マリックさんと娘ルナさん

   大好きな「超魔術」マジシャンのMr.マリックさんと、娘でラップ・ミュージシャンのLUNA(ルナ)さんが、2024年3月5日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演しました。私はビックリしました!LUNAさんは、2019年に父のマリックさんと同番組に出演した時には、ふっくらとしておられましたが、この半年で22キロも痩せておられました!食事と運動で、体重を落とすだけでなく、くびれまでできて〔笑〕。マリックさんも娘の激変に「これはいちばん驚きましたね。マジックより驚いた!」と笑っておられました。その後、ダイエットインストラクターの資格も取得。LUNAさんは「コロナ禍で歌の仕事もお休みになってしまったので、その間にダイエットインストラクターの免許を取ってみようかなと。なので、徹子さんのボディメークもできます」と語りました。実は、私も昨年股関節の手術のために1ヶ月ちょっと入院し、退院したときには18キロも痩せていました。間違いなく定期的でカロリー控えめの病院食のおかげですね。

 マリックさんは、これまで多忙すぎて家族団らんとは程遠い家庭でしたが、孫たちの影響で家族の形に変化が起こっていることを明かしました。これまでプライベートで家族旅行に行ったことすらなかったのですが、今回、孫の発案で千葉に家族旅行へ出かけ、いちご狩りやカラオケなど、マリックさんにとって初めて尽くしの素敵な旅になったと言います。娘のLUNAさんとは、なかなか面と向かって話したり電話はしづらいため、一時疎遠になったことがあったとも語りました。しかし、娘とLINEをするようになってから、日々の他愛のない交流ができるようになり関係が改善。今では、家族全員でグループLINEを行っているそうで、その楽しいやり取りの様子も紹介されました。

 ずいぶん前のことになりますが、テレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(2017年6月25日)に、超魔術師・Mr.マリックと、ヒップホップ・レゲエ歌手の娘さんLunaが親子で登場したことがありますので、振り返ってみたいと思います。1989年に人気絶頂で仕事は絶好調、きてます」「ハンドパワー」などが流行になったマリックさんですが、一方で、家庭は全く顧みていなかったと言い、家族はバラバラになったと言います。仕事の忙しさにかまけて家庭に一切関わろうとせず、たまに一緒に家にいることがあっても仕事部屋にこもりきりで会話をする暇もなく、修復不可能なくらいまで家庭崩壊をしていた過去を赤裸々に告白していました。そして自らの失敗から導き出した「家庭崩壊を引き起こす親にありがちな3つの特徴」を徹底分析しました。同番組にこれまで2回出演しているマリックさんですが、授業のための打ち合わせを重ねるたび、“家庭崩壊”を引き起こした自らの過去のしくじりを語りたいという使命感がわき、今回、娘とともに教室にやって来たと明かします。そこで、今回は「修復不可能なくらいまで家庭崩壊しちゃった先生」として、「仕事を優先し過ぎて、家庭を崩壊させないための授業」を2人で行うことになったのでした。

 長女のLunaさんは当時、家出を連発し不良の道へ。警察には20回以上も補導されました。長男は毎日部屋にこもってゲーム三昧、妻とのコミュニケーションもゼロとなり、マリックさん自身も、ストレスによる顔面麻痺(神経が切れてしまい、顔の右半分と左半分がずれる)のために、ステージ上で「ハンドパワーです」と言えなくなってしまい(パピプペポが言えない)、入院生活を一年も余儀なくされたこと(当時のマリックさんに対するバシングは半端でなかったんです)、娘のLUNAさんが、父親が有名人のために小学校でいじめられ(スプーンを親父に曲げてもらってこい!」)、中学校でぐれて退学になったことは有名な話です。あの華やかな超魔術のマリックさんにもこんな辛い時期があったんですね。

 それが、こうして2人で番組出演することが奇跡のように思えるという親子ですが、どのように家庭が崩壊していったのか?そしてどのように立ち直っていったのかを、赤裸々に解説しました。マリックさんは、自らの失敗から導き出した「家庭崩壊を引き起こす親にありがちな3つの特徴」を徹底分析し、LUNAは娘の立場から、なぜ不良の道に走ってしまったのか、当時の思いを打ち明けていきます。家庭内での3つのしくじりとして、1)家庭を顧みず仕事優先。仕事と家庭のON、OFFがない。(2)家でもMr.マリックの衣装で生活。(3)子育てを妻に丸投げし、大事な時に(子どもを)叱れない人間「家族写真は1枚しかない」など衝撃の告白をしていました。そんな父親にLUNAは強烈に反発。また、父親の影響から小学校で友だちからいじられ続けたこと、自分と向き合わない父親に「小学校3年で父に話しかけるのをやめた」と絶縁状態に。その後、私立中学に進学するも「ほとんどの校則を破った」と2年生で強制退学処分になります。「グレることで個性を出そうとした。どこにいってもマリックの娘だった」と当時を語りました。ヤマンバ・メイクで、渋谷センター街でしょっちゅうたむろしていました。しかし、そこから向き合ってくれた父親。立ち直るきっかけ、歌うことのきっかけをくれたことに「父からもらった、家族愛のパワー。本気で叱ってくれたパワーは、ハンドパワーよりもすごい。ありがとう」と感謝しました。マリックさんは「こんな言葉を聞けるとは思わなかった。本当に困ったことだった。中学を追い出されたら本当に困る」と当時を振り返り、声を震わせ涙を流しました。ヒップホップに興味を持った娘が、大好きなアーティストがニューヨークのアポロシアターで歌っていることを聞きつけ、ニューヨークに行きたいと訴える娘に、「よし、行け!」と送り出してくれました。19歳の時でした。アポロシアターのアマチュアナイトで4位に入賞したLUNAさんは、日本でラップ歌手として活躍します。最後は「仕事を優先して家庭を顧みない人へ」と実体験から学んだ反省を踏まえ、「家庭より大切な仕事はない」とメッセージを送り、ビリビリに破れた家族の絵を元に戻すマジックで、離ればなれになった家族をつなげる、まさにハンドパワーを見せつけたのでした。

 有名になる以前のマリックさんの苦労話については、異色マジシャン・カズ・カタヤマさんの著書『図解マジックパーフォ-マンス入門』(東京堂、2006年)の巻末に(p.225-259)収録された、マリックさんへの詳細なインタビュー記事に載っています。また、アメリカのマジック専門誌MAGIC の2010年11月号には(今は廃刊)、マリックさんの特集記事が組まれていて(pp.44-51)詳しく出ていました。人気だったAKBもデビュー時は大変苦労したことは有名ですが、みんな最初は苦労しているんですね。「No rain, no rainbow!」ということです。 

