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プロフィール
八幡成人(やわたしげと)
1955年島根県安来市生まれ。英語教師として島根県公立高等学校に38年間にわたり勤務。2015年3月、島根県立松江北高等学校に10年間勤務したのを最後に退職。在任中は、朝は6時半に登校し、図書館で生徒と一緒に勉強に励む。『ライトハウス英和辞典』『ルミナス英和辞典』(研究社)の編集委員を務める。参考書、問題集など著書・論文多数。趣味はカードマジック・クロースアップマジック。自宅の「蔵」には世界中から収集したマジック・グッズ(特にカード)が多数眠っている。小田和正、さだまさし、一青窈、岡村孝子、辛島美登里、西村由紀江、柴田淳、リチャード・クレーダーマンをこよなく愛する。「好きなことをやり、メシが食えて、人から感謝される」(竹内 均氏)職業として教師を選び、「英語は絶対に裏切らない!」を掲げ、英語・読書の面白さを生徒たちに毎日熱く語った。文房具マニア、プロレスファンでもある。2015年6月松江北高に常勤講師として現場復帰。2017年6月より松江北高非常勤講師。2019年4月より米子「勝田ヶ丘志学館」講師。2024年3月松江北高退職。
友近さん
鉄道大好きの私は、毎週火曜日BS日テレで午後9時から放送されている「友近・礼二の妄想トレイン」を楽しみに見ています。その司会を務める友近(ともちか)さんが、8月24日(日)「おしゃれクリップ」(日本テレビ系)にゲスト出演して、お笑いにかける思いを吐露しました。

さまざまなキャラクター(演歌歌手・水谷千重子・ピザ店員西尾一男)に扮し、幅広い層からの強い支持を集める友近さんと、旅行に出かけるほどの仲だというハリセンボン 春菜は、友近さんが名物キャラ・西尾一男を憑依させることに夢中になるあまり起こしたハプニングを回想し、また“実はかわいい”という友近さんのキャラクターの一面を明かしました。友近さんをよく知る人物として、高校時代からの親友もVTRに初登場し、「当時から自分が面白いと思うことをずっと人に発表し続ける子だった」と証言。友近さんの性格が表れた卒業アルバムの集合写真(「無罪」の紙を掲げて撮影)を公開したほか、夜も電気をつけて寝る彼女の怖がりな一面についても語りました。友近さんが尊敬を寄せ、気心の知れた間柄だという中川家・礼二は、友近さんの“お笑いのために生きている”姿勢について言及します。“女芸人”というカテゴリーではくくることのできない、お笑いに対する情熱と、前例のない挑戦を形にし続ける様子を高く評価しています。ワクワクを求め続けるために選んだ道と、その先に秘める次なる壮大な目標について語っていました。
友近さんはまだ若い頃、地元四国・松山の道後温泉の「大和屋本店」(やまとやほんてん)で仲居さんをしておられました(写真上)。私も泊まったことがありますが、落ち着いた雰囲気で素敵な旅館でした。楽しみにしていた夜の食事も、器やしつらえにもこだわった見栄えのする和食料理で、瀬戸内の旬の食材を使った季節感のあるものばかりでとっても美味しかったです。しかも、食事をしながら「能舞台」を楽しむことができる、という豪華さです。西日本随一と評される本格的な野外能舞台「千寿殿」は、4階に張り出した屋上部分に設けられており、その舞台を鑑賞できるようにと、能舞台に臨む食事会場のレストランと宴会場は総ガラス張りになっています。もちろん、野外にも鑑賞席が設けられています。能は夕食の時間に合わせてプロの能楽師によって上演され、道後温泉の夜を幻想的な雰囲気で彩っていました。「風姿花伝」の心を現代に伝えるもっとも分かりやすい形が、この能舞台かな?友近さんに接客してもらって食べたかったなあ。♥♥♥
セロはなぜ消えた?
