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プロフィール
八幡成人(やわたしげと)
1955年島根県安来市生まれ。英語教師として島根県公立高等学校に38年間にわたり勤務。2015年3月、島根県立松江北高等学校に10年間勤務したのを最後に退職。在任中は、朝は6時半に登校し、図書館で生徒と一緒に勉強に励む。『ライトハウス英和辞典』『ルミナス英和辞典』(研究社)の編集委員を務める。参考書、問題集など著書・論文多数。趣味はカードマジック・クロースアップマジック。自宅の「蔵」には世界中から収集したマジック・グッズ(特にカード)が多数眠っている。小田和正、さだまさし、一青窈、岡村孝子、辛島美登里、西村由紀江、柴田淳、リチャード・クレーダーマンをこよなく愛する。「好きなことをやり、メシが食えて、人から感謝される」(竹内 均氏)職業として教師を選び、「英語は絶対に裏切らない!」を掲げ、英語・読書の面白さを生徒たちに毎日熱く語った。文房具マニア、プロレスファンでもある。2015年6月松江北高に常勤講師として現場復帰。2017年6月より松江北高非常勤講師。2019年4月より米子「勝田ヶ丘志学館」講師。2024年3月松江北高退職。
「Happy Birthday」
誰にだってひとつやふたつ
雨が降る日に気になるものは
HAPPY BIRTHDAY
幸せなんて言葉もあるが
雨が降る日派天気が悪い
だからHAPPY BIRTHDAY HAPPY BIRTHDAY
渡部昇一先生のエピソード(38)~本の読み方
学生時代に、故・安藤貞雄(あんどうさだお)先生から、日本では手に入らないオランダのイディオムに関する研究書をお借りして読んだことがあります。本を読み進めていると、要所要所に「Yes!」「No!」「?」という書き込みがあり、その理由が簡潔に書き込まれていました。「あ~そうか、本というのはこんな風に読むものなのだな」ということを、お借りした本からまざまざと教えていただきました。以来、私もそんな読み方をずっとしてきました。そのためにも、本というものは図書館で借りるものではなく、自分で買い求めて手元に置かねばならなかったのです。何か疑問点が生じた時に現物が手元にあれば、手っ取り早くあたることができます。また読みながら自分でコメントを本の中に書き込んでいくこともできます。したがって、本は身銭を切って買わなければならないものと考えているのです。そんな訳で、松江に帰ってきて、自宅を新築した時には、大枚をはたいて別注の書庫を作って本の置き場を確保したつもりでしたが、もうその書庫にも収まりきらずに、八幡家では本が溢れ出しています。
読書において何よりも大事なのは、本を読むことです。読んで著者と知的・情的に交流することです。そしてできれば感動して、自分の人生に潤いや滋養を得たい。このような見地から、渡部先生の薦める読書法は次の通りでした。まず、読みたい本は必ず購入すること。形式として自分のものにしてしまう、これは知的手段を私有財産とするための第一歩です。後は実際に読み込んで、内容を自分の財産にできるかどうかということになるでしょう。そのために一番いいのは、本に直接マークを書き込んでいくことです。第一段階として、読んで感心した(あるいは自分にとって重要だと思った)箇所には、赤線を引きます。次に、もっと感心した箇所には線を引いた上に丸印をつけます。さらに感心したらこの丸印を二重丸にします。圧倒的に感服した場合は三重丸。また、読んでいて疑問を感じたところには、疑問符を書いておくのもいいかも知れません。あるいは、自分が関心を抱いている問題について特に重要だと思うことが出てきたら、本の表紙の裹などの余白に、そのページ数とテーマをメモしておくのも役に立ちます。例えば、森 鷗外に関心のある人が、本を読んでいて、彼についての新しく面白い知識があったならば、表紙の裹の余白に「鷗外○○ページ」などと記しておけばよいでしょう。以上述べたような読書法は、ほとんど手間などかかりません。極端に言うなら、寝転がってでもできるものです。しかも、このようにして印をつけながら読んだ本は、再読・三読の際には、線を引いたり丸印をつけたりした箇所に重点的にアクセスすればいいわけですから、知識の固定や活用には便利なのです。それに、何かの時に「確か、あの本に書いてあったな」ぐらいのことは、さすがに思い出せるものなのです。ただし、ここまでやって読了した本にもかかわらず、後日、記憶の片隅にも全く残っていないようであるならば、「自分の知的財産とはなり得なかったのだ。まあ、仕方あるまい」と、潔くあきらめるしかないでしょう。相性のいい著者のものを読んでいると、非常によく頭に入るし、また気づかされる点も多いのです。この相性というのも、たくさんの本を読みこなしていくうちに、自然と身についていくものです。この三段階渡部式読書法、実に参考になりました。私も若い頃からこうした「読書法」を真似て実践してきました。