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▲マリック特集のMAGICとカズ・カタヤマ本

▲『MAGIC』2010年11月号のマリック特集

 「Mr.マリック超魔術団2024」(東京公演)が開催されました。サイキックエンターティナーMr.マリックさんの進化し続ける超魔術の世界と、娘・LUNAさんのライブ初共演です。歌と音と光の演出で会場が一体となり、LUNAさんの手振りを真似して盛り上がりました。テレビで恒例の「Mr.マリックと天才頭脳集団の見破りバトル」に、会場のお客さんもスマホを持って全員で参加しました。そしてMr.マリックの代名詞、「スプーン曲げ」に会場の観客全員で挑戦!果たして、あなたのスプーンは曲がるのか!?マジック界のレジェンドMr.マリックによる、最高難度のマジックショーを目の前でご体感ください。ハンドパワーが、きてます!このショーのダイジェスト版がBS朝日で4月12日に放映されました。

 時は過ぎて、先日11月25日(月)のカズレイザー「X年後の関係者たち」で、「超魔術師Mr.マリック」が特集されました。工業高校を卒業して、パロマに就職。一年で辞めて名古屋でマジックショップのディーラーに、そして上京し伊勢丹デパートのディーラーを13年勤め腕を磨き、ハワイの国際奇術大会で優勝します。浅草のホテルでショーをやっているところを、テレビの深夜番組「11PM」のプロデューサーにスカウトされ、爆発的な反響を引き起こし、超魔術師への道が開かれました。「きてます」「ハンドパワー」などの決め台詞の由来を関係者たちが、知られざるMr.マリックの秘密を告白、超魔術ブームの舞台裏を語り尽くす好番組でした。そこでも小学校時代、「放任主義」の父親であったことをLUNAさんが証言していましたね。♥♥♥ 

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「ウカンムリクリップぷち」

 「Bun2」(ステイショナー)誌上で紹介した商品の中から、読者の投票によって年間ベスト文具を決める「Bun2大賞」。第17回目となる今回は、2023年10月号から2024年8月号に掲載された商品の中から大賞にふさわしい商品を選んでもらいました。応募総数2,475通の中から「大賞(第1位)」に輝いたのは、サンスター文具「ウカンムリクリップ」でした。読者から寄せられた絶讃の声です(「Bun2」12月号)。

・実際に使ってみて使い勝手が良く、クリアタイプは文字が見えるのも良く、ノートに書き写したい本を開く時や、ピアノの楽譜を留める時にもとても便利です。軽い力でしっかり留められる所がお気に入りです。
・可愛いし、カラーバリエーションが多くて好みの色を選べるところ。お手ごろ価格なのも良い。
・とめる力が強くて、頼りになります。
・手帳にも本にも用途がたくさんあり、カラーも加わいい。3個使ってます。
・ネーミングが秀逸です。実用面でも使いやすく、使用後に飾っていてもかわいい。最高。
・娘が毎日勉強で使っています。ナイスアイデア。
・見た瞬間に「あっ、ほしい」と思う商品は少ない中、これはまさに「あっ、ほしい!」でした。
・文具友も早速入手していたり、「今年はこれだ」を実感できる商品だと思いました。
・とにかく便利。助かってます。

 サンスター文具「ウカンムリクリップ」は、ウカンムリのような形状が特徴で、見たいページを開いたまましっかリキープすることのできるブックストッパーです。「ウカンムリ」という名前にすることによって、本の上にこうやって付けるというビジュアルまでイメージさせるので、このネーミングはすごいと思います。2023年6月の発売以来、学生を中心に大人気となっています。軽くて値段もそこそこ安くて、それでいてこの機能が受けたものと思います。本の背表紙を避けて留められるように、クリップを二股にしているのがポイントで、本の中央部分を挟まないので、本の内容も見やすく、ぺージの開き癖もつきにくいのです。そして、教科書や参考書などの厚い本をしっかり留めるためにクリップが大きく開くようにしているのですが、その際に参考にしたのが女性が使うヘアクリップでした。本来なら、つまみを長くしないと大きく開くことができないのですが、ヘアクリップはつまみが短いのに大きく開くことができる。その理由を調べた結果、「つまみを反らせることで大きく開くことができるのが分かりました」と同社クリエイティブ本部イノベーション部・人見友佳子課長は話します。
 さらに、商品名にもこだわりました。「クリップ自体が地味なアイテムなので、話題になるような名前にしたいと思い、その時にひらめいた『ウカンムリ』を商品名にしました」人見さん。発売後すぐにSNSで広まり、生産が追い付かないほどの大ヒット商品になりました。学生が中心だが、PC作業時に使ったり、調理時にレシピを留めたり、楽譜に使うなど大人にも使われているそうです。また、「逆さにしてカードスタンドにしたり、手帳の横に挟んでペンホルダーとして使う方もいます」という。

 6色の商品のうちでは、文字が透けて見えるウォータリークリアが一番人気です。来年春には、色透明の新色を定番アイテムとして発売の予定とのことで楽しみです。

 さて、この「ウカンムリクリップ」に、持ち運びに便利な可愛いらしい“ぷち”サイズ「ウカンムリクリップぷち」(440円)12月下旬より登場しました!手帳やメモや、カード・レシートをまとめる際に大活躍しそうです。サイズは従来品の約25%です。私は米子ロフトの売り場で見つけました。

 同商品は、開いたまま固定できるブッククリップ「ウカンムリクリップ」が、従来品の約25%のプチサイズとなったものです。手帳やメモを見ながらの作業や、カードやレシートなどをまとめておくのにちょうど適した大きさとなっています。挟む部分の長さを従来品より少し伸ばしたほか、大・小二つの山型ストッパーの搭載で、しっかりホールドできるように工夫しています。カラーは、ウォータリークリア、サイレントホワイト、ダークフォグ、ピーチベージュ、スモーキーソーダ、ナイトフォレストの全6色です。「ウカンムリクリップ」「ウカンムリクリップぷち」を上下に並べてみると、コンパクト化しているのがよく分かります(写真下)。私は3つの「ウカンムリクリップ」を愛用しています。♥♥♥

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issueとproblem

 受験用の単語集を見ると、問題」=problem=issueとしているものがずいぶんあります(『ターゲット』、『システム英単語』等)。「問題」というと、全てproblemだと考えている生徒もたくさんいます。辞書でも類義語解説しているものもありますが、どれもイマイチの記述です。もちろん表面的にはこれでいいのかもしれませんが、若い頃から『ライトハウス英和辞典』【類義語】を担当してきた私に言わせれば、もう一歩踏み込んでもらいたいところです。両者には明らかにニュアンスの差があるのです。大原則は、「関係者全員に対して害を与える問題」problem「人によって害になったり利益となったりする問題〔争点〕」に対してはissueを使いたいところです。