CS放送のナショナルジオグラフィックのテレビ番組で、アメリカを代表する奇術師で、耐久技(100万ボルトの高電流の中で三日三晩立ちっぱなしで耐える、水中で酸素なしで17分の息止めなど)やストリート・マジックなどで知られるデビッド・ブレインが、世界であまり知られていない究極技を追い求め、世界中を旅する番組「奇術師デビッドが挑戦!世界の超過激パフォーマンス」という6話構成の番組が3月末から放送されました。私は毎週欠かさずじっくりと見ていました。その最終回第6話が「日本編」で、マジシャンのセロが案内役を務めていました。彼を見るのはもう何年ぶりでしょうか?10年くらいは一切姿を見ませんでした。本当に久しぶりです。彼は2003年のテレビ特番で人気に火がつき、一世を風靡したマジシャンです。日本で放送されたテレビ番組『マジック革命!セロ!!』はいずれも高視聴率を獲得し、日本のマジックブームに大きく貢献し、一躍お茶の間の人気者となりました。路上にあったハンバーガーの看板メニューの写真から、手をかざしてハンバーガーの実物を取り出したあの人です。
セロ・タカヤマは1973年9月、日本人の父とモロッコ系フランス人の母との間に、米・ロサンゼルスで生まれました。両親が離婚したため、幼少期から父と2人でロスで暮らしました。米国でもセロのようなハーフは珍しく、偏見や英語がうまく話せないことから学校で孤立してしまい、勉強にもついていけずに苦しんでいます。自分は米国人なのか、日本人なのか、それとも欧州人なのか?アイデンティティーに悩み、自分は空っぽで、何もないと思っていました。転機は6歳の時に訪れます。ラスベガスでマジックのライブショーを見て、一瞬で心をつかまれました。「感動的だった。本当の魔法使いがいると思った。それ以来『奇跡を起こす力』が欲しくなって、念力でコップを動かす練習を何度も繰り返した」といいます。10歳の時にハリウッドのマジッククラブで『プロマジシャンに教わる10回分のプライベートレッスン』を受けたのをきっかけに、マジシャンへの道が開かれました。マジックに「秘密」があることを知り、さらに夢中になりました。どこへ行ってもトランプさばきを練習していたため、「学校でギャンブルをしている」と疑われ、父親が呼び出されたこともありました。「マジックとの出会いで、空っぽだった自分が唯一、自分にしか持てないものを手にした」と思えました。
父親の出身地である沖縄県今帰仁村で、2歳から4歳まで祖母に育てられました。ロサンゼルスに戻った後も、小学生時代は夏休みを祖母宅で過ごし、小学6年の時には日本の小学校に、わずか19日間ですが通学していました。日本に滞在していた時期が長いことから日本語は堪能です。10歳の時から始めたマジックの才能が開花し、12歳でマジックキャッスルジュニアメンバー、フューチャー・スターの経歴も。家庭の事情で父親が家を失い、ヤンチャだったらしく15歳の時に学校を強制退学、16歳の時には自主退学したことを明かしています。沖縄に住む祖母の家で暮らすよう父親から言われ、13万円を渡され飛行機に乗りました。ロス育ちのセロは田舎の島へ送られることが耐えられず、成田空港では乗り継ぎをしないで東京に向かいました。東京には知り合いが1人だけいて、6畳一間のアパートに転がり込みます。知人はアーティストでしたがお金があまりなく、父からの13万円を使い果たしたセロは、1日1食で暮らしました。居酒屋でアルバイトをしてみますが、性に合わず1日で辞めてしまいます。セロは今でも「パッションを感じていないものに時間を費やせない性格」だと言います。やはりセロには、マジックしかありませんでした。ただ、そこからの道には険しいものがありました。歌舞伎町や六本木、銀座などの飲食店に出向き、「ノーギャラでいいのでマジックをやらせてください」と売り込み、ショーをする日々を続けました。未成年でしたが、時代がまだ「緩かった」ことも幸いしました。バブル景気で客も気前がよく、いただくチップでなんとか暮らすことができました。日本国内のマジック団体に加盟しようと試みたものの、よそ者扱いされ断念。17歳の時、裕福な日本人ビジネスマンに気に入られ、ホテルのウェディングなどで短時間のパフォーマンスを行うようになります。19歳の1994年には、「FISM横浜大会」でイリュージョン部門1位を受賞しました。そんな時、客の紹介で出会った投資家が、セロの才能と可能性に興味を持つようになりました。そのサポートで国際的なマジック大会に出場し、活動の場が飛躍的に広がりました。そして、ついにテレビ出演の依頼が舞い込んだのです。「僕の『一夜の成功』は15年かかった。僕は逆輸入のマジシャンのように言われることが多いけど、本当は10代の頃からずっと日本で努力をしてきたんだ」
