せな5年間でした。本当に、本当にありがとうございました。SARD UNDERGROUNDずっとずっと大好きです。そして、メンバー2人の大ファンです。それぞれの道を温かく見守っていただけると嬉しいです。そしてSARD UNDERGROUNDのこれからの活躍を心から祈っています。みなさまに出逢えて本当によかったです。関わってくださった方の愛を忘れず、これからの人生を生きて行きます。これからも自分のペースで、ピアノを弾くことは続けていきたいので、またどこかでお会いできたら嬉しいです。みなさまにとって幸せな日々が過ごせますように…。

 5年間はあっという間でしたが、とても濃い時間でした。初めは環境にも慣れず、目の前のことに必死でした。活動していくうちに多くの方と出会い「こんな私でも応援し続けてくれる人がいるんだ」とすごく力になりました。リリースイベントで直接お話しをする時間は、すごくパワーをもらいます。交流サイト(SNS)のメッセージもすごくうれしいです。そして、ライブはやっぱり楽しいです!あの大きな音が響き渡っている空間がたまらないです。昨年はやっと声も出すことができて、ファンの方との一体感がより感じられて、うれしかったです。メンバーや、スタッフさん、ファンの方と過ごしてきた5年間はとても貴重で、すごく幸せな時間で成長させてもらいました。

 公式の発表はざっとこのようなものですが、グループバンドからの脱退にはいろいろとドロドロしたものが隠されているのがこの世界の通例です。社内で何かのゴタゴタがあったのではないかと推察している八幡です。♥♥♥

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今年の「勝田ケ丘志学館」

 大学進学を目指す浪人生を指導していた、鳥取県立倉吉東高校専攻科を前身に持つ予備校「倉吉鴨水館」(くらよしおうすいかん)が、今年の3月末で閉校しました。鳥取県の専攻科は、都市部に比べ大手予備校などがなく学習環境の不利な浪人生のために、1959~61年に倉吉東高、鳥取東高、米子東高に設けられました。ところが、予備校などから「経営を圧迫する」といった強い廃止要望があり、県議会の決議を受け、2008年度に鳥取東高、2012年度に倉吉東高米子東高が廃止になりました。その後、「大学進学に挑戦したい子の学びの場をなくしてはならない」と卒業生やPTA・同窓会の後押しで、倉吉東高の敷地内に「倉吉鴨水館」が開校します。倉吉鴨水館」は、県立倉吉東高校専攻科が廃止された2013年に、同窓会などによって設立されたNPO法人が予備校として運営し、12年間にわたって受験に挑む約500人の受験生を支えてきました。ところが少子化により生徒数が減少し、黒字化が見込めないことや、講師の高齢化などで存続が難しくなり閉館が決まりました。倉吉鴨水館」からは、これまでに347人が東京大学京都大学など、国公立大学へ進学しました。これで鳥取県には私の行く「勝田ケ丘志学館」だけが残りました。

▲米子東高校の同窓会館内にある「勝田ケ丘志学館」

 鳥取県立米子東高等学校には、1960年から「専攻科」という浪人生のクラスがあったのですが、「官から民へ」の流れの中で、2012年度末に廃止されていました。浪人者数は、横ばい状態であるにもかかわらず、同校では、県外の予備校や自宅浪人を選択する生徒が年々増加していたといいます。これらの生徒たちを支援し、保護者の経済的な負担を軽減し、高い学びへの志を持って大学進学へ立ち向かうことができる環境を整備しよう、という目的で準備・計画されたのが、NPO法人「勝田ケ丘志学館」(かんだがおかしがくかん)です。元米子東高校の校長・山根孝正(やまねたかまさ)館長のご尽力、さらには1,700人にものぼる米子東高OBの方々の温かい寄付金・協力を仰ぎながら、2019年に創立されたのでした。山根館長は設立当時、「日本海新聞」の取材に応えて、「高校と同じリズムで通え、地域の仲間と支え合いながら目標に向かって進める環境が整う。質の高い授業も提供できる」と、設立の主旨を話されました。私も設立当初からお手伝いをさせていただいています。設立時に山根館長が考えておられた目的は、次の通りです。

