「だんだんテラス」

 2023年5月に松江市役所の新庁舎が完成しました。旧庁舎の落成から61年ぶりに刷新され、松江市民の利用が多い部署を1、2階に集約した他、宍道湖を一望できる広大な「だんだんテラス」が設けられました(写真下)。

 新庁舎は地上6階、地下1階の免震構造で、延べ床面積は1万1244平方メートル。1階には市民課保険年金課子育て給付課、2階に市民税課固定資産税課など利用者が多い部署が入ります。2階には宍道湖を一望できる約600平方メートルのテラスが設けられ、午前7時半~午後9時に一般開放されています。テラスは3階以上にもあり、催しなどに活用されています。6月には2期工事が始まり、新庁舎の北側にある旧庁舎を解体し、2025年の秋までに別の庁舎を新築します。これを新庁舎とつなげて、現在は本館や別館などに分散している各課を集約する計画です。工事は3期まで続き、2027年3月に完了予定。総工費は155億7,500万円と見込まれています。

 さて新庁舎の目玉の一つが、広々したスペースから宍道湖を臨むことのできる、愛称「だんだんテラス」です。市民や民間事業者を始めとする全ての利用者が、誰でも気軽に立ち寄り、身近で親しみを持つことのできる「開かれた場所」とすることを目指しています。私は今日は初めて階段を上がってみました。

 このテラスは土・日も開放されており、宍道湖の夕日を眺められるのはもちろん、時折イベントも開かれています。飲食を広々とした開放感のある2階のテラス席で楽しむこともできます。日当たりが良すぎてまぶしい、暑いといった時は屋根のある場所もあります。テーブルを独り占めして宍道湖のレイクビューを堪能します。美しい宍道湖が一面に広がります。また、この場所からは北側に松江城を見ることもできます。このアングルの松江城はかなりレアですよ。市役所というと地元の人以外ほぼ無縁な場所ですが、松江市役所は建て替えを機に観光要素を取り入れた造りに、そしてイベントという楽しみも追加されています。旅に出て楽しい場所は、等身大の姿が直に分かるその土地のスーパーマーケットと言いますが、市役所や地元密着イベントを探してみると、さらに一歩進んだ「等身大」を味わうチャンスが見つかるかもしれませんよ。「だんだんテラス」はそんな施設です。

 目指すは「平日も週末も賑わう市役所」「新庁舎みんなのトライアル」と題して実証イベントをスタートしたのが一昨年の8月でした。以降、昨年の9月末までに計55団体188件のイベントが企画されました。朝市、マルシェ、フリーマーケット、コンサート、ヨガ教室、アイリッシュダンス、屋台等々が実施されています。♥♥♥

▲宍道湖が彼方に広がる

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ポンペイの遺跡

 昨日の京都大学の入試問題(1995年)の続きです。ポンペイのベスヴィオ火山の大噴火によって、ポンペイの街が一瞬にして軽石と火山灰で覆い尽くされ消滅してしまいました。逃げまどう人達の描写が続きます。

But they were overtaken by a second, slower fall from the cloud ― a rain of suffocating ashes that piled up to a height of six to nine feet.  Like a palpable fog or a quicksand, it trapped and enveloped people in their houses and even those fleeing in the streets. Their bodies were encased in ash as in a mold, and these casts of hardened ash are today the most moving evidences of the tragedy of Pompeii.  By pouring liquid plaster into the now hollow molds, we can re-create the shape of the body, the form of the clothing, the footgear, even the last exhalation of men and women who lived and died in that ancient city.

訳文:ところがその雲からもう一つ別のもっとゆっくり落下したものが襲いかかった-窒息させる灰の雨であり,6~9フィートも積もった。手に触れることのできる霧とか流砂のようで,家の中の人や街路を逃げて行く人さえ,灰の雨は捕らえて包み込んだ。彼らの体は鋳型にはめたように灰の中に包まれ,灰が固まってできた鋳型は,今日ではポンペイの悲劇を表す最も哀れを感じさせる形跡である。今は空洞になったこの鋳型の中に液体状の石こうを流し込むと,体の形も衣服や履物の形も,この古代の町で生きて死んだ男女の最後の息づかいまでも再現することができる

 この下線部分が分かるでしょうか?なんとなく分かる気はするのですが、衣服や最後の息遣いまでも復元できるという部分は、いまいち理解に悩みます。

 ポンペイの悲劇は、ヴェスヴィオ山の噴火によって大量の火山灰と軽石が街全体を瞬時に覆い尽くしたことで起こりました。この英文にあるように遺体が火山灰に埋もれ、硬化した火山灰が型(mold)の役割を果たしました。このメカニズムは以下の通りです。

1.遺体と火山灰の固化:噴火直後、高温の火山灰や軽石が街を覆い、遺体はそれらに包まれました。火山灰は水蒸気を含むこともあり、時間とともにセメントのように固まっていきました。
2. 遺体の分解:火山灰の層の下で、人々の肉体や衣服、靴などは年月と共にゆっくりと分解されていきました。しかし、遺体の外側の形は、すでに固まった火山灰の「型」(mold)の中に残されました。
3.空洞の形成:遺体が完全に分解された後には、かつて遺体があった場所に正確な形の空洞(hollow)が残されました。この空洞は、遺体だけでなく、まとっていた衣服や、地面に横たわった姿勢、顔の表情、さらには最期の息遣いまでをも忠実に再現していました。
4. 石膏による復元:19世紀、考古学者たちはこの空洞の存在に気づき、そこに石膏(plaster)を流し込むという画期的な手法を考案しました。石膏が固まった後、周りの火山灰を取り除くことで、当時の人々の姿や持ち物、身につけていた衣服の「しわ」や「模様」「靴の形」、さらには最期の苦悶の表情までが石膏像(casts)として立体的に復元されました。人々が最後に息を吐いた時の口元や胸のふくらみも、空洞として火山灰に残ることがあり、最後の呼吸の瞬間の形状までが復元されるのです。

 これらの石膏像は、ただの彫像ではなく、2000年近く前の人々の生々しい姿を伝えてくれる貴重な「証拠」(evidences)なのです。この手法によって、歴史の教科書では学べないような、ボンベイの悲劇のリアルな瞬間が現代に伝えられています。つまり、火山灰が人や胸にピッタリ密着して型を作り、体や福が分解した後に、その空洞に石膏を流し込むことで、形や質感、最後の動きまで復元できるという仕組みです。英文を読みながら、「あれ?」「おやっ?」と思ったら、自分が納得できるまで考える、ということを長年生徒達に訴え続けてきました。その姿勢は大学へ行ってからも、そして社会人になってからも大きな意味を持つはずと信じてやってきました。♥♥♥

 

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イタリアカラカサマツ?

