「案山子」

    案山子      
            作詩・作曲 さだまさし

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
城跡から見下せば蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
この町を綿菓子に染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから
初めての春

手紙が無理なら 電話でもいい
“金頼む”の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

山の麓 煙吐いて列車が走る
凩が雑木林を転げ落ちて来る
銀色の毛布つけた田圃にぽつり
置き去られて雪をかぶった
案山子がひとり
お前も都会の雪景色の中で
丁度 あの案山子の様に
寂しい思いしてはいないか
体をこわしてはいないか

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

 

 私の大好きなさだまさしさんのシングル曲の代表作の1つに、1977年に発表された「案山子」(かかし)という名曲があります。都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌です。中学生になりバイオリン修行のための都会での一人暮らしの経験や、さださんの弟である佐田繁理(さだ しげり)さんが大学生時代、異国の台湾の大学にサッカー留学をしていた(日本のプロサッカー第一号選手)思い出を重ねて、この曲を思いついたようです。弟の繁理(しげり)さんがモデルで、弟を思うお兄さんの優しい気持ちが「案山子」を誕生させたのでしょう。さださんが25歳の時に作ったこの歌の原風景が島根県津和野町だということは、私が島根県立津和野高等学校に赴任した春に、職員室の同僚から教えてもらいました。さださん本人も「曲の原風景は津和野」とも話しています。中学二年生の夏休みに、お父さんの戦友会に連れられて初めて津和野を訪れた際に、一人で津和野の町を歩き回りました。40分ほどかけて登った津和野城趾から見下ろす風景にときめきます。小さな盆地を縫うように汽車が走っていき、美しく細長い川が流れており、橋の向こうに造り酒屋の煉瓦煙突。城下町を知らない長崎っ子のさださんには新鮮で自分が想像する「ふるさと」の原風景のように映りました。その後、高校の卒業旅行・コンサートなどで何度も訪れた土地なんだそうです。歌詞のこの部分は標高367mの霊亀山上に築かれた津和野城跡の三十間台から、津和野市街を見て、その情景を歌ったものでその美しい光景が目に浮かびます。島根県鹿足郡津和野後田にある津和野城(別名・天空の城)は、標高367mの霊亀山の山頂に築かれた山城です。明治時代に廃城となっていますが、現在も石垣や堀、物見櫓(ものみやぐら)などが各所に残っていて、国の史跡に指定されています。城跡の「三十間台」からは、城下に広がった津和野の街並みを一望することができます。

 さださんも、都会で親からの仕送りで一人暮らしをしていた経験から金頼む」のフレーズが出たのでしょう。48年も前に発表されたこの曲。当時は携帯電話などありませんから、今みたいに簡単にメールとか電話のできない時代でした。電話にしても公衆電話から硬貨をいっぱい手に握りしめて故郷にかける時代でした。さださんの弟は、異国の地でのサッカー留学で、電話は国際電話になりますから、あまり連絡もできなかったでしょうね。言葉も風習も違う見知らぬ土地での新しい生活、「案山子」の様に独りぼっちで寂しくしていないか、母親も心配しているぞ、と弟を思う兄の心情が込められた歌になっています。雪の中に立つ案山子はあたかも遠い都会でひとりぼっちで頑張る地方出身者のようで、良い比喩になっています。「離れて暮らす家族への愛情」がこの歌のテーマだと私は感じました。

 兄視点の歌ではありますが、それは都会に出た子どもを思う親の気持ちを歌っているようにも読み取れます。松の木が故郷の街並みを見渡して、遠く離れた娘や息子、あるいは兄弟などを想う大きな存在としてのイメージをさださんは抱いたのでしょう。改めて歌詞を読むと、しみじみとした感情が湧きあがってきます。この「案山子」を作曲するキッカケになったのは、さださんと弟の繁理さんが、大分から北九州へ列車移動しているときの一コマからだといいます。まだ10月で、九州では雪が降る季節ではなかったのに、折から急な寒気に襲われたのか、窓外の景色が突如として降り出した雪で一気に白くなりました。突然さださんは、車窓から雪が積もった田んぼの中にまだ取り込まれる前の案山子がぽつりと立っているのに気づき「かわいそうだな…」と、弟に語りかけたそうです。一人りポツンと田んぼに立つ寂しげな案山子の姿を、自身が経験した都会での一人暮らしや弟の台湾留学を心配した思い出と重ね合わせ、イメージを大きく膨らませたのでしょうね。この歌を聴いたある農家から手紙が来て、「百姓は決して案山子を雪の中に置き去りになどしないものですよ」と。申し訳なかったと思いますが、今ではあまりにも沢山の人から愛される歌になったので、今更風景を変えるわけにもいかず、どうか許して欲しいと案山子に手を合わせているさださんです〔笑〕。

 2016年10月「関ジャム 完全燃SHOW」において、さださんは、「案山子」津和野城跡の子どもたちが遊ぶ広場のシンボルである松の木が歌っているイメージで曲を書いたことを番組内で話していました。案山子」を創作した際の裏話を、テリー伊藤『歌謡Gメン あのヒット曲の舞台はここだ!』の中でこう明かしています。

 津和野は実に日本的な風景なんですよ。(中略)『日本のふるさと』の情景の典型とは何かと考えたときに、僕は城跡から眼下の街を見下ろしたときの風景だと思った。実は三本松城に大きな松の木があって、その松の木が子どもに語りかけているんです。