 「problem」「解決すべき困難な問題」という意味で、放置しておけば、ネガティブな影響や弊害が出かねない問題のことで、何らかの方法で解決する必要がある問題を指します。「深刻な問題」という響きがありますね。この「problem」の対義語は「solution」です。 例えば、アルコール依存症は「解決されるべき困難な問題」なので「problem」が使えます。He has a drinking problem.(彼は飲酒問題を抱えている)やAlcoholism is a problem.(アルコール依存症は問題だ)などと表現することができます。 「飲酒運転」「高い犯罪率」「肥満」など、解決すべき「社会的・組織的な」問題に対しても「problem」が使われます。用例で見ておきましょう。

My car has a problem with its engine. 私の車はエンジンに問題がある。

There is a problem with our Wi-Fi at home. 家のWi-Fiに問題がある。

The company is facing a financial problem. その会社は財務上の問題を抱えている。

Aging society is a serious problem that need to be fixed by the Government of Japan. 高齢化社会は日本国政府によって解決される必要がある大きな問題だ。

Defects are a serious problem for this factory.  この工場にとって欠陥品は深刻な問題だ。

 一方、それに対して「issue」は、「議論されるべき問題点」のことを指します。竹岡広信先生『LEAP』(数研出版)では「(多くの人々に影響を与える、社会[政治]的な)問題」とあります(イマイチ不満)。 「issue」は、「賛成する人がいたり反対する人がいたりする賛否両論に分かれる話題、論争点」を示します。例えば、 国会などで取り上げられる問題、例えば選挙権の年齢制限、選択的男女夫婦別姓、退職年齢の引き上げ、税制改革、「103万円の壁」などは、政治家や国民から賛否両論の意見が飛び交う議題なので「issue」を使います。良い側面もある、という含みがあるのです。「issue」の基本的意味は「外へ出る事・物」です。この「問題」という意味の「issue」「論点として外に出てきた」というのが元々の意味です。「論点として外に出てくる」ということは、公の場で議論されるわけなので、最初に挙げた「議論されるべき問題点」というのが理解できますね。issue 多義語で、「出す」「発行する」「発行物」「問題点」などの複数の意味がありますが、『ライトハウス英和辞典』(研究社)「語義の展開」には、これらの意味のつながりがよく分かるように図示されています。私は授業で、複数の意味のある多義語は、それらの間を繋ぐつながりを見抜くことで、定着がより早くなるから、常にその点に注意しておくように、と口を酸っぱくして指導しています。単語の勉強においては重要なポイントです。

▲『ライトハウス英和辞典』の「語義の展開」

 では用例を見てみましょう。♥♥♥

CEO’s words and actions raised an issue inside the company. 社長の言動が社内で議論を引き起こした。

The President made a political issue of immigration law in the United States. 大統領は米国の移民法を政治問題にした。

How are we going to handle the issue of working on weekends?  週末の休日出勤の問題をどう扱うべきだろうか。 

Gun control is a big issue in the USA now.    銃規制は今アメリカで大きな論点の議題である。

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「effort=努力」?

 例えば、受験熟語集の木村達哉『ユメジュク』(アルク)を見ても、「make an effort 努力する」としか出ていません。同様に、辞書等でも表面的な「effort=努力」という理解がほとんどだと思います。私は毎日英語を観察していて、このことの問題点に気がつきました。日本語ではeffort(努力)は肯定的な意味合いを持っているものと思いがちですが、実際の英語では否定的な使われ方をすることが多いのです。例えば、Thank you for your effort.という英語は、ネイティブ・スピーカーたちの間では普通「失敗してしまったけれど、努力してくれてありがとう」という意味で使われることを、デイビッド・セイン(David Thayne)先生が観察しておられます。もし成功したのであれば、workを用いて、Thank you for your hard work.などと言うのが適当です。

配達時間を短縮できるよう努力しております。 
  △We are making efforts to shorten our delivery times.
  ◎We are working hard to shorten our delivery times.

会議に時間通り行けるように努力した。
  △I made an effort to be on time for the meeting.
  ◎I tried hard to be on time for the meeting. (デビッド・セイン)

 effort「報われない努力」を示唆することが多いので、We are making efforts……では「努力しておりますが、実現できておりません」という言い訳めいた意味合いになってしまいます。また、I made an effort……では「ちょっとは努力した」程度の意味になってしまいます。cf. デイビッド・セイン『英語ライティングルールブック 改訂新版』(学研、2024年) make an effortは、ネイティブスピーカーにすれば「ギリギリなんとか努力と見なされる程度の努力」をイメージさせる表現です。We will make an effort to reduce greenhouse gas emission.という文章は「弊社は音質効果ガスの排出を減らすためにほんの少し努力します」というニュアンスです。We will need to make an effort to…は「ちょっとは努力しないと」という意味合いです。cf. デイビッド・セイン『ネイティブが教える英語の動詞の使い分け』(研究社、20212年) 私が「理想の単語集」と考える竹岡広信先生『LEAP』(数研出版)では、踏み込んで「「(ちょっと)頑張る」の意味なので、人命救助などの場合、make a great effort「大いに努力する」などと表現する」とあります。ここら辺は私が「最高の単語集」と薦めるだけあって、さすがですね。

▲この辞典が実に面白い!!

 ここら辺が英語の実に難しい所で、どんな辞典や参考書を見ても、このような細かいニュアンスまでは分かりません。こんな時に私がとても重宝している一冊をご紹介します。Longman Essential Activator (Longman, 1997)という学習辞典です。この辞典には他の辞典では知ることのできない貴重な情報がびっしりと詰まっています。次の語義解説と添えられた用例をじっくりとお読み下さい。上で述べたここら辺のニュアンスが実によく分かりますね(下線は八幡)。

make an effort to do sth : to try hard to do something, especially something which you do not want to do but which you think you should  do I made an effort to sound interested in what he was saying./ I wish you’d make an effort to be freindly to her.