自分の本を買って、重要だと思われる部分に線を引き、メモを記入し、それを自分の蔵書としておけば、何かの機会に「あの本ではどうだったか」と疑問が湧いた時、書棚に行ってページを繰るだけで、自分が考えていたことが生き生きとよみがえってきます。自分自身による、自分自身のための、かけがえのない思考の蓄積になるのである。そのような本を揃えていけば、それは自分にとっての最良の「書庫」となり、その場所が自分にとって最高に居心地の良い「書斎」になります。自分自身の思考の蓄積が、目に見えるかたちですぐ手に届く場所にあることは、便利なことこのうえないし、成果も一望できて気分もよい。自分の関心を中心に据えて書庫を充実させていけば、六畳一間、八畳一間でも十分に威力を発揮するのです。
渡部昇一先生の『渡部昇一一日一言』(致知出版、2016年)の11月24日付には、「読書が人を強くする」と題して次のような言葉が挙げてありました。♥♥♥
絶えず本を読むことです。人生について書かれたものや、成功談というのは、やはりその人の長い人生での経験がつまっているものですから、それらに接している人はやはり他の人とは違ってくる。それは、立身出世主義だとかあるいはお説教じみているとか、道徳臭いとか何とか、悪口をいう人はいっぱいいる。だけど、心掛けて、そういったものを読み続けた人というのは、やはり何かの時には強いと思います。
カテゴリー: 渡部昇一先生のエピソード
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「バイモ11」
今日は、私が毎日使っているホッチキスを取り上げます。英語ではstapler(ステイプラー)と言います。伊藤喜商店(現イトーキ)が日本で初めてホッチキスを販売した明治36年(1903年)に遡ります。販売された製品はアメリカのE.ホッチキス社製のステイプラーで、製品には大きく「HOTCHKISS No.1」とブランド名が刻印されていたことから、この呼び名が定着していますが、和製英語です。かつては、綴じ針が連続して打ち出される構造が、機関銃の構造と全く同じことからの連想で、機関銃の発明者ベンジャミン・B・ホッチキスの名にちなむとされていました。しかしE.H.ホッチキス社の社名は、創業者のジョージ(George Hotchikiss)とイーライ・ハベル(Eli Hubbell Hotchkiss)の親子の名前からとられたもので、ベンジャミン・ホッチキスとは関係ないことが分かっています。
昔ながらの、金具の裏側が山なりになるあれ、あのタイプを使い続けている人も多いんじゃないでしょうか。私の勤務していた松江北高でもまだあのホッチキスが幅を利かせていました。そうそう壊れるものではありませんから、ずっと昔に買ったものを使い続けている、ということなんでしょう。たまに使うだけだから、もしかしたらその違いが分からないのかもしれません。でも、事務をする人ならもう十分お分かりだと思いますが、冊子を作ったりした時、冊子を止める針の部分だけページが盛り上がります。部数の少ないときには気が付きませんが、50部とか作ると、置く場所にも困るくらい、留め具の部分が盛り上がってきます。ひどい時には積み重ねた書類の雪崩が起きます〔笑〕。
当時私は、「フラットクリンチ」が出た時には飛びついて買ったものです。「フラットクリンチ」とは、綴じ裏に出ている針が平らになる綴じ方のことです。[「フラット」=平ら+「クリンチ」=打ち曲げる]という名前の通りです。普通のクランチの場合、綴じた針の裏側はめがね状で、針と紙の間に隙間があります。一方、「フラットクリンチ」は綴じ裏が平らなので、綴じた部分のかさ張りを抑えることができます。「フラットクリンチ」の工程は次の通りです。通常のクリンチとどこが違うのか考えながら見てみてください。
