益川博士の英語嫌い

 故・益川敏英(ますかわとしひで)教授(~2021年、享年81)が、2008年にノーベル物理学賞を受賞された際に、メディアから感想を求められて、「大してうれしくない。ノーベル物理学賞が欲しくて研究したわけではない」と言ってマスコミで大きな話題になりました。「あれはね、本当に腹を立てていたんです。あの時ノーベル財団から電話がかかってきて、『1時間後に世界に発表しますから受けてもらえませんか』と言うんです。いちおう『ありがとうございます』と言って電話を切ったんですが、だんだん腹が立ってきてね。賞というものは普通、数日前に内定を報せ、受けてもらえるかどうか返事を待つものでしょう?1時間後に発表なんて、受けて当然、辞退する人なんかいないでしょと言っているふうに聞こえました。だからつい、『大してうれしくない』と口に出たわけなんです。」私はこの話を聞いた時、ちょっとひとクセのありそうなこの偉大な研究者に、とても興味を抱きました。この愛すべき益川さんに「忙しい毎日でしょう」と話を向けたら、益川さん曰く「時間がないなんて言う人がいるけど、誰でも時間はいっぱいあるんだよ。勉強と恋愛の両立なんてできないなんて、そうじゃない、もっと勉強したくなるような恋愛をすればいいんだ」やはり普通の人とはひと味もふた味も違います。

「I’m sorry, I can’t speak English.」

 2008年12月8日、スウェーデンストックホルム大学で開かれたノーベル賞受賞者の記念講演の会場。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授は、演説の冒頭をこのように始めました。聴衆からは笑いが広がりました。すでに「英語のできない日本人学者」の話は、現地でも話題となっていました。続いて益川教授は日本語で演説を行い、聴衆は彼の後ろに映っている英語の字幕を懸命に読み下しました。

 これに先立ち、益川教授は、ノーベル賞受賞者に決まった後、英語での演説が慣例となっている授賞式で英語をしゃべらなければならないのなら、自分は行かないと宣言しました。すると、ノーベル賞委員会は、授賞式で日本人受賞者の演説を日本語で発表できるように配慮しました。だからといって、益川教授は全く英語が分からないのではありません。英語の論文を滞りなく読み、問題点まで指摘できる、いわば「机上の英語」なのです。当時の報道によると、海外に渡ったこともなく、パスポートも持っていなかったといいます。海外から招かれた講演や授賞式にも出席したこともありませんでした。しかし、興味あることにはとことん向き合い、素粒子物理学の分野で宇宙誕生の謎を解明する先駆的な理論を提唱して、素粒子の研究に大きな貢献をされました。いくら英語を運用するスキルに優れていようとも、語る内容を持たなければ何も語れないのと同等だ、ということを感じさせてくれるエピソードでした。

 益川教授は授賞式の後、あるインタビューの席上で、当時のパーティー会場であった出来事をこのように伝えました。「世界的な学者らを目の前にしていても話し合うことができず、非常に残念だった。英語がうまければそれに越したことはない」さらに益川教授は、「若者は絶対英語を喋るべきだ」と訴えました。国際化時代に英語ができなければ、自ら孤立するのと同じだということです。しかしその彼も、インタビューで、今後は英語の勉強をするつもりなのかという質問に対して「この年になって、どうして?」という反応を示していました〔笑〕。

 先生の英語嫌いは中学1年生の時からで、授業中に担当の先生に当てられた時に、単語・マネー(money)『モーネー』と読みました。するとクラス中が大爆笑に。先生までもが『モーネーか。確かにお金はすぐなくなるよな』とからかいました。それですっかり「英語は性に合わん!」と捨ててしまったのです。益川先生はその後ずーっと英語は苦手。でも英語の論文を人に訳してもらっていては商売にならないから〔笑〕、読むほうはできました。けれど、喋ったり書いたりはできません。論文は誰かを共著者にして書かせました〔笑〕。

「これから科学者になろうとする人は、そうはいかないでしょうね。かつて我々の学生時代はクイーンズイングリッシュでないといけないとされていたけれど、今では国際学会に行ってもインドなまりでもブラジルなまりでも、みんな平気で英語をしゃべってるから、日本人も下手でも気にしないでしゃべればいいんですよ」(益川談)