▲勝田ケ丘志学館・山根孝正館長

1.県外予備校に比較して授業料、生活費等が低額で、家計の経済的負担が減少する。

2.高校時代と同じリズムで生活、学習できるため、規則正しい生活を送り安心して学習に打ち込むことができる。

3.現役時代と同様に複数の模擬試験を受験することができる。

4.高校在学中に指導を受けた先生にも気軽に相談できやすい。(米子東校出身者)

5.鳥取県西部地区出身者同士が切磋琢磨することで、連帯感や地域への感謝の気持ちが育まれる。

6.現役時に、部活動や探究的な学習、ボランティア活動その他様々な活動に取り組むとともに、より高い目標に向けてのチャレンジが可能となりうる。

7.現役生が、受験に向けて真摯に取り組む補習科生の姿勢から多くを学ぶことができる。

8.自宅浪人生の模擬試験受験が補習科において可能となる。

9.単位制を活用しての授業の受講が可能であることから、在校生、補習科生ともに刺激し合うことができる。

10.高校教員が補習科で行われる高いレベルの講義を参観することができ、これにより教員の力量の向上が図られる。

11.鳥取県西部地区出身者が、浪人生活という人生の中で苦しい一時期を、仲間とともに支え合いながら苦楽を共にし、また切磋琢磨しながら、地域や同窓生、家族のもとで学ぶことにより、進学後ふるさとを離れても感謝の念を持ち続けてくれることが期待できる。

 かつて、代々木ゼミナールの小論文指導のカリスマ・藤井健志(ふじいたけし)先生が、2018年の鳥取大学の後期の小論文入試問題「現代社会では、経済的格差や社会的孤立の広がりの中で、様々な形で社会的に排除された人々が生み出されている。そこで、地域社会において実際に生じている社会的排除の事例をひとつ取り上げるとともに、その問題の克服に向けて求められる社会的包摂のあり方について論じなさい。(800字以内)」に対する「模範解答・解説」を、『代ゼミ新小論文ノート2020』(代々木ゼミナール、2019年7月)に書いておられます。その中でこの「勝田ケ丘志学館」を例として取り上げていただきました。

(中略) このような問題の克服のヒントになるのがこの春から鳥取県に開学した「校内予備校」だ。自分の財を原資にしてでもという情熱を持った元教員を中心に協力者や寄付金を募り、県立米子東高校敷地内の同窓会館を利用して、地域の高卒生ならば誰でも学べる、画期的な学びの場を創り出したという事例だ。隣県島根県の教員OBの方々も協力することになったらしい。一つの高校の同窓会やPTAが主体になりながらもその枠組みに縛られず、都道府県の境さえも越えて連帯するかたちは行政に押し付けられるのとは違う新しい公共の姿である。官・民といった区別を越えて地域の人間が共に主体となって考え、行動するところにこそ、特定の人間を排除することのない重層的で懐の深い社会的包摂が実現するのだと私は考える。

 地元紙でも大きく取り上げていただきました(写真下)。

▲「日本海新聞」2022年11月10日付

▲「山陰中央新報」2023年3月15日付

 今年の「勝田ケ丘志学館」は37人でスタートしています。出身校は、米子東28人、米子西4人、米子北1人、2人、米子松蔭2人です。高校時代と同じ生活リズムで受験生活が送れること、共に切磋琢磨しあう集団の力、学費が安いこと、自宅から通学できること、各教科の丁寧な指導、卒業生たちが続々と訪れ生の大学情報を聞くことができること、卒業生たちが数々の大学レポートを送ってくれ、生徒達を励ましてくれることなどが大きな魅力です。♥♥♥