 やれコミュニケーション活動だ、ICT教育だ、探求的学習だ、という昨今の英語教育の流れで、いわゆる「訳読」方式の授業を、「化石だ」「前時代的だ」「日本語を介さずに英語を理解させないとダメだ」などと言って、さんざんコケにする時代です。それなりに何となく言っていることが分かればそれでよい、速く読むことが大切だ、というのが昨今流行の教育です。私は日々の授業で、生徒達に英文の意味をしっかりと述べてもらいます。一応日本語にはなっていて、単語レベルでは合っている、文法も分かっている、でもその英文が言わんとする意味は全くチンプンカンプンということがしょっちゅうあります。「それを自分の言葉でどういうことか説明してごらん」と尋ねても、どんな意味なのかをさっぱり説明できません。「何を言っているか分からない」のです。ここでは自分が訳したものをもう一度じっくり読み直して、疑問点ははないのか?、改めてそれがどんな意味なのかを考えて、自分が納得する、というプロセスを経て初めて理解ができるのです。「訳せる」のに「意味が説明できない」のは、結局「意味が分かっていない」ということなのですね。私は毎日の授業で、「キチンと読む」ことを大切にして、ブレることなく長年英語教育に携わってきました。大学に合格することが目標ではなく、英語の力をつけるために汗をかいてきました。その意味で、最近増補改訂版が出た、山本史郎・森田修『英語力を鍛えたいなら、あえて訳す!』(アスク、2024年10月)を読んで意を強くしました。

▲この本ぜひオススメです!

 辞書さえ引けば何とか意味ぐらいは分かる、「学校英文法の基礎知識」+「英和辞典」さえあれば、「英語の意味」を正しく理解できるかというと、決してそんな甘い世界ではありません。言語や文化の壁が存在するのです。「訳すことはできる」のに「意味を説明できない」という生徒を私は毎日見ていますが、これってつまり、「意味が分かっていない」ということなのですよね。Asahi Weekly(朝日新聞)に隔週で連載されている、山本史郎先生(東京大学名誉教授)「英文読解それってどんな意味?」を愛読していますが、そのような例がふんだんに出てきて実に勉強になります。

 お盆明けの今日の授業は、京都大学1995年の入試問題からです。ポンペイのベスヴィオ火山の大噴火を描写した部分です。

Pliny the Younger (whose uncle, Pliny the Elder, was nearby and was among those killed) vividly described the eruption: it looked like *an Italian umbrella pine ― a tall “trunk” spreading out at the top to a dense cloud shot with flashes of lightning. (訳文:小プリニウスは鮮明にその噴火を描写した(その叔父の大プリニウスはそばにいて犠牲者の一人となった)。噴煙はイタリアカラカサマツのように見えた。-その背の高い『幹』がその頂上のところで稲妻のせん光を放つ厚い雲に向かって広がった。)

一応これで生徒の訳文は成立です。でも何を言っているのかさっぱりわかりません。授業の中でダッシュ(――)は前の文の説明をしている(「すなわち」)ことを、何度も経験していますから、「イタリアカラカサマツのように見えた。」の説明が「その背の高い『幹』がその頂上のところで稲妻のせん光を放つ厚い雲に向かって広がった。」ということになります。そうすると、この部分を理解しようと思ったら、「イタリアカラカサマツ」がどのような木なのかを知らなければ納得することはできないでしょう。今はインターネット上でこれがどのような木なのかを容易に調べることができます。この英文は、火山の噴煙を「イタリアカラカサマツ(Italian umbrella pine)」にたとえて描写しているのです(写真上)。 和訳してみましょう:それはまるでイタリアカラカサマツのように見えた ― 背の高い「幹」が上の方で広がっていて、濃い雲のような部分に稲妻の閃光が走っているようだった。

 「イタリアカラカサマツ」は、英語で「Italian umbrella pine」または「stone pine」と呼ばれる木で、学名はPinus pinea。地中海地域原産で、特にイタリアやスペインに多く見られます。特徴としては、(1)まっすぐで高い幹(trunk)、(2)てっぺんで傘のように横に広がる枝葉(canopy)、(3)上から見ると「傘(umbrella)」のようです。遠くから見ると、下の方には枝がなくて、上の方にだけ「もこもこ」とした部分があるのが特徴です。

  “a tall ‘trunk’ spreading out at the top to a dense cloud shot with flashes of lightning”

この描写は、たとえば次のような場面を想像させます:空に高く伸びた何か(噴煙)があり、それが頂上付近で横に広がり、まるでイタリアカラカサマツのように「幹と傘状の枝葉」に見える。そして、その「広がった上部(dense cloud)」の中には「稲妻(flashes of lightning)」が走っている。つまり、この表現は、何かの形状や現象(爆発の煙)を、イタリアカラカサマツの形にたとえているのです。