 子どもの頃は、勉強はせずに、面白いことには目がなくて、宿題なんかやっている暇はありませんでした。「子どもの頃は勉強はしなかったね。だって遊んでいるほうが面白いじゃない〔笑〕。宿題は信念を持ってやらなかった。一度、母が学校に「ちゃんと息子に宿題を出してください」と言いに行ったことがあって、先生に「毎日出していますが、敏英くんがやってこないだけ」と言われてバレた〔笑〕。怒られたけど、廊下に立たされるくらいたいしたことないよ」ノートはいつも真っ白。何も書き込むことはありませんでした。とにかく夢中になって遊んでいたそうです。もともと父親が科学好きで、銭湯からの帰り道に「月食はなぜ毎月起こらないか分かるか?」月の満ち欠けやモーターがなぜ回るのか、などいろいろなことを話してくれたので、科学に興味はありました。小学校の時には本の魅力に目覚めて、図書館で『十五少年漂流記』芥川龍之介や少年向けの江戸川乱歩などを夢中になって読むようになりました。本は子どもの頃から大好きで、誰より先に本が読めるからと、自ら立候補して図書委員になっています。高校生から古本屋をめぐり、数学の専門書を買ったりもしていました。当時の日本は数学の導入期だったので、「この学問がなぜ必要か?」というところから書いてあって面白かったと回想しています。決定的だったのは、高校1年生のある日、後に恩師となる名古屋大学の故・坂田昌一教授が世界的に画期的な学説・素粒子のクォークモデルの前身となる「坂田モデル」を発表したという記事を読んだことでした。科学は欧米のものだと思い込んでいたところが、こんな身近で世界的な研究が出来るんだということに目を見開かされたのです。自分の町で起きた大発見に興奮して、「ぜひ見学させてもらいたい。名古屋大に行きたい」と奮い立ちました。「自分も名大に入り、この先生と一緒に研究できたらどんなにいいだろう」とひそかに思ったといいます。それで、大学に行こうと思って、猛烈な受験勉強を始めたのでした。

 父は家業(家具工場→砂糖販売)を継げ、と圧力をかけてきましたが、継ぎたくなくて、食事時には父とけんか。母親が間に入ってくれて一度だけ受験を許してくれました。幼い頃のお父さんとの思い出があります。近くの銭湯には必ず父子一緒に行き、お父さんは湯船に浸かりながら、まだ小学生だった息子にいろいろなことを教えました。学校では習わないような難しいことを。いつしか益川さんも友達の中では抜きんでて物知りになりました。この父と子の“銭湯講座”が偉大な物理学者・益川敏英の原点とも言えるでしょう。さて、どうやって大学に受かろうかと考えた時に、英語を捨てて他で90%近く取ればいいじゃないか、という作戦を立てました。物理や数学の勉強は面白いから、自分にとっては遊びみたいなもの。作戦勝ちで、予想通りの点はとりました。試験問題も記述式が多かったのが自分には合っていたようです。ただ、大学に入ってからもドイツ語の試験は全部白紙。大学受験の時は総合点判定だったからよかったのですけれど、大学院に上がる時は、さすがに「こんな学生を通していいのか?」と議論があったらしいのですが、擁護してくれた先生がおられて助かったようです。

 「僕がいつも言っているのは、科学者も憧れとロマンを持て、ということです。時代のせいかもしれないけど、はちゃめちゃな子供がいなくなったね。先を見過ぎて、夢が小さくなっている。科学者だって、ドン・キホーテが騎士に憧れるように、野球少年がイチローに憧れるような夢をもちたい。そしていざやってみると、自分の予想と違うことがいっぱい出てくる。そこでいろいろ修正を加えていく。そうやって少しずつ、夢に近づいていく――でも、英語は大事だよ〔笑〕。」

 私の尊敬する鎌田 實(かまたみのる)先生(諏訪中央病院名誉院長)は、「苦手なことも魅力に変えてしまう人間性にとても惹かれました。人間はいびつであったり、とんがっていたり、クセがあったりするくらいのほうが面白いとぼくは思っています。」と語られました(「自分らしさの磨き方」『理念と経営』9月号、2025年)。本当にそう思います。♥♥♥

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東大寺の「お水取り」始まる

 歴史と伝統が息づく街、奈良。そんな奈良で1200年以上にわたって続く春を呼ぶ東大寺二月堂の伝統行事「お水取り」が始まりました。この「お水取り」が終わると奈良に春が訪れるといわれているほど、奈良では定着している伝統行事で、公開行事「お松明(たいまつ)」は多くの拝観者でにぎわいます。

