リーダーの条件

  私はあの「ななつ星」をはじめ、水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生のデザインしたJR九州の数々の観光列車が大好きで、一列車ずつ制覇していっていますが、その仕掛け人が尊敬するJR九州名誉顧問唐池恒二(からいけこうじ)さんでした。愛読する月刊『致知』の2017年9月号は、その唐池さんが表紙を飾り、巻頭インタビューに登場されており、面白く読むことができました。その中で組織のトップとしてリーダーを務めるためには三つの力が必要だとおっしゃっておられました。一つは「夢見る力」、二つ目は「気を満ち溢れさせる力」、三つ目は「伝える力」。この三つがトップとして、リーダーとして、必須の力だと考えておられます。今日はそれを考えます。

 その一。「夢」は展望や理想という言葉にも置き換えられますが、そういう目指すべき姿を明確にしないと組織は発展していきません。唐池さんがいつも例に引かれるのが、ソフトバンクグループ会長兼社長・孫正義(そんまさよし)さんの話です。さんがソフトバンクの前身となる会社を創業したのが、福岡です。1981年のことです。 創業したその日に、若いアルバイト社員二人を前にして、みかん箱の上に乗って、「五年後には百億円、十年後には五百億円、三十年後には一兆円にする」と言ったんです。呆れたバイトの二人は程なくして辞めたそうですが、さんの会社はどうなったかと言うと、三十年後に一兆円どころか三兆円の売り上げ企業になりました。もちろんさんの実行力や経営感覚には、目を見張るものがあります。しかし、それでもまず「夢」を見なければ、「ここに行きたい」と思わなければ、到達するわけがないですよね。まず思うところから全ては始まるのです。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢無き者に成功なし」(吉田松陰)

 その二。繁昌するお店と繁盛しないお店を分ける一番の要素は、その店に「気」が溢れているかどうかだと気づきました。7年間JRの外食事業に携わった唐池さんは、8億円の赤字を抱えていた外食事業部を3年で黒字化へと導いておられます。そのために実行したことは、月刊『致知』9月最新号(2025年)によれば、①夢見る力、②スピードあるきびきびした動き、③明るく元気な声、④隙を見せない緊張感、⑤貪欲さ、の5つを徹底的に現場に浸透させることでした。「気」というのは、規模の大小、業種の違いに関係なく、どんな組織でも共通するものだと確信しておられます。気を満ち溢れさす五つの法則ですね。

 その三。その夢や自分の考えをいかに社員に伝えるか。これがとても重要です。よく口にされるのが、「伝えても伝わらなければ伝えたとは言わない」です。一方的に書きました。一方的に喋りました。これじゃあ伝えたことにはならないんですね。まずこちらが伝えたいメッセージに関して、相手に興味を持ってもらう。次にそのメッセージの内容を理解してもらう。それだけではダメで、相手に「感動」を与えなければいけないのです。感動とは要するに、行動に移すこと。相手がこちらのメッセージに感動し、行動に移さなければ本当に伝えたとは言えません。企業のコマーシャルもそうですよね。まず「どんな商品だろう?」と興味を持ってもらい、「なるほど、こういう商品なのか」と理解してもらった上で、「この商品はすごいな!」と感動してもらって初めて購入に繋がります。ここまで行けば100点満点です。

 唐池さんによれば、トップリーダーの大事な資質というのは、一、夢見る力 二、気を満ち溢れさせる力 三、伝える力 の三つです。これは言い換えれば人をその気にさせる三つの力であり、あの豪華観光列車「ななつ星」は、この三つの力が全て凝縮されて誕生したものでした。世界一という列車の「夢」に、つくり手の「気」が満ち溢れて、その本気の思いがお客様に「感動」というエネルギーの形で伝わったのです。旅行業界の権威で富裕層を中心に、約300万人の読者を誇る雑誌『コンデナスト・トラベラー』が、毎年行う読者投票のトレイン部門において、2021年から2023年の間、三年連続世界一に選ばれました。

 夢に向かって、気を満ち溢れさせるところから、閃(ひらめ)きも生まれます。閃きというのは何もないところからは絶対に生まれません。そのことについて毎日ずっと考え抜いているうちに、頭の中にアイデアの鉱脈のようなものができ、それが何かの拍子にポッと外に出てくるんです。唐池さんはこれまで数々のD&S列車を手掛けてこられ、素晴らしい特急列車の名前を次々と考案してこられました(「ななつ星」「ゆふいんの森」「あそボーイ」「いさぶろうしんぺい」「指宿の玉手箱」「或る列車」等々)。いいネーミングもパッと思いつくわけではないと言います。何度も現地を訪れ、現地の人の話に耳を傾け、現地の歴史や文化を詳しく調べ、その地域のことを徹底的に勉強し、とことん考え抜き、そしてまた勉強し……。そうやって大変な時間と労力を懸けて初めて、ネーミングの神様が降りてくるというのが、体験を通じて得た実感でした。これからも経営者として、今お客様が何を求めているかを一所懸命勉強し、悩み、考え抜き、次々に閃いていけるよう努めていきたいと結んでおられました。♥♥♥