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フェスティナ・レンテ

 最近、私が勝田ケ丘志学館でよく口にする「Festīnā lentē.」は、「ゆっくり急げ」を意味するラテン語です。「フェスティナ・レンテ」と読みます。festīnā はfestīnō,-āre(急ぐ)の命令法・能動態・現在、2人称単数で、「急ぎなさい」を意味します。不定法の形(-āre)から第1変化動詞とわかります。amō,-āre(愛する)と同じ活用をします。lentē は「ゆっくりと」を意味する副詞です。全体で「ゆっくり急げ」という意味になります。少しニュアンスは異なりますが、「急がば回れ」と意訳することも可能です。ローマの初代皇帝・アウグストゥス座右の銘であった、とローマの歴史家スエートーニウスは伝えています。アウグストゥスは、元のギリシア語σπεύδε βραδέως(スペウデ・ブラデオース)を口にしました。「Festīnā lentē.」はそのラテン語訳です。スエートニウスは、アウグストゥスの座右の銘を三つ紹介していますが、その一つ目がこの言葉のギリシア語版、二つ目もギリシア語で「大胆な指揮官より慎重な指揮官がまし」というもの、三つ目はラテン語で、「立派にできたことは十分早くできたこと」。いずれも向こう見ずを諌め、慎重さを重んじる言葉と受け取ることができるでしょう。二千年も前のひとことが、今もなお語り継がれているのは素晴らしいことだと思いませんか?

 最近、この言葉が意外な形で注目を浴びました。アメリカに2度目の関税交渉に出かけた赤沢経済再生担当大臣(鳥取県選出)が、「ある自動車メーカーのトップに話を聞くと、1時間に100万ドルずつ損をしていっている状況ですと。今、輸出すればしただけ損が出ますと。ゆっくり急ぐということをやらなきゃいけないと思っています」この報告を受けて、石破茂首相は、トランプ米政権との関税交渉を巡り、「ゆっくり急ぐ」と説明しました。首相は「これは『名言』と言えば『名言』なのだが、『ゆっくり急ぐ』ということなのであって早ければ良いというものではない」などとかわしました。

 私の学生時代の恩師の故・安藤貞雄(あんどうさだお)教授も、授業中によく口にされていた言葉です。急ぐのに、ゆっくりせよ、というのは一見すると矛盾していますね。初めて聞いた時には何のことかよく分かりませんでした。年を重ねた今ならその価値を実感することができます。先人たちの素晴らしい知恵です。開拓社から2021年に復刻された安藤先生の名著『【新装版】基礎と完成 新英文法』の帯には先生からのアドバイスが出ています。

 Fesstina lente!(ゆっくり急げ) 英語力という建造物を構築するには、文法というしっかりした骨組みが不可欠である。ただし、本書を1回読んだくらいで完璧になるものではない。何回も反復して読んで、英文法の知識を確実なものにしていただきたい。(安藤貞雄)

 この言葉は、京都大学の日本初の西洋古典学の教授だった田中秀央博士の座右の銘でもありました。恩師・ケーベル先生から授かった言葉と聞きます。あれもこれも言葉を学ぼうとしてあせっていた田中先生ケーベル先生曰く、「フェスティナ・レンテ」だぞと。かなり意訳すると「あせるな、じっくりやれ」となるかもしれません。尊敬する故・外山滋比古先生『人生を愉しむ知的時間術~“いそがば回れの生き方論』(PHP文庫)の中で、田中博士研究社出版部の担当者とのハガキのやり取りの中で、この「フェスティナ・レンテ」が度々登場していたことを紹介しておられます。日本で西洋古典を学ぶ人は必ずギリシア語、ラテン語をマスターしなければならず、文字通り寝食を忘れて努力しないといけないわけです。その結果、それなりの力がついても、本人としてはまだまだ何も身についていないと思い、絶望にも近い気持ちが押し寄せるものです。田中先生もそうだったのでしょうか。