 東大寺二月堂修二会」(お水取り)は、奈良で最もよく知られた年中行事ですね。3月1日からの2週間、「修二会」(しゅにえ)は、奈良時代の天平勝宝4年(752年)に始められて以来、さまざまな危機を乗り越えて、以来一度の中断もなく続けられており、今年はなんと1269回目を迎えることとなりました。私は生で念願の「修二会(しゅにえ)」を見る夢が叶いました。⇒私の現地レポートはコチラです  午後7時頃、童子と呼ばれる世話役がお松明を担いで舞台に現れると、周辺に集まった大勢の参拝者たちが、赤々と燃え盛る炎に見入ります。闇夜に火の粉が降り注ぎ、拝観客から歓声がわき上がります。私はこの行事を歌ったさだまさしさんの「修二会」という歌が大好きなんですが、生で「お水取り」を見てから、この歌の理解が一段と深まったような気がしています。「修二会」は、東大寺での境内にある「二月堂」という国宝のお堂で営まれる法要のことです。2月20日からの前行、3月1日から14日の本行を合わせると約3週間続きます。東大寺や同じ華厳宗の末寺から選ばれた錬行衆」(れんぎょうしゅう)という10人の僧侶が、俗世間から離れて集団生活を送り、お堂で1日に6度の祈りを繰り返します。「二月堂」の十一面観音に、 社会や人々が犯した罪を懺悔し、「五穀豊穣」「天下泰平」を祈念する儀式です。

▲東大寺二月堂

 「お水取り」は年に一度3月13日未明、錬行衆の中でも選ばれた者のみが、二月堂」の階段を下って「若狭井」(わかさい)と呼ばれる井戸から「お香水」(こうずい)を汲み上げて、二月堂本尊の十一面観音に供える儀式です。「二月堂」に入った僧が走る沓音もドンドンと響き渡ります。 さださんの歌詞にある「五体投地」(ごたいとうち)「達陀」(だったん)も儀式の一つです。達陀」「二月堂」の内陣で松明を地面にたたきつける儀式です。これも歌詞にある「青衣の女人」(しょうえのにょにん)は、「修二会」で過去帳(東大寺に縁のある人の名が書かれたもの)を読み上げていた時に、「なぜ私の名を読み上げてくれないのか」と現れたと言われる、青い服をまとった謎の幽霊のことです。さだまさしさんの歌は、寒い中行われる「修二会」の荘厳な雰囲気と感動、それに絡めて女性(思いを寄せているのか、特別な存在の女性?)の神秘的な様子を表現した歌と思います。

 3月12日夜、本行中に毎夜灯されるたいまつの中でも、最も大きな「籠松明」(かごたいまつ)が登場しました(写真上)。長さ約8メートル、重さ約70キロもある「籠松明」が11本登場すると、お堂の下に詰めかけた約1万人の参拝者からは、どよめきと歓声が上がります。私も昨年、炎で真っ赤に染まったお堂で、この歓声を上げた一人でした。午後7時半頃、「練行衆」11人を補佐する「童子」(どうじ)11人が「籠松明」を1本ずつ担ぎながら、「二月堂」に先導します。その後、「籠松明」「二月堂」の舞台の欄干から突き出したり、激しく回転させたりしながら走り、豪快に火の粉を降らせます。たいまつから出る火の粉は粉雪のように舞い散り、闇夜の境内に消えていきます。この火の粉を浴びると1年を無病息災で過ごすことが出来るとの言い伝えがあります。私もこの火の粉を浴びるために、数時間もじーっと待ち続けたものです。私が参拝した前󠄂年まで、新型コロナウィルス対策として拝観制限を設けていたので、籠松明の公開は4年ぶりでした。荘厳な炎が参拝者らを魅了しました。

★さださん、お松明を被災地に!!