セロが初めてテレビに出演したのは、2003年のスペシャル特別番組でした。待ち望んでいたチャンスに、「この2時間に当時の持ちネタを全て詰め込んで、これ以上見せるマジックがないというほど出し切った。そうしたら放送翌日にプロデューサーから電話があって、『視聴率がとても良かった。もう1本、2時間スペシャルをやってくれないか』という相談だった。次に何をするかはわからなかったけど、もちろん、即答で引き受けた」その後、半年かけて編み出したマジックを次の番組につぎ込んでは、また次の番組に向け準備を始めるというパターンが繰り返されました。年に2本のスペシャル番組で60個ほどの新しいマジックを披露。自身が製作・出演した番組は計16回も放映されました。番組ではストリート・マジシャンと紹介されていたため、外出する度に多くの人からマジックをリクエストされました。「忘れられない体験だった。自分のことをスターとは思ってないけど、セレブリティのライフスタイルを味わえた。サインを求められたら喜んでしたし、何よりも日本のほかのマジシャンたちに認められたことがうれしかった。この波にいつまでも乗り続けようと思っていた」と振り返ります。しかし番組を重ねるにつれ、マジックに対するセロの意識は変わっていきました。
「ミュージシャンはヒット曲を作れば何度も歌えるけど、テレビで一度見せたマジックはもうやれない。『それはもう見た、はい次』と、マジックの扱いが消耗品のように思えた。その頃はやり始めたYoutubeなどでは、いろんなマジックの見せ方が出てきてたのに、テレビではそれまでと同じフォーマットでしかやらせてもらえなかった。」
番組の超目玉となる大掛かりなマジックばかりを求められました。前回を上回る規模とクオリティを保たなければならない、とのプレッシャーはそれは半端なものではありませんでした。やがてセロは、自分がマジックを生み出す動機が視聴率になっていることに気づき、「マジックが汚れてしまったように思った。いったん全てから離れないといけないと感じた」。2014年7月フジテレビ系の「マジック新世紀セロ生放送SP」の生放送事故がきっかけにもなりました。宙に浮いた不思議なサーフボートで登場したセロに対して、ゲスト芸人にネタをばらされてしまったのです。視聴率も低迷し始めていました。2014年、海外でもテレビ出演を始めた頃でしたが(スカパーで見た記憶があります⇒コチラです)、これを機に身を引きました。しばらくはバーンアウト状態が続きました。「マジシャンとしてのパッションを失くしてしまった。食事もおいしく感じられなかった。パーティーに行っても楽しく感じなかった」マジックでしか生計を立てたことがなかったセロは、企業向けのイベントに活動をシフトし、ショーをこなしました。テレビの影響力は大きなものがあり、生活を維持するには十分な仕事がありました。人にマジックを見せることで満たされていた部分もあり、少しずつ意欲も自信も取り戻してきていました。それを暗転させたのが、2020年に日本にも押し寄せたコロナのパンデミックです。イベントやパーティーが一切中止となり、活動の場を完全に失いました。
テレビを離れてからも活動は続きました。日本でのショーの合間に海外を旅行したり、大会に参加したりして過ごしました。10年間はあっという間に過ぎていきました。コロナ禍で自分と向き合う時間が増え、2022年に迎えた49歳の誕生日。50歳を目前にして考えたのは、自分がこの世に存在する意義です。「自分のたどった軌跡は何も変えたくないけど、自分がなぜこの世に生まれたか、どう覚えられたいのかについて考えるようになった」。やはり自分にはマジックしかない。だから、今自分がなすべきは、マジックを後世に伝えることだと思いました。
「マジックは僕のコミュニケーション能力を向上させて、たくさんの友達を与えてくれた素晴らしい芸術だ。いまは情報量の多さからどうしてもトリックだけを見せる短いクリップが流通しがちだけど、僕が知っているマジックはそうじゃない。言葉にできないけど不思議な力を見た時に感じる感動……かな。それがマジックだという認識を広めたい」また一から始めるという意識で、ソーシャルメディアで自分の活動を発信し始めました。テレビで作られた虚像ではなく、等身大の自分を見てもらいたいと思うようになりました。マジックもまた、欺いたり、見破ったりするトリックとしてではなく、感動を呼び起こすツールとして認識してもらいたいと、実験的な試みも始めました。友人が経営するサッカーキャンプや格闘技教室など、子どもが集まる場所へ出向いての公演です。シンプルなマジックを見せたり、仕掛けを教えて一緒にやってみたりしている。この10年間、限られた環境でしかマジックをしていなかったため、今の人たちがマジックをどう思っているのかを確かめる試みでもありました。「 子供は正直だから、面白くなかったらそう言う。手応えを感じられるのは、自分がやっていることが間違ってないからだと思う」