 この辞典が、他の辞典とひと味もふた味も違うという例を、もう一つだけ挙げておきましょう。受験英語ではarrive at= get to= reachという書き換えをよく見ます。受験レベルではこれで十分です。しかし、この辞典によれば、arrive atは、get toよりもより<formal>です。またreachの定義を見てみると、“to arrive at a place, especially after a long or difficult journey”とあります(下線は八幡)。こうした説明があれば、「ああそうか、reachは同じ「着く」でも「たどり着く」という感じなのだな」と分かります。そして挙げられた用例で、その感じがはっきりと伝わってきます。時間がある時に拾い読みしていると、思わぬ発見のある辞典です。♥♥♥

            It took them over three days to reach the top of the mountain.(山の頂上にたどり着くのに3日以上かかった)

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中華中村製麺所

◎週末はグルメ情報!!今週は中華

▲松江市東津田町の「中村製麺所」

 島根県松江市東津田町に2023年7月にオープンした「ラーメン・まぜそば 中村製麺所」。一番の特徴は、毎日製麺するという、全粒粉のこだわりの自家製麺です。麺からスープまで全て手作りのラーメンです。ラーメンの種類によりぴったりの麺のコシや太さを選んで製麺しておられます。松江駅南口そばにその「中村製麺所」の2号店「ラーメン・中華 中村製麺所」が、2024年11月15日(金)にオープンしました。

▲松江駅南口の「ラーメン中華中村製麺所」

 「ラーメン・中華 中村製麺所」の場所は、松江市朝日町JR松江駅南口そばにある「ホテル α-1 第2松江」の1階入り口です。以前はここに「山陰炭焼ごっつぉ酒場 善次郎」さんという居酒屋が入っておられましたね。松江駅を頻繁に利用している私にとってはとても便利な場所です。駅南口を出たその目の前のホテルにあるお店なんです。自家製麺のこだわりラーメンや本格中華を食べることのできる(居酒屋でもちろん飲むこともできます)。そんな町中華の新しいお店です。一品料理も充実していました。

  気になっていた私は、11月20日(水)、米子帰りに初めてお邪魔してみました。店内はカウンター席とテーブル席と座敷がありずいぶん広いお店です(49席)。「中華そば」(750円)「チャーハン」(600円)を注文しました。店員さんたちの超元気な声が響き渡ります。まずは「チャーハン」が来ました。メニューには「オススメ」とありました。一口食べてみます。「おお、美味しいぞ!!」あっさりで私好みのいい味です。かつては「塩名人」のチャーハンがちょうどこんな味で美味しかったんですが、閉店してしまいました(2024年5月に閉店)。パラパラで玉子とチャーシューの角切りがとてもマッチしています。これならラーメンも期待できそうです。

 すぐに「中華そば」も運ばれてきました。まずはスープを一口。あっさりといい味です。チャーシューも2切れ入っていましたが、これもなかなかの歯ごたえと味付けです。トッピングはもやしと白ネギ。麺をすすりますが、スープと相性の良い麺でした。いくらでも食べられます。まさに昔ながらの「中華そば」という感じですね。こりゃ美味しいや。また来ようっと!

 私が入店した午後6時頃はまだ誰もお客さんはおられませんでしたが、私が食べている間にお一人さん、グループでどんどん入って来られました。みなさんが「スタミナ中華そば」を注文しておられました。メニューを見ると、にんにくやチャーシューがたくさん入ったもののようです。今度来たら、これと餃子を頼んで見ようと思いました。一品料理も充実しているようで、まさにBS-TBSで月曜日夜に放送されている「町中華で飲ろうぜ!」的なお店だと思いました。

 今日は試しに「石焼き麻婆豆腐」(700円)「餃子」(400円)をいただいてみました。「麻婆豆腐」激カラノーマルから選ぶようになっていて、普通を選びました。石窯でグツグツいっている熱々の状態で出てきました。フーフー冷ましながら食べましたが、味の方はまあそれほどでもありません。四川飯店の故・陳建一さんお兄弟弟子がやっておられる松江・京店創作中華「爸爸厨房」岡山「梅蘭」麻婆の方がよっぽど美味しいです。餃子もごく普通の餃子で特に印象には残りませんでした。前回の「中華そば」「チャーハン」の方がよほど美味しかったです。

 今日は人気の「スタミナ中華そば」(990円)を頼んでみました。塩ベースのスープにたっぷりのにんにく、背油、自家製チャーシュー6枚、もやし、白ネギが実に美味しいラーメンでした。前回食べた「中華そば」のスタミナ・バージョンといったところでしょうか。♥♥♥

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「小林秀雄の径」と「玉の湯」

 年間400万人の観光客が訪れる町となった「湯布院」の三大名宿・御三家(亀の井別荘、山荘無量塔(むらた))の一つと言われる高級老舗旅館「玉の湯」。私は2015年に初めて泊まって、いっぺんにファンになってしまったお宿です。約3,000坪の広大な敷地にわずか16室。雑木林の中に、「離れ」が点在する「玉の湯」は、庭を眺めながら四季の移りかわりや、雑木林に飛んでくる由布院の鳥や虫たちなど自然を楽しめる宿です。全室に掛け流しの木風呂や、北欧の白木のベッドなど、すべてがゆったりとした造り。その土地のものを食す「地産地消」を目標に、新鮮な地場の野菜、豊後和牛、豊のしゃも、鮎、山女などの恵まれた食材が、より美味しく感じられるように丹念に調理されています。この「玉の湯」はたくさんの文筆家に愛されてきたことが知られています。そのうちの一人に、小林秀雄(こばやしひでお)氏がいましたが、彼が「玉の湯」で過ごすのに特に好きな季節は、桜を愛でる春であったそうです。「玉の湯」には桜の木がたくさんあります。京都の三代目桜守・佐野藤衛門が選定し、「玉の湯」まで植えに来てくれたものもあると聞きました。私が泊まったのは秋でしたが、ぜひ春にも訪れてみたいと思います。

 小林秀雄さんが好んで訪れた宿が「玉の湯」なのです。『本居宣長』を執筆中に筆が進まないときには、編集者がここに連れてくると、機嫌良く書き始めたそうです〔笑〕。小林さんは、ここの経営者、溝口さんにアドバイスをして、離れの部屋の回りを雑木林にしたりして、現在では、由布院温泉随一の人気旅館になっています。雑木林を通ってロビーまでの導入路は「小林秀雄の径」と言われています。ここが「玉の湯」の入口。

▲「小林秀雄の径」

 小径の入口で出迎えてくださった宿の方に案内されて玄関へ向かいます。拍子抜けするほど小ぢんまりしたフロントで、有名旅館にありがちな敷居の高さを感じません。玄関を入ると最初に通されるのが宿泊者専用の談話室です。滞在が深まると良さが分かって来ます。5人の専属庭師が日々手入れして、絶妙のバランスでこの光景を生み出しているのです。手を入れ過ぎず自然体でありながら、確実に手は入れられている。宿のあらゆる局面で同じポリシーを感じるので、理解が自然と深まり、最後には中庭に「玉の湯」らしさが凝縮されていると感じるほどです!