1.マガジンに装填された針が、バネの力によって前方に押し出される。
2.先頭の針がドライバーによって紙に打ち込まれる。
3.紙を通過した針は、クリンチャガイドに沿って最後まで打ち込まれる。
4.最後まで打ち込まれた針は、クリンチャの溝に沿って曲げられ押し上げられる。
ホッチキスの仕組みと似ていますが、注目すべきは「クリンチャガイド」と、針が曲げられるタイミングです。通常のクリンチの場合、針の打ち込みと曲げを同時に行います。一方、「フラットクリンチ」の場合、針を打ち込んでからクリンチします。そのため、根元から折り曲げることが可能になり、綴じ裏が平らになるのです。この「フラットクリンチ」は、「(株)MAX(マックス)」が開発した世界初の技術で、「重ねた書類がかさばるので、ホッチキスの裏をかなづちで潰している」というお客様の声を受けて開発されました。「フラットクリンチ」で綴じられた書類は見た目もスマートで、積み重ねても書類の雪崩が起きません。そしてなんと、通常のクリンチで綴じた場合の75%のスペースで収納できます。お客様に寄り添ったことで誕生した、素晴らしい技術ですね。まあこれでも金具の厚み分は少しは盛り上がるんですよ。でも、従来品よりはだいぶマシです。「フラットクリンチ」も、初発の頃よりかなりの年月が流れています。今は進化して、軽い力で綴じられるようになりました。「フラットクリンチ」は、高級機についていた特別な機能だったせいか、「フラットクリンチ」のステープラーはちょっとばかり高級感があるような感じがするものでした。しかしながら、最近では普及機までその機能が降りてきたせいで、ステープラー本体もお安い感じのする造りになってしまったのは、少々残念です。
「文房具の八ちゃん」が今日ご紹介するのは、「バイモ11」(マックス)です。手に持った感じは普通のホッチキスとそれほど変わらない大きさです。色もオシャレで選択肢が広がります。私はもっぱらブルーを愛用しています(写真上)。この「バイモ11」というネーミングの由来は、「バイモ→倍も」「11→ホッチキスの針のサイズ」から来ています。
ホッチキスで厚い紙をとめると、針が曲がってしまったり、力がいるので手が疲れたりしていましたが、これは片手で簡単に、しかも綺麗に綴じられます。綴じた瞬間のパチンという音と感触が実に気持ちいい!失敗知らずなのもうれしいです。軽綴じ仕様です。簡単に40枚綴じることができました。これなら大量の資料のホッチキス留めなどもストレスを感じることなくできそうな気がします。本当に軽い力でたくさん綴じることができます。厚みのあるものだけでなく、厚みのない2枚綴じでもキレイにしっかりと綴じてくれます。
ねえ!これ、気がつきましたか?針の残り本数が横の窓から見えるようになっているんです。芯の残量メーター、「針残量確認窓」です。これなら作業する前にチェックして、残りが少なかったら足してから作業すれば途中でなくなっちゃうこともなくて便利ですよね。それに、裏を見ると、針のサイズが確認できるように実寸の溝までついています。こういう細かい心遣いって結構嬉しいものですよね。使う人のことをよく考えて作っているという感じがします。みんなに好評だった「バイモ11スタイル」はバイモがよりスリムに美しく進化した形です。逆に従来の「バイモ11フラット」は、手が大きい男性に力が入れやすくて使いやすいと好評なんだよ!どちらのバイモも「てこの力」で格段にかろやかな「綴じ感」を実現しています。
「バイモ11」にはこれまでの小型ステープラーにはなかった性能があります。実は「バイモ11」、これまでずっと使ってきた、というか、いわゆる小型ステープラーの定番針の10号を捨てたんです。事務所の机の中に転がっている№10のあの箱、あれがね、もう使えません。代わりに№11の針を使います。針の太さは変わらないものの、横幅2mm、縦長1mmと微妙にサイズアップされています。そのため、これまでの小型ステープラーでは20枚程度しか留められなかったものが、倍の40枚まで一気に留められるようになりました。本体の大きさ、留める時の力はこれまでのものとほとんど変わりません。その上で40枚まで一気に留められる。これは意外と便利です。私も日常的には2~5枚程度を留めることがほとんどなんですが、たまに30枚とかの冊子を作ることがあります。そういう時にいちいち中型ステープラーを探さなくてもよい。これはずいぶん助かります。さらに芯を補填するために、本体を開けた際にロックがかかるようになっているので、安心して100本の針を装填することができます。