 津和野城の別名は三本松城と言い、そこの広場のシンボルが大きな松の木です。松の木は子どもたちが小さい頃からその成長を見守っています。松の木を擬人化して、故郷から都会へと旅立った子どもたちへの気持ちを歌っていますさださんらしいですね。発表から、あと数年で50年になりますが(メロディーはさださんが中学生の時に作っていました)、何度でも聴いてもらいたい名曲です。そして故郷を思う気持ち、親を思う気持ち、兄弟を思う気持ち。この歌を聴くとそれぞれの想いが胸をよぎり、この歌が持つ優しさ・温かさに触れることができます。様々な思いに心を傾けてみませんか。私はこの歌を聞く度に、津和野での思い出を懐かしんでいます。昨年高松市で開催された「さだまさし展」の会場入り口では、案山子がお出迎えしてくれました。♥♥♥

▲「さだまさし展」の会場でお出迎えする案山子

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明星「坂内食堂」

◎週末はグルメ情報!!今週はカップ麺

 「坂内食堂」(ばんないしょくどう、昭和33年創業)のラーメンを初めて食べたのは、博多キャナルシティ」5階のラーメンスタジアム」においてでした(私は津和野勤務の3年間に37回博多に出かけています!)。いっぺんで喜多方ラーメンのあっさり味の虜になり、その後は、京都伊勢丹10階の「麺小路」や、京王線の東京多摩センターで、「坂内食堂」「肉そば」(チャーシューが15枚ぐらい入っています)をいただいていました。大量に盛り付けられたチャーシューはそれは絶品でした。さすがに今ではこの量は食べられません。

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「日本三大ラーメン」「喜多方ラーメン」。毎日食べても飽きない「喜多方ラーメン坂内(ばんない)」監修の味わいを自宅で堪能することができるようになりました。「明星 喜多方ラーメン坂内 コク醤油ワンタン麺」(354円)ローソンで新発売しました。最近はこういった有名店とのコラボ商品が続々と出ていますね。今までにも2021年、2024年にサンヨー食品から縦型のカップ麺で登場しており、その都度体験していましたが、今回のが一番美味しいです。

 「喜多方ラーメン」とは、博多豚骨ラーメン札幌味噌ラーメンと並んで「日本三大ラーメン」 に数えられるご当地ラーメンで、水分を多く含みもちもちとして、縮れとコシがある「平打ち麺」がその特徴です。今回は、喜多方ラーメンを全国各地で広めているチェーン店「喜多方ラーメン坂内」監修により、お店のコンセプトである “毎日食べても飽きない味” カップ麺で再現しました。この「明星 喜多方ラーメン坂内 コク醤油ワンタン麺」は、お店の人気メニューの一つ「喜多方わんたんラーメン」を商品化したものです。特長の「もちもちとした平打ちの生めん」の食感を再現するために、独自の技術を用いた新開発の麺を使用しました。スープは豚の旨みをベースにしたコク深い醤油の味わいで、具材にノンフライワンタンと、お店の焼豚をイメージした四角い形の豚バラチャーシュー(お店の「肉そば」のチャーシューというわけにはいきませんが)、ねぎを入れた、見た目にも満足感のある一杯です。パッケージデザインは、「東北の蔵の里」と呼ばれる「喜多方」の街並みや、「喜多方ラーメン坂内」の店舗の外観を想起させる蔵の模様を取り入れています(写真下)。

 カップには麺の他にワンタンが4個も入っていました。あっさりしているのにコクがあり、また食べたくなる味わいです。豚ガラベースの澄んだしょうゆ味のスープ。スープ表面に豚脂などの油脂を浮かせています。しょうゆ味は非常にあっさりしており、塩気の強さもありませんが、豚の旨みが強めで、喜多方ラーメンらしいスッキリした味わいではありますが、他製品と比べると多少濃いめだなと感じました。豚脂を主体するスープ表面の油脂。豚の旨みの強さの源泉になっており、あっさりスープながらこってり感もあります。以前のタテ型の「坂内」カップ麺よりも油の量が多くてこってりしていました。湯戻し時間5分の平打ちで縮れのついたノンフライ麺。もちもちした食感が特徴で、あっさり味のスープに対して麺の方が主張が強く感じられます。スープに対する麺の主張の強さがうどんと似ているように思います。麺の味が特に目立つ構成なので、喜多方ラーメンは麺のおいしさが必須で、ノンフライ麺が向いているように思います。普通サイズとしては少し多めの麺量となっており食べ応えもあります。ワンタン4個とチャーシュー2枚、ネギの組み合わせ。ワンタンはノンフライで、大きくて餡も結構入っています。麺70gに加えてワンタン4個は実に食べ応えがあり、300円超えの高額商品として見合っています。さらに豚バラ調のチャーシューが2枚入っており、ジューシーで肉感があり、スープの豚の旨みにさらに豚の強さを高めていました。具だくさんです。♥♥♥

▲八幡は「九条ネギ」をトッピングして

▲このワンタンが最高に美味しい!!