 談話室から見えるお庭がまあ素敵です。ウエルカム・ティーを頂きながらチェックインをすませ、夕食の時間とコースのメインディッシュを相談して決めます。談話室には本が沢山あって、自由に読むことができます。クラシック音楽が流れ、コーヒーの無料サービスもあります。併設されている「ティールームニコル」は小説家C.W.ニコルに由来するカフェで、ガラス越しに広がる木立を眺めながらコーヒーをいただきます。ここのアップルパイが有名です。

 たしかに、居心地のよい旅館でした。10畳間ぐらいの部屋に、隣りが寝室で二つのベッド。その奥に、お部屋専用の掛け流しの檜の温泉風呂が。そして、居間の前の廊下越しに素敵なお庭が広がっています。お部屋でいただく地産地消の夕食も最高でした。

 お風呂上がりは、薪の燃える暖炉のある、談話室兼図書室でゆっくり。さすが、『小林秀雄全集』がそろっていました。大分県出身の筑紫哲也さんや建築家の磯崎 新さんの本も(由布院駅の設計もしました)よく見かけました。それに、昭和初期からの”文藝”や”新潮”の雑誌もずらり。小林秀雄さんもここでくつろがれたのでしょう。





 「玉の湯」は3,000坪という広大な敷地に客室数はわずか16。屋根付きの回廊で結ばれています。私がこのお宿を好きになったのは、取り巻く美しい環境と質の高いおもてなしだけではありません。旅から帰るとすぐにこんな達筆の筆によるお礼状が届いたのです(写真上)。一流のお宿は、こうやってお客さんの心をぎゅっとつかんで離さないのですね。♥♥♥

▲雑木林の中にはなれの客室が

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「ハウステンボス」の夜景が素敵

 昼間も楽しいのですが、「ハウステンボス」の夜景も素敵です。世界新三大夜景を認定する夜景鑑定士(そんな人がいるんだ!?)4,000人が選ぶ「全国イリュミネーションランキング総合エンターテインメント部門」において、平成25年以来4年連続1位に選出され、その認定元である夜景観光コンベンションビューローにより、「夜景日本一」の称号が贈られています。2013年から開催されている「イリュミネーションアワード」において、総合エンタテインメント部門で10年連続1位を受賞していました。その「イリュミネーションアワード」に代わり、「第1回International Illumination Award(インターナショナルイリュミネーショナワード)」が新設され、記念すべき初年度の「イリュミネーション部門優秀エンタテインメント賞の1位に選ばれました(全国6,452名の観光士の投票による)。「ハウステンボス」は日中も建物、風景が綺麗で見ごたえがありますが、夜の風景も幻想的で神秘な輝やきがとても綺麗でした。一歩足を踏み入れれば、そこは光の物語の世界です。場内に散りばめられた光のスポットを廻って、最奥の宮殿にたどり着けば、感動のフィナーレが待っていました。

 オランダの街並みを再現した美しいテーマパーク「ハウステンボス」は、単独テーマパークとしては日本最大の敷地面積を誇ります。「ハウステンボス」では2024年1月13日(土)から3月10日(日)まで、世界最大1,300万球のイルミネーションで彩られる、幻想的な冬のヨーロッパ「白銀の世界」が開催中。どこまでも続く光の世界。煌めきが心を満たす幸福感を味わうことができ、身体の芯にじんわりと伝わる温かみのある光も「ハウステンボス」の魅力です。辺りが夕闇に包まれる頃、まずは白銀の世界の始まり、アムステルダム広場を舞台に毎夜開催される「ファンタジック・スノーナイトショー~白銀の世界 点灯式~」へ。多くの人が集まり出した広場の舞台に1組の海外アーティストが登場し会場は一気に静まり返ります。生演奏が始まると美しい歌声が会場全体を一気に包み込み、聴く人全てを魅了します。

 そして演奏もクライマックスになったところでアムステルダム広場を中心に街中が一斉に点灯し純白に煌めく白銀の世界が一気に広がります。夜空からは雪が舞い落ち、花火も上がり、演奏に合わせた光の演出には感動で胸がいっぱいになりました。

 その見どころの1つがイルミネーション。世界最大1,300万球で織りなす「光の王国」は、全国イルミネーションランキングで7年連続(2013~2019年)で堂々の第1位に選ばれています。日本一のイルミネーションに照らし出される異国情緒溢れる場内は、時間を忘れるほどに幻想的です。

ハウステンボス光の王国

1万個のクリスタルが輝く高さ15メートルのツリー

 日が落ちてあたりが暗くなったら、アムステルダム広場に向かいましょう。1万個のクリスタルが輝く高さ15メートルのツリーが目印です。この隣のチャペル前で点灯式が行われます。

白銀の世界

 18:00になると神聖な雰囲気の中、真っ白な衣装を身にまとったシンガーの透き通る歌声と共に一斉に白いイルミネーションであたりが包まれる「白銀の世界」誕生の瞬間は、息をのむ美しさ。あたりは歓声に包まれ、場内のあちらこちらから拍手が巻き起こるとても素晴らしい瞬間です。点灯式の後は、場内のそこかしこが美しいイルミネーションに彩られます。雰囲気も良く、夜からは家族連れをはじめカップルもたくさん訪れて、写真を撮る人たちで賑わい始めます。

 一番のおすすめフォトスポットは、約1,000本の七色の傘が輝く「アンブレラストリート」。昼は太陽の光が透けてとてもカラフルですが、夜は音楽に合わせて光り輝くので歩いているだけで楽しくなってきます。天井にはアクリル板が貼ってあるので、傘の間から雨が降る…なんて心配もありません。中心「ショコラ伯爵の館」の前に立つと、チョコレートの甘い香りが漂ってきます。

 願いを込めてコインを投げ入れれば、必ず叶うと言われているマウリッツの泉のそばには、音楽に合わせて輝く「光の天空ツリー」が! 高さ30メートルのツリーは広場の空を包み込みます。

 「ハウステンボス」の全景をゆっくり味わうなら、すべて白でデザインされた「白い観覧車」がおすすめ。白には幸せの意味が込められています。ヨーロッパの街並みに美しく溶け込み、約7万個のLED電球が光る観覧車の最高地点は地上から48メートル。空調完備のゴンドラなので暑さ寒さの心配もなし。ハウステンボスの美しい夜景を快適にゆっくりと楽しむことができます。

 昼間は荘厳で落ち着いた雰囲気だった場内の運河を巡る「カナルクルーザー」。夜は一転、光と音楽に包まれた水上ショーを見せてくれます。クルーザーに乗ってイルミネーションを見ることもできますよ。

オーケストラを乗せたカナルクルーザー

 こちらはオーケストラを乗せた「カナルクルーザー」。運河に映る幻想的な夜景に生演奏が響き渡るとても贅沢な時間です。色とりどりの噴水に囲まれてたくさんのカナルクルーザーが運行します。