 大好きなさだまさしさんが、この「お水取り」のことを、岩波書店『図書』2、3月号(2019年)に2回に渡って書いておられました。さださんは1980年の秋、「東大寺大仏殿昭和大修理落慶記念法要」の際に大仏殿でコンサートを奉納し、2010年には「光明皇后1250年御遠忌」に、30年ぶりに再び大仏殿でコンサートを奉納しておられます。その御縁もあり、さださんは幾度も「修二会」への参籠をお許しいただいておられます。その経験を歌にしたものが名曲「修二会」です。さださんと友人が、東日本大震災の被災地の人々に元気を出してもらうために、「修二会」に復興祈願のお松明を奉納しよう、そして奉納したお松明を御用後に被災地に運ぼうということになり、東大寺別当北河原公敬師にご相談申し上げたところ、松明が東大寺の外に出された例はこれまでにないけれど、そういうことならと快諾してくださいました。二月堂に上がったお松明を、友人が翌日、気仙沼に向かい夜通しトラックを走らせました。13メートルの長さのお松明をトラックに積んで高速道路を走っていると、パトカーに停止を命じられます。「あなたは車体をはみ出すような長いものを積む場合の原則を知っていますか?」と聞かれたので、「はい、ちゃんと一番後ろに赤い布を結んでありますけれども」と胸を張って答えます。すると警察官から「高速道路上では布では駄目だ、殊に夜は危険なので赤いランプを点けるよう義務づけられている」と叱られ「第一、一体その荷物は何で、何の目的で何処へ行こうとしているのか?」と職務質問。友人は上記の事情を説明し、明日行われるさださんの気仙沼のコンサートの会場に朝までには辿り着き、開演までにはロビーに飾り付けたい旨を告げました。すると警察官は共感してくれ「よし、わかった。では僕の赤ランプをこの竹の先に付けてあげるから気をつけて行ってください。このランプは僕の私物だから君に差し上げる」と励まされたと言います。こうして温かいおまわりさんの善意に護られ、お松明は無事にコンサート会場に着いたのでした。「おまわりさんの善意です。良き心の連鎖は繋がるのです」 さださんが奉納した復興祈願の「東大寺のお松明」は、その後もいくつかの被災地へ運ばれ、災害に疲れ果てた人々の心を照らしてきました。こうしておまわりさんの赤いランプは、今も友人のトラックの最後尾に点り続けているそうです。いい話ですね。以下はさださんの言葉です。

 2012年から、僕は東大寺様にお願いをして、二月堂修二会の練行衆上堂の際に上がるお松明を「復興祈願」の願いを込めて奉納しています。東日本大震災の被災地へ毎年お届けしています。災害の多い国ですから、毎年大切などこかの町で苦しむ人があります。何の役にも立たないけれど、精一杯応援することだけ、忘れないでやって行きます。まだまだ仮設住宅で暮らす方々があります。まだまだ故郷に帰ることさえ出来ない人々があります。「忘れない」「応援し続ける」事だけが僕らに出来ることです。力を合わせて応援しましょう!!! (「まっさん旅日記」3月17日)

 「修二会」東大寺大仏の開眼の年でもある奈良時代の天平勝宝4年(752年)から始まり、大火事で伽藍が焼け落ちても続けられてきた不退の行法で、2026年で1,275回を数えます。

 この行事を歌ったのが、さだまさしさんの「修二会」(しゅにえ)です。下の映像は東大寺の奉納コンサートで歌われたもので、宅間久善(たくまひさよし)さんの姿が実に勇壮で格好いいです。♥♥♥

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練習は嘘をつかない?

 以前に「努力は必ず報われる」という言葉の注意点を述べたことがあります。二つの点で注意が必要です。やみくもにいくら努力してもいい結果は生まれないことは、私が毎年悪銭苦闘している受験の世界でも日常茶飯事のことです。努力すれば必ず結果が出る、などと安易な思い込みで受験生活を送ってみても、思うような結果が得られない人は今まで山のように見てきました。まず第一に、この言葉には但し書きが必要で「正しい努力をコツコツと積み重ねれば努力は必ず報われる」としなければいけません。間違った努力をいくら続けても、効果はありません。努力逆転の法則」(エミール・クーエの法則)というのもあるくらいですから(⇒私の解説はコチラです)。これは、簡単に言うと、頑張れば頑張るほど、その努力とは正反対の結果になってしまうという法則です。「あがらないように、あがらないように」と思うと余計にあがってしまう、好きな人の前で普通にふるまおうとすればするほど動作や態度がぎこちなくなる、テスト翌日への緊張感でどうしても眠れない時に、無理に寝ようとすればするほど目がさえて余計に眠れなくなる、などがこの法則に当てはまりますね。長い間教員をやっていますと、これだけ頑張っているのに結果が出なくて悩んでいます、という相談をよく受けます。努力にこだわりすぎると、それが結果に反映されないどころか、逆効果さえ生んでしまうこともあるのです。これは「自己暗示」の結果です。自己暗示には「意思と想像が争った時、常に勝利を収めるのは想像」という法則があるのです(エミール・クーエの法則)。「あがってはいけない」(意思)より「あがるだろうな」(想像)の方が強いということです。こういう時には発想を転換して、意思を「あがってもいい」と思うことで、心が落ち着きますよ。いずれにしても正しい努力をコツコツと積み重ねることが大切です。受験勉強でも、模試を沢山受けては受けっぱなし、問題集・参考書に次から次から手を出してはいずれも途中で放り出す、点さえ取れればそれでいいという姿勢、定期考査・課題テスト・対外模試・毎日の小テストを「やりっ放し」にする、読解の予習は訳して終わり、問題集をたくさんやれば力がつくのだ、こうした練習をいくら続けても成果にはつながりません。こういった生徒を毎年山のように見てきました。