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「永守重信賞」

 モータは19世紀初めに誕生して以来、私たちの身の回りのありとあらゆる電気製品に使われ、生活には無くてはならない存在となってきています。そして、今やモータが世界で発電される電力量の約55%を消費していると言われるほど、たくさんのモータがさまざまな場面で使われています。それゆえ、モータの研究は、私たちの豊かな生活の維持と、地球環境の永続的保全の双方にとって、非常に重要なテーマとなってきているのです。このモータのみならず、発電機やアクチュエータ等の周辺分野も含めた技術の研究開発をより活性化させるとともに、夢を抱いて日々の研究開発に邁進する研究者・開発者を応援したいという思いをもって、世界一のモータ企業・ニデック永守重信代表取締役グローバルグループ代表が理事長を務める公益財団法人永守財団(京都市)が「永守賞」を創設しました。

 今日(5月27日)の新聞紙上の広告で「第11回永守賞」の受賞者(200万円)が発表されていました。「第11回永守賞表彰式」(受賞者講演含む)は、2025年9月7日(日)に開催され、「永守賞大賞(500万円)」は、受賞者の中から表彰式当日に決定します。

 昨年の「第10回永守賞」の大賞(500万円)には、ベルギーのゲント大学教授のピーター・サージェント氏を選びました。環境への負荷が小さい材料を使って高効率で出力密度の高いモーターを作る研究を評価したものです。サージェント氏は環境負荷を抑えた材料を使ったモーターの設計や機器冷却技術を研究しています。サージェント氏は受賞を受けて「素材を再利用でき廃棄物や無駄のないモーター技術を開発したい」と述べました。「永守賞」はモーターとその周辺分野で、優れた功績を挙げた中堅の研究者・技術者を奨励するため2015年に始まりました。昨年は40代の研究者を中心に71件の応募がありました。永守氏「新進気鋭のモーター研究者の登竜門として賞を発展させたい」と話しました。また、航空機向けなどにモーターの用途が広がり「人工知能(AI)や半導体に続いてモーター研究への社会の関心が高まっている」としました。

 永守さんは、2022年8月にお亡くなりになった京セラ会長稲盛和夫さんをとても尊敬しておられました。私はその稲盛さんが1984年に創設された「京都賞」を思い出します。 「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」「京都賞」は、創立者である稲盛和夫さんの人生観を色濃く反映した【京都賞の理念】に基づいて顕彰しています。

 稲盛さんは、自分を育んでくれた世の中に恩返しがしたい。人知れず努力を重ねて人類の発展に貢献した人たちに、心から喜んでもらえる賞をつくり、未来の発展につなげたい。それが「人のため、世のため」になると考え、約200億円の私財を投じて稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設しました。「京都賞」は、【先端技術部門】【基礎科学部門】【思想・芸術部門】の3部門からなり、各部門はそれぞれ4分野で構成されます(合計12分野)。毎年各部門に1賞、計3賞が贈られます。賞金は1賞につき1億円です。「京都賞」の大きな特徴の1つは、「科学」と「思想・芸術」の分野が併存していることです。これは「人類の未来は、科学の発展と人類の精神的深化のバランスがとれて、初めて安定したものになる」という、稲盛さんの信念に由来しています。♥♥♥

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鎌田實先生の哲学

 あの鎌田 實(かまたみのる)先生が、現在「日刊スポーツ」に連載しておられる人気コーナー「鎌田式死ぬときに後悔しない生き方」で実に面白い見解を展開しておられました。私は長野県諏訪地域で医療活動に従事する鎌田先生のベストセラー『がんばらない』を読んで以来のファンです。シンガーソングライターのさだまさしさんは、お亡くなりになった柴田紘一郎先生「風に立つライオン」と呼び、諏訪中央病院の院長だった鎌田先生のことを「八ヶ岳の野ウサギ」と敬意を持って呼んでおられます。二つほど私の関心をひいた話題がありました。

 一つは「変さ値が大事」という考え方です。中学や高校では、自分の学力がどの辺の順位にいるかを知るための「偏差値」が重要な意味を持っています。しかし生きて行く上で最も大切なことは、変さ値だとおっしゃいます。変であることに、おびえる必要はありません。変ということはユニークということなのです。人と違うことを恐れず、個性的な表現や新しい発想をすることが大事なのです。世の中はどんどん変わっていっており、今までの考え方では、太刀打ちできないような時代がやってきます。人と違う自分の「変さ値」に気づき、自信を持つことが大切で、他人の「変さ値」にも敬意を払い、互いを認め合うことが大事だとおっしゃいます。学校では学生服、職場ではユニフォーム、と皆同じ、集団で空気を読まないと生きづらかったりもしますね。あえて自分の「変さ」を隠さず、時々その「変さ」を表に出してみたら、ちょっと息苦しさが減り、きっと生きるのが面白くなってくるはずだ、と鎌田先生はおっしゃいます。「偏差値」ではなく「変さ値」。なるほど。これ、生徒たちにも使えそうです。