幹(trunk)=柱状の何か=噴煙  ※比喩で“木の幹”と引用符でくくっている

広がった上部(dense cloud)=雲のように見える噴煙

稲妻(flashes of lightning)=光の走る様子=幹から派生した小枝

この文は、「空に高く伸びて上で広がる形状」を「イタリアカラカサマツ」にたとえているのです。さらに、その「広がった部分」が「雲のようで、雷の光が走っている」様子を描写しています。イタリアカラカサマツの実物を知っていれば、その「幹と広がった傘状の樹冠」のイメージが、空の現象(火山爆発)と重ねられていることが理解しやすくなります。火山の噴射物が空に舞い上がり、真っ黒な雲と結びつき、稲妻の閃光のようだと言っているのです。もっと詳しくイメージしたい場合は、ネット上にある写真を見ながらその形と文の比喩を見比べると一層わかりやすいですよ。勝田ケ丘志学館の生徒が、いろいろと考えて、下のようなイラストをホワイトボードに描いてこの英文を説明してくれました。これでみんな納得です。英語が読めるというのは、こういうことを含んでいるのです(明日へと続く)。♥♥♥

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報恩感謝

 『報恩感謝』とは今の自分に与えられている「ありのまま」の環境に感謝し、その恩に報いていこうとする気持ちのことです。お釈迦さまは「報恩感謝」について、『知恩(ちおん)』・『感恩(かんおん)』・『報恩(ほうおん)』の3つを教えられています。

 まず、「知恩」とは、自分が多くの人に支えられて生きていることを知ることです。誰にも頼らずに生きていると思っていても、実際には、自分だけの力で生きている人は一人もいません。誰もが、必ず誰かの支えを受けて生きているのです。そのことに気づくと、「ありがたいなあ」という感謝の気持ちが湧いてきます。これが「感恩」です。そして、「幸せな人が感謝するのではなく、感謝する人が幸せになる」と言われるように、「ありがたい」という思いが深まると、「自分を支えてくれた人を笑顔にしたい」「恩返しをしたい」という気持ちが生まれてきます。これが「報恩」です。つまり、「知恩」から「感恩」へ、「感恩」から「報恩」へと、心がつながっていくのですね。

 故・松下幸之助さんも、「感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこない。また、感謝の心が高まれば高まるほどに、それに比例して幸福感も高まっていく」と語っておられました。今、自分が存在しているのは、多くの支えがあったからなのです。その多くの恩に感謝し、支えてくださった方々に喜ばれる生き方をしていきたいですね。自然の恵み、他の人々の働きによって、自分が生かされているのです。そういうことを知って、そこに深い感謝と喜びを味わい、そしてさらに、そうした自然の恵み、人々の恩に対して報いていくという気持ちを持つことが大切だと思います。そういう心からは、いわば無限の活力とでもいうものが湧き起こってきます。それが事をなしていく上で非常に大きな力となってくると思います。

 「感謝」の効果は

  • 幸福感が高まる

  • ポジティブに考えられるようになる。

  • 対人関係がよくなる。

  • 体調が良くなる。

などが挙げられます。

 私は神様の恩に報いて感謝することにしています。長く生きてきて、人智を超えたものがあると感じているからです。たくさんの不思議な出来事を経験してきました。自分が神様に守られていると実感します(昨年横断歩道を電動自転車で渡っている時に自動車にぶつけられましたが、かすり傷一つありませんでした)。もう50年以上も岡山最上稲荷奥之院でご祈祷をしていただいています。私は現在7軒の病院に通いながら生活を送っていますが、大きな病気を経験したからこそ、健康のありがたみが身に染みて分かるようになりました。「今朝も目が覚めました。ありがとうございます」「今日も一日無事に過ごすことができましたありがとうございます」と自然に手を合わせています。

 三年前、突然右脚股関節が痛み出しました。歩くのもままなりません。痛くてお風呂の浴槽もまたぐことも困難でした。ベッドの上でも動かすと痛いので寝返りを打つこともできず、ずっと一晩中真上を向いて寝なくてはなりません。これは実に辛い。夜眠れなくなりました。「共通テスト」が終わり二次試験の講習が終わって休みに入ったら手術することになり、それまでは痛み止めの薬で何とかしのいでいこうという相談になりました。この薬の副作用で食欲が全くなくなりました。どんどん痩せていきます。寝られないので睡眠導入剤を処方してもらい毎晩飲み続けました。あれだけお昼寝が大好きだったのにお昼は全く寝られなくなりました。辛抱をして生活をしていましたが、もう我慢の限界です。無理を言ってお休みを頂き、12月初めに日赤で手術することになりました。何とか「共通テスト」までには復帰させていただくことを主治医の先生にお願いして手術に臨みました。麻酔医の先生は米子東高校専攻科の卒業生で、心強く思いました。お守りを手術台の枕の下に入れてもらっていたこともあって、手術中は出血も予想通りで無事に手術室を出ました。足は全く動かすことはできませんから1週間はオムツ生活でした。手術の翌日から毎日リハビリ訓練が始まりました。理学療法士と作業療法士の二人の方に毎日30分ずつ脚の機能の復元に向けてリハビリを受けました。食事もまともに食べることはできませんから、看護師さんに献身的に助けてもらう日々でした。支えて下さった数多くの人にいくら感謝しても感謝しきれません。1ヶ月余の入院生活です。何とか「共通テスト」までに退院させてもらいたかったので、頼み込んで退院させてもらいました。廊下を真っ直ぐ歩けたら退院させてあげるというテストに必死でした。杖をつきながら、ぎりぎり間に合って、松江北高補習科勝田ケ丘志学館の生徒達を激励して送り出すことができました。以来半年の間、毎週山口整形外科にリハビリに通うことになります。ここでも担当の理学療法士の方に、レーザー治療・電気治療・運動療法を施していただいて、徐々に足が曲がるようになり普通の生活ができるようになっていきました。辛かったのは、まだ十分歩くことができない状態なのに、この年の冬は近年にない大雪で、免許を持たない私はタクシーが来てくれず通勤に四苦八苦したことでした。たくさんの方達に支えられて、何とか今まで通りの日常生活が送れるまで回復することができました。普通に歩けるということがいかに有り難いことかということがよく分かりました。支えていただいた多くの人に感謝です。