(株)マックスは、2枚から40枚までの書類を軽い力で美しく綴じることができる「Vaimo11」シリーズに、40枚を閉じる機構はそのままにして、小さい手にも収まるミニサイズを実現した新モデル「Vaimo11 POLYGO」(バイモイレブンポリゴ)を、2016年から発売しています(1296円)。私は発売時に「東急ハンズ」で購入しました。2008年に発表された「Vaimo11」シリーズは、専用針「No.11」の開発により、ハンディタイプで40枚までのぶ厚い書類を片手で綴じることを可能にした画期的な新世代ホッチキスで、私も重宝していました。これはそのバージョンアップ版です。
私は商売柄、たくさんの書類を綴じることが多いんです。この商品が出るまでは、分厚い書類を綴じる場合は、「卓上ホッチキス」を使っていました。それに使用される針「No.3」は、線径が太く、肩幅や針足が長いために、紙を貫く際の抵抗がかなり大きく、書類が厚くなるにつれてものすごい力が必要でした。まさに「ガッチャーン!」という感じですね。それが「Vaimo11」シリーズ専用に開発された「No.11」の針は、「No.10」と同じ線径で、肩幅は約2mm、針足の長さは1mm長く設定されています。「No.10」と同線径であることによって、紙に針が入りやすく、少ない力で40枚をしっかりと綴じることができるんです。また、針を外す際も、「No.3」に比べて針の抵抗が少なく、楽に外せるというメリットもあります。この商品の針受け部分をよーく観察すると、複雑な切れ込みがあります。この溝のおかげで、書類の厚みによって変わる針の傾きを確実に捉えて、転びを防いでいるんですね。
今回の「Vaimo11 Polygo」は、従来の性能は維持したままで、針の装てん数を通常の半分となる50本にまで減らすことによって、さらに小型化を図り、軽量化を実現しました(写真右)。小さい手にも収まり、使いやすくなっています。同シリーズの専用針は直径が細く、紙の抵抗が少なくなるため軽い力で留めたり外したりできるほか、仕上がりの見栄えもよいのです。綴じ裏は針が平らになり折り返しに膨らみの出ない、例の「フラットクリンチ機構」です。大量の資料を重ねた時や、回覧する時にかさばらずに便利ですね。これ、今では業界の常識です。針の残量目安が一目でわかる「針残量確認窓」も搭載しています。綴じ間違いの際の除針作業も、正確に針を捉え、綴じた針の両端をしっかりとホールドする「針押さえ付きリムーバー」も搭載しています。軽い力で取り外すことができますし、針押さえがついているので、取り外した芯が飛んで行ってしまう危険がありません。小さな針は落としておくと危ないものです。安全に使うためには便利な機能ですね。装填が終わり、ホッチキスを閉じる際、思い切り閉めるとホッチキスの針が出てしまい、1本ムダにしてしまうなんて経験はありませんか?「バイモ11」では装填後も針を無駄にせず、優しくホッチキスを閉じることができます。デザインは、各エッジ部分にダイヤモンドをイメージしたカットを施したスタイリッシュで高級感のある多面体(ポリゴン)です。外観ではここが大きく変わった点です。綴じる際に、手に当たる部分の曲面を取り入れることで、手に馴染みやすいように設計されているんです。
何と言っても、手のひらサイズなのに40枚も綴じられるのが最大の魅力ですね。手や針に余計な負担がかからないよう、細部の仕掛けにこだわっており、想像以上の綴じの軽さを実現しています。「ガシャーン!」という衝撃を、「サクリ」という感触に転化させた点が評価されます。綴じの軽さと安定感はナンバーワンでしょう。いまだに昔のホッチキスを使っている人は、ぜひ乗り換えて試してみてください。ホッチキスはもうここまで進化しているのです。❤❤❤
①軽綴じ機能で薄いも厚いもブレずにきれいに綴じられる
②サイズ感がコンパクトで握りやすい
③針押さえリムーバーで安全に使える
④残量メーターが分かりやすくて便利
⑤大きく開いてらくちん針入れができる
⑥フラットクリンチで重ねてスッキリ
『鉄道ジャーナル』休刊!