 もう一つは、「仕事とは何ですか?」と聞かれた時に、鎌田先生プロレスに似ているとおっしゃいます。仕事は戦いで、やる以上は全力投球をし、汗を流し、勝たなければなりません。それはプロレスの仕掛けに通じるものがある、とおっしゃるのです。プロレスでは人気選手がほぼ勝ちますね。時には負けることもありますが、最後には復讐戦をして結局勝ちます。試合中は、悪役レスラーが圧倒的に攻めまくりますが、それにどう耐えるのか。そして最後には、得意の必殺技を決めて逆転勝ちにつなげます。大事なのは、お互いの技が映えるようにし合うこと。1人では勝負にならないのです。これがプロレスの試合の肝なのです。これは実に仕事とよく似ています。周りの人がどれだけ気持ちよく仕事ができるか。そんな空気を作ること。そんな人間関係を作りながら、仕事の現場で自分の得意技を出すこと。職場の中でもプロフェッショナルな意識を持って、自分の大技をどこで炸裂させたらいいか、常に考えておく必要があります。仕事はプロレスのようなもの。相手に大技をかけられても、ひたすら耐える力が大事。そして必ず、相手の見せ場を作った後、自分の得意技で必ず勝利すること。これが仕事の肝でもあります。仕事は自分を成長させてくれる大切なもの。つ らい時もあるけれど、面白いものです。仕事がなかったら人生はきっとつまらないものになることでしょう。仕事を通して、稼ぐ力を身につけていくことが大事なのです。「仕事はプロレスに通じる」鎌田先生の実に面白い見方でした。♥♥♥

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レーザーポインター

 私の講演会ではスライドに注目してもらうために、いつもレーザーポインターを使います。以前は「赤」色レーザーポインターを使っていましたが、現在は「緑」色を気に入って使っています。様々な色がある中で、どれを選べばいいか迷ったことはありませんか?まずは色ごとの特徴を挙げてみましょう。

🔴 赤色レーザーポインター

  • 波長:650nm前後

  • 特長:価格が安く、電池持ちが良い

  • おすすめ用途:プレゼン、室内使用

👉 一般的な使用には十分。コストパフォーマンスを重視するなら赤色がおすすめです。

🟢 緑色レーザーポインター

  • 波長:520〜532nm

  • 特長:非常に明るく、昼間でも見えやすい

  • おすすめ用途:屋外での指示(建築、登山)、星空観察

👉 光が強く、特に夜間や広い空間での使用に最適です。視認性を重視する方におすすめ。

🔵 青色レーザーポインター

  • 波長:450nm前後

  • 特長:クールな印象で存在感がある

  • おすすめ用途:DIY、ガジェット好きへのギフト、演出用途

👉 見た目もユニークで、レーザー愛好家の間で人気です。目立ちたい時には◎。

✅ 使用上の注意は?

  • レーザー光を人や動物の目に向けないこと

  • 屋外で使用する際は、航空機や車両に向けないこと

  • ペット用として使用する際は、適度な時間で遊ばせて疲れすぎないよう注意すること

 今私が使っている緑色メリットは、 視認性が良く、赤色のレーザーと比較すると8倍も明るく・見やすく感じる、という点です。 波長が532nmで、人間の眼が最も認識しやすいと言われている555nmに限りなく近いためです。 照射距離も長いので、明るい環境や広い会場に適しています。 のレーザーのデメリットは、使用可能な環境温度が15℃~35℃なので 空調が効いてない場所や屋外での利用には向かない 点です。私が今使っているのは、(株)ALATAMA「MIDORI-CHAN Slim」です。シンプルなスリムボディがハンディで使いやすく、視認性の高いグリーンレーザー光が特徴のレーザーポインターです。専用のキャリングケースが付いているので携帯にもとても便利です。ワイヤレスリモート機能も付いており、パワーポイントを使う際の操作性も抜群で気に入っています。パワーポイントの収納レシーバー部分はマグネットで簡単に外したり元に戻したりすることができるので、これも気に入っています。

 6月11日(水)予定の米子東高校3年生の講演会でも、これが活躍しそうです。♥♥♥

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「矢場とん」鈴木会長ご逝去

 私が名古屋「矢場とんみそかつを初めて食べたのは、名古屋大学に進学した松江北高の卒業生が案内してくれた時でした。あまりの美味しさにファンになった私は、以来、JR博多駅アミュプラザ9階にある「矢場とん」でしょっちゅう食べていました。ただ、私が昨年博多を訪ねた時には、お店がなくなってしまっており残念でした。矢場とん」は、名古屋のご当地グルメ「みそかつ」の代表格として知られる人気店です。ガイドブックには必ずといってもいいほど掲載されており、ランチタイムともなると、店の前には長蛇の列ができます。2001年、名古屋駅地下街への出店を皮切りに、現在では国内29店舗(持ち帰り専門店4店含む)を展開しています。

 「とんかつにみそだれをかければ良い」などと単純に考えてはいけません。「みそかつ」は、実はそれほど単純な料理ではないのです。 と言うのも、そもそも「とんかつ」「みそ」も本来くどい食べ物と食材ですから、本当に単純に掛け合わせて食すると、非常に味が濃くなりすぎて、胸焼けがしそうなくらいしつこい味になってしまうからです。ではどうしたら美味しい「みそかつ」ができるかというと、「厳選された食材」「とんかつの揚げ方」「みそだれ」をバランス良くマッチさせることが最も重要なのです。 厳選された食材に、シェフが愛情をそそいで調理をし、フロアスタッフが心からのおもてなしをする。これこそが「矢場とん」のこだわりなんです。

 その矢場とんの2代目社長、現会長・鈴木孝幸(すずきたかゆき)氏が2月にお亡くなりになりました。77歳でした。名古屋名物「みそかつ」の普及に尽力された功労者です。名古屋発祥のみそかつを全国区の知名度に押し上げた立役者として知られています。鈴木会長の死去は、名古屋のみならず、全国の食文化に大きな影響を与えた人物の喪失と言えるでしょう。氏の功績を偲びつつ、みそかつのさらなる発展を期待したいところです。