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爸爸厨房(パパちゅうぼう)の「麻婆豆腐」

◎週末はグルメ情報!!今週は麻婆豆腐

 これだけ猛暑が続くと無性に辛いものが食べたくなります。京店商店街、私の大好きな「みなみ」の斜め向かいにある中華料理店「爸爸厨房」(パパちゅうぼう)「麻婆豆腐」をどうしても食べたくなりました。このお店は2008年8月にオープン、米子からお店を移られました。店内はダウンライトが効いており、個室もあり雰囲気もいいお店です。いつも満席で人気店です。“安心・安全な料理”をモットーに、地元の厳選した食材を使った中華料理店で、メニューは、本格四川料理をはじめ、独創的なアレンジを加えた創作中華まで、多彩な料理が堪能できます。この中でも超人気なのが、山椒を効かせた「麻婆豆腐」や、鶏ガラと魚介のスープにゴマの香りとコク、ラー油の辛みをプラスした「担々麺」です。どちらも、四川ならではのピリ辛メニューで1度食べるとクセになると評判です。今日は「麻婆豆腐ランチ」をいただきました。サラダやスープ、副菜もいろんな種類があります。メインの麻婆豆腐は鉄皿で出てくるので、ハフハフしながら、アツアツを食べれるのがいいですね。まず、見た目が美しい。NHK近くの「虎楼」(ころう)麻婆豆腐も美味しく、ボリュームがあるのですが、爸爸厨房麻婆豆腐は真ん中に存在感をもって配置されています。脇をかためる小鉢やスープ、そして、つやつやのごはん。ほどほどに辛い麻婆豆腐をすくって、ごはんにかける幸せを味わうことができます。激辛が好きな人は、追加料金(250円)でどんどん辛くすることができます。

 オーナーシェフの細木さんは、日本における「四川料理の父」とされる陳 建民氏の直弟子さんで、ここでは本格的な四川料理を味わうことができます。中でも麻婆豆腐」は絶品です。熱々の鉄板で提供され湯気がモクモクと立ち上がっています。辛さが堪りません。見た目通り、どっさりの山椒と、ラー油のダブルパンチで非常に辛いです。後に痺れるような感覚が残ります。お水をIMG_5755たっぷり取りながら汗をかきかき食べます。ランチでいただくのですが、小鉢・小皿・サラダ・スープやらいろいろついていて、結構なボリュームでお得感があります。デザートに「杏仁豆腐」までついて、これでかつては850円でしたが、今は1,100円に値上がりしました。時代の流れです。

 松江の観光スポットの近くに立地しており、価格的にもとてもリーズナブルです。地元の生鮮食材をふんだんに使っているため、食材の特徴を生かした創作中華となっています。お昼はランチで価格、量、味で満足、夜は食事はもちろん、お酒とともに美味しい中華料理で満足といったところでしょうか。本当に美味しいです。♥♥♥

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dog days

 このところ毎日真夏日が続いています。今年は猛暑です。松江も雨が降らず、連日37度越えです。死にそうな暑さです。朝の4時に二階の寝室から下の部屋に降りていくと、温度計はすでに30℃を指しています!!今日はそんな「真夏日」を表す英語表現のdog daysを取り上げます。

  We’re in the dog days of summer — it’s too hot to do anything.
(真夏のど真ん中で、暑すぎて何もする気が起きない。)

 このように「dog days」は「犬の日」ではなく、「夏の一番暑い時期」(7月下旬~8月中旬)を指します。この句の由来は、古代ローマの天文学と神話の観察にさかのぼります。夏の一番暑い時期を意味する表現ですが、なぜ「犬」と関係があるのでしょうか?

1.シリウス(Sirius)という星が関係している

 シリウス(Sirius)は「おおいぬ座(Canis Major)」に属する星で、夜空でひときわ明るい恒星で、古代ギリシャやローマでは、シリウス「犬の星(Dog Star)」と呼ばれていました。

2.シリウスの「太陽との同時出現」が暑さの象徴だった

 古代ギリシャ人やローマ人は、夏の最も暑い時期に、the Dog Starが太陽と一緒に空に昇ることに気づき、地上に暑い日々をもたらしていると考えたようです。シリウスが太陽と同じ時間に昇る時期(主に7月〜8月)を「犬の星の時期(Dies Caniculares)」と呼びました。古代ローマでは、7月24日から8月24日が「dog days」とされ、この期間が特に暑く、湿度が高くなると考えられていました。人々はシリウスの出現が気温をさらに上昇させると信じていたために、このように呼ばれるようになったのです。彼らはこの時期の異常な暑さ、病気、災害を、シリウスの影響だと考えたのです。つまり、「dog days」=「犬の星(シリウス)が太陽と共に昇る時期」=「1年で最も暑く、だるく、活動するのがしんどい夏の時期」ということです。

 dog daysのイメージとしては、気温が非常に高く、湿気が多く、無気力になるような猛暑、他にも、①暑くてだらける、倦怠感、②生産性が落ちる時期、③スポーツやビジネスなどでも「低迷期」という意味で使われることも、などがありそうです。先日、たまたま見ていた「めざましテレビ」で、林佑香さん(慶応大学卒)が「あまゆかイングリッシュ」でこのdog daysを解説していましたね。♥♥♥

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夏長崎から2025

  • 最も借金していた頃に始めた思いはあれから20年を経て変化していないか?風化していないか?

  • 心の熱は下がっていないか?これが本当に必要なのか?

  • お客さんはどうなのか?これが本当に必要なのか?

  • 20年間訴えてきた平和への思いは伝わっているのか?あるいは無駄だったのか?

  • 子どもでも成人すれば(20年)親の手を離れてもいいのではないか?

  • 自分が永遠に続けられるものでもないだろう?