毎月いつも20日過ぎに松江市の書店に並ぶ三大鉄道雑誌(『鉄道ジャーナル』『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』)の表紙や特集内容を見て、気に入った号を買っていました。ところが、先月はいつ行っても、私が一番買っている『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)が並んでいません。他の2種類はあるのにオカシイな?と不思議に思っていたところでした。今日「産経新聞」を読んでいて初めて休刊になったことを知りました。迂闊だった!1967年(昭和46年)の創刊以来、58年にもわたって刊行され続けてきた老舗の鉄道総合雑誌『鉄道ジャーナル』が、2025年6月号をもって休刊したとのことです。紙が強いと考えられていた趣味系の雑誌、しかも趣味の中でも熱狂的なファンが多い鉄道というジャンルの雑誌の休刊は、出版業界全体に大きな衝撃を与えています。2024年12月発売の2月号で通巻700号も迎えた老舗雑誌です。誌面では、近年または今後の鉄道業界の動向・展望、ローカル(地域)鉄道に関する現状やこれまでの歴史などを掲載し、鉄道趣味にとどまらない特集等を広く紹介してきました。三大鉄道月刊誌と称されてもきた、由緒ある鉄道趣味雑誌の雄が休刊になることに、大いなる寂しさを感じているのは私だけではないでしょう。鉄道マニア向けというよりも、社会の中での鉄道の存在を考える視点を含んでいた最も由緒正しい鉄道雑誌だと目されていた『鉄道ジャーナル』の休刊は、鉄道マニアのみならず、鉄道と社会について考察する方々に、少なからず衝撃を与えているのではないでしょうか。インターネットの急速な普及などの影響による出版界全体の厳しい状況などが、休刊の原因なのかもしれませんが、できることなら、早期の復刊を期待したいところです(でも一度休刊したらまず復刊は無理というのがこの世界の常識です)。
休刊に関して、発行元の鉄道ジャーナル社は、「長年にわたり支えてくださったみなさま、ご寄稿いただいた執筆者のみなさま、制作にご協力いただいた関係の方々に御礼申し上げるとともに、今後もご購読を予定されていた読者のみなさまには心よりお詫び申し上げます。」とコメントしています。なお、休刊に伴うWEB版への移行の用意はないとしています。『鉄道ジャーナル』の宮原正和編集長は、「雑誌の休刊というと、売れ行き不振を理由に挙げることが多いですが、鉄道ジャーナルに関してはそういったことではなく、端的に説明することは難しいと感じています」「近年の鉄道ジャーナルは、ほかの媒体ではなかなか扱わないようなテーマや、ほかでは読めないような記事を載せていきたいと考えてきたのですが、伝統的な鉄道記事を愛する読者が想像以上に多かったということかもしれません」と、売れ行き不振が理由であることは否定しました。社内の複雑な事情を推測させるような言葉です。
近年の雑誌業界を取り巻く環境は、電子媒体の普及と併せ、読者層の変化、出版コストの増加など、逆風となる数々の厳しい要因を抱えています。その一方で、鉄道ファンの衰退を指摘する声もあります。2010年の「日本経済新聞」に掲載された野村総合研究所の研究員のコメントによれば、鉄道ファンの数は150万~200万人ほどと言われていました。これはライトなファンを含めた数字であり、中心となるヘビーな鉄道マニアは約2万人と言われています。それから15年が経った2025年、当時よりファンが減っているのは間違いなさそうです。というのも、全国の鉄道がじわじわと利用しにくい存在となっているためです。廃線となったり、便数の減少が目立つローカル線や、これまで熱狂的なファンが多かった「青春18きっぷ」は、システムが変更されたことによって、使いにくい切符になってしまいました。ローカル線を旅したり、乗りつぶしをするなどの“乗り鉄”がやりにくくなってしまったようです。JR北海道では、資金難のため、高速運転を目指していたキハ285系気動車の開発が中止されました。そしてコロナ禍では各鉄道会社が経営難によって、合理化がより一層進んでいます。鉄道ファンにとっては寂しい話題が相次いでいる一方、「寝台特急サンライズ出雲・瀬戸」のチケットはプラチナ・チケットとなっていますし、また、富裕層やインバウンド観光客を狙った豪華仕様の観光列車などは依然として大人気です。しかし、誰でも気軽に利用できる列車が本数を減らしているのは事実です。また鉄道ファンの在り方も様変わりしています。鉄道旅の魅力を動画で発信するユーチューバーが人気を博しており、情報入手先も、雑誌からネットに移りつつあります。臨時列車の運行情報などは、真っ先にネット上で共有されており、速報性という点では紙媒体ではとうてい太刀打ちできないでしょう。鉄道雑誌はかつてはファンの写真投稿の場としても機能していましたが、それもメインはSNSに移行してしまいました。