 巨人の二軍監督を電撃退団して、オイシックスのCBOに就任した桑田真澄さん(57歳)が(阿部監督の指導方針とは合わなかったのだと私は見ています)、「練習練習練習はうまくならない」として、「練習して、栄養を取って、睡眠、休養ですよね。寝てる時に筋肉が再生し、強くなり、練習した技術を脳や神経が覚えていく」と語り、育成ワードは「サイエンス」「バランス」「リスペクト」の3つだとしました。センター試験時代から私が言い続けていることですが、問題を数多く解くだけでは力はつきません。各大問の狙いをよく理解し、解くための戦略を自分なりに身につけ、時間配分にも配慮する、こういったことを大切にしなければなりません。

 そして二つ目の注意事項です。努力には即効性はない」という点です。頑張っても結果が出ないとすぐに諦めて放り出してしまう。受験生にもたくさん見られます。すぐに結果が出るはずはないのです。受験勉強では、最低でも3ヶ月は頑張り続けないと結果は現れ始めません。このことをよく理解して、根気強く努力を続けることが大切です。成功の秘訣は成功するまでやること」と喝破したのは、尊敬する松下幸之助さんでした。

 日々の努力を続けられないのは、どこかで努力の効果がすぐ表れると期待しているからだ。今日、素振りをしたからといって、明日打てるわけがない。地道な努力を続けるうちに、じわじわとその効果は表れるものだ。(野村克也『言葉一つで、人は変わる』(詩想社新書、2016年))

 「努力」を辞書で調べると「ある目的のために力を尽くして励むこと」とあります。あのイチロー選手「努力」について語っていたことがあります。「これまでに、これだけは絶対誰にも負けていないと胸を張って言える努力って何ですか?」と質問されたイチロー選手は、次のように答えました。「高校の時に寮に入っていた3年間、僕は寝る前の10分間素振りをしていました。そしてそれを1年365日、3年間欠かさず続けました。それが僕の誰にも負けないと思える努力です」この言葉を聞いたイチロー選手の高校時代の先輩は、「10分間の素振りね、あれは最低10分だからね。やり続けると1時間でも2時間でもやっていましたよ」イチロー選手が考える努力とは、「自分が決めたことをやりぬくこと・やり切ること」でした。「やれることはすべてやったし、手を抜いたことはありません。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っています」(2002年シーズン終了後にシーズンを振り返って語った言葉)。いくら努力をしたと自分では思っていたとしても、たいていその努力は裏切られます。努力をすることで、自分の夢が簡単にかなうほど世の中は甘くありません。いやそれどころか、いくら努力を重ねても、かえって前に進めなくなることの方がはるかに多いのです。努力というのは、本来自分を磨くことなのです。努力は結果を保証しません。だからこそ、「努力の質」が求められるのです。

 またSNSで、ダルビッシュ有投手があの二刀流・大谷翔平選手を表してこう語っていました。

「ホームランがすごい。ピッチャーもできてすごい。もちろんそう。でも、僕が見てるのはそこじゃない。その裏でやっていること。その裏でどんなトレーニングをやっているか。どんな栄養をとっているのか。トレーニングの組み方、栄養の取り方、そういうところを見ている。それを知っているから大谷くんがすごいホームランを打っても驚かない。だってそのための努力をしているから。」(ダルビッシュ有)

 ダルビッシュ選手の考える努力とは、「成果を出すための行動の積み重ね」であり、「すぐに結果が出ないことへの行動の積み重ね」と言えるのではないでしょうか。イチロー選手ダルビッシュ投手「努力」の考え方を併せると、「努力」とは「すぐに結果が出ないことに対してでも、自分が決めたことをコツコツとやり抜き、行動を積み重ねること」と言えそうです。「努力は裏切らないのか?」に関して、ダルビッシュ投手は語っています。「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」この発言、「練習」という言葉を「努力」と置き換えても良いのではないかと思います。「努力」の方向性が間違っていては、無駄になることもあると解釈できるでしょう。尊敬する経営コンサルタントの小宮一慶(こみやかずよし)さんはこのように述べておられます。