 数年前󠄂、日赤で心臓の定期検診に出かけたところ、主治医の心臓外科の先生から「この病院には高校時代先生にお世話になったという人達がいっぱいいます。これからも元気で教育に励んでください」とのお言葉をいただき感激しました。確かに検査会場のそこら中で教え子たちに診てもらいました。体の続く限り、お世話になった人達のご恩に報いるためにも、感謝の気持ちを持って英語教育に献身しようと思います。♥♥♥

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「おめで鯛焼き」

◎週末はグルメ情報!!今週は鯛焼き

 鯛焼きは、そのルーツを江戸時代に遡ると言われている日本伝統の食べ物で、昔から老若男女の日本人に愛されてきました。流行り廃れではなく、長く愛され続ける食べ物です。JR岡山駅さんすて岡山の南館2階に「おめで鯛焼き本舗 さんすて岡山店」さんがオープンしています。先日神戸からの帰りに気が付いてはいましたが、時間がなくてのぞくことができませんでした。今回は笠岡高校の授業・講演の帰りにゆっくりと立ち寄ることができました。

 場所は高級スーパー「成城石井」の横の横、シュークリームの名店「ビアードパパ」の横です。

 「おめで鯛焼き本舗」さんはサービスエリア爆売れグルメとしてメディアでも紹介される人気店で、中国地方だと広島に続いて三店舗目です。オープン初日は取材中も列が出来るタイミングがあるなど人気な様子でした。1964年の創業以来「ほんとうにおいしいもの」をお客様に提供するために、「素材主義」「本物志向」「安全・安心」にこだわり続けています。また、国産食材を使用することで日本の農業を応援しています。このお店の鯛焼きは(目尻が下がり、口角が上がった)にっこり笑顔。お腹の表と裏に「昇運・招福」をかついでいる縁起の良い鯛焼きです。鯛焼きを食べて、皆笑顔になって幸せになってほしいとの思いを込めました。そのために「ほんとうにおいしいもの」をお客様に提供するため「本物志向」「安全・安心」にこだわり続けています。

 メニューにはつぶあん・ぜいたくカスタード・お好み鯛焼きとお得なセットが用意されています。下がお持ち帰り用の紙袋。すぐに食べる場合は袋に何も書いていない1個用の小さな紙袋で提供されます。私はつぶあんを買って食べましたが、あんがびっしりと詰まっていてなかなか美味しいです。北海道の契約農場で生産された小豆と、砂糖2種類と、塩のみを独自の製法で炊き上げた、保存料など一切使用しない安全安心な「つぶあん」です。生地は通常の鯛焼きの生地より数倍多くの卵を使用しています。秘伝の小麦粉ミックスと、特別な独自の製法で混ぜ合わせることで、非常に口どけの良い、ふんわりとした柔らかな生地が出来上がります。

 袋の裏面を見てみると6種類の食べ方でわかる「性格判断」が載っていました。初めてこれを見た時、「食べ方で性格が本当にわかるの?」と思いましたが、袋を見て食べながらじっくりと読んでみました。私はというと…【頭から食べる人】です。袋には「おおざっぱな楽天家。失敗してもクヨクヨ気にしないタイプ。負けず嫌いで熱しやすく冷めやすい。」と書いてありました。確かに楽天家ですが大雑把ではありません。あとは何となく当たっているような気がしました!お友達や家族、恋人と一緒にこの「性格判断」を見ながら鯛焼きを食べるとなんだか楽しそうですね。♥♥♥

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なぜ昼間でも電車はライトをつける?

 長い間JRに乗っていますが、今日松江駅に入線してきたキハ47の車両を見て、不思議に思ったことがありました。朝8時過ぎだというのにライトを点けています。米子駅で待ち構えていた寝台特急「サンライズ出雲」も先頭車両にライトが点いています。乗り換えの0番線の境線鬼太郎列車の先頭列車にはライトが点いていました。そこで運転手さんに尋ねてみました。「国の規約で昼も夜も前も後も点けることに決まっています」との回答。私の聞きたいのはそこじゃないのになあ、と思いながら下車しました。博労町駅を出て行く車両の後方には赤色ランプが点灯していました。授業の冒頭でこの疑問を話したところ、終了後にこの方面に詳しい生徒が教えに来てくれました。

 列車のライト「列車標識」と呼ばれるものです。なぜ、列車は明るい時間帯でもライトを点けるのでしょうか?自動車を運転する時、ライトを点ける主な目的は「暗闇を照らして視界を確保する」ことですね。これに対して列車のライトですが、実はあれ、点灯させる目的は全く別です。列車のライトは前を照らすために点灯させているのではなく、列車標識」と呼ばれるものなのです。鉄道の運転業務では、「列車」という概念が存在します。「これこれの条件を満たさないと『列車』とは認められない」というものです。その、列車として成立するための条件の一つが「列車標識を表示すること」なのです。簡単に言えば、ライトを点灯させないと列車にならないのです。そして、列車たる条件を満たさないと、車両基地から出て営業列車などの任に就くことができません。だから列車は、昼間でもライトを点けているのです。人間に例えるなら身だしなみに相当すると言ってもよいでしょう。鉄道車両もそれと同様に、車両基地という“家”から“外出”するためには、身だしなみを整える必要があるのです。外出のための身だしなみを整えた状態の車両を「列車」と呼びます。その身だしなみの条件の一つが「列車標識の表示」、つまりライトを点灯させることなのです。ですから、列車がライトを点灯させている目的は人間風に言えば身だしなみのためであって、前を照らして視界を確保するためではありません。もちろん、ライトを点灯させれば前方は見やすくなりますが、それは直接の目的ではなくて副次的な効果なのですね。