ドムトールン

 夜景を「ハウステンボス」のシンボルタワー「ドムトールン」からも見下ろしてみましょう。高さ105メートル、地上80メートルに展望台があり、エレベーターに乗って約1分で到着。展望台からはハウステンボスが一望できます。

 昼間は長崎の島々やきれいな海が見渡せますが、夜は場内一面に広がる光の演出を楽しめるので、ぜひ上ってみてくださいね。

光の滝・ブルーウェーブ

 タワーの麓に見えるひときわ目立つ青い光は「光の滝・ブルーウェーブ」。全幅60メートルの光の滝は、「ドムトールン」から溢れ出た光が「アートガーデン」へと流れ込むような幻想的な世界を演出しています。遠くから見ても、間近で見ても圧巻のスケールです。シンボルタワー「ドムトールン」日本一の高さ66メートルから流れ落ちる光の滝「光の滝・ブルーウェーブ」は圧巻の眺めです。シンボルタワーから溢れ出した光は、広大な光の海へと流れ込みます。

 子どもたちが大喜びするのが、アートガーデン「光のどうぶつえん」。知っている動物を見つけてはおおはしゃぎ。大規模なイルミネーションなので足元も明るく、子どもが転んだりすることもありません。

 メルヘンな世界とは一変、口から炎を吹くドラゴンもいますよ! 全長13メートル、高さ6.5メートルのロボットだと構えても、大人でも身じろぎしまう迫力です。

 神話をイメージした華やかな世界観を堪能できる、日本初の3階建てメリーゴーラウンドがあります。世界最大級の高さ15mを誇り、イタリア製の馬車やゴンドラはまさに芸術品で、昼と夜でまったく異なる表情を見せてくれるのも魅力のひとつです。夜になるとライトアップされて一層ロマンティックになります。3階からはハウステンボス」の景色がよく見え、昼には園内の様子や大村湾の海も眺められます。そして夜になるとまぶしいほどのイルミネーションが楽しめます。「ハウステンボス」はLED1,300万球の及ぶゴージャスな光の世界があれば、影があります。陰影のある夜景が人々の想像力を豊かにしてくれるのです。♥♥♥

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朝で差をつける

 私が尊敬する故・竹内 均先生(たけうちひとし、東京大学名誉教授)は、かつて「できる男は「朝」で差をつける」とおっしゃっておられました。「早寝早起き」が先生の生活の基盤でした。これは体の「健康」面だけでなく、頭のコンディションにも良い影響を与えておられました。また、先生は朝が最も頭脳労働に適した時間帯だと考えておられたのです。逆に夜は心身共に一日の疲れがたまっている時であり、頭の働きも自然と鈍くなります。自分では調子がいいと感じていても、実は能率が上がっていないことが多いのです。夜に比べて朝は全くの逆で、前日の疲労が回復して、リフレッシュした時です。この時間こそが、人間が勉強するために神様が下さったものだと思ってもいいくらいだ、と先生はおっしゃっておられました。

 竹内先生がまだ旧制高校の学生だった頃、哲学者のカントと、詩人にして政治家のゲーテが、同じ早寝早起きの生活パターンだったことを知り、自分のやり方に自信を持たれました。カントは朝の5時から研究を始めました。15分前に召使いが必死になってカントを起こしたのだといいます。カントは起きるとまず紅茶を二杯飲んで、煙草を一本吸い、その後に仕事に取りかかりました。ゲーテは未明に目を覚まし、空にまたたく星を眺めながら朝日が昇るまでの時間、瞑想にふけったといいます。朝は人間の力が最もみなぎる時であって、この貴重な時間を寝て過ごすか、有効に活用するかで、随分差が出るはずです。

 竹内先生東京大学の研究室に通っておられた頃は、午前4時に起床し、二時間ほど勉強し、6時半に朝食をとる。午前7時には自宅を出て、オフィスに向かう。そして早い時で7時半頃には着いておられました。学園紛争があった当時は、メインキャンパスを通り抜けて、根津にある研究室に通っておられたのですが、そのためには、幾つかの門を通ることになります。当時、時間によっては門が閉鎖されることになりました。乱暴な学生が夜中に侵入して良からぬことをするとも限らないからです。先生が学校に着く時間は、まだ開門の前です。門が閉ざされた最初の日のこと、先生は門を叩いて守衛さんを呼びました。「私はここの教師だ。通して欲しい」。そう言うと、守衛のおじさんは目をパチクリさせて、「東大の先生がこんなに朝早く来るんですか?」と驚いておられました。当初は「大学の教授はお昼頃、出勤する」といった変な常識がありました。その裏には大学教授のはなもちならぬエリート意識と甘えがあると、先生は普段から思っておられました。そういうものが大嫌いな先生は、自分がばかげた常識に陥らないように、気持ちを引き締めるためにも、早朝出勤をずっと実践しておられたのです。仕事をして、12時に昼食をとり、午後1時から4時半まで仕事をし、5時半には帰宅の途につく。6時半までには夕食をとり、その後9時くらいまで読書などをして過ごし就寝する。規則正しい規則正しい生活を、数十年間続けてこられました。

 大学紛争で思い出される逸話がもう一つあります。ある日、先生の研究室のある建物が封鎖されたことがありました。しかし学生たちが登校(?)してきたのは朝の9時頃でした。もちろん先生は朝の7時半に研究室に入っておられたので、すでにセッセと仕事に打ち込んでおられます。先生の秘書が9時頃にやって来て、学生たちにつかまりました。そこで先生のことが大いに問題になったそうです。「タケキン(先生の愛称でした)を引っ張り出せ!」という強硬意見も出ました。しかしネコの首に鈴をつけるネズミが出て来ません。結局は、「先生はしょうがない」というところに落ち着いたのでした。翌日、先生は学生の代表を呼んで、こうお説教をしたものです。「建物の封鎖をやるならもっと真面目にやりなさい。私が7時半から来ているのに、君達が9時では遅すぎるではないか!」この珍妙な説教を学生達は神妙な面持ちで聞いていたそうです〔笑〕。