 「サッカー選手が野球の練習の努力をしてもサッカーはうまくならない。サッカー選手は、サッカーの練習をする努力が必要。経営も一緒。営業がうまくなる努力をしても、経理がうまくなる努力をしても、経営はうまくならない。経営という独立した仕事があり、経営とは何かを理解して、そのための努力を積み重ねなければ、経営はうまくならない。」(小宮一慶『経営者の教科書(改訂版)』(ダイヤモンド社、2025年))

 大リーグのヤンキースで活躍した松井秀喜(まついひでき)選手が、あるテレビ番組の中で次のようなコメントを残しておられ、とても印象に残りました。

「自分ががんばっていると思っていなくても、他人がすごくがんばっていると思う状態。これが良い状態だと思います。」

 この松井秀喜選手の言葉から、「努力は周りが決めること」であり、いくら自分が努力していますと言っても、周りからすごいと思われなければ努力のうちには入らないのだということです。努力していると自分で思っているうちは、なかなか成果にはつながらないものなのかもしれません。努力をしている本人は、おそらく努力をしているというような感覚を持ってはおらず、そこに悲壮感はなく、現状を良くしよう・状況を良くしようという方向にひたすら行動しているだけ。でも周りはその姿を見て、すごい努力をしていると感じるということではないかと思います。♥♥♥

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文脈の大切さ~「よってたかって」?

 朝の5時にテレビでNHKニュースを見ていましたら、京都アニメーションの社長がお亡くなりになったことを知らせていました。京都アニメーションを国内有数のアニメ制作会社に育て上げた方です(2019年の放火殺人事件で36人が犠牲に)。そのニュースの中で、「皆さんに楽しんでいただけるようによってたかって作品を作ってまいります」というようなことを言っていました。今何て言った?「よってたかって」? 違和感があります。天下のNHKがこんな日本語を使うようになったのか?!嘆かわしい。私の語感では、「よってたかって」というのは、「大勢で力を合わせて一斉に何かをする」やや乱暴で感情的な雰囲気の漂った表現です。「子どもたちが一人をよってたかってからかう」とか「みんなでよってたかって非難する」のように否定的な文脈で使うのが、私の自然な使い方です。少しネガティブで騒がしい印象があります。上記のニュースのような言い方では、大勢で取り囲んでみんなでガヤガヤ作るというイメージです。弔事に関する表現としてはふさわしくない気がしました。さらには「作ってまいります」という丁寧な言い回しと「よってたかって」の荒っぽい語感がちぐはぐな感じがします。もう少し丁寧な言葉を使うことはできなかったのでしょうか??

 そんなことを考えながら、ネットニュースで公式発表を見てみました。原文は次の通りでした。

 弊社代表取締役社長 八田 英明(はった ひであき)が2026年2月16日に逝去いたしました(享年76)。生前のご厚誼に深く感謝いたしますと共に、謹んでご通知申し上げます。

 故人は、1985年の弊社設立から四十余年にわたり「よってたかって作る」を合言葉に、真摯なアニメーション制作を軸とした人を大切にしたエンターテインメント企業を志し、社長の任を果たしてまいりました。
 八田英明の後任には八田真一郎が就任いたしました。社員一同、故人の想いを受け継ぎ、これからも世界中の皆さまに楽しんでいただける作品をよってたかって作ってまいります。

 うかつでした。今回の文章には、(1)故人が掲げていた理念として「よってたかって作る」があること。(2)それは会社の文化・スローガンとしてしっかりと定着したものであること。(3)故人の想いを継承するという流れでこの表現を再度使っていること。といった背景があったのでした。伝統となっている社内文化を継承する、というキーワードとして使っているのであれば、文脈上は全く問題はありません。「故人が掲げた『よってたかって作る』という理念を受け継ぎ、これからも世界中の皆さまに楽しんでいただける作品をつくってまいります」「“よってたかって作る”を胸に、これからも……」という思いで使っていたのでした。会社のスローガンを踏まえた使用であれば、文脈上は全く問題ありません。納得しました。

 このように一部だけを切り取って判断すると危険なことがよくあります。全体の文脈の中で照らし合わせて考えることがいかに重要か、を改めて確認させてくれるニュースでした。英語でも下線部分の一文だけをいくら読んでも分からない時は、その前後をじっくりと吟味することで納得いくことがしょっちゅうあります。二次試験の指導の中で、私がいつも強調していることでした。♥♥♥