     前部標識=白   後部標識=赤

 なお、列車標識は前・後の両方に表示しなければいけません。列車の前 = 進行方向最前部には「前部標識」という白色灯を表示する。列車の後ろ = お尻の部分には「後部標識」という赤色灯を表示する。これによって前後が識別できるわけです。

 鉄道運転規則第6章鉄道信号第4節第233条で書かれていますが、昼間は省略できるとされており、実際省略もされていました。では、なぜ昼間も点灯するようになったかと言うと、「事故防止」のためです。JR(特に東日本)では踏切事故が多発しました。そこで、事故防止の一環として列車の前照灯を昼間も点灯させることとして認識性を高めることにし、試行しました。その結果、踏切での事故件数が減ったので、本格的に導入され現在昼間でも前照灯を点灯させることになっています。なおこれは、JRだけでなく私鉄(民鉄)でも行われており、同様の効果があげられています。昼間の点灯により列車の接近を知らせることで、踏切や駅ホーム、保線工事、濃霧等において、列車との接触事故を防止するのが趣旨です。とくに警報機のない踏切では、列車の接近は線路上の台車音、走行時のモーター音、警笛等で注意喚起していましたが、それでも事故は発生してしまうことがあります。昼間点灯は、列車においても事故抑止に有効な方法です。いつ頃からこのことが広く波及したかは定かではありませんが、1990年台という説が多いようですね。

 私が最近読んだ『乗ってるだけじゃわからない鉄道の大疑問』(青春文庫、2025年)という面白い本には、新幹線が昼間でもヘッドライトを点灯させて走るわけが書いてありました。対向車や周囲の人に、少しでも早く自分の存在を知らせるためで、駅のホームに近づく時には、かなり減速しているので、あまり音がしません。そこで、ヘッドライトで照らして、ホームの人が列車の進入に気づきやすくなるようにして、危険を防いでいるのです。♥♥♥

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私立大学の定員割れ

 入学者数が定員に届かない「定員割れ」の私立大が、今春は316校と昨年度より38校減りました。定員割れの私立大学は全体の53.2%で、昨年度より6.0ポイント低くなりました。18歳人口が2.7万人増えたほか、制度改正で国の給付型奨学金などの対象も広がり、4年制大学を目指す人が増えた可能性があります。改善は5年ぶりですが、依然として多くの大学が定員を満たしていない状況は変わりません。学生募集をやめた大学もあり、入学定員は昨年度より1,114人少ない50万2,755人。一方、入学者数は1万6,107人多い51万839人でした。

 定員に対する入学者数の割合を示す入学定員充足率も、私大全体では2年連続で100%を割っていましたが、今年度は101.61%でした。しかし、定員を満たしたのは大都市周辺の大規模大学が多く、地方の小規模大学を中心に状況はなお厳しいものがあります。三大都市圏(東京・大阪・愛知)では充足率が103.18%に対し、その他の地域では96.30%にとどまっています。地域によって大学の人気や志願者数には大きな差があることを示しています。

 私立大学の志願者数で今年は大きな動きがありました。今春、全国で最も志願者数が多かった大学は、千葉県習志野市千葉工業大学でした。一般選抜入試志願者数は延べ16万2,005人。4年連続で2位でしたが、ついに11年連続トップだった近畿大学を追い抜きました。18歳人口が大幅に減少していく中で、志願者を確保している背景にあるのは、「受験生ファースト」の姿勢です。出願は前日まで可能。受験料は方式によっては無料だったり、1学科分で複数の学部学科を併願できたり。コスパの高さが受験生にとって魅力となっています。千葉工業大学は創立から80年以上の歴史を持つ私立大学で、今春は5学部17学科で約1,300人を募集しました。目指すのは「現場のリーダーとなる人材の育成」(入試広報部)だといいます。志願者が増えれば優秀な人材を獲得しやすくなると入試改革を徹底しました。2021年度入試から、「大学入学共通テスト」を利用した入試の受験料を免除。併願も可能で、今春は延べ8万人超がこの方式で受験しました。同じ試験日ならば、1学科分の受験料で複数の学部学科を併願できる制度も導入しています。「興味のある学科は、全て判定してあげたかった」と担当者。「合格の可能性が高まる」と好評のようです。近畿大学の場合は「近大マグロ」という目玉商品の内容で注目を浴びたのですが、今回は学問内容による注目ではないように感じますので、私は疑念を感じながらこのニュースを受け止めています。

 私は週に3日利用しているJR松江駅の改札口の真ん前でビックリするような広告を見つけました。広島修道大学のオープンキャンパスの宣伝「ここから 約170km先 冒険の入り口」という床にデカデカとプリントされたものです。2つもありました(写真下)。駅構内の床に直接プリントする広告は初めてです。ついに広島修道大学もCMを出さねばならない時代になったんだなと感慨ひとしおです。今から約40年前、私が松江南高校で担任をしていた頃は、私立大学が非常に難しかった時代で、広島大学には合格したけれど、広島修道大学は不合格だったという生徒が結構いたものです。以来、中国地方で八幡が勧める私立大学は、この広島修道大学と理系で注目を浴びている安田女子大学の二つでした。「大学がコマーシャルをやるようになったら危険信号」というのが八幡の長年の指導ですが、最近の安田女子大学の頻繁なテレビコマーシャルや、今回の広島修道大学の駅の床の広告は、一体どう捉えたらよいのでしょうか?♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(40)~卒業論文の失敗