 これらを自分でもう一度客観的に見つめ直すために、一度現場を離れてみようという決意でした。長崎県は感謝状をさださんに贈ったり、稲佐山の野外コンサート会場を大規模ライブができるように改装したりの協力はしていましたが、コンサート自体はさださん任せでした。長崎市民にとって「夏の風物詩」と言われるまでになった特別のイベントなのですから、行政ももっと協力してあげてもよかったのではないか。私はそんなことを思いながら、灼熱の太陽の下、最後の長崎を後にしました。

 広島原爆の日に、もう一つの被爆地である長崎から、「今年で戦後80年、被爆80年という大きな節目ということに背中を押されて、あとで後悔してもいけないと思って、今年は強引にやる決意をしました」と、平和と生命の大切さを歌で届けるべく、2006年以来19年ぶりの復活です。さださんはこの形式での開催は最後と決意し、今後は後進にバトンを渡したい、と明かしました。今井美樹(62歳)、南こうせつ(76歳)、笑福亭鶴瓶(73歳)、立川談春(59歳)らがゲスト出演し、約1万3,000人のファンに平和への願いを表現しました。思いは変わりません。1000万ドルの夜景を見下ろす長崎・稲佐山のステージ。さださんが故郷を歌った、このライブのオープニングの定番「長崎小夜曲(ナガサキ・シティ・セレナーデ)」で幕が上がると、思い思いに芝生の上に座っていた約1万3,000人の老若男女が一斉に立ち上がりました。8月6日に、長崎から広島に向けて歌う。1987年から2006年まで開催された伝説の無料コンサートです。戦後80年、被爆80年の節目に19年ぶりに復活させたさださんは、毎年たった一つのメッセージを繰り返してきました。「いま、あなたの大切な人の笑顔を思い浮かべてみてください。そして、その笑顔を守るために何ができるかを考えてみてください」この日は、それにあえて一言だけ付け加えました。「そして、自分が何をなすべきかが分かったら、そこへ向かって歩きだそうじゃないですか」。分断と対立が続く今日の世界の中、自然と言葉に力がこもりました。

 これまで、村下孝蔵、来生たかお、松山千春、谷村新司、都はるみ、小田和正、財津和夫、泉谷しげる、加山雄三、岩崎宏美、南こうせつ、小林幸子、平原綾香、スターダストレビューら大物アーティストが続々と友情出演した「フェスの元祖」です。19年ぶりのステージで、73歳のさださんは「最後」と決めて、ギターを抱えました。今回初出演となったのは、英国から今井美樹さんでした。「PIECE OF MY WISH」などを変わらぬ透明感で披露し、「いつも、遠くから祈る気持ちは持っていましたが、参加できたことで、ここにいられる意味を強く感じています」と、さださんの思いを受け取りました。「戦争が起きたら音楽が止められ、人が集まることが止められる。平和とは、どんな音楽でも自由に演奏できる、音楽会を開けること。最初の頃にコンサートに来た子供がお父さんお母さんになっている。その人たちが子供を連れてきょうここに来てくれた。バトンタッチの場になればいい」さださん。「僕は今年73歳。何処まで走ることが出来るか分かりませんが、精一杯走ろうと思っています」

▲翌8月7日「サンケイスポーツ」だけが大きく取り上げる!

 平和を実らせる希望の種とその育て方を届けてきたさださんの願いは、平和のバトンを次代に託すことです。その使命は音楽を届けるアーティストも、演奏を楽しむファンも変わりません。さださんはコンサートのフィナーレで「今回が最後という気持ちで、恥ずかしくないステージにしよう。でもやはり最後という言葉は好きじゃないですね。だから被爆90年、10年後に元気で会いましょう!」「またいつ会えるか分からないけど、最後というのが嫌なので約束をします。被爆90年の年にお互い元気で会いましょう!」と宣言し、再び「夏 長崎から」のステージに立つことを約束。観衆からはどよめきと拍手が湧き上がりました。長崎県知事・大石賢吾氏長崎市長・鈴木史郎氏が登壇したように、さださんが故郷の長崎から平和のメッセージを訴え続けることに強く共感する関係者、ファンは数多くいます。しかし、「これだけ気温が変化しているでしょ。今までの経験が通用しなくなった」と、夏の野外開催は今後さらに困難になりますが、市内には約6,000人を収容できる屋内施設「ハピネスアリーナ」が昨年完成し、継続の舞台は整っています。

 なおこのコンサートの模様は、NHKBSで、8月23日(土)21:00~22:29で、BS4Kでは、9月13日(土)19:30~20:59に放送されます。♥♥♥

▲ラストは出場者全員で「祈り」を熱唱し大団円で閉幕

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take~for granted

 受験にも必須のイディオムtake ~ for grantedは、「~を当然のことと思う」と熟語集などで高校生は丸暗記しています。たとえば、He took it for granted that he should speak as a representative.(彼は自分が代表として演説することを当然のことと思っていた)/They took their brother’s help for granted. (彼らは兄の援助を当然のことだと思った)といった具合です。それ以上深く考えることはまずありません。

Don’t take her for granted.(彼女の存在を当たり前に思うなよ)

I took being young and healthy for granted.(若くて健康的であることを当たり前に思っていた)

Don’t take me for granted.
(私がいるのを当然と思わないで/私がそばにいて当たり前だと思うな)

 「与えられて当然と思っている」という意味合いで、本人にその意識があるかどうか、自覚があるかどうかは別として、人だったら「そばにいて当たり前な人」「そばにずっといる人」、物ならば「あって当然」「あるのが普通なもの」という感覚です。

We take it for granted that our family will be there to support.
●「家族はサポートするためにいることを普通のことと思っている」
●「家族はサポートするためにいることを当然のように受け取っている」
●「家族は支えてくれるためにいてくれると思い込んでいる」

 これらを全て含んだニュアンスです。このような文章をよく読んでみると、日本語の「当たり前のこと」だけでは意味を捉えきれていないのではないかと思えてきます。たいていは、“But that’s not true. So you should appreciate your family.” 「しかし、それはそうではない。だから家族に感謝するべきだ」などと上記のフレーズに続いたりします。take for granted とは、あまりにも慣れすぎていて、当たり前ではないことに気付けないくらい自然な状態を指しているので、それを当然だと思ってはいけない、そのことや物に感謝するべきだ、という話の時によく使われるフレーズなのです。もしくは、自分は気付いているから感謝している、という時に使います。要するに「当たり前だと思っていて、感謝の気持が足りないぞ」というニュアンスを感じなくてはならないのです。「当たり前」「感謝」の両方の要素が入っているということですね。そのことは次のようなアメリカの辞書の定義からも明らかです。 “fail to properly notice or appreciate (someone or something) that is helpful or important to you [MWALED]