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conspicuously

 

 尊敬するデイビッド・セイン先生『ネイティブが教える英語の副詞の使い方』(研究社、2020年)には、「conspicuously(著しく、目立って)は、どちらかといえば悪いことに使うことが多いようです」とあります。今日はこの記述の真偽について取り上げます。副詞conspicuously自体は必ずしも悪い意味ではありませんが、文脈によっては「悪目立ちする」「不自然に目立つ」というニュアンスで使われることが多い、というのが実態に近いようです。「悪い、不快な、場違いな目立ち方」を表す文脈で使われることが多いのです。基本の意味は、conspicuously = はっきり目立つ形で/人目を引くほど ということで、語自体は 中立で必ずしも悪い意味ではありません。しかしこの語は、「目立つこと自体がマイナス」な文脈でよく使われるのです。特に英語では、「隠そうと思えば隠せるのに、あるいは隠すべきなのに、見え見えである」というニュアンスが根底に漂っています。

  • 欠如・不足

  • 不自然さ・批判

  • 違和感

と一緒に使われることが多いようです。

  • He was conspicuously absent from the meeting.(彼は目立つほど欠席していた → 来るはずなのに来なかった→いかにも不自然な欠席だ)

  • The report is conspicuously lacking in evidence.(証拠が不自然なほど欠けている)

日本語だと「悪目立ちして」「不自然に」という訳が合うことが多いですね。さらには、 皮肉・批判と相性がよく、書き言葉・フォーマルな文脈で、婉曲に批判する表現として使われやすいです。

  • Her silence was conspicuous.
    (彼女の沈黙は意味深に目立っていた)

 もちろん、良い意味でも普通に使われます。

  • She wore a conspicuously beautiful dress.(ひと目でわかるほど美しいドレスを着ていた)

  • The company has conspicuously improved its safety standards.(安全基準が明らかに改善された)

ただしこの場合でも、「誰が見ても分かるほど」という客観的な目立ち方を表します。

 もし英作文で「悪く聞こえないように」したい場合には、clearly / noticeably / visibly の方が無難なこともあります。結論から言うと、conspicuously は必ずしも悪い意味ではありませんが、実際の用法では、「悪い・不快な・場違いな目立ち方」を表す文脈で使われることが多いというのは事実です。「とても(very)」や「著しく(remarkably)」の代わりとして使うと、意図せず「(悪い意味で)目立っている」「見え透いている」という皮肉に聞こえてしまうリスクがあるのです。

 英語では「目立つ」という行為自体が、文脈によってはネガティブに響きやすいのです。特に以下のような場合に使われることが多いからです。

  • conspicuously absent(目立って欠席している → 「いないことが逆に目立つ」)

  • conspicuously wasteful(あからさまに浪費している)

  • conspicuously rude(露骨に失礼)

  • conspicuously inappropriate(明らかに不適切)

こうした例が多いため、「悪い意味で使うことが多い」という印象が生まれるのです。He is conspicuously smart.と言うと、「彼は(鼻につくほど)見せびらかすように頭が良い」という皮肉に聞こえる可能性があります。心から褒めたい時は、普通にHe is remarkably/ outstandingly smart.を使うのが安全です。

 もちろんポジティブな文脈でも普通に使われます。

  • conspicuously brave(ひときわ勇敢)

  • conspicuously successful(目覚ましく成功した)

  • conspicuously generous(際立って寛大)

つまり、意味自体は中立ですが、ネガティブな文脈で使われる頻度が高いというのが実態のようです。

  • conspicuously” は「目立って」という中立的な副詞

  • しかし「悪目立ち」「不適切に目立つ」などの文脈で使われることが多い

  • ポジティブにも使えるが、頻度としてはネガティブ寄り

英語の語感としては「目立ち方に話者の評価が入りやすい語」と覚えておくと便利です。♥♥♥

[補足] 社会学の用語で“conspicuous consumption”(誇示的消費/見せびらかしの消費)という言葉があります。これは必要だから買うのではなく、自分の富や地位を周囲に見せつけるために高級品を買うことを指し、一般的に批判的な文脈で使われます。この言葉のイメージが強いために、conspicuous自体に「見せびらかす」「成金的な」というネガティブな響きを感じるネイテイブスピーカーも多いのです。

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強い夢は叶う、マジで!