 私の尊敬する故・渡部昇一先生は、その著書『続 知的生活の方法』(講談社現代新書、昭和54年)において(『知的生活の方法』は私の一生に大きな影響を与えた一冊です)、自身の「卒業論文の失敗談」を披露しておられました。先生は大学の卒業論文のテーマに、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を取り上げられました。当時は、まだ八雲に関する本も論文も多くは出ていなかったので、それらを全て読んで大論文を書いてやろうと思い立たれたのでした。いかにも若者らしい野心ですね。先生は実際、なんだかんだでザッと2万ページぐらいはハーン関係のものを読まれました。ハーンのものだけでなく、彼が言及している宗教や哲学をも調べてみようと思い立ったものですから、大学生の持つ知識と時間ではなんともなりません。そうこうして調べているうちに、真に正しいハーンの思想をまとめる論文の構想が浮かび上がってくるものと思っておられたのでした。しかしそうしている間に浮かんでくるアイデアは、メモの範疇を超えることはなく、論文にはなりませんでした。しかも卒論には「締切り」というものがあります。断片的には素晴らしい(と先生には思われた)発見もずいぶんあったようですが、それを断片的なままに書き並べたのでは論文でもなんでもありません。否応なしに、締切りの約一ケ月半前の11月初旬から第一章を書き出さざるをえませんでした。そして「はた!」と気がついたのです。第一章を書いたとたんに、新しく調べたり、チェックしなければならないことが、突如として具体的に、緊急な形で続々と出てきたのです。それを果たすと必然的に次が決まってきます。メモをとっていた時は素晴らしいと思われたアイデアも、使いものにならないということがよくありました。これに反して書きながら思いついたアイデアは、チェックしてすぐ仕事に組みこんでゆくことができました。こんなことをしているうちに、論文は締切りに間に合わなかったばかりでなく、反復が多く、論旨も首尾一貫せず、きわめて不満足なものに終わってしまいました。現在の制度ならおそらく卒業できなかったはずですが、当時はまだのんきな時代で、論文提出も大学の事務局ではなく、指導教授に直接出せばよかったのです。先生の指導教授の刈田先生は提出期限にうるさいタイプではなく、おっとりとした方であったので、半月ほど遅れて持って行った卒業論文を何の文句も言わずに受け取ってくださいました。まあまあの点がもらえたのは、先生が良心的に資料を調べた、というプロセスを知ってくださった指導教授のお情けでした。

 この経験を通して先生が学ばれたことは、「まず書き始めることが大切!」ということでした。目的を絞らずに漫然と乱読してもあまり役には立たないのです。ある程度の構想を立てた上で、実際に第一章を書き始めると、調べなければいけないことが次々と目に見えるように現れてきます。そこで疑問が生じたらすぐにチェックして、最初の構想が間違いだと分かったら書き直すのです。そのようにして、毎日何時間か機械的に取り組まないと、まともな論文など完成しないのです。このことが、先生が学部の「卒業論文の失敗」から学ばれたことでした。

 自らに恥じるところのあった先生は、卒論の反省を生かし、大学院の修士論文(修論)では、この愚を決して繰り返すまいと自らを戒めました。大学院の第一年目が終わるまでには論文のだいたいのテーマを決め、二年生になってからは、問題のありかを絞るために集中的にその関係の文献を読んで、だいたいの構想を立てると、すぐに第一章から書き始めます。書き始めると、また調べなければならないこと、チェックしなければならないことが、次々と具体的に目に見えてきます。そうすると、最初の構想は無理なことが分かり、急に修正をしたり、一部放棄したり、新しく追加したりしなければならなくなってきます。しかし今回は警戒して夏休み前から書き始めていたので、時間的な余裕が十分あり、夏休みが終わって間もなくすると、百ページぐらいのものを一応書き上げ、9月いっぱいには清書もできました。それをアメリカ人の若い先生に通読してもらって、英語の間違いや表現として無理なところを直してもらい、タイプを知人に打ってもらって(先生はタイプが打てませんでした!)、十分に提出期日に間に合いました。書いている途中で書き直したり、おかしいところを調べて直す時間があったので、修論の方は今から見ると内容は幼稚なものではありましたが、首尾一貫しており、論じていることには瑕(きず)が少なく、卒論からは格段の進歩が見られた、と回想されています。そしてここで学んだことは、論文の書き方の本質的な側面です。つまり構想が構想であるうちは論文でもなんでもないこと。一応の構想やら書いてみたいことが浮かんだら、書き始めてみなければ何も分からないということ。書き出す前の構想などは、実際は一枚目を書いた途端に飛び散ってしまうことだってあること。そういうことにめげずに、疑問が生じたらチェックし、最初正しいと思ったことが問違いだったら書き直す、というふうにして、毎日、何時間か機械的に取り組み、何カ月、あるいは一、二年かかるということを覚悟しなければ、まともな論文はできないこと。そういったことは、学校の論文指導では教えてもらわなかったことでしたが、実際にそれを体験させてもらったことが、大学教育から得た大きな収穫でした。芸術的生産と学術的生産とは、大いに異なるところがありますが、最初になにほどかのアイデアがあり、それを具体的な知的生産に結びつけるためには、衝動的な作業では駄目で、機械的・継続的な、ほとんど農耕的といってもよい作業が毎日続くという点では似ているといってよいでしょう。

 つまり、何の目的意識もなく漫然と雑多なものを読むだけでは、結局はうたかたのように消えてしまって、自分の中に積み重なっていくものは何ひとつない、ということになりかねないのです。やがて、果たして自分が何を読んできたかさえ、定かではなくなってしまいかねないのです。

 そんな経験から、先生は卒論や修論の指導にあたって、よく学生たちにこう言われました。「ある程度調べたら、ともかく書き始めたほうがよいですよ。調べるのはいくら調べても論文になるわけではない」と。このことはカールー・ヒルティ「仕事をする術」の中でよく述べていたことです。「本を書くならまず第一行を書け。準備ばかりしていると、いつになっても出来上がらないぞ」先生はこれを大学二年生の時、ドイツ語の教科書で習い、「本当にそうだ!」と感銘を受けて読んだつもりだったのですが、卒論の時は実行できなかったのでした。♥♥♥