 私も小さい頃から「早起き」でした。これはなぜかというと、信仰心があつく信心深かった(日蓮宗)母親が、朝の5時から神様にお勤めの行をするんですが、鐘をチーンと鳴らしてお経を上げる、その鐘の音でパッと目が覚めるような習慣が幼い頃から出来上がっていたのでした。前日(当日?)も何時に寝ても朝の5時にはちゃんと目が覚めるのです。実にいい習慣をつけてもらったと感謝しています。以来、私はずっと早起きをして、学校に行くまでの数時間をひと仕事に充てていました。長い間、私は松江北高に機械警備の解除される朝の6時半に登校していました(警備員さんと仲良くなったのはそういう訳です)。まだ誰もいません。定年前に、私より早くやって来る女性の新任の英語の先生が、私に美味しいコーヒーを淹れて待っていてくれたことがありましたっけ(4月の退職時に、全てのお申し出を断って悠々自適の生活に入り、家でゴロゴロしたり、旅に出たりしてのんびりと暮らしていました。退職前の最後の二年間に私が指導した新任の若い女先生は、当時、毎日私よりも早く来て、美味しいコーヒーを淹れて待っていてくれたんです。私の退職後、この先生が6月からアメリカの大学院でもっと勉強がしたいと言われ、彼女のためならと(二年間の早朝のコーヒーの恩です!)、私が「お留守番」を引き受けて6月から北高に復帰したのでした。以来、ズルズルと働くことになってしまいましたが…〔笑〕そしてこの話には後日談があります)。

 物音一つしないシーンと静まりかえった学校で、始業時までの約2時間を、予習や調べ物、教材作成に充てることができました。これを毎日続けるわけですから、年間にすれば相当の仕事量になりますね(「チリも積もれば山となる」)。私がこれまでに作り溜めた教材は、全部こうやって完成したものなんです。また、私が朝早く来ることを知っている生徒たちが、質問や添削指導を受けにやって来ます。学校が始まるまでの時間を、実に有意義に使うことができていました。始業時間ギリギリに、ゼーゼー言いながら遅刻すれすれでやって来る教員も結構いますが、これでは立派な仕事はできないだろうな、と思って見ていたものです。今日も朝早く起きて登校する、という良い習慣それ自体、そしてそれを続けることができていることこそが、私に与えられたご褒美なんです。カール・ヒルティに、「仕事というものは本当に熱心にやると、面白くなるという性質を持っている」という言葉があります。仕事は極めれば極めるほど面白くなっていく、私は教えることが楽しくて楽しくて仕方が無い、と思って毎日働いていました。英語のVirtue is its own reward.も、そんな意味の諺です(英和辞典では「徳はそれ自体が報いである」「徳行は自ら報いる〔報酬を求めない〕」「善行の報いはその中にあり」「徳行はそれ自体が尊い」「美徳はそれ自身の報酬である」などと説明されていますが、その意味するところがイマイチピンときませんね)。『ライトハウス英和辞典』(研究社)には、「徳はそれ自体が報いである(徳はそれを行うことで得られる満足感で十分報いられる)」とあります。♥♥♥

   「能力」の差は、小さい。
   「努力」の差は、大きい。
   「継続」の差は、とても大きい。
   「習慣」の差は、いちばん大きい。

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2024年八幡5大ニュース

みなさん、良いお年をお迎えのことと思います。昨年もブログをご愛読いただき、ありがとうございました。今年もお役に立つ情報を発信していきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。幸い手術した股関節の調子も良く、新しい年を穏やかに迎えることができました。健康に留意しながら、今年も精一杯活動を続けたいと願っています。♥♥♥


◎2024年の八幡5大ニュースを振り返って

①生まれて初めて交通事故に遭う!

▲事故現場の横断歩道

 命びろいをしました。生まれて初めて交通事故に遭いました。交差点で横断歩道の信号がになったのを確認して、渡ろうと電動自転車をスタートさせたところへ、左折してきた自動車がぶつかってきました。左ドアの所へ激突して自転車は横転し、跳ね飛ばされました。カゴに入れていた荷物(カメラや書類等)は全部道路にバラバラに投げ出されました。股関節を手術していてまだ足が本調子ではなかったので、転ぶ際にパニックで思わず頭が真っ白になりましたが、上手に転べたようで特にケガも痛みもありませんでした。変な転倒をして打ち所が悪いと大変なことになるところでした。運転していたのは老夫婦で、話に夢中になっていて道路を全く見ていなかったと詫びられました。幸い擦り傷程度で特に被害もありませんでした。通行人が集まって来て下さって荷物を拾い集めてくださり、心配をしていただきました。老夫婦が申し訳ないとペコペコと平身低頭で謝られるので、許してあげることにしました。後でよくよく考えたら、一つ間違えば危ないところでした。ゾーッとしました。まだ私には「運」が残っていたのでしょう。縁起が悪いので、すぐに新しい電動自転車に買い換えることにしました。

②松江北高を離れる

 長年(18年間)勤めた松江北高を離れることにしました。一昨年の5月に現役生の指導は年度途中で投げ出しました。成績のいいクラスでしたが、点さえ取れればそれでよし、プロセスはどうでもいいとする集団は私の哲学に反するので、一ヶ月繰り返し訴えましたが、効果もなく途中ですっぱり辞めることにしました(数日後、二人の生徒が自宅まで謝りに来てくれました)。せっかくいいものを持っていながら、あのような姿勢では結果は出ないと予想していましたが、私の恐れていた通りの結果になったようです。補習科だけは、年度の最後まで指導してきっぱりと辞める決意をしました(医学部の一人を除いて指導した全員が第一志望に合格)。もう私が愛する北高ではなくなってしまいました。

③念願の「直島」訪問実現

 一度行ってみたかった瀬戸内海のアートな島「直島」へ行くことができました。出発当日の朝に、雪の中を点字ブロックに横滑りして自転車で転倒して、足を打撲してしまい、痛む足を引きずりながらの訪問でしたが、大好きな安藤忠雄さんの建築を堪能することができました。ホテルが美術館になっている「ベネッセハウス」にも泊まることができ、アート作品を鑑賞しました。夜のフレンチは今年食べた中で一番の美味しい料理でした。

④『ライトハウス英和辞典』(第7版)出る

 長年携わってきた『ライトハウス英和辞典』(研究社)第7版が出版されました。25歳の時からずっと編集に関わってきた学習辞典ですから、強い思い入れがあります。当時、初版は60万部も売り上げ、印刷が追いつかず、4月当初には学校でも手に入らず引換券を持って来た生徒だけに販売するというとんでもない時代でした。紙の辞典が売れない時代になっていますが、英語の学力は「辞書を引いた回数に比例する」という信念を持って、今も指導しています。

⑤巨人4年ぶりのセリーグ優勝!!