 「ゆっくり」とは、スピードを落とすこと。「急ぐ」とは、スピードをあげること。速くすることと、遅くすることは正反対の動きですから、一見矛盾しているように聞こえます。でも、実は、両者をうまく組み合わせるところに意味があるのです。ほどよい速さで着実に進むことで、また、途切れなく、毎日続けることでもあります。ものごとは、気持ちがあせると、身体の動きが鈍くなります。意識しすぎると、かえって、バランスがくずれてしまうのですね。長い目で見て、よりよい結果をもたらすためには、いっぺんにたくさんやろうとせずに、少しずつ、コンスタントに、進むこと。何かに到達するには、道の途中で疲れてしまわないように、自分をケアすることが必須条件になります。とは言うものの、「ほどよい速さ」とは何でしょうか?それは、何も考えなくても、いつも同じようにできるスピードのことです。つまり、いつも同じようにできる、続けられるような調子で、ということ。「いつも同じようにできる」ためには、鍛錬が要ります。

 現代の私たちは、「急がなくちゃ」と思うことに慣れすぎています。問題は、急ごうとすることで、かえって、遅くなっていることに、気がつかないままでいる、ということなのです。ものごとは、いったん、slow downすることで、よりよく、習得できます。ゆっくりするには勇気がいります。自信がないと、走り出そうとする自分にブレーキをかけることは難しいのです。

 世界中のことわざを集めた本を見ると、昔から、急ぎ、慌ててはいけないことに先人たちは気が付いていたことがよく分かります(下記参照)。時代と社会を超えて、その概念は世界で見事に一致しているのは驚くべきことですね。

急がばまわれ(日本)
ゆっくり行くことを怖れるな(中国)
ゆっくり行くものが遠くまで行く(イタリア)
急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス)
急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)
ゆっくり行くものは確実に行く(フランス)
おそくても、ぜんぜんしないよりはよい(ドイツ)
急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス)

 外山先生の本を読むと、「田舎の学問より京の昼寝」という諺がよく出てきます。あることわざ辞典には「田舎で勉強してもたかが知れているが、都はただそこにいるだけで見聞を広める材料がたくさんあるので知識が身につくということ」などと、とんでもない間違った解釈が載っていたのですが〔笑〕、そんなつまらない意味ではなく、これは、「ゆっくり急げ」(フェスティナ・レンテ)ということと同義で、「一本調子ではなく緩急のリズムをつけることが、生活には大事である」という意味です。つまり、一心不乱に勉強する田舎「モノ」より、勉強の合間に昼寝をするゆとりがある都「ビト」のほうが、成果が出るという教訓なのです。田舎の人は純朴だから、一心不乱に他のことは一切顧みることなく学問に精進します。それに対して、都の学者は生活にリズムを持って学問をします。学問をする合間に、一休み、昼寝をするゆとりがあります。いかにも遊んでいるようですが、そういった学問の方が、学問一筋の田舎の学問よりもすぐれた成果をあげることができる、そのように解釈して初めて、このことわざのユーモアを理解することができるのです。「よく学び、よく遊べ」(←All work and no play makes Jack a dull boy.)と相通ずるところがありますね。やはり勉強一点張りではいけないことを教えています。

 あの文豪・森 鷗外は、子どもに教えたと言われています。どんなに面倒なことでも、一つひとつ片付けていけば、かならず解決する。糸が絡んでなかなかほどけない時も、一挙にほどこうとしてはいけない。端の方から少しずつ少しずつほぐしていけばいい、と。ところが、たいていの人はこんぐらがった糸のかたまりを見ると、興奮してやたらなところを手当たり次第にひっぱってしまい、かえってよけいにほどけにくくしてしまいます。こういったことを、これまで人間はどれくらいしばしば経験してきたか分かりません。「フェスティナ・レンテ」は、そういったことを戒める言葉ともいえるでしょう。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(39)~本多静六博士の財産論