 まず何よりも肝心なのは、思いきってやり始めることである。仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局一番難しいことなのだ。一度ペンをとって最初の一線を引くか、あるいは鍬を握って一打ちするかすれば、それでもう事柄はずっと容易になっているのである。ところが、ある人たちは、始めるのにいつも何かが足りなくて、ただ準備ばかりして(そのうしろには彼等の怠惰が隠れているのだが)、なかなか仕事にかからない。そしていよいよ必要に迫られると、今度は時間の不足から焦燥感におちいり、精神だけでなく、ときには肉体的にさえ発熱して、それがまた仕事の妨げになるのである。
 また他の人たちは、特別な感興のわくのを待つが、しかし感興は、仕事に伴って、またその最中に、最もわきやすいものなのだ。仕事は、それをやっているうちに、まえもって考えたのとは違ったものになってくるのが普通であり、また休息している時には、働いている最中のように充実した、ときにはまったく種類の違った着想を得るということはない。これは(少なくとも著者によっては)一つの経験的事実である。だから、大切なのは、事をのばさないこと、また、からだの調子や、気の向かないことなどをすぐに口実にしたりせずに、毎日一定の適当な時間を仕事にささげることである。……よく働くには、元気と感興とがなくなったら、それ以上しいて働き続けないことが大切である。もっとも、最初はあまり感興がわかなくても始めねばならぬ。 (ヒルティ『幸福論・第一部』)

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単語の覚え方~establishment

 英語の勉強の8割までは「単語の勉強」だというのが八幡の持論ですが、単語を覚える際に丸暗記や根性論では効果が薄いと言わねばなりません。利用できるものは総動員して単語の暗記に努める、という竹岡広信先生の単語集『LEAP』新版(数研出版)に共鳴するのはそういう訳なんです。私自身は(故・山本和夫先生の教えにしたがって)「アタマ+オナカ+シッポ」の形で単語を捉えることで、いつまでも頭の中に残り、忘れにくくすることができると考えます。ここでは、establish(設立する)――establishment(設立)という単語を例にとって考えてみましょう。

 e-は「外に」という接頭辞(アタマ)です。st-は「立つ」という意味の語幹(オナカ)です。ablable(できる)の意味の接尾辞(シッポ)です。-ishは動詞を作る時の接尾辞(シッポ)です。-mentは動詞につけて名詞を作る接尾辞(シッポ)です。このようにとらえると、全体としてestablishmentは、「外に+立つ+できる+~する+こと→外に立つことができるようにすること」という風に分析することができます。つまり「設立」ですね。単語を覚える時に、このように「ナルホド!」という理解ができると、非常に効果的です。そしてこのことは、次に挙げるような単語へと応用することができます。一つの未知の単語が別の既知の単語へと配線がつながっていくのです。こうなればもうしめたものです。

◎e/ex-  「外に」《頻出》

emotion(感情)
emit(排出する)
evolve(進化する)
educate(教育する)
elect(選ぶ)
event(出来事)
eliminate(除く)
exit(出口)
export(輸出する)
exclude(除く)

◎st- 「立つ」

stand(立っている)
stage(舞台)
state(状態)
stable(安定した)
obstacle(障害)
station(駅)
statue(像)
stance(立場)
status(地位)
distance(距離)

◎able 「できる」

ability(能力)
capable(~できる)
eatable(食べられる)
usable(使用可能な)
acceptable(受け入れることのできる)
reasonable(合理的な)
comfortable(心地よい)
suitable(適した)
unbelievable(信じられない

◎-ish  動詞語尾

astonish(驚かせる)
accomplish(達成する)
finish(終える)
publish(出版する)
furnish(与える)
diminish(減じる)
nourish(栄養を与える)
polish(磨く)
punish(罰する)
vanish(消える)
push(押す)
rush(急ぐ)

◎-ment  名詞語尾(動詞に付けて)《頻出》

government(政府)
achievement(達成)
movement(行動)
argument(議論)
enjoyment(楽しみ)
excitement(興奮)
agreement(合意)
appointment(約束)
entertainment(娯楽)
development(発達)
employment(雇用)

 このような勉強に役立つものとして、八幡が薦めているのが、次の4冊です。♥♥♥

●すずきひろし『語源×語感×イメージでごっそり覚える英単語事典』(ベレ出版、2025年)
●清水建二『英単語の語源図鑑』(かんき出版、2018年)
●竹岡広信『必携英語LEAP 改訂版』(数研出版、2024年)

●『ライトハウス英和辞典』(第7版、研究社、2023年)の「単語のキズナ」欄

▲先般の米子東高校での講演資料より

 

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ミスしたら負け!

 今年の巨人は本当に雑です。エラーは多いし、バントは下手だし、走ることもできません。そこら辺の数字は嘘をつきません。昨年リーグ一失策数の少なかった巨人が今年はダントツでエラーが多い。明らかに練習不足です。昨年優勝した時こそ、基本に立ち返って、基礎をきちんと固めなければなりません。およそプロとは言い難い凡ミスだらけでは、とうてい勝つことはできません。人気にあぐらをかいて、私のいつも言う「基本のキ」ができていないのです。次の表をご覧ください。

            失策数    犠打数    盗塁数
1位  阪神       45    113     84
2位  巨人       62     71     43
3位  DeNA       53     55     51 
4位  広島       51     72     48 
5位  中日       44     98     63 
6位  ヤクルト     52     94     47

 8月17日(日)の阪神戦はひどかった。ツーアウト一、三塁でライト前󠄂ヒットで右翼のが後逸して一塁走者まで帰ってきました。2回裏巨人は一死二、三塁の好機にセカンドゴロで三塁走者の岸田が飛び出して挟殺されました。5回表打者才木の一邪飛を大城卓が落球しています。9回裏ノーアウト二、三塁で、巨人の代打増田大はスリーバント失敗して送ることができません。こういう記録に残らないエラーも目茶苦茶多いんです。先日も田中将大の日米通算199勝のかかった試合で、2-0でリードの5回表、セカンドゴロ、ゲッツーでチェンジと思ったら、門脇がセカンドに大暴投して田中の勝利投手が吹っ飛びました。浅いレフト前ヒットでサードランナーは仕方がないにしても、楽々アウトと思いきやセカンドランナーまで生還を許してしまうキャベッジの弱肩。高校生でも刺せる距離でした。バントもできない、走るのも鈍足ばかり。およそ練習しているのか?と問いたくなる今年の巨人軍です。要は練習不足ということです。練習でできないことが本番でできるわけがありません。あの落合選手巨人に来た時に、練習量の少なさに驚いたという話が伝わっていますが、事情はあの時とそれほど変わっていないのでしょう。お亡くなりになった長嶋茂雄監督「地獄の伊東キャンプ」のしごきは有名ですが、ちゃんとその年に優勝しています。