鉄道業界は近年、人気路線の減少や運行の効率化が進み、鉄道ファンの数も減少しています。特に新幹線の普及や高速道路の整備により、以前ほど鉄道に対する関心が高くなくなったことも影響しているのかもしれません。『鉄道ジャーナル』のような専門的な雑誌が人気となる時代背景としては、鉄道の技術革新や大規模プロジェクトに関心が集まっていた時期と重なっていますが、今ではその関心も薄れている現実が間違いなくあります。また、インターネットの普及によって、鉄道に関する情報はオンラインで容易に得られるようになり、YouTubeやSNSを使って鉄道に関する動画や情報を視聴することができるため、紙媒体に対する需要はどんどん低下しているのです。紙媒体全体の衰退は、特に近年のデジタル化による影響が大です。スマートフォンやタブレット端末を通じて、誰でも即座に情報を入手できる時代となり、紙媒体に対する依存度が低くなりました。さらに、環境意識の高まりやコスト削減の観点から、広告主や出版社もデジタル化を進める動きが加速しています(鉄道だけでなく一般誌も同様です)。デジタル版やウェブサイトを運営している場合も多く、紙媒体の販売は難しい状況に直面しています。紙の雑誌は、持ち運びに不便であり、時事性が強く求められることもあり、即時性という利点を持つデジタルメディアには負けてしまうことが多いのです。
『鉄道ジャーナル』の休刊は、鉄道業界の縮小と紙媒体全体の衰退の二つが重なった結果だと考えられます。鉄道ファンの減少や業界の変化が、雑誌の購読層を狭め、紙の雑誌の売上減少を招きました。また、デジタルメディアの台頭により、紙媒体にとって競争はますます厳しくなっています。それに加えて、広告収入の減少も休刊の原因の一つでしょう。広告主がデジタルメディアへ移行し、紙媒体に対する投資が減少したために、収益面でも厳しい状況が続いているのです。デジタルメディアの台頭と鉄道業界の縮小により、今後も紙媒体は減少していくものと予想されます。しかし、鉄道メディアの未来は、今後のデジタルメディアの活用にかかっており、新たな形での鉄道情報の発信が求められる時代になっています。
私が大好きでよくお邪魔する「京都鉄道博物館」の本館3Fギャラリーでは、2025年8月3日(日)まで、写真展「『鉄道ジャーナル』一番すきな表紙を選ぼう」 を開催しています。この展示会では、4月に発売された6月号をもって休刊となった『鉄道ジャーナル』の表紙、全704号分をタペストリーで壁一面に展示しています。♥♥♥
長嶋監督逝く
「ミスタープロ野球」と呼ばれ、国民的な人気を誇ったプロ野球・巨人の名選手で、巨人監督やアテネ・オリンピック日本代表監督を務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが6月3日、午前6時39分、肺炎のため89歳でお亡くなりになりました。巨人ファンのみならず、誰からも愛されるひまわりのような存在でした。午前6時過ぎ、脈拍と血圧の数値が0になりましたが、よく見るとモニターの波形はピッピッと山なりに続いていました。看護師は「監督が心臓を動かそうとしている振動なんだと思います。私、こんなの見たことありません」と、主治医と一緒に驚いていたといいます。意識がなくなっても、生きることを諦めずに懸命に闘い続けました。最後の最後まで勝負師の姿でした。根っからの巨人ファンの私は、今日は長嶋さんを追悼しようと思います。
現役時代に巨人で長嶋さんと三遊間を組んでいた広岡達朗(93歳)さんは、「とにかくいいやつで、どこかに傷がつくような人間ではなかった」と偲びました。長嶋さんは、新人時代から「素晴らしい才能だった」といいます。ある時、長嶋さんは調子が悪かったのか「今日は動けない」と言ってきた。広岡さんは「普通の人は動けない理由をあれこれ言ってくるものだけれど、あいつは余計なことは言わなかった」と振り返ります。長嶋さんが監督を務めていた頃、ポケットの中にメモが入っていたことがありました。それについて聞くと、コーチらから提示されたオーダーが入っていて、その通りに戦う予定だと伝えられたといいます。「何でも正直でね。本当に純粋な男だったね」と懐かしみました。「長嶋の人間性を一言で言えば、正直で野球の能力にたけた『野球バカ』。一緒にプレーしたのは4年間でしたが、私にとっても勉強させてもらった。来た球は直角で捕るし、球際にめっぽう強かった。私の守備範囲の球まで捕るので「かっさらう」という人もいたけど、動ける選手が捕ればいい」と故人を偲びました。