セロが公演で親子に必ず伝えるメッセージがあります。「マジックを見たときに感じる気持ちを覚えておいてほしい。今日、このマジックの『秘密』を教える代わりに、これを練習してお友達や親戚にその同じ気持ちを感じさせてほしい」。10歳当時の自分がマジックレッスンを受けて、初めて自信を持ったような体験を、今度は提供する側になりたいと考えるようになりました。ある日の公演が終わった時、セロは一人の少年からマジックをせがまれました。セロは赤いハンカチをポケットから取り出し、左の拳の中へと詰め始めました。少年の視線はセロの拳にロックオンしています。そしてハンカチが入っているはずの手を開いていくと、ハンカチは跡形もなく消えていました。「えーッ!?」と驚く少年の頭を軽くなでたセロは、「はい、終わり!帰ろうね」「いつでもマジックができる準備をすることはマジシャンとしての責任だと思う。パフォーマーだから、状況が許せばマジックを披露して、人から笑顔を引き出することはいまでも大好きだよ」とセロは話します。
マジックには、見る人の「子ども心」を呼び起こす力があります。何歳であろうと、その人が内面に持っている「子ども心」がマジックに感動します。そのピュアな感動の気持ちを後世に伝えることが、今の自分の役目だというのが、セロがたどり着いた結論なのでした。♥♥♥
「この人生がいつ終わるかは、誰にもわからない。だからやること全てに意味を持たせたい。自分や他の人たちの人生を充実させるマジックをしていきたい」(セロ)
IbukiさんFISMで優勝
とんでもない快挙です!2025年7月20日、イタリア・トリノで開催された世界最高峰のマジックの大会「FISM 2025(フィズム/国際奇術連盟主催)」において、若き日本人マジシャン のIbuki(イブキ)(24歳)が、クロースアップ・マジック部門 グランプリを受賞するという快挙を成し遂げました。「FISM」は3年に一度、開催国を変えながら行われるマジックの世界大会です。“マジック界のオリンピック”とも称され、6大陸での予選を勝ち抜き選ばれた代表者が技を競います。また、彼はマイクロマジック部門 でも1位を受賞しました。日本人がFISMでグランプリを受賞するのは、1970年の日本初参加以来、実に75年越しとなる史上初の快挙でした。さらに、アジア人としてもわずか3人目の受賞となり、その技術と創造性は世界中の審査員と観客から高い評価を受けました。Ibukiは、「洋服のボタン」をテーマにした独創的なマジックを披露しました。自身の衣装からボタンが次々に移動する、ハンカチなどに一瞬にして縫いつくなど、専門家(審査員)ですら目を疑うようなマジックで観客を魅了し、見事グランプリに輝きました。その中でもグランプリの称号は、世界中のマジシャンにとって最高の名誉とされ、「世界一のマジシャン」として公に認められた証です。
今回のIbukiのグランプリ受賞に対し、Mr.マリック氏、セロ氏をはじめとする日本が誇る著名なマジシャンより、称賛の言葉が寄せられています。Ibukiは今後、日本のみならず世界のマジック界に新たな風を吹き込む存在として、チームとしてさらなる活躍が期待されています。
この度、FISM2025にて、日本人として初めてグランプリを受賞することができました。この受賞は、決してひとりでは成し得なかったものです。アクトの演出を担った せとな、そしてマネジメントを支え続けてくれたHISA、共に歩んできたチームの存在に、心から感謝しています。この受賞をきっかけに、もう一度日本にマジックブームの風を巻き起こしたい。その先頭に立つ存在として、これからも挑戦を続けてまいります。(Ibuki)
上手、不思議、面白いだけではグランプリーはとれません、派手なまやかし、巧妙な仕掛け。誰かの影を感じる演技 をFISMの審査員は見抜きます。その審査員全員の心を掴んだibukiさんに心から敬意を表します、おめでとうございました!(Mr.マリック)
Ibukiさんのグランプリ受賞に心から敬意を表します。「マジックで一番難しいのは、それを簡単に見せること」。まさにその本質を体現してくれました。本当におめでとうございます。 そして、これからのご活躍を心より応援しています。(Cyril)
――「FISM」でグランプリを獲得したお気持ちを教えてください。
優勝するのを目指してはいたけど、こんなすぐかなうものなのかというのは。でもまあ、FISMに向けてほんとに全力でやれることやってきたとは思うので、自分でも驚いてはいますね。「FISM」では、「クロースアップ・マジック」と「ステージ・マジック」の2種類の部門があります。「ステージ・マジック」はハトを出したり人体切断をしたり、ステージ全体を使ったマジック。「クロースアップ・マジック」はテーブルなども使い、客の目の前でコインやトランプなどを使用するマジックのことです。Ibukiさんは、「クロースアップ・マジック」の部門に出場しグランプリを勝ち取りました。
――「FISM」では、どんなマジックを披露されたのですか?