 「ミスしたら負け」というのは野球に限りません。私が身を置いている教育の世界でも、同じ事が言えます。「共通テスト「自己採点」でミスが目立ちます。そもそもマーク模試の「自己採点」段階からデタラメです。○×の確認だけの採点がきちんとできないのは一体どういうことか??某予備校のデータによれば、自己採点と実際の得点が一致しない生徒の割合は82%もあります。模試会社の公表によれば85%とも言われています。ですから少々自己採点が間違っていても、「みんなで渡れば怖くない」実態があるので、合格していきます。でもよ~く合否結果分析を見てみると、自己採点が10点以上間違っている生徒は、まず難関大学には不合格になっています。ひどいのになると数十点も違います。笑ってしまったのは、数年前に浪人して北高補習科にやってきた生徒の成績開示を見ると、自己採点と117点(!)も違っていました。しかも地方の公立大学に合格してきていました〔笑〕。成績が悪いことよりも、自己採点がデタラメなことの方が問題ですが、もっと問題なのは、それをきちんと理解してミスをなくす努力をきちんとしている生徒が非常に少ない、という点です。なんとなく済ませてしまっています。担任も「きちんとしなさい!」とは言うけれど、それ以上の手立てを講じようとはしません。その大切さに無関心なんです。私が松江北高に赴任した頃は、模試の各回ごとに全クラス追跡をかけて、対策を講じていたものですが、今はそれもありません。当時は、冬休みに学校独自で行うセンター模試演習でさえも、その日のうちにマークリーダーで得点と自己採点の照合をしていたぐらいです。こういう基本(私は「ABC」(たり前のことをカになってゃんとやる)と呼んでいます)がきちんとできていたからこそ、進学成績も好結果が出ていたことを決して忘れてはなりません。

 では、なぜ「自己採点ミス」が起こるのか?私の考える主な原因は次の通りです。いずれも2回点検することで防げる凡ミスばかりです。

(1)問題を解く際に、自分の解答をきちんと問題用紙に転写していない。問題番号をずらしてしまう。不鮮明でどれにマークしたのかが読めない。消しゴムできちんと消していない。その結果、自己採点当日に自分の答案が再現できなくなる。

(2)問題用紙の解答を「自己採点用紙」に転記する際に写し間違える。もう1回点検することで防げるミス。

(3)正解と自分の解答を照合する際にうっかり○×を間違える。もう1回点検することで防げるミス。

(4)得点を小計、合計する際に暗算でやって間違える。丁寧に電卓を使って、2回計算することで正確に合計できる。自己採点当日、電卓を忘れ手計算でいい加減にやっている生徒も目につく。

(5)解答用紙にマークする際に、決められたようにマークしていないので(形、濃さ、消し忘れ)機械が読み取れない。練習の時から注意が必要。

 これらはもう一度見直す(検算)ことで全部防ぐことができますね。いかに正確な「自己採点」が重要かは、受験指導を長年やった先生なら、よくよく分かっておられることでしょう。以前に、英語のセンター本試験の分布で、平均点付近で2点違うとどのくらいの順位が違ってくるのかを、数学の同僚に計算してもらったことがあります。それによれば9,504人です。長文問題1問6点違うと、28,621人です。どうです?馬鹿にならないことが一目瞭然でしょう?たった1問でこれだけ順位が異なってくるのです。模試の判定でも、自己採点がデタラメ状態では、デタラメな志望校判定結果しか返って来ません。ましてやこれが本番となると…?この恐ろしさを生徒にきちんと伝えて、毎回追跡をかけて、限りなく自己採点ミスを0点に近づけていく努力を怠ってはなりません。現場では「忙しい」と称して、こうした努力を行っていない学校が数多くあります。私には本末転倒の「言い訳」としか思えません。生徒の「自己採点」を信じて、二次出願を行う訳ですから、そこをきちんとしておかないと、ボロボロと取りこぼしが出てくるでしょう。長年進路部長を務め、毎年校内データ追跡をしながら痛感したことです。教員が「忙しい」と称して、肝心の所で手抜きをしているのがとても気になります。恐らく事の重大性に気づいていないのでしょう。事情の分かっている私などは、「ここできちんとやっておけば後で楽ができるのに。結局、後で苦労することになるのになあ…」と感じています。「負けに不思議の負けなし」です。○×の「自己採点」くらいきちんとできなければうそです。浪人生でも「自己採点」をパーフェクトにやっているのは、クラスに10人ほどです。現役はなおさらひどい実態があります。おそらく全国の学校でも同様の実態でしょう。みんながそういう実態だから少々間違えても合格できる…。でもそれにダマされてはなりません。

 二次試験の答案でも同様のことが言えます。英作文の日頃の演習を見ていると、三単現のs忘れ、名詞を裸で使って冠詞を忘れている、簡単な単語の綴りをうっかりミスしている、大文字・小文字の区別を疎かにしている、等々。長文読解の和訳問題でも、日本語のミス、漢字の間違い、たった1~2点の減点ですが、これがバカになりません。このわずかなミスが合否を分けることを、私は数多く見てきました。1点がバカにならないのです。ちょっと注意してもう一度点検しておけばいくらでも防げたミスです。こういうことを日頃からいい加減にしている人は好結果を生むことはまずありません。「ミスしたら負け」なのです。♠♠♠

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