 昨年フジテレビの番組『藝大よ、地球を救え。』では、東京藝術大学客員教授であるさだまさしさんと、東京藝術大学教授である箭内道彦さんが発起人となって、アートの力を必要としている企業に、才能あふれる東京藝大生をマッチングさせて「アートの力で世の中を変えていこう!」という特別授業が開講されました。史上初の東京藝大のバラエティー番組でした。その中で、さださんからの持ち込み依頼企画で「企業の社歌」を作ってほしいというものがありました。さださんは創業78年のみそかつ専門店「矢場とん」と交流があり、以前から「社歌を作ってください」とのお願いを受けていたと言います。そこで今回は「歌詞は自分で書くので、それに曲をあててほしい」と藝大生に依頼。彼らは実際に「矢場とん」みそかつを食べて曲作りに励みました。“社員たちが一つになれる社歌”をというテーマに、藝大生たちはどんな楽曲を作ったのか?選ばれた曲はスタジオで、さだまさしさんと社員が合唱しました。でき上がったのが、下の社歌「矢場とん一家の心はひとつ」です。最近テレビで流れている矢場とんのコマーシャルを見る度に、「あ~、食べに行きたいなあ」とそそられている八幡です。♥♥♥

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衝動的判断は×

 大ファンの故・外山滋比古(とやましげひこ)先生『「忘れる」力』(潮文庫,2022年)を読んでいて面白いなと思った文章があります。英文を読む上で、非常に大切なことを述べておられます。

 欧文のパラグラフにははっきりした構造と組織がある。典型的なのはA・B・Cの三部に分かれる。Aは一般的、抽象的な書き方がしてあり、Bはその具体例などが述べられる。Cはまた抽象的表現に戻って締めくくる。この三者が同心円のように重なるのがよいとされる。
 この構造に不案内だったりするとひどい目にあう。以前、大学入試で英文和訳の問題が必ず出た。その答案を採点していておもしろいことに気付く。さきのAの部分の原文の下を鉛筆の線が往き来していて苦心のあとを留めている。それが突破できずに失敗するのであるが、Bへ行けばわかりやすく、そこから返ってみればAもわかる。A止まりだから失敗するのである。(p.97)

 毎年生徒たちに言って聞かせていることは、英語の文章は【抽象】から【具体】へ流れ、難しいことを言ったら必ず言いっ放しにしないで、その分かりやすい説明が後に続くから、難解な部分だけであきらめずに、次に続く【具体】(ヒント)の部分を利用して【抽象】(問題となりやすい下線部分)を考えるようにしなさい、ということです。英語の苦手な人ほど、難解な下線部分だけをにらめっこしていくら考えても分からずギブアップしてしまう、ということが多いようです。ちょっと辛抱してその先を読めば、ある程度理解できるヒントが転がっているのにもったいないことです。下線部分だけを読んで、「あ、これはダメだ。分からない!」と衝動的に判断してはいけません。

 尊敬する故・渡部昇一(わたなべしょういち)先生『人生の手引き書~壁を乗り越える思考法~』(扶桑社、2019年)にも、「衝動的判断は×」という似たような記述があります。

 大学で英語の教師をやっていて、非常に面白いと思ったことがある。英文を訳させると、できない生徒は、決まってパラパラと見て知っている単語があれば、そこからパッと訳し始める。文脈などあまり考えず、知っている単語があると片っ端から訳していくのである。一方、できる生徒は、読むにしたがって次々と勝手な解釈が出てくるのを抑え、まずひととおり文脈を追う。わかる部分から始めたいという衝動を抑え、知っている単語があっても文脈からじっくりと捉えなおしているようである。
英語の訳文ばかりではない、ディスカッションでも、こう主張したいという衝動にかられることはよくあるが、できる人ほど、そこで少し抑え、冷静にデータなどの裏づけを検討してから発言するようである。人が発言しているときに、ちょっと自分の意見と相違があると思うとすぐに割り込みたくなるのはわかる。しかし、ここでぐっと抑えて、この人の意見にも一理あるかもしれないと考えるのが、大切である。アホらしい思いつきで笑わせるのはテレビのショー番組だけと思ってよい。漫才には漫才の効用がある。しかしショーや漫才は特別の世界である。大を笑わせたり、あっと言わせれば成功という世界だ。普通の人生を歩む大にとっては異質である。そこを間違えてはいけない。即断即決を否定するつもりはない。まるで天からの声が聞こえたかのように、直感が働くこともある。だが、文脈を追わずにわかるところから訳す、あるいは、前後の脈絡や人の意見など気にもせず自分の主張を繰り広げるなど、自分に対する甘やかしのような衝動は、あとから後悔することが多い。それは、直感とは程遠い、ただの短絡思考でしかないのだ。学生のうちは許されても、社会人ともなれば、甘やかされた衝動はますます抑えねばならなくなる。衝動的な人ばかりだと、組織がめちゃくちゃになってしまうからだ。たとえば、入社いくばくもない社員で、「この会社は能力を高く評価してくれない」と言って辞めてしまう人がいるが、これも、自分を甘やかしているにすぎない。もちろん、その人が辞めたことで会社の売り上げが極端に下がり、倒産の危機にさらされるようなことになれば、その人は正しかったと言えるのかもしれない。しかし、その人一人辞めたところで彼らの日常が変わらないとなれば、この衝動的な判断は、まったく役に立たなかったということだろう。道を誤らないためには、こういう幼稚で短絡的な衝動に飲まれないよう、心がけることだ。(p.166-168)