服のボタンを使ったマジックなんですけど、このボタンがいろんなところに移動したりとか。マジシャンが登場して、まず服に4つボタンがついているダブルジャケットを着ていて、そのボタンに手をかざすとボタンが縫いついた状態で移動していって、そのボタンを切って並べたりしていろんなところに移動して、さらに縫いついて。いろんなものがとにかく“縫いついていく”というマジックです。
――マジックとの出会いはいつごろですか?
マジックと出会ったのは小学生のころにクリスマス会にマジシャンが来て、そのマジシャンがトランプをプレゼントでくれたのが始まりです。マジックにそもそも魅了されて、トランプももらったんで自分でもやってみようみたいなかたちで始めました。独学でいろんな本だったりDVDを見たり、人に教わったりといろんな方から教わって独学で始めていきました。
――マジシャンは職業として活動しているんですか?
実はですね、サラリーマンをしながら趣味といったらあれなんですけど、兼業みたいなかたちでマジックをしておりまして。平日5日間働いて土日はマジックショーをやったりとかコンテストに出たりというふうな活動してますね。私自身も平日朝と夜練習して土日ショーやってってかたちですし、会社側にも色々土日休ませてくださいと融通を利かせていただいてるので。 マジシャン一本でもやっていけはするんですけど、ただ自分がやっぱりやりたいマジックっていうのが、本当に自分が好きなこだわり抜いたマジックなので、それを例えば営業先に持って行くとなるとその場のお客様にあわせてマジックをコーディネイトしなきゃいけないので、自分がこだわり抜いたマジックがそこにぴったり合うかっていうとちょっと変わってくるので、自分がやりたいマジックだけをしたいのならこのスタイルなのかなというふうな思いはあります。
――パフォーマンスする上で大切にしていることは?
一番は自分が楽しみながらやることですね。やっぱり自分が楽しいのがお客さんに伝わってお客さんも楽しんで見てくれるっていうかたちになると思うので、一番は自分が楽しんでやることですね。
マリックさんはIbukiの快挙を、ウサイン・ボルトの100m記録を破ったことに喩えておられました。それぐらいにすごいことです。彼は2023年頃からコンテストに出場し始め、タイトルを総なめにして優勝してきましたが、まだ弱冠24歳の若者です。彼が演じたボタンのマジックはこの世界では珍しく、素材に関して形式・理論的にはコインと通じるところがありますが、いつの間にかボタンが縫い付けられているという信じられない現象が高く評価されたのだと思います。 ♠♣♥♦
岩谷テンホー
岩谷 テンホー(いわたに てんほー、71歳)さんは、日本の漫画家で、代表作品は『みこすり半劇場』(ぶんか社)です。岩谷さんは長崎県の五島列島の出身で、長崎市内の工業高校を卒業すると、1973年に上京。職業を転々とした後、結婚を機に、大手印刷会社に就職。漫画雑誌の写真製版の仕事をしていました。会社に届く4コマ漫画の原稿を読みながら、これなら自分にも書けそうだぞ、と一念発起し、1985年に31歳の時に、麻雀雑誌に掲載された作品でデビューしました。落語の艶笑噺のような4コマ漫画が人気となりました。1986年から2002年まで『週刊プレイボーイ』に『マグニチュード9.99』を長期連載しています。私はあの頃ずっとこの(ややエッチな?それでいて硬派の記事も多かった)週刊誌を定期購読して読んでいました〔笑〕。担当者が元『少年ジャンプ』の編集者であったこともあり、作画やアイディア出しのアドバイスをたくさんもらい、「育ててくれた雑誌」と感謝を述べています。その後「東京スポーツ」のアダルト面で4コマ漫画「みこすり半劇場」の連載をスタートします。作中に下ネタを入れ始めるのはこの連載時からとなります。自身では作風を「『サザエさん』の世界にお色気を持ち込んだもの」と述べておられましたね。ちょっとエッチで思わず笑ってしまう下ネタ・お色気4コマ漫画です。