私の大好きなシンガー・ソングライターのさだまさし(73歳)さんは一時まで熱狂的なジャイアンツファンでした。長嶋監督が電撃解任された時、巨人ファンを辞めたほどの長嶋ファンでした(以降はヤクルトスワローズファンです)。「太陽没す 長嶋さんは太陽でした。野球愛の根源でした。いつも優しく明るく照らしてくれました。誰へも分けへだて無く。野球を愛し野球に愛された人です。永遠に輝き続けます」と長嶋さんへの思いを語りました。借金で苦しかった時期に対談させていただいたり、球場でも励ましてくださり、ゴルフも教えてくださり、コンサートにも薔薇の花束と共にお出掛けくださいました。「何より自分のプレーは絶対に手を抜かないこと、結果はともかく一所懸命やることを教わりました。子供の頃からずっと勇気をいただきました」と続け「長嶋さん本当にありがとうございました。本当にありがとうございました。合掌 さだまさし」と結んでおられます。
長嶋さんの訃報に際し、桑田真澄2軍監督(57歳)は、選手と監督の関係で日本一を目指して戦った9年間をゆっくりと振り返りました。「プロ野球選手として大事なのは結果を残すこと、ファンサービス、メディアサービス。そういったことを体現し、身をもって教えていただいた」と偲びました。強く印象に残っているのは「国民的行事」と言われた「10・8」です。1994年10月8日に巨人と中日が最終戦を残して同率で並び、勝った方が優勝という伝説の一戦です。試合前日、名古屋のチーム宿舎で長嶋監督の部屋に呼ばれた際のやりとりを一番の思い出に挙げました。「『監督、試合自体がしびれるんですけど、どれぐらいで用意しておけばいいですか?』と聞いても、『しびれるところで』と」。試合当日は槇原→斎藤→3番手で3回無失点の力投を見せ、優勝を決めた決戦の舞台裏を懐かしみました。現在は、巨人の未来を背負う人材育成を担う二軍監督の立場にあり、長嶋さんからの学びを二軍選手全体にも伝えています。「やれないとプロとして一流とは言えないんだよという話は、長嶋さんから学んで若い選手に伝えているところ」。ミスターの魂は、しっかりと引き継がれていきます。
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の訃報から一夜明けた4日早朝に、まな弟子の松井秀喜(50歳=ヤンキースGM特別アドバイザー)さんがアメリカから緊急帰国し、無言の対面を果たしました。弔問後に報道陣に応対した松井さんは、「長嶋監督と生前に約束したこともあります。今はお話しすることはできませんが、その約束を果たしたいなと思います」と知られざる思いを初めて明かしました。「約束」の内容を明らかにすることはありませんでしたが、松井さんにはかねてから監督就任への待望論の根強いものがあります。それだけに「将来的な現場復帰を志す声なのでは」と捉える球界関係者も少なくありません。松井さんが自らそういった発言をされることの意味は大きいものがあり、重みのある言葉であることには間違いないでしょう。
長嶋さんといえば、数々の迷言も残しておられます。「失敗は成功のマザー」「勝負は家に帰って風呂に入るまでわかりませんよ」などは有名です。学生時代に、I live in Tokyo.を過去形に、との問題に、I live in Edo.とした珍回答には笑えます。「肉離れ」を「ミートグッバイ」と言ったことには大爆笑でした。若手時代の松井秀喜さんに「松井君にはもっとオーロラを出して欲しい」と注文を出したのは有名な話です。60歳の誕生日を向かえた時には、赤いちゃんちゃんこを着用して、少し照れながら「初めての還暦を迎えまして…」と。2021年に文化勲章を受章した際には、「僕は文化勲章より世界遺産を狙っていたんだけどね」と規格外すぎる発想を見せました。長嶋さんといえば、ホームセキュリティ大手の「セコム」のCMに自らが出演して「セコムしてますか」という名セリフが有名でした。自宅にも設置しておられましたが、包丁を持った見知らぬ男が勝手口から侵入するという事件がありました。スイッチを入れ忘れておられた長嶋さんは、「ミスター、セコムしてなかった」と騒がれました。その時の囲み取材での言葉が傑作でした。「ええ、泥棒さんがお見えになりまして」〔笑〕。
人間的な魅力はさておくとして、監督としては天才肌の人だけになかなかついていくのが難しかったと想像します。「パッと捕って、ビュっと投げる」という指導をする人です。「来た球を打つ。あるがまま、なすがままの境地ですよ」絶好調時の落合博満さんの打撃を解説していた時の言葉です。そこまで話すと突然、思い出したように「ピッチャーの配球を読んで打つなんて二流半のやることですよ」と言い切りました。「配球を読む」とは故・野村克也監督のID野球の真髄でした。長嶋さんは「来た球を打つ」という天才型でした。もちろん来た球を打てるようになるためには、人の見ていないところで、血ヘドを吐くような鍛錬を課していたのが長嶋さんでしたが。1998年夏、チームが不振で、ガルベス投手が審判員にボールを投げつけた不祥事に、監督だった長嶋さんは「けじめをつけるんだ」と、学生時代以来の丸刈りにして球場に現れたのにはビックリしました。頭を丸めてチームに奮起を促したのは今でも語り草になっています。