Don’t take it for granted.
「当然だと思うな」「当たり前だと思うな」→ちゃんと感謝して、甘えないで

She takes everything he does for granted.
「彼女は彼がすること(すべて)を当たり前だと思っている」→「彼女は彼がしてくれることへの感謝が足りない」

We take it for granted that our parents take care of us, but we do appreciate it.
「両親が私たちのことをやってくれるのが普通だと思っているけど、実に感謝もしている」

 もう一つの take for granted の使い方は、自然な流れで疑いもしない時に使います。

She took it for granted that after being together for three years, she would get married.
「三年付き合っていたので、彼女は当然結婚するものだろうと思っていた」

They took it for granted that he will take the job.
「彼は当然仕事を受けるだろうと思っていた」

He took it for granted that he will be invited to the party.
「パーティーに招待されるだろうと当たり前のように彼は思っていた」

    日本語の「当然」「当たり前」とはイコールにはならないのが、このフレーズの難しいところですが、日常会話でよく使われるフレーズなので、ぜひ頭に入れておいていただきたいですね。

Don’t take things for granted; take a moment to step back and appreciate what you have.  なんでも当たり前だと思ってはいけない。ちょっと立ち止まって、あるものに感謝しよう。

 アン・クレシーニ先生(北九州市立大学)『なぜ日本人はupsetを必ず誤訳するのか』(アルク、2023年9月)にも、ここら辺の実態が詳しく出ているので、参考にしてください(pp.76-81)。クレシーニ先生は「和製英語」研究の専門家で注目の学者です。

▲この本八幡のオススメ!

I realized during the COVID-19 pandemic that I had been taking many simple things for granted. (コロナ禍で、多くのささいなことを当たり前だと思っていた[=あまり感謝の気持ちがなかった]ことに気付いた。)

Don’t take clean drinking water for granted. (きれいな飲み水を毎日飲めることを当然と思わないで[=感謝の気持ちを持ってね]。)

 『ライトハウス英和辞典』(第7版)ではここら辺のニュアンスを捉えて「(慣れっこになって)(人・物事)の真価がわからなくなる,特に気にかける[ありがたい]ことでもないと思う:He takes his wife for granted. 彼は妻のことを気にもとめなくなっている」としています。やってもらって当たり前という態度で感謝を表現しない人に対して憤まんがたまるのは、国や文化を問わずよくあることです。❤❤❤

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「臥龍殿」

 横浜長崎と並んで「日本三大中華街」の一つに数えられる、神戸の中華街「南京町」を訪れてきました。国内からの観光客や修学旅行生だけでなく、海外からいらっしゃる方の人気の観光スポットにもなっています。しかも、中国台湾からの方々もたくさん訪れている様子は、ここを歩けば実感することができるでしょう。地図上では神戸の元町から栄町あたりなのですが、じつは「南京町」という地名は神戸にはありません。中国人街ということを表すのに使われていた南京町という言葉が、神戸では今も使われているのです。

 メインの道路の間を何本もの路地が通る南京町。それらの路地には「○○街」という名前が付けられています。そんな路地の一つである南京南路から東へむかう「九龍街」へ入ると、今回ご紹介する場所はすぐそこです(写真下)。ここは中国雑貨店か?

   実はこちらは市民トイレの「臥龍殿」(がりょうでん)です。三国志で有名な軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)「臥龍先生」と呼ばれていたことにちなんで付けられた名前です。建物正面の金色に輝く「臥龍殿」という文字は作家の陳舜臣氏が揮ごうしたもので堂々とした書体は建物の風格をさらに高めています。これだけの華やかさと立派さなので、間違えて通り過ぎてしまう人も多いというのも納得できますよね。翡翠色の屋根に赤い柱、そして龍の彫刻が細やかに施されたその姿は、まるで宮殿のようです。パッと見は、高級なレストランや土産物屋と見間違える人も多いでしょう。トイレの中に入ると内装もまた中国風の装飾が施されており、まるで異国に来たような気分になります。多くの観光客が利用しているにも関わらず常に清潔に保たれており、気持ちよく利用できます。左右に配された龍の彫刻は外国から取り寄せられたものです。南京町の公式HPによると、2階はコミュニティホール、3階は組合事務所として利用されているとのこと。単なるトイレにとどまらず、地域の人々の交流の場としても活用されているようです。

 観光用の地図には簡単に「市民トイレ」と表示されているのですが、ここを作ったのは「南京町商店街振興組合」です。あずまやのある南京町広場に、「長安門」「西安門」など中国を感じてもらえる街づくりがされてきた南京町。さらに、トイレにまで中華街の雰囲気を味わってもらおうというこのおもてなしの気持ちの深さ。この珍名所は、ぜひとも南京町観光の記念に見ておきたい場所なのです。

 地上三階建てのこの建物は「神戸景観・ポイント特別賞」も受賞しています。また、春節祭で華やかな姿を見せる龍も、ほかの季節はここで豪華な様子を見せてくれ、おめでたい雰囲気がいっぱいです。建物に向かって右が女性用、そして左が男性用で、入り口にもめでたい龍の彫刻があるのですが、ここの凝り方は外観だけではないのです。わざわざ台湾まで出向いて手に入れてきたという調度品で、中もどっぷりと中華風。それだけではありません。見上げれば格子天井に上手く照明が組み込まれて、こちらにも中華のめでたい生き物たちが乱舞中。普通だったらそれほど目が行かない場所まで「ここまでやるか!」という徹底ぶり。ですから、知らないでここに入った観光客にインパクトが大きいというのも分かりますよね。