長年、いわゆる「かわい子ちゃん系下ネタ」、「頑固親父」、「時代物」、「ブス女」(⇒私はこのキャラクターが大のお気に入りです)、「野球ネタ」をオチや題材に持ってくる作風がほとんどで、ひたすらこの種の4コマ漫画作品を描き続けているため、そのイメージが定着しています。ダジャレや下ネタギャグも非常に多く見られます。長年不動の人気を維持しており、「偉大なるマンネリ」と例えられる作風で、現在世界世界ではオンリーワンの存在と言えるでしょう。老若男女を問わない、普遍の大爆笑下半身ギャグが満載です。そして何よりも笑えます。これまで何度思わず声に出して「エヘッ!!」と吹き出したかしれません。
当然ながら作品発表の場はお色気ものの4コマ雑誌(艶笑4コマ誌)か、青年漫画誌に限られていますが、過去にはごく稀にファミリー向けの4コマ誌にゲスト作家として招かれたこともありましたっけ。その時の雑誌の予告には「あの岩谷テンホーがファミリー向け4コマ誌に!大丈夫か?」などといったコピーが掲載され心配もされました。このようなケースの作品では当然ながら下ネタは封印したものの、その分作者独特の毒気のある作風が存分に発揮されていました。かつては月2回発行の4コマ漫画専門隔週雑誌『みこすり半劇場』(ぶんか社)が発売されていました。「みこすり半」とは、早漏を意味する俗語で、成人男性向けのお色気4コマ漫画を中心に掲載している、4コマ漫画誌としては異色の存在でした。月2回の刊行もこの雑誌のみでした。お色気系でしたが、下ネタで笑うために読まれる雑誌であって、性描写により購読者の快楽を誘うことを目的とした雑誌ではないために、いわゆる「成人向け雑誌」には該当せずに、書店などでも通常全年齢向けの一般雑誌の棚に堂々と置かれていました(が2014年4月休刊)。
近年は、「大阪スポーツ」紙上で毎日(土・日を除く)カラー連載されている作品が、ある程度まとまったところで、ぶんか社から季刊の『大盛!!みこすり半劇場』(690円)が出版されています。最新版は春号ですが(4月19日発売、写真上)、早々と松江駅のセブンイレブンに入荷しているのを見つけて買って帰りました。もう私は40年ぐらいこの人の漫画を愛読しています。毎朝コンビニで「大阪スポーツ」(180円)を買うのは、この人の4コマ漫画が目当てで、もう40年近く、この4コマ漫画をハサミで切り抜いては保存ボックスに放り込んでいます。今ではとんでもない量が溜まっています(写真下)。もちろん単行本は書庫に全冊揃っています。♥♥♥
YC-1型系気動車
多くの鉄道ファンには、新幹線、観光列車や特急列車が堪らない魅力を持っています。それはもちろんその通りなんですが、私の考えでは、日々の通勤や通学を支える普通・快速列車にも、それに劣らない魅力が隠されています。さながら実家のような安心感と最先端の技術を兼ね備える不思議な存在、それが普通・快速列車なのです。ハウステンボスを訪れた時、JR九州初の蓄電池搭載型ディーゼルエレクトリック車両(ハイブリッド車両)である「YC1系」(川崎重工業製)に乗ってきました。JR九州らしい斬新なデザインに目が行ってしまいがちですが、その乗客サービス、環境への配慮や画期的な動力システムは知れば知るほど興味深い車両です。

▲黒色の前󠄂面がカッコいい ピカピカとLEDが点灯
ハウステンボス駅のホームにこの列車が入線してきました。目をやると、車体前面の「顔」がピカピカと光っていて驚きました。入線してきたのはYC1系。車体前面を縁取るLED装飾灯が眩しい、2020年に導入されたばかりの新型車両です。キハ2000系やキハ66・67系に代えて投入されました。大村線を中心に運用され、長崎地区の主力車両となっています。2両編成で定員232名(座席定員76名)です。斬新なエクステリアに目を引かれるYC1系、いったいどんな特徴を持つ車両なのでしょうか?電車? 気動車? いいえ、答えは「ハイブリッド車両」です。
鉄道デザイナー・水戸岡鋭冶(みとおかえいじ)先生の手によって生み出された豪華絢爛なデザインが特徴です。ステンレス地色の銀を基調とし、前面は黒に、扉はメタリックオレンジに塗装された洒脱な外観もさることながら、何より目を引くのが車体前面を縁取るLED式装飾灯。先頭車両は白色に、後尾車は赤色に点灯します。日が暮れてから運転する姿は、まるで「走るイルミネーション」のようです。