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渡部昇一先生のエピソード(37)~複数の井戸を掘る

    尊敬する故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)は、誰もが一芸のほかに、もう一つ、補助の井戸を掘ることを薦めておられました。補助の井戸とは、一つの専門分野の他に、それに関連した分野をもう一つ追究し、自分のものにしてしまうことです。例えば、軍医でもあり、文学者でもあった森鴎外島根県津和野町の出身です)のように、全く違った井戸を掘ることも不可能ではないでしょう。

 自分の専門分野に関連した井戸の深井戸が一つ、そしてそれに関連性の高い井戸をもう一つ掘る。それは、浅井戸でもかまいません。もちろん深井戸の方は、それこそ自らの志のもとに、徹底して深く掘り進めていくことが必要です。深井戸を掘り、そしてその周辺の井戸も掘り進めるのです。そうすれば、人生をより充実させることができる、というのが渡部先生の考え方でした。

    専門分野の井戸は、誰よりも深~く掘り進めることが大切です。「智謀湧くがごとし」という言葉があります。これは、日露戦争時に、東郷平八郎司令長官の下で連合艦隊の参謀をしていた秋山真之中将の銅像が建てられた時に、東郷元帥が台座に「智謀如湧」と書いたのが、そのいわれです。この「智謀湧くがごとし」を英語で言うなら、リソースフル(resourceful)となるでしょう。これは、知恵が一回きりではなく、次から次へと尽きることなく出てくることを意味しています。ここからイメージできるのは、例えば、井戸から水をいくら汲んでも、後から後からこんこんと湧き出る様です。このリソースフルという言葉に、知的生活者のあるべき姿のヒントが隠されている、と渡部先生は言われるのです。つまり、リソースフルになる道は、井戸を涸らさないこと、そのためには、自分の井戸の数を増やすことが大切なのです。井戸の数が多くても、全てが浅い井戸では困りますが、井戸一本だけでは発想が涸れやすくなるのです。井戸を何本も掘っておくことが肝心です。一本目の井戸の水が汲みすぎによって涸れかけたら、二本目の井戸を使うのです。二本目の井戸が涸れかけてきたら、今度は三本目、というふうにしておけば、そのうちに一本目の井戸には再び水が溜まって使えるようになります。ビジネスマンであっても、何か一つ専門分野の井戸を徹底的に深く掘っておかなければなりません。その発想の泉から、次から次へとアイデアを湧出させるためには、最初の泉が「自信」という水脈に達するまでの深さになっていなければなりません。そして、その自信が、揺るがぬ自信にまでなった時、その人ならではのユニークで独創的なアイデアが生まれるようになるのです。そのアイデアは誰もが一目置くアイデア、言い換えれば含蓄が深く、かつ鋭さのあるアイデアとなるのです。もっとも、「それだけでよしとしてはいけないよ」というのが、リソースフルの考えです。でなければ、いつしかワンパターンになってしまって、「また同じことを言っている」と、その知的生産物は見向きもされなくなっていくからです。英文学者の故・斎藤勇先生や故・福原麟太郎先生のお仕事を見ると、このことがよく分かります。私の恩師の故・安藤貞雄先生(広島大学名誉教授)も何本も深い井戸を掘っておられました。ご専門の英語学も、伝統文法、構造言語学だけでなくロンドン学派、最新の変形文法理論にまで通じておられました。英文学にも造詣が深く、翻訳者としての顔も持っておられました(ラッセルの翻訳書)。それでいて受験英語に関しても著書があります。常日頃から辞書学者としての労作も数多くあります。精緻な語法研究も行っておられました。

 私の尊敬する夏目漱石には、大きな井戸が二本あったと考えてよいでしょう。一つは漢学という井戸です。彼は子供の時から漢文の本を楽しみに読むほどの力がありました。今の子供たちがマンガか、あるいは角川文庫を読むように、江戸の漢学者の随筆などを読んでいました。漢詩は韻を踏んだものを作ることができました。とくに晩年の七言律詩群の出来映えはことに見事であって、吉川幸次郎博士などは、シナ本土を合わせて考えても、漱石は漢詩人として第一等の人であろうと言っておられます。つまり、漱石は漢文学という東洋文学の深い井戸を持っていました。彼の文学の趣味の多くはここからきています。同時に漱石は、日本では最初の文部留学生としてイギリスに留学し、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任として、東京大学の最初の日本人の英文教授になるべく予定されていた人です。漱石イギリス文学の読み方がいかに深切・周到なものであったかは、『文学評論』その他を見れば明らかです。しかも、漱石にはイギリスに住んだという体験もあります。イギリスこそは、明治の日本が到達することをめざしていた国であったので、そこに日本の未来を見ることもできたのです。漱石は漢詩の世界という東洋・過去という泉と、英文学の世界という西洋・未来の泉の両方を持っていました。この二つの井戸は圧倒的な強みと言っていいでしょう。