 1階中央の展示室には「春節祭」に使う龍が展示されています。その両側に男女別の入り口があり、中は中国風の豪華な市民トイレとなっています。平成5年日本トイレ協会の「平成5年度日本グッドトイレ10」「臥龍殿」が選ばれています。 また、神戸市主催の「景観ポイント賞」の特別賞を「臥龍殿」及び誘導サイン類が評価され、受賞しています。♥♥♥

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「直島パヴィリオン」

 瀬戸内海に浮かぶ人口約3千人の島、直島。フェリーの玄関口である宮浦港の海際に、白い光が浮かんでいました。光の正体は、建築家の藤本壮介さん(ふじもとそうすけ、45歳)が手がけた「直島パヴィリオン」。高さ約6.3メートル×幅9メートルの多面体で、三角形の白いステンレス製メッシュ約250枚でできています。メッシュは75mmグリッドを2枚ずらして重ね合わせた37.5mmグリッド。パネルの外周に径12mmの丸鋼を取り付け、それを中心として溶接したユニットを製作。さらに現地でユニット同士を溶接しました。地形大小27の島々からなる直島町「28番目の島」というコンセプトで作られました。近づき、中に入る。でこぼことした段差に腰をかけると、白い繭に包まれたような安心感を感じます。「気軽に人が集まって、話をしたり、読書をしたり。そんな場所を作りたかった」藤本さんは話します。「見慣れた空や山、そして人が、作品を通して全く違って見える。そんな体験も楽しんでほしい」 地元の人々や観光客が気軽に立ち寄り、交流が生まれることを意図しています。

 直島町は大小27の島から構成される町です。その28番目の島というコンセプトで2015年に作られたのが「直島パヴィリオン」す。「直島町制施行60周年」を記念して制作されました。直島“パビリオン”と発音することが多いですが、作品名としては『直島“パヴィリオン”』が正解となります。浮島現象」という蜃気楼の一種をかたどった浮遊感のある作品です。「浮島現象」とは、海面上の空気が一定の条件を満たした状態で遠くから島を見ると、島と海面の境界線が切れて島が浮き上がっているように見える現象のことを指します。多島美たとうびを誇る瀬戸内海でもしばしば見られる現象です。直島に滞在中にも時々海を見てチェックしていれば見ることができるかもしれません。

 床に置かれているというより、島のように浮かんでいます。軽やかな内部には柱はありません。床から壁、天井までゆるやかにつながっており、内部には誰でも入ることができ、そのゆるやかな起伏によって、歩くと実際に浮遊しているような不思議な体験を味わうことができます。外国人観光客が見守る中、地元の小学生たちが中で鬼ごっこをしていました。のどかさと国際性が入り交った風景に不思議な感慨を覚えます。「直島パヴィリオン」中に入ることもでき、天気がいい日には上の写真のように作品越しの青空を撮れば映えますよ。作品自体はステンレス製のメッシュで作られていますが、かなり丈夫なので、少し高くなっている部分に乗っかっても不安定さは全くありません。中は結構広いので、グループで入っても問題なく楽しめると思います。高低差もあるので、写真を撮るにはむしろちょうどいいかもしれませんね。夜にはライトアップされるのでまた雰囲気が一変しますよ。どこか宇宙船に乗っているかのような不思議な感覚も味わえます。

 「直島パヴィリオン」があるのは宮浦港のすぐそばです(徒歩約5分)。宮浦港に到着するフェリーからも見ることができる位置にあります。周囲も開けている場所なので、見つけにくいということはありません。近くには草間彌生さんの「赤かぼちゃ」や銭湯「I♡湯」といった作品もあります。宮浦港周辺を散策する場合にはぜひ立ち寄ってください。鑑賞料は必要ありません。直島の屋外作品は基本的に無料で見ることができるんです。

 作者の藤本壮介氏は建築事務所も設立している建築家です。平成12年2月に青森県立美術館設計競技で優秀賞を受賞。平成24年8月には、ベネチア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞を受賞するなど、国内外で活躍しておられます。東京大学で准教授を務めたり、日本建築大賞をはじめとした多数の賞を受賞するなど華々しい経歴を持つ建築家です。もちろん活躍の場は日本だけに留まりません。フランスやオーストリアなど、ヨーロッパにもいくつか作品があります。そして2020年には、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の会場デザインプロデューサーにも就任されました。今後の活躍も期待される建築家でありアーティストの1人です。

 「直島パヴィリオン」はアクセスもよく無料で鑑賞できるので、気軽にふらりと立ち寄れるアート作品で、写真映えもバッチリのスポットです。早めに港に着いた時などにもオススメなので、ぜひ中まで入ってアートを体感していただければと思います。♥♥♥

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髙橋真梨子ラストコンサート

 私が大好きな歌姫・髙橋真梨子(たかはしまりこ、76歳)さんが2025年5月9日、東京国際フォーラムで、歌手人生最後の全国ツアー「EPILOGUE」のファイナル公演(完売)を行いました。1979年(昭和54年)に初のソロコンサートを開催して以来46年間。歌うことに人生の全てを捧げてきた歌姫が、9都市21公演を回るツアーを走りきって完全燃焼し、その歌唱人生にひと区切りを付けました。2,000人以上を収容する大規模ホールで、年間25公演以上を40年以上も継続してきた女性ソロ歌手は、髙橋真梨子さんただ一人だけです。また「音楽の殿堂」と呼ばれるアメリカのカーネギー大ホールで、日本人で唯一の3回公演(1993年、2008年、2016年)を行っていますが、複数回の公演を実施したのは髙橋さんだけです。終了ツアータイトルの「EPILOGUE」は、映画などの「終章、終幕」や出来事などの「結末」の意味で、そんな思いを込めたラストツアーのファイナル公演は、ソロデビュー曲「あなたの空を翔びたい」で幕を開けました。