 本多静六(ほんだせいろく)先生は慶応2年(1866)、埼玉県久喜市に生まれましたが、9歳の時に父親が急死。多額の借金を抱えて、貧しい生活を余儀なくされます。貧窮の中でも勉学に勤め、14歳の時には家を離れて、岩槻藩の塾長だった嶋村泰が東京に開いた塾に書生として住み込んで勉強を続けました。農繁期には帰省して農業や米つきに励んでいます。明治17年(1884)に東京山林学校(後の東京大学農学部)に入学しますが、入学時の成績は50人中50番目で、第一学期の試験に落第してしまいます。悲観のあまり古井戸に身を投げますが死にきれず、一念発起して勉強に励み、卒業時には首席となって銀時計をもらい、ドイツに留学し林学博士となりました。帰国後は、東京帝国大学農学部教授として教鞭を執るかたわら、国立公園事業に尽力しました。 

 若い頃、故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)に教えていただいて、本多静六『私の財産告白』を読んで大きな影響を受けました。本多先生は86歳でお亡くなりになりましたが、亡くなられる約一年前に「これまでもたくさん本を書いてきたが、それらとはまったく異なった本を書く」として書かれたのがこの本でした(著書は370冊にも上ります)。本多先生がこの本に込めた意図は、序文に明らかです。「今ここに長い過去を省みて、世の中には余りにも多くの虚偽と欺瞞とご体裁が満ち満ちているのに驚かされる。私とてもまた、その世界に生きてきた一偽善生活者の一人で、今さらながら慙愧の感が深い。しかし、人間は八十五の甲羅を経たとなると、そうそう嘘偽りの世の中に同調ばかりもしておられない。偽善乃至偽悪の目をかなぐり捨てて真実を語り、本当の話をしなければならない。これが世のため人のためにもなり、それが我々老人相応の役目であると考える」そして本多先生は、こうも語っています。「特に財産や金儲けの話になると、今までの社会通念においては、いかにも金儲けの話は心事陋劣のように思われ易いので、本人の口から正直なことは言えないものであるけれども、金の世の中に生きて金に一生苦労し続けるものが多い世の中に、金について真実を語るのが少ないのも、皆にそう思われるからである。しかし、やはり財産や金についての本当のところは、世渡りの真実を語るには必要欠くべがらざるものであるから、もっとも大切な点をぼんやりさせておいて所謂処世の要訣を説こうなどというのは、およそ矛盾である」そこで、お金について自分の全てを語り尽くす、ということで書かれたのが、この『私の財産告白』でした。実際、この本の中で本多先生は、お金についてざっくばらんに語っておられます。そこには一点の偽りもないように思われます。だからこそ、この本は格好の人生の手引書にもなっているのでしょう。渡部先生は、この本を読むことによって、初めてお金というものの本当の姿が分かった、と述懐されます。この本に書かれているお金についての考え方に共感し、大きな影響を受けた、と述べておられます。深遠な哲学書を読むよりも、実生活にはるかに役立つ名著と言うべきである、と(写真下)。

 私がとても参考になったのは、収入の「4分の1」は有無を言わずに貯蓄に回す。いくらでもいい、収入があった時、容赦なくまずその4分の1を天引きして貯金してしまう。そうして、その残りの4分の3で生活を押し通す。あらゆる通常収入は、それが入った時に、自動的に天引き4分の1を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む。これを方程式にすると次のようになりますね。

  貯金 = 通常収入×(4分の1)+ 臨時収入×(10分の10)

収入の4分の1は有無を言わさず貯蓄し、残り4分の3で生活するのは、もちろんたやすいことではありませんし、最初は大変です。しかし本多先生は断固やり抜きます。通常収入に4分の1という「手かせと足かせ」をはめて、残りの4分の3で暮らすのは「はじめから4分の3のお金で暮らすのだと思えば、苦しくも何ともない」という腹決めをすることです。頭から使えるお金はこれだけだと考えて、腹を決めて生活をする。頑張って倹約に努めて、残ったお金を貯めようとしても、お金というのはなかなか残らないものなんです。若い時にこのやり方を教えてもらったことは、私の人生で非常に大きかったと思います。