 私は、大好きだった故・西村京太郎先生と生前に確執のあった故・松本清張さんはあまり好きにはなれませんが、彼ほど多くの井戸を持っていた作家も少ないと言えるでしょう。普通の市民の生活を扱った現代小説から、推理小説に向かいます。『かげろふ絵図』『彩色江戸切絵図』のような時代ものの推理小説もあります。短篇のみならず長篇も。また『昭和史発掘』のようなノンフィクションの現代史もあれば、古代史の研究もあります。井戸の数は無数です。しかもその一つ一つが浅くありません。現代の考古学者や歴史家をテーマにした小説があるかと思えば、それらの主人公が研究している対象それ自体にも研究や調査が及んでいます。そして積極的に井戸を掘り続けていることは、商社の倒産とか、中東の革命騒ぎとか、新しい事件をただちに小説化していることによっても分かります。この魅力的な井戸を多く持っていることと、新しい井戸の発掘力こそが、松本清張さんの尽きることのない創作力のもとになっていることは確かでしょう。♥♥♥

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「中村製麺所」のチャーハン

◎週末はグルメ情報!!今週はチャーハン

 松江市東津田町にあるラーメン専門店「ラーメンまぜそば 中村製麺所」(松江市東津田)の2号店「ラーメン・中華 中村製麺所」が昨年オープンしました。「同じメニューが松江駅近くでも食べられるようになった」と思われる方も少なくないと思いますが、こちらはラーメン店ではなくて「町中華」のお店です。手ごろな価格で夜な夜な中華料理を楽しめる、松江駅周辺では貴重なお店です。ちなみに、お店のマスコットはブタをモチーフにした愛らしいキャラクターで、「今日も、おつかれさま。」のメッセージを見ると、ほっこりとした温かい気持ちになりますね(写真下)。松江駅南口の真ん前のお店です(ホテル「アルファワン」の隣)。

 1号店にはない、2号店でしか食べられないオリジナルメニューもたくさん並んでいます。また、「働く人を応援したい」というコンセプトの通り、カウンター席が用意されているほか、スタミナメニューも充実しており、お仕事帰りにお酒と一品料理で晩酌ができそうですよ。店内にはカウンター、テーブル席のほか、座敷も用意。店内の赤いテーブル、黄色いメニュー札がどこか懐かしい町中華の雰囲気を漂わせていますね。日によってはカウンター席から埋まる時もあるとか。夕方16時からの営業(~午前0時)で、私は水曜日の夜、勝田ケ丘志学館の帰りに利用しています。

 ラーメン、一品料理等、いろいろと試してみましたが、一番のオススメは「チャーハン」(660円)です。メニューにも「オススメ」とありました。一口食べてみます。「おお、美味しいぞ!!」あっさりで私好みのいい味です。ご飯が進みます。かつてNHK松江放送局のそばにあった「塩名人」チャーハンがちょうどこんな味で美味しかったんですが、早々と閉店してしまい残念でした(2024年5月に閉店)。実にシンプルなチャーハンで、入っている具材は玉子、ネギ、チャーシューのみです。パラパラ感たっぷりで玉子チャーシューの大きめの角切りがとてもマッチしています。このチャーシューがゴロゴロと大量に入っていて、実にいい味を出しているんです。今私は、松江市で一番美味しいチャーハンだと思います。

▲ゴロゴロとチャーシューの角切りが!

 今日お邪魔した際には、机上のメニューに「スタミナチャーハン」(770円)というものを見つけました。お店の人に「普通のチャーハンとスタミナチャーハンはどう違うのですか?」と聞いてみた所、「好みの問題です。にんにくが入っていますから」とのこと。あ、それで「スタミナチャーハン」か!ということで「スタミナチャーハン」を試してみました。確かににんにくの塊がゴロゴロ入っていました。チャーハンの上には目玉焼きとにんにく味噌がかかっています。結論。やはり普通の「チャーハン」の方が美味しかったです。♥♥♥

▲「スタミナチャーハン」

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ジェフリー・アーチャー

 あの日産自動車が大変なことになっています。2025年3月の連結決算は何と6,708億円の巨額の赤字に、従業員の15%にあたる2万人を削減予定、世界に17ある完成車工場のうち7工場を閉鎖し、計10工場に集約するといいます。私はこの緊急事態の根本的な要因は、大騒ぎになった2018年のカルロス・ゴーン社長逮捕の時の日産の態勢に遡ると感じています。ゴーンさんははるかレバノンの地で、今頃日産をどのように見ておられるのか、一度聞いてみたいですね。

 2018年の年末年始は、(1)役員報酬の過小記載、(2)私的な目的で日産の投資資金を支出、(3)会社の経費の不正使用の三点で逮捕され、さらに特別背任の容疑で再逮捕されたカルロス・ゴーンさんの話題で持ちきりでしたが(さらには奇想天外な方法で脱国しました)、感想が二つほどあります。社長らの記者会見で、一方的に極悪非道の悪者に祭り上げられたゴーンさんでしたが、あれだけの悪事がたった一人でできるわけがありません。取り巻きたちも認めていたからこそ、あれだけの私物化ができたのでしょうから、会社として「申し訳ない」の謝罪の一言があってもよかったと思うのですが、「負の遺産」「憤り」とか言うばかりで、まるで他人事でした。日産よ、自分たちの責任は一体どうなっているのか?と突っ込みたくなってしまいました。あのような受け止め方では、会社の低迷はすでに見えていたと言ってよいでしょう。もう一つ。ゴーンさんが年末年始に取り調べを受けたことで、日頃は知ることのない東京拘置所の食事内容まで報道されたことでした。それによれば、大晦日には年越しそばとしてカップ麺が振る舞われるとか。普段の主食は、米7割、麦3割だが、三が日だけは白米に変わるそうです。元日は、エビやかまぼこ、黒豆が入ったおせちも提供されるとのことでした。普段我々が知ることのできない面白い情報でした。