 最初のあいさつで「皆さん、こんばんは。とうとう最後のステージになってしまいました。16歳の時に歌の世界に入って60年。皆さんの後押しがなければここまで歌ってこれなかったと思います。温かい心に感謝です。今日は楽しく、そして皆さんに元気をもらって、私も元気をあげたい。本当に感謝です」。普段は言葉数の少ない高橋さんが、何度もファンへの「感謝」の言葉を続けました。客席から「真梨子さん~、今日も世界で一番かわいいです~」の声が飛ぶと「ありがとう。信じることにします」と笑顔で応じました。「何歳になってもかわいいいと言われると嬉しいものです」

 2023年1月、「各地を回る全国ツアーは体力的に厳しい」と40年以上も続けてきたライフワークの全国ツアーに一度は終止符を打ちました。しかし、ファンから「もう一回歌ってほしい」との熱烈なラブコールが事務所に殺到したのです。その熱意に背中を押されて、今回の“アンコール”ツアーが決まりました。ツアー前には「今回は歌い納めの覚悟」と口にしていました。昨年10月から全国を回り、ファンと再会することができたことに、「完全燃焼することができました。満足です」と笑顔で振り返りました。

 「桃色吐息」「ごめんね…」「五番街のマリーへ」などの計23曲(ペドロ&カプリシャス時代の3曲も含め)を約2時間で歌唱したコンサートのフィナーレは「ランナー」でした。歌詞のサビの中に見られる言葉「生きて 生きてゆきましょう あなたのそばで」は、ファンへのメッセージそのものでもありました。1993年に結婚し、楽器を手にして一緒にステージにも立つ夫のヘンリー広瀬(81歳)さんが、髙橋さんの思いをくみ取って選曲をしました。「この気持ちがファンの皆さんに伝わってくれたらうれしい」髙橋さんもうなずきました。

 約5,000人のファンが総立ちで見守る中、終演の幕が下りる時には「愛しています」を意味する手話を披露しました。言葉では言えない思いをツアーの途中から手話に託してきたと言います。「(出身の)博多の人には『秘めた情熱』っていうのがすごくあるんです。言葉では『愛している』なんてあまり言えないから、手話で伝えるようにしました」と明かします。1979年にスタートしたソロ公演は、46年間続き、この日で2,826回を重ねました。これに単発のスペシャルライブが19本。321本のディナーショーを加えると実に計3,166回になります。トータルの観客動員数は730万人を超えます。紅白歌合戦にも6回出場し、紅組最年長記録も更新しています。髙橋さんは、その1本1本が「ファンの皆さんとの大切な時間でした」と言い切ります。「引退とは言いません。だからいつかまたお会いしましょう」。昭和・平成・令和と、歌謡界のトップアーティストとして走り続けてきた歌姫がこの日、歌人生の大きな区切りを迎えて、「感謝、感謝」と笑顔でマイクを置きました。

 なおこのラストコンサート「髙橋真梨子concert FINAL 2024~2025EPILOGUE」の模様は、7月27日(日)午後4時から2時間、WOWOWにて放送されました。私も十分に堪能しました。♥♥♥

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夜鳴きそば

◎週末はグルメ情報!!今週は夜鳴きそば

 国内外に96ホテルを展開するビジネスホテルチェーンの「ドーミーイン」。コロナ禍が明けた2023年からその業績は右肩上がりに伸びて、平均客室稼働率は8割を超えているそうです。私も時々利用することがあるのですが、このホテルの目玉が夜の「夜鳴きそば」(無料)です。

 こちらの代名詞の「夜鳴きそば」は、21時半~23時の間、何杯でも無料で食べられる「ドーミーイン」オリジナルの夜食です。23時以降にチェックインしたお客さんには、「夜鳴きそば」の味に近いオリジナルカップ麺「ご麺なさい」を希望があれば無料で渡しておられます。「夜鳴きそば」は出張族への認知度が高く、宿泊客の約4割が利用する人気サービスです。クセのないすっきりとした醤油風味が幸いして、全体の約2割を占めるインバウンド客にも好評だといいます。それも、慣れない手つきながら、スープやフォークではなく箸で食べています。つまり「夜鳴きそば」は、広告塔としての機能も果たしているのですね。

 そもそも「夜鳴きそば」とは、夜間に屋台で調理・販売されるラーメンのことです。「夜泣きそば」と表記される場合もあります。また広い意味で、深夜に食べるラーメン全般を指すこともあります。その由来には諸説ありますが、一番有力なのは、江戸時代の「夜鷹(よたか)そば」が語源とする説で、今から300年前の江戸時代中期に夜間営業する屋台の蕎麦売りが出現し、夜鷹と呼ばれていた街娼が好んで買っていたからか、「夜鷹そば」と呼ばれるようになりました。「夜鷹そば」は、客に到来を知らせるために屋台に風鈴を付けており、それがチリンチリンと鳴ることから「夜鳴きそば」と呼ばれるようになったというものです。屋台で販売していたそばは、時代を経てラーメンになり、風鈴はチャルメラのラッパに変わっていきました。もう一つの説は、屋台の居場所を知らせるチャルメラの音がもの悲しく泣いているように聞こえることから「夜泣きそば」と呼ばれるようになったというものです。以前島根県立津和野高等学校に勤めていた頃、毎週末になるとチャルメラの音を鳴らしながら軽トラックの「夜鳴きそば」が教員住宅の方に回ってくるのが楽しみだったものです。懐かしい!最近ではこんな光景はめっきり見なくなりました。