 お金を蓄えようとすると、ともすればケチと言われます。しかし、お金が貯まり実力がつけば、ケチと言われた人でも気前のいい人に変じます。逆に気前がいいと言われ、一生ピーピーで過ごす人もいます。本多先生は前者の生き方を取ったのであり、これこそが本当の生き方ではないだろうか、というわけです。 そして、本多先生はさらに言います。「貧乏などは一時のものである。蓄財を心がければあれこれ言われるが、そんなことには耳を貸すな」目をつむり腰をかがめて一目散に走り抜ければ、目先の煙に巻かれてまごつくようなことにはならず、そこを突破して弾みがつく生活になる」「金を馬鹿にする者は金に馬鹿にされる。財産を無視する者は財産権を認める社会に無視される」これほど実際的で含蓄に富む処世訓はないでしょう。本多先生の処世の見事さは、蓄えた富の使い方を見れば、さらにはっきりとします。本多先生は蓄えた富のほとんどを、国立公園運動(日比谷公園、明治神宮、大沼公園、羊山公園、大濠公園等)などの公共のために使いました。その一つに本多奨学金の創設があります。本多先生の見事なところは、そのための基金を投資だけで運用せず、専門の知識を生かし、森林を持つことにしたところにも表われています。育った木を切って売り、それを奨学金に充てたのです。だから、戦後の猛烈なインフレ時にも、本多奨学金は何の支障もなく給付され続けました。それが苦学する有為な青年たちをどれだけ助けたことか知れません。この一事を取ってみても、本多先生の金銭哲学の正しさが分かろうというものですね。一般的にお金というと、誰もがこそこそした後ろめたい気配を帯びるものです。その中で、堂々とお金を自分の生き方の基礎に据えた本多先生の生き方そのものが、何よりも優れた処世訓になっています。本多先生『私の財産告白』の最後に、簡潔に人生の要諦を記しておられます。本多先生の生き方を背景に置く時、実に味わい深い言葉です。曰く、「人生即努力。努力即幸福」 お金があってこそ、凡人も知的生活を楽しめるのです。

 定年退職時には、夫婦二人で老後を暮らせるだけの財産以外の、蓄えた富の多くを国立公園運動など公共のために寄付したのです。山林の大部分もその収益を育英基金に充てるべく埼玉県に寄付しています。老後のための蓄えとして手元に置いておいた絶対に潰れるはずのなかった正金銀行南満州鉄道の株は、本多先生が80歳の時、大東亜戦争の敗戦でただの紙切れになってしまいました。普通の人なら絶望して悶死しかねないところですが、そこで「一国民として国家が潰れることなど予見しようもない。ジタバタしても仕方がない」ときっぱり悟り、くじけることなく、再び原稿料や講演料などの収入を貯蓄に回しつつ、慎ましやかな生活を送って、最晩年にまた再び寄付ができるほどの財をなしたのでした。見習いたいものですね。

    もう一つ、本多先生が心がけたのが「一日一ページ分(三十二字詰十四行)以上の文章、それも著述原稿として印刷価値のあるものを毎日必ず書き続ける」ということでした。勤労生活者が金を作るには、単なる節約といった消極策ばかりではなく、本職の足しになり勉強になる事柄を選んでアルバイトすることが重要だと考えたのです。しかも40歳半ばからは「一日三ページ」とペースが上がりました。370冊以上の著書を生み出し得たのは、この日々の積み重ねがあったからでした。 本多先生は、この貯金とアルバイトの集積を「雪達磨の芯」(ゆきだるまのしん)と呼ばれたのです。♥♥♥

 とにかく、金というものは雪達磨のようなもので、初めはホンの小さな玉でも、その中心になる玉ができると、あとは面白いように大きくなってくる。少なくとも、四分の一天引き貯金で始めた私の場合はそうであった。これはおそらくだれがやっても同じことであろう。(『私の財産告白』〈新装版〉)