YC1系は非電化区間を運転する、ハイブリッド車両(蓄電池搭載型ディーゼルエレクトリック車両)です。その複雑な車両分類のとおり、YC1系はこれまで非電化区間を走っていた従来型の気動車とはまるで別ものです。ディーゼルエンジンで発電した電力と、ブレーキ時に発生するエネルギーによって充電される蓄電池の電力を組み合わせて走行します。電車のシステムに近づけることで気動車特有の故障要因を排除することを目論んでいます。いわば「非電化区間を走る電車」のような画期的なシステムで、そのメリットは数多く挙げられますが、おおよそ2つのキーワードで説明することができます。
●その名称「YC」の由来は、「やさしくて」「ちからもち」
▲“YASASHIKUTE CHIKARAMOCHI”と印字された車体
その系統名「YC1系」の由来は意外にも日本語に由来します。「やさしくて(Y)力持ち(C)」のローマ字綴りの頭文字を取って名付けられました。それでは、一体どんな所が「やさしくて」、どんな風に「力持ち」なのか、それぞれ具体的に見ていきましょう。
キーワード①「やさしい」――乗客サービスの向上、環境負荷の低減

▲ボックス席も備えた車内


YC1系ではまず、乗客に対する「やさしさ」が一貫されています。まず注目したいのは出入り口。車体前面と同様の装飾灯(LED)が足元を照らしていたり、車両とホームの段差が低減され、出入り口の段差をなくしてバリアフリーの充実を図っており、スムーズな乗降が可能です。足元を照らす照明も設置されています。さまざまなタイプの乗客が安全に乗降できるような設計になっています。また、案内表示器は4つの言語に対応。日本語を読むのが難しい旅行客などにも有り難いサービスです。フローリングにダウンライトタイプのLED照明で照らされた車内には、ロングシートを中心にボックス席(テーブルもあり)も設置。JR九州の車両らしく、床面や荷棚、座席のテーブルといたるところに木材が使われた内装は、どこか温かみのある印象を与えます。水戸岡先生らしいおしゃれな柄で彩られた座席のモケットも、普通列車とは思えないやわらかな空間を創出しています。ちなみに、従来車両に比べて一人あたりの腰掛座面幅が拡大されているのもポイントです。そして従来型の気動車から動力システムを一新したことによる、環境への「やさしさ」もこの車両の大きな特徴です。動力をディーゼルエンジンによる発電式モーターに置き換えたことや、ブレーキ時のエネルギーを蓄電する仕組みを導入することにより、置き換えられたキハ66・67系と比べて、約20%もの燃料消費量を削減し、CO2の排出量や騒音を抑制することに成功しました。扉脇にはスマートドア(半自動ドア)のボタンが付いています。
キーワード②「力持ち」――安全・安定輸送の追及
「力持ち」とはすなわち、その動力の効率的な運用やリスクヘッジによって安全・安定輸送を追及すること。先に見た蓄電池のアシストによる走行性能の効率化もその一つです。そのほか、台車ごとにブレーキ制御を備えて冗長化を実現したり、電車部品を活用して電車のシステムに近づけることで、気動車特有の故障要因を排除したり、車両・地上設備の状態を把握する状態監視を実施したりと、一見してわかりづらいところにも安定的に乗客を運ぶための工夫がなされています。乗客や環境への配慮を欠かさず、鉄道車両として確実に仕事を遂行するその姿は、まさに「やさしくて力持ち」の鉄道車両というコンセプトがぴったりです。同じJRでも山陰線を走っているキハ40,キハ47などとはほど遠い魅力を持った通勤快速列車でした。♥♥♥
生徒の力を引き出す
今から48年も前、大学を卒業し、島根県教員採用試験に合格して、教員としての第一歩を踏み出そうという時、4月1日に島根県庁で行われた「辞令交付式」で、私は230人くらいいた新規採用教員を代表して挨拶をしました。大学時代に教えていただいた故・山本和夫先生(島根県立短期大学教授)の単語の教えを活かして、英語の教員らしく、educate(教育する)という言葉の語源を引き合いに出して、ex(外へ)+duce(引き出す)ということから、生徒たちの秘められた無限の数々の才能を外へ引き出してやるお手伝いをさせてもらいたい、という決意を、期待に胸を膨らませながら述べたのでありました。あれから48年か。そういう教師を目指して、秋山 仁先生の「教師五者論」+芸者+指揮者を実践しながら(⇒秋山先生について詳しくはコチラをご覧ください)、ひたすら駆け抜けてきました。