 大好きな巨人軍が、阿部慎之助監督になって4年ぶり39回目のセリーグ優勝に輝きました。クライマックス・シリーズでは横浜ベイスターズに不覚を取って日本シリーズには出場できませんでしたが、本当に久しぶりの優勝で嬉しかったです。やはり野球は「守り」が重要だということを痛感させられた一年でした(投手防御率1位、エラー数最少)。ほとんどの野球評論家たちは阪神の連覇を予想していましたが、あれだけエラーの多いチームがそう簡単に勝てる訳がない、という私の予想通りとなりました。着々と来季への補強も進み、一段と「守り」に磨きをかけて(課題は「走塁」)、来年こそは日本一を奪回して欲しいと念じています。

 お正月は少し贅沢をしようと、佐賀県宮地ハム「こだわりロースハム」博多「ふくや」明太子を、お取り寄せして食べています。ご飯が進みます。

 年末に買い溜めていた本をぼちぼちと読んで、お正月をのんびりと過ごしています。♥♥♥

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なぜ京都には世界的企業が多いのか?

 東京一極集中が長く続き、大企業もほとんどが東京に本社を置いている中で、精密小型モーターで世界トップのニデック、電子部品大手の京セラ、世界的エンタメ企業に成長した任天堂、セラミックコンデンサで世界トップの村田製作所、世界的な分析・計測機器メーカーの堀場製作所、その他にもオムロン島津製作所ロームワコール、餃子の王将など、日本を代表する「ものづくり」企業が、京都に本社を置いている「京都銘柄」です。なぜこのように、京都から次々と世界で戦えるビジネスが生まれているのでしょうか?今年最後の話題として、これを考えてみたいと思います。

 794年(延暦13年)から1869年(明治2年)まで、1075年もの長きにわたって日本の首都だった京都には、「利他の精神」が受け継がれています。京都は、天皇や時の権力者の庇護を受けて数多くの寺院が建てられた宗教都市です。そのため、仏教の利他の精神が、高度成長期でも、バブル期でも、グローバル化が進む中でも、失われることなく大切に守られてきました。京都の企業にも、その価値観が浸透しているところが多くあります。一時の儲けを狙って持続性のないビジネスをしたりすることなく、長期的な視野で、世の中のためになるビジネスを着実に行なっている企業が多いことが、京都に世界的な『ものづくり』企業が多い背景にあるのではないでしょうか。また、他の誰かが儲かっているからその真似しようとする姿勢は、京都弁で言う「けったくそ悪い」ことで、「恥」とされます。それぞれが歴史や伝統を継承しながら、匠の技術で「ほんまもん」を追求する意識が非常に高いので、世界で認められる製品を作ることができます。それこそが京都ならではの強みなのです。

 そして、京都人の目が厳しいことも忘れてはなりません。京都は町衆の力が強い街です。「利他の精神」を大切にしている町衆から信頼されない企業は、人材を採用するのも難しく、京都で生き残ることはできないでしょう。京都が日本の首都として、また、宗教都市として発展したことは、『ものづくり』を育むことにもなりました。第2次世界大戦で空襲の被害が少なかったことや、災害が少ないことなども、京都から世界で活躍する『ものづくり』企業が続々と生まれている要因のようです。

 京都人は時流を読むことにも優れています。『京都人は腹黒い』とよく言われますが、時流を読みながら、それを態度に出さないということです。京都には、戦国時代なら織田信長、豊臣秀吉、徳川家康というように、時の権力者が入れ代わり立ち代わりやって来ました。ですから、京都人は、権力者はどんどん変わるものだということをよく知っています。もし誰かを支持したら、権力者が変わったときに、自分の身が危うくなる。だから、頭の中では敏感に時流を読みつつも、旗幟を鮮明にしない。長く生き残るための知恵ですね。 

 京都企業をヒト,モノ、カネ、情報で見ていくとその強さの秘密が見えてきます。強いのはヒト、情報そしてカネの三つです。まずヒトについては、二つの要因が考えられます。一つは伝統工芸の職人や技術者が多くいたこと、もう一つは大学生が多いことです。工芸職人の技術が役立ったケースとしてもっとも有名なのが、清水焼の土の配合技術を活用した京セラ。他にも島津製作所堀場製作所などが京仏壇の技術の恩恵を受けています(具体的には薄膜やメッキなどの微細な表面処理技術に仏壇の加工技術が活かされている)。ビジネスになるアイデアを思いつくことができれば、それを実用化するための技術を持った人間が京都にはいたのです。これが伝統の強みです。個々の企業の力だけでなく、業種をまたいだ横のつながりが強固なことも特徴です。産学連携も濃厚です。京都市では大学生が人口の約10%を占めています。この比率は全国でもトップです(ちなみに東京が23区で約6%、大阪に至ってはわずか2%に満たない)。10万人あたりの大学数や総人口に占める大学生の割合が全国1位の学生の街です。その大学の中でも、京都大学は特に産学連携に積極的なことで知られています。たとえば村田製作所は新事業スタートにあたって京大工学部の協力を得ているし、京大には「京都大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー」と呼ばれる起業家の育成支援組織も大学内にあります。地元の大学が生み出すイノベーションの源泉を積極的に取り込もうとする機運が高いのです。

 では、モノ、カネ、情報はどうなのか。資源という意味で見ると京都にはモノはありません。インフラ面でも港は舞鶴まで行かなければならないし、空港は伊丹関空中部です。決して恵まれているとは言えないでしょう。あえて言うなら新幹線が止まることがせめてもの救いと言えるぐらいでしょう。カネについては微妙です。少なくとも今に名だたる京都企業の創業時に、行政からのカネは出ていません。なにしろ京都は1950年から1978年までの長きに渡って蜷川知事が共産党主導による革新府政を行なってきたのです。共産主義では資本家は労働者を搾取する存在、すなわち敵に等しいものとして見なされます。その資本家たちが経営する私企業を蜷川知事が応援することはついぞありませんでした。京都には特有の歴史資産もあります。すなわち京都は歴史が長いだけあってお金を持っている住民が結構います。彼らは、お上が金を出してくれないなら、自分たちで何とかしようという気概を持っています。例えば、日本で最初の小学校は京都上京第二十七番組小学校ですが、これは住民たちがお金を出し合って作った学校でした。

 強烈な個性を持ったカリスマ経営者が多いことも特徴です。そして京都の経営者は社長・会長を長期間務める「オーナーズマインド」を持つ人が多いのも特徴です。創業精神を失わない経営トップが長く舵取りを担うことで、長期的な視野で物事を見ています。数年単位で交代して、既存の枠組みから飛び出すことのできない企業的のサラリーマン社長との違いが際立っています。

 京都は四方を山に囲まれて土地が限られ、大量生産の大工場を作ることは困難です。人口比率でも全国わずか2%の市場規模にすぎません。箱庭のような環境だからこそ、小さくても独自で付加価値の高い製品を生み出し、世界に打って出る必要に迫られていたのです。今日は「なぜ京都には世界的企業が多いのか?」という疑問を八幡なりに考えてみました。♥♥♥

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