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「縁雫アンブレラスカイ2025」

 梅雨の時期も明るく楽しく過ごしたいですね。2024年10月にリニューアルオープンした松江市殿町「カラコロ工房」フードホールに、この時期恒例の(2018年より8回目)カラフルな傘が並ぶ「縁雫アンブレラスカイ2025in カラコロ工房」松江市)が開催されています(2025年5月31日(土)~7月30日(水)入場無料)。さらに、昨年大人気だった「縁雫」と「&ご縁の聖地」のコラボ企画「ご縁傘モニュメント」も登場しました。青や赤や黄色など6種類のカラフルな204本の傘が天井からつるされた「縁雫アンブレラスカイ」。華やかなアンブレラボールや、カラコロフードホール天井部を飾るアンブレラアートが、ご縁の聖地・松江の雨を特別なひとときに変えてくれます。高さ約4mのテラスの天井に。赤や黄色青や緑などの色鮮やかな傘が吊るされ、うきうき心弾むような光景が広がります。縁結びの地として知られる出雲地方は雨粒も素敵な縁をもたらす、ということで、雨や曇りがちな天気を美しく見せるカラフルな傘が置かれているのです。晴れた日には、色とりどりの傘の影が地面に映り、写真映えも抜群。思い出づくりにぴったりなスポットとして、人気を集めています。

 松江観光協会が、雨の日でも、楽しく快適に町の散策を楽しんでもらおうと始まったこのイベントです。会場には、スマートフォン片手に訪れる人の姿も多く、今話題のインスタ映えスポットとしても注目を集めています。色鮮やかなアンブレラの光に包まれる空間は写真映えするスポットとしてもおすすめです。旅の思い出にぜひ足を運んでみてください。

 ビックな透明傘「ご縁傘モニュメント」が今年も登場しました。傘をかたどったモニュメントに願い事を書いた短冊をかける催しです。ご縁の聖地・松江で、日頃の感謝や願い事をカラフルな短冊に書いてみませんか?短冊は期間終了後、松江神社にて祈祷します(参加無料・自由参加)。雨の日にご自身が書いた短冊を写真に撮り、対象店舗に提示すると飲み物の無料サービスや商品の割引などの嬉しいサービスがあります。松江観光協会「雨の日にぴったりのイベントなので、ぜひ楽しんで欲しい」と話しています。

 

 「アンブレラスカイ」が生まれたのは、ポルトガルのアゲダという街です。2012年、芸術祭の一環として、夏の強い日差しをやわらげるために、通りの上にカラフルな傘を吊るしたのが始まりでした。そのユニークな景観はたちまち話題となり、現在では世界中から多くの観光客が訪れる人気のスポットとなっています。本場では“夏のイベント”として親しまれていますが、日本では梅雨の時期に合わせた風物詩として定着。雨が続くこの季節だからこそ楽しめる、日本ならではのスタイルで各地で広がっています。私が一番気に入っているのは長崎「ハウステンボス」「アンブレラストリート」です。松江とはスケールがケタ違いです。夜になるとライトアップされ最高の景色となります。♥♥♥

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「ア クールベール」

◎週末はグルメ情報!!今週はフレンチ

 長崎ハウステンボスで今回泊まったオフィシャルホテル「ホテルアムステルダム」のレストラン「ア クールベール」は、和や洋風にアレンジした本格的なフランス料理ブッフェです。ホテルのロビーを出て通路の右側にあります。広々とした店内で、大きく切り取られた窓からは、ハウステンボスパークを見渡すことができます。地元長崎をはじめ九州一円から集めた厳選素材を、長年のキャリアを持つシェフが、フランス料理をベースに、和や洋風にアレンジしたお料理で提供するブッフェレストランです。前菜からメイン、デザートまで、毎日約30~40種類の鮮やかなお料理の中から好きなものを好きなだけ選ぶことができます。パークライフので遊んだ余韻そのままに、上質な食のおもてなしを楽しむことのできるフレンチレストランでした。