19世紀のイギリスの哲学者であるウィリアム・アーサー・ウォードは、こう述べています。名言だと思います。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
凡庸な教師はただしゃべる。
良い教師は説明する。
優れた教師は自らやってみせる。
しかし偉大な教師は心に火をつける。
「生徒の心に火をつける教師」を目指して、これまで一生懸命やってきました。一人でも二人でも、そういう生徒が出てきたのであれば嬉しいのですが…。次の言葉も同様の主旨です。
いい先生は丁寧に説明してくれる。もうちょっといい先生は自ら範を垂れ、最高な先生は俄然やる気にさせてくれる。(W.A.ワーズ)
私は大学に入れるために英語を教えているのではありません。英語の面白さ・難しさ・奥深さを生徒に伝えて、大学へ行ってからも、そして社会人となってからも英語の勉強を続けてもらうために必要な基礎・基本をしっかりと教え、本物の英語の力をつけるために毎日の授業をしています。決して「分かりやすい授業」とか「面白い授業」が目標ではありません。「生徒の心に火を付ける」のが私の仕事だと思ってやっています。そのためには、成績が目に見えて上がった、模試の得点が飛躍的に伸びた、というのが一番の薬・励みになるようですから、「結果」にもこだわりたいと思っています。そのために毎日の反省・分析を怠りません。私の授業の目標は「分かりやすい授業」ではなく、「あ~、英語の勉強って面白いな」「ワクワク、ドキドキ」を伝えて、「もっと勉強してみよう!」と励ます授業こそが、私の目標なんです。生徒一人でも、二人でもそういう気持ちを体験してもらえる授業こそが、私にとって「良い授業」です。毎日の授業を私は、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」をモットーにしてやっています。これは作家の井上ひさしさんの言葉です。そんな私は、1時間の授業の中に「笑い」が必ず出るように心がけています。
生徒たちの心に火を付けるために、私は教え子たちに協力してもらって、学校案内やパンフレットでは知ることのできない大学生活の生のレポートを送ってもらい、それを「あむーる」と題する通信に掲載して生徒に配布してきました。もう何十年も続けていることです。松江南高校で担任を務めていた際に毎週発行していた「学級通信」が元になりました。大田高校で進路部長を務めていたときには、「進路だより」と形を変えて毎週発行しました。津和野高校では「学校だより」に形を変え、松江北高に帰ってからは「学級通信」「英語通信」と進化していきました。高校時代に担任した生徒の保護者が楽しみにしてくださって、今でも全部保存してあります、と言っていただいたこともあります。今は勝田ケ丘志学館で月に一回発行しています。ちなみに「あむーる」というのは私の大好きなフランス人ピアニスト・リチャード・クレーダーマンのアルバムのタイトルからいただきました。生徒たちに大変好評で、これを読んで、その大学を志した例も少なくありません。
さて、冒頭の英単語のeducate(教育する)を教える時に、duce「導く」という「語根」を押さえておくと、後々役に立ちますよ。『ライトハウス英和辞典』(第7版)の「単語のキズナ」というコラムをぜひ活用していただければ嬉しく思います。このように語源を活用してやると、英単語の記憶がずいぶん楽になるんですよ。❤❤❤
◎educate e(=ex)「外へ」+duce「導く」+ate「させる」⇒「能力を外へ導き出す」 ⇒「教育する」 ◎produce pro「前へ」+ duce「導く」⇒「前へ導き出す」⇒「作り出す」 ◎introduce intro「中へ」+ duce「導く」⇒「中へ導き入れる」⇒「紹介する」 ◎reduce re「後ろへ」+ duce「導く」⇒「後ろへ引き戻す」⇒「少なくする」 ◎induce in「中に」+duce「導く」⇒「中に導き入れる」⇒「誘惑する」 ◎seduce se「離れて」+duce「導く」⇒「わきへ導く」⇒「誘惑する」 ◎duct 導くもの⇒「送水管」

