高校(甲府商業高)を卒業したばかりの18歳が開幕から13連勝と勝ち続けたのは、1965年の第1回ドラフトで巨人から1位指名された、堀内恒夫さんでした。 「ボウヤ、いいぞ、ナイスピッチング!」 長嶋さん(当時30歳)は、サードからそう声をかけてくれました。まだ無名の高校出で、たぶん名前を知らなかったんだと思う、と堀内さんは回想します。自由奔放な発言もあり、つけられたあだ名が「悪太郎」。しかし、長嶋さんはそんなやんちゃな選手が大好きだったのかもしれません。「新聞記者たちが、堀内は生意気だと長嶋さんに言ったらしい。その時、『まだまだ子供じゃないですか。大人の振る舞いはボウヤにはわかるわけないですよ』って、かばってくれたんだ」 ボウヤを卒業して、「堀内」と呼んでもらえるようになったのは3年目になってからです。1973年12月に行った結婚式。当初、仲人は川上哲治監督が務める予定でしたが、同年6月、堀内さんが試合でKOを食らった後、川上さんが「仲人、やめる」と言ってきました。それを引き受けてくれたのが長嶋さんでした。川上監督が勇退した1974年、引き継いだ長嶋監督に「堀内をトレードに出せ」と進言したという話がありました。1972年に26勝して、72、73年と連続で日本シリーズMVPの堀内さんです。でも、その話は長嶋さんが『堀内を出すわけがない』と断ってくれました。そのおかげで巨人一筋で200勝を達成することができました。昨年の8月26日、その堀内さんの長男・康史(やすふみ)さんが49歳の若さで亡くなりました。大動脈解離で倒れてから4年間の闘病生活を送りましたが、帰らぬ人となりました。康史というのは、長嶋さんにつけてもらった名前でした。
徳光和夫さんの人気番組「プロ野球レジェン堂」においても、堀内さんが面白い話を披露しておられました。入団3年目、当時はグラブから人さし指を外へ出したら牽制のサインでした。ある日、長嶋さんが堀内さんに向かって指をグラブから出しながら「おい堀内、頑張れよ」と声をかけてきました。牽制のサインだと思った堀内さんが、三塁へけん制球を投げたらベースに誰も入っていません。無人です。長嶋さんは「何してんだ、お前?」と宇宙人でも見るような表情。頭にきて「サイン出したじゃないですか?」と指摘したら「いや、頑張れと言っただけだ」って。その後、堀内さんは2度と三塁へのけん制をすることはありませんでした。それが監督になった途端に「サインをよく見ろ!」と怒る。どう考えてもおかしい〔笑〕。ただ、悪いことは言えません。堀内さんの仲人ですから。
長嶋さんにずいぶん可愛がってもらった柴田 勲さん(81歳)が 、印象的な話をしておられました。「おい、柴田、人間の理想の死に方って知ってるか?」―「考えたことないです、長嶋さんにはあるんですか?」―「うん、ある。晩年になった時に、縁側でコタツに入って、ひなたぼっこをこをしながら、みかんを食べる。食べ終わったらスヤスヤと眠るがごとく、そのまま逝く。それだよ」と言われたそうです。その思い出を、次女の三奈さんにしたら、驚いて、長嶋さんのお母さんのチヨさん(92歳で死去)が千葉の実家で亡くなった時がまさにそんな死に方だったと言われました。長嶋さんが柴田さんにその話をしてくれたのが、お母さんが亡くなる何年も前のことでした。まさに「予言者・長嶋」でした。柴田さんは長嶋さんがお亡くなりになってから、4日間長嶋さんのお顔を見るためにご自宅に通い続けられました。
13年ぶりに読売ジャイアンツの監督に復帰した1993年に、日本テレビ系巨人戦中継テーマソングの「果てしない夢を」において、長嶋さんがゲストボーカルを務めました。1993年6月9日に発売されたシングル曲で、ZARDの坂井泉水さん、WANDSの上杉 昇さんが作詞。二人に加えて、ZYYGやREVらビーイングのアーティストたちが演奏や歌で参加し大きな話題になりました。オリコン・シングルランキングでは最高2位を記録し、72.6万枚を売り上げました。とてもいい曲で、最後に(3分40秒付近)長嶋さんのあの独特の歌声が出てきます。ご冥福を心よりお祈りします。その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球界の未来を照らし続けてください。合掌。♥♥♥

