本格的なフランス料理ブッフェ こだわりの新鮮な食材

 ここでは本格的なフランス料理ブッフェを堪能することができます。 こだわりの新鮮な食材フランス料理をベースに和風や洋風に中華風にもアレンジしたお料理で提供するブッフェレストランです。食材は地元長崎をはじめ九州一円から厳選したものを使用しています。ご当地コーナーには「五島うどん」もあり美味しかったです。料理を目の前で仕上げてくれるコーナーもあり、調理人のパーフォーマンスも楽しめます!看板メニューは「レモンステーキ」で、シェフが目の前で焼きたてのステーキにソースをかけて完成です!レア加減もちょうどよく、お肉も柔らかく食が進みました。座席数は148席あり広々としていて開放感があり、森の中のピクニックをイメージした内装です。デザートも豊富な種類から選ぶことができます。カステラまであったのは長崎感満悦でしたよ。朝食(6時30分~)も明太子でおなかいっぱいになりました。やはり泊まるのは高級ホテルですね。♥♥♥

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田中琴葉のマンホール

 ゲーム会社の「バンダイナムコエンターテインメント」は4月27日、人気アイドル育成ゲーム「アイドルマスター」(アイマス)のキャラクターや国宝・松江城が描かれたマンホール蓋松江市に寄贈しました。4月28日からカラコロ工房」(松江市殿町)の入り口の所に設置されています。バンダイナムコは、この7月にアイマスが誕生20周年を迎えるのに合わせて、その土地と親和性の高いアイドルをデザインしたマンホール蓋を、全国の自治体に寄贈するプロジェクトを開始しており、松江市熊本市など全国6都市に贈りました。

 マンホール蓋は、直径約60センチで、しじみのみそ汁が大好きというアイドル・田中琴葉(たなかことは)さんと松江城市花・ツバキが描かれています。松江に来てくださったのは、「田中 琴葉」さんを、デザインしたマンホール蓋です。琴葉さんは「アイドルマスター ミリオンライブ!」に出演するアイドルで、私は全く知りませんでしたが、バンダイナムコエンターテインメントのゲーム『アイドルマスターミリオンライブ』シリーズの人気登場人物だそうです。マンホールの蓋には、琴葉さんとともに、松江のシンボル「松江城」松江市の花「ツバキ」、そして松江の味覚の代表である宍道湖の「しじみの味噌汁!」がデザインされています。琴葉さんは、しじみの味噌汁が大好きだそうですよ。カラコロ工房の入り口のところに設置されていました。

▲新しく「カラコロ工房」に設置されたマンホール

 上定昭仁市長「ぜひ写真を撮りに来てほしい」と話し、バンダイナムコ波多野公士ゼネラルマネジャー「多くのアイマスファンが松江を訪れると思うので、温かく迎えてほしい」と呼びかけました。市の担当者は「設置した日には多くの方々がマンホールの写真を撮っていた。観光への波及効果を期待しています」と述べました。

 わが松江市には、他にも見てもらいたい素敵なマンホールがあります。2023年9月には、松江市公共下水道供用開始40周年を記念した素敵なマンホールの蓋が、JR松江駅そばの複合施設「松江テルサ」北側広場(朝日町)にお目見えしました。松江市の公共下水道は1981年4月に供用開始され、2021年4月で40周年を迎えています。また人気アニメの「機動戦士ガンダム」松江市の観光名所がコラボしたマンホールの蓋も、松江市内に設置されました。蓋(直径63.4センチ)にはそれぞれ、桜が満開の国宝・松江城を背に堂々と立つモビルスーツのガンダムと、夕日が沈む宍道湖にたたずむアッガイがカラーで描かれています。ガンダムシリーズのアニメを制作する「バンダイナムコグループ」が、ガンダムのキャラクターを生かして全国各地を盛り上げる「ガンダムプロジェクト」の一環です。(⇒詳しくはコチラをご覧ください)。♥♥♥

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