 「夜鳴きそば」の人気の理由はどこにあるのでしょうか?無料というお得感も強いのですが、支持されるのは圧倒的にその味だと思います。チャルメラ屋台を連想させるあっさり味の醤油スープは、深みがあり、オーソドックスな「中華そば」そのもの。レシピは、ニンニクなどの隠し味を加えた醤油ベースを、鶏ガラスープで割っています。トッピングは、メンマ、あおさのり、ネギとごくシンプルな構成です。ときには、「お月見の日の卵のせ」「エビ天をのせた年越しそば」など、季節のイベント的なレシピが登場することもありますが、基本は全国で同じ味、同じ盛り付けで提供しています。出張のビジネスマンのためのホテルであった「ドーミーイン」の宿泊客は、仕事を終えてホテルに戻って、部屋にこもったまま一人で過ごしていました。近隣に飲食店やコンビニがないため、深夜にお腹を空かせたこうしたお客さんのために、レストランの厨房を使って無料ラーメンを提供し始めたのが原点でした。すでに退職した当時の総料理長が大のラーメン好きだったことで、彼が「ドーミーイン」用に新たに開発しました。

 「夜鳴きそば」は、約16年前2009年のスタートからマイナーチェンジはしているものの、大きくは変えずに味を守ってきました。大切にしているのは、夜食として重すぎず、万人に愛される味です。最初は塩味や味噌味も試しましたが、最終的にはシンプルな醤油味に落ち着きました。鶏と豚を調理したスープはその総料理長の好みの味でもありました。スタート当初はチャーシューが入っていたり、まぜご飯を一緒に提供するサービスも行っていたそうですが、「重たい」「カロリーが高い」といった理由で、だんだんとなくなったと言います。材料は、朝食材料を卸している業者の協力を得て、鮮度や品質にこだわって仕入れています。そのため、無料サービスとはいえ、原価は決して安くはありません。その理由を問うと、「お客様のお喜びいただけるサービスになりますので、そこは考えずに何杯でも」と、こともなげに担当者。価格よりも顧客満足度を優先しているのです。

 そもそも、「夜鳴きそば」はどのようにして誕生したのでしょうか。ドーミーインでの提供スタートは2009年に遡ります。始まりは、リゾートホテルを展開する別事業「共立リゾート」にありました。「笑顔という第一印象でお客様にインパクトを与える」が接客の基本「共立リゾート」のホテルでは当時、入れ替わり二部制の夕食提供スタイルをとっていたといいます。すると17時、18時から食事をする「一部」のゲストが、どうしても夜中に小腹がすいてきます。そのため提供していたのが「夜鳴きそば」だったのです。しかし、これを「ドーミーイン」でも導入した理由は「小腹を満たすため」ではありません。「人と人との触れ合いの場の提供」に重きを置いたからです。「ビジネスマンは、どうしても朝食やチェックアウトまで、お部屋に閉じこもって過ごしがちですよね。夜鳴きそばをレストランで出すことによって、そのスタイルを変えられたらと。お部屋を出て、スタッフやそこに居合わせた人々と、ほんのひと時でも会話を楽しんでいただけるきっかけになるのでは……」という思いでした。「夜鳴きそば」が、無機質になりがちなホテル滞在に彩りを添えてほしい、そんな狙いがあったのです。しかしコロナ禍が襲い、突然にインバウンド需要が消失したように、浮き沈みの激しいホテルビジネス。これまで、経費のかさばる「夜鳴きそば」サービスをやめようという声は上がらなかったのでしょうか?「さきほどの原価の件もそうですが、お客様が喜んでいただけるサービスを提供することが、私たちの使命だと思っています。そして、どうせやるのであれば、“お一人様何杯まで”などと制限をつけず、原価や手間をいとわないのも社風です」(担当者)。

 元々「ドーミーイン」の歴史は1979年、受託給食事業から始まりました。その後、寮の経営に乗り出し、長期滞在が基本の寮に対して、「出張で1泊だけ使えないか」という社員からの要望があったことがホテル経営のきっかけになりました。体制を構築していくなかで、「非日常の堅苦しい場所」というよりも、「寮や家と同じ感覚で、ゆっくりとくつろげる場所」を目指すビジョンが固まっていきました。そうして、「我が家のような寛ぎと快適性」「ドーミーイン」のコンセプトになったのでした。

 これまで、ほぼ同じ味を15年間守ってきた「夜鳴きそば」。社員は出張の際ドーミーインに泊まり、味の確認も含めて必ず食べるそうです。毎回食べることで、些細な変化にも気が付けるからです。ただ、中には食べ過ぎて、すでに飽きているという人もいるとか。今後、何か新しい展開は考えているのでしょうか。尋ねると、「ゆくゆくは、さまざまな味を提供しようという声も社内にはあります。ただ、そうすると今喜ばれているコンセプトがぶれてしまう可能性もあります。ですから今はまだ、基本の醤油味を大切にしていきます」と担当者は説明しています。愛されるサービスは、簡単には変えないという矜持。そこにドーミーインのホスピタリティの原点があるのかもしれませんね。

 夜食ですから、翌日に響かないように、麺は半玉、スープはあっさり、具材もメンマ、あおさのり、ネギとシンプルな構成ですが、一つひとつの具材、麺からこだわって開発しており、全体のバランスもしっかりと考えています。ボリュームとしてはちょっと少なめですが、一杯で足りない場合は、おかわりも自由にOKの大盤振る舞いです。私の前に並んでおられたアメリカ人は二杯注文しておられました(係の方がこの英語を理解するのに四苦八苦しておられましたが)。私が食べ終わり会場を去る時には、長蛇の列が出来上がっていました。大人気ですね。

 ちなみに、この「夜鳴きそば」の他に「ドーミーイン」では、数々の無料サービスが受けられます。入館時にウェルカムドリンクが飲み放題です。お部屋ではウェルカムスイーツのサービスが。天然温泉のお風呂上がりには15~25時の間はアイスが、5~10時の間はヤクルトが提供されます。お風呂上がりの火照った体には最高のサービスです。♥♥♥