 東京拘置所に収監中だったカルロス・ゴーン容疑者は、取り調べ時間以外は、独房で米誌『タイム』英誌『エコノミスト』などを読んで過ごしていたそうです。特に私が注目したのは、偽証罪で実刑判決を受け服役経験のある英国の人気作家のジェフリー・アーチャーさんの著作の差し入れを依頼したとのことでした。私は熱狂的なアーチャーファンでしたから、興味を持ってニュースを見ていました。

 ジョフリー・アーチャーはロンドンに生まれ、幼少期をウェストン=スーパー=メアで過ごしています。ウェリントン・スクールからオックスフォード大学へ進み、在学中はビートルズを呼んでチャリティ・コンサートを開いたり、短距離走の選手として大学記録を打ち立てたりと活躍しました。卒業後にアロー・エンタープライズを設立、ロンドンに住みます。1967年より、大ロンドン議会議員を務めました。1969年12月、シリル・オズボーンの死去にともなう庶民院(下院)議員補欠選挙にて、保守党から立候補し、最年少議員として当選を果たします。以降、1970年6月の総選挙、1974年年2月の総選挙と、ラウス選挙区で連続当選を果たします。しかし、1973年に北海油田の幽霊会社に投資したことから財産を全て失い、1974年10月の総選挙を機に政界を退きます。まさに激動の人生を送っておられます。

  その時の実体験を描き、1976年に発表した処女作 Not a Penny More, Not a Penny Less (日本語版タイトル『百万ドルをとり返せ!』)が大ヒットし、借金を完済します。作家活動の一方、1985年には政界復帰し、党副幹事長などを務めますが、翌1986年にスキャンダルをすっぱ抜かれ、そのタブロイド新聞を訴えて勝訴しました。その後、一代貴族爵位「カウンティ・オブ・サマーセットにおけるマークの、ウェストン=スパー=マーレのアーチャー男爵」(Baron Archer of Weston-super-Mare, of Mark in the County of Somerset)に叙され、貴族院議員に列します。ロンドン市長選挙の保守党候補に決まり、三たびの政界復帰を視野に活動していた1999年には、友人がスキャンダルでのアリバイ証言を嘘だったと告白し、偽証罪に問われ、2001年7月に裁判で実刑が確定しました。服役後、2003年7月に保護観察となり、A Prison Diary (『獄中記』)を出版、その後社会復帰しました。出獄後初の短編集であるCat O’nine Tales(『プリズン・ストーリーズ』)は、12作の短編小説のうち9つが、アーチャー自身が獄中で聞いた話を小説にしたという形をとっていました。

 一人または複数の主人公の生涯を描きだす長編小説(サーガ)、サスペンスやミステリー形式の作品、および短編集と3種類の形態で作品を発表してきています。これらの作品の中でジェフリー・アーチャーは、複数の登場人物の観点から出来事を記載する手法をよく用いていました。特に、同じ出来事を別人物の観点で描くことにより、登場人物の性格を一層浮き立たせたり(『チェルシー・テラスへの道』)、物語の奥行きを深める効果(『ケインとアベル』『ロスノフスキ家の娘』)を持たせていました。

 私は教員に成り立ての頃、彼のデビュー作『百万ドルを取り返せ!』(新潮文庫)を読んでいっぺんにファンになりました。訳者の永井 淳さんのファンだったこともあり(アーサー・ヘイリーなど、当時のベストセラー作品はほとんどが永井さんの翻訳によるものでした)、ひたすらのめり込んでいきました。大物詐欺師で富豪のハーヴェイ・メトカーフの策略により、北海油田の幽霊会社の株を買わされ、合計百万ドルを巻きあげられて無一文になった四人の男たち。天才的数学教授を中心に医者、画商、貴族が専門を生かしたプランを持ちより、頭脳のかぎりを尽して展開する絶妙華麗、痛快無比の奪回作戦で、新機軸のエンターテインメントとして話題を呼ぶ「コン・ゲーム小説」の大傑作でした。すっかり魅せられた私は次々と作品を読破していきました。まさに“page-turner”(この表現、米国週刊誌で覚えました)ともいうべき作品たちでした。

Not a Penny More, Not a Penny Less(1976) – 『百万ドルをとり返せ!』(1977年)
Shall We Tell the President?(1977) – 『大統領に知らせますか?』(1978年)
Kane and Abel(1979) – 『ケインとアベル』(1981年)
A Quiver Full of Arrows(1980) – 『十二本の毒矢』(1987年)
The Prodigal Dangher(1982) – 『ロスノフスキ家の娘』(1983年)
First Among Equals(1984) – 『めざせダウニング街10番地』(1985年)

 どんどんと、あまりに膨大なページとなっていったもので、途中で挫折して以降は読んでいませんが、もう少し時間ができたら、最新作に手を出してみようかなと思っています。♥♥♥

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