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逆ピラミッド

 ハーバード大学で日本文学(専門は松尾芭蕉井原西鶴)を教えておられた故・板坂 元(いたさかげん)教授の書かれたものを広く読み漁っていた時期があります。先生は学生時代から英語には全く縁がありませんでした。高等学校ではドイツ語のクラスにおられたので、辞書を引いて英語を勉強したのは中学校の五年間だけです。偶然に英国に行くようになった時、前任者の「日本でする英語など畳の上の水泳とおなじだ」という言葉をいいことにして、下準備を全くされませんでした。出発の日に書店に行ってコンサイスの英和と和英を買ったくらいですから、英語は絶望的にできませんでした。それでも英国に三年間いてアメリカに渡る時には、テレビのニュースくらいは聞きとれるようになってはいました。ところが、アメリカに渡ってみると、英語が全く聞きとれないのにはガクゼンとされます。一般にアメリカ人の方が英国人よりもずっと速くしゃべるようで、特にテレビやラジオのニュースは三倍くらいの早さに感じられました。初めは、センテンスの切れ目も全く分からないほどで、夜逃げでもしたくなる気持ちというのは、ああいう時の心の状態を言うのであろう、と回想しておられました。その板坂先生がアメリカで暮らし始めた頃のお話が、とても勉強になります。『考える技術・書く技術』(講談社現代新書、1973年)に挙がっていた話です。

 ところが、そのころふと逆ピラミッド型のことを思い出した。われわれ日本人はピラミッド型の文に馴れている。つまり、どうでもよいことからはじまって大事な内容は文末の方に出てくる。そのため、日本語を聞くときは、生まれたときから文末に注意を集中するようになっている。それに対して、英語の方は逆ピラミッド型で、文のはじめに重要な主語・動詞があらわれて、文末に行くにしたがって些末な内容になる。だから、英語に馴れるためには、ヒヤリングの型をピラミッド型から逆ピラミッド型に切りかえねばならない。そう思って、まずラジオを聞きながら、文の切れ目だけを確認する練習をした。これにある程度馴れてきたら、つぎに文のいちばんはじめの語だけを聞きとる練習をする。それができるようになったら、今度は一番目と二番目の語をいっしょに聞きとる努力をする。こういうふうにして、だんだんと聞きとる語数を増加して行った。どれくらいかかったかは覚えていないが、二ヵ月くらいでいちおうは聞いてわかるくらいにはなることができた。
 これが最上であるかどうかは別として、相当に成果があがるものである。わたくしの日本語は聞きやすいとアメリカ人からよく言われるが、右と反対に日本語を話すときに、文末をゆっくりと、しかもはっきり発音するように意識して話すので聞きとりやすいのだと思う。日本語では普通この逆ピラミッド型の文型で話すときに、文末をはやく不明瞭に話す。それが自然の話し方のスピードとなっている。ところが、日本学の権威といわれ、日本語がペラペラといわれている人をつかまえて、何人にも文末をはやくしゃべる、つまり自然なスピードで話して実験してみても、ほとんどの場合通じなくて聞き返される。ヒヤリングの型が身についていないためであろう。われわれ日本人にとっては、これと、まったく反対のことが英語についていえるのではあるまいか。

 もし、日本で英語教室を開くとしたら、わたくしは逆ピラミッド型の練習を徹底的に行なうカリキュラムを組むだろう。はじめは、ことばなしに、タンータン・ターンといったリズムを練習させて、そのはじめのタンに当る語の聞きとりから聞きとる、というふうにすれば面白い英語教室になると思う。現在、日常の英語にこまることはないが、疲れたときや話に興味をおぼえなくなったときには、今でも気がつかないうちに文末ばかりを聞いているほどだから、この型練習はちがった言語体系のことばを練習するには基本的なトレーニングではないかと思う。とにかく劇や詩の朗読のレコードを、何回もくり返し聞いて、そのころは練習したものだった。
 そのつぎに、わたくしが気がついたことは、知らない単語が出てくると一瞬ドギマギしてそのあとの文を聞きのがす癖が自分にあることだった。ハッと思ってその単語の意味を考えているうちに、相手の文はどんどん先へ進んでしまう。これを防ぐために、知らない単語があっても構わずに文を先へ先へと聞いて行く練習をはじめた。単語の一つや二つ知らなくても、これは印刷が悪くて字がかすれている文や活字の脱落した文を読むようなものだし、あるいは調子の悪いラジオを聞いているようなものだ、ということを何度も自分に言いきかせて、とにかく文の終りまで聞くことにした。その単語がたとえキー・ワードであっても、そのつぎの文、つぎのつぎの文と聞いていれば、全体をとらえることはできる。これはむつかしいようで、やってみると案外にはやく馴れるものである。
 この方法は、英語の文を読むときも、わたくしは実行している。新しい単語が出てきてもそこで辞書を引かない。少くともパラグラフ全体は中断しないで読む。それでわからなければ、もういちど読みなおす、というふうに頑張って、できるだけ辞書を引かない。もちろん、一言一句をゆるがせにせず、辞書を何冊もしらべて読むこともなくはないし、けっしてわるいことではない。けれども、話を聞いたり本を読んだりするとき、思想の流れを中断するのは、ぜったいによくないと思う。とくに、日本人の場合、文法はアメリカ人よりずっと知っている人が多く、読む能力は相当に高いのだから、この方法は実行しやすいはずである。

 英語の勉強を志す人には実に有用なアドバイスです。英語は大切なことを最初に言います。そしてその説明が次に続きます。日本の落語ではまず世間話などのマクラをふって、耳に馴染んだところで止めて本題へと噺は次第に熱を帯びていきます。つまり後の方になればなるほど大事なことが語られます。これこそが日本語の特性でもあります。つまり英語と日本語は正反対ということです。これが分かるだけで、ずいぶんと読みが違ってきます。私がこれに加えて生徒達に強調しているのは、英語は「抽象⇒具体」に流れること、そして前に出た言葉を違う言葉で言い換えていくという特徴です。♥♥♥

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