 以前に、津和野高校の教員住宅に住んでいた時、そして松江に帰ってきてマンション暮らしを始めた時は、膨大な数の本が収まらなくて、段ボールに入れて部屋に積み上げたままにしていたんですね。住んでいるマンションの真ん前の土地がたまたま空いていて(松江北高校区の土地は高くて2100万円しました。地価の安い津和野なら家も建ったでしょう)、これを購入してミサワホームにお願いして家を建てたんです。今から20年前のことです。書庫お風呂だけは、特注で別途設計してもらいました。膨大な本を全部収納できるように、特注で書庫を設計してもらって、家具屋さんに特別の材木で作ってもらったんです。参考にしたのは、尊敬する故・渡部昇一先生の書庫でした。空調にも配慮した素敵な書庫が出来上がった時には、長年の夢が叶い感激でしたね。本当に「強い夢は叶う」んですよ。個人の蔵書世界一渡部先生の書庫(15万冊)とは比べることすらできないミニ書庫にすぎませんが、私の長年の夢を実現した書庫でした。本当は仕事場のある二階に作りたかったんですが、本の重量に基礎が耐えきれずに床が抜ける恐れありという診断で、1階に特別のスペースを取って設計してもらいました。ここに入って、ロッキング・チェアに腰掛けながら、本に浸るのが楽しみの一つでした。今は本が増えすぎて溢れ出してしまいましたが。

 さらに2017年のことです。私が大好きな水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生がリニューアルされた「特急ハウステンボス」(783系)にどうしても乗りたかったんです。当時からずっと私は、JR九州水戸岡鋭治先生がデザインされた車両は、全部制覇したいと目論んでいます。その時もこの列車にどうしても乗りたいと思いました。ハウステンボス開園25周年に合わせたリニューアルで、車体はハウステンボスらしい、オランダ王家ゆかりの色でもあるオレンジ色です。夕陽に照らされると、綺麗なオレンジ色がより映えます。外観にハウステンボスマークが至る所に描かれているのは水戸岡流です。でもわずか1編成だけの車両で、1日5往復あったどの列車が、このリニューアル車両なのかがどうしても分かりません。最新の「時刻表」を買って調べてみますが、手がかりは全くありませんでした。ネット情報もいろいろと当たりましたが全部ハズレ。鉄道オタクのブログものぞいてみましたが、古い情報ばかりで役に立ちません。そこで、まずはハウステンボス駅に電話で問い合わせてみました。「情報は公開していないし、毎日運行が変わるので分かりません」というつれない返事でした。博多駅松江駅も同様です。そこでなじみの教え子が「日本旅行」に勤めているので泣きつきました(彼女にプランしてもらった旅行でハズレは今まで一度もありません)。いろいろと手を尽くしてくれたんですが、一般には公表していない情報ということで、結局分かりませんでした。最悪、1日5便ある列車の発車時刻の度にホームに上がって〔笑〕、新型車両を待つしか手はないのかもしれません。でもこんなことで丸1日をつぶしたくはない。したいことは他にも山ほどある身です。でも乗りたいなあ~。そこで私は考えました。リニューアル当時、しばらくの間は運行予定が公表されていました。それによれば、博多発「ハウステンボス91号」9時9分がそれに該当していました。その時も3連休だから案外そのスケジュールが使われる可能性がある、と踏んで、その列車がハウステンボス駅で折り返すと仮定して、ハウステンボス11時46分発になるはずだ、と自分なりに予想を立てて、この切符を購入したのでした。あとは運を天に任せるしかない、と思いました。さて…?

 長崎に出発する前夜、電話で例の教え子から貴重な情報が入ってきました。「JR九州案内センターに今日電話してみたら、今日の運行は教えてくれました。それによれば10時46分発と13時47分発が新型車両でした。先生も当日ここに電話してみれば、調べて教えてもらえるかもしれませんよ」と。よし、一応切符は買ってあるけれど、それなら当日朝一番で電話して、教えてもらえれば、予定変更して新型に乗ろうと思ったのでした。しめ、しめ。長崎「さだまさし特別展覧会」を見て、浦上天主堂」「永井 隆博士記念館」へ歩いて向かう途中で、電話をしてとりあえず「明日の特急の予定を教えてもらえないか?」と問い合わせてみました。電話に出た担当の女性はやはり「公表していない情報なので分からない。明日もう一度電話してもらって、公表できれば教えてあげます」との曖昧な返事でした。翌日ハウステンボスへ向けて長崎から「シーサイドライナー」で出発します。ラッキーなことにそしてビックリしたことに、この車両も通常の青い列車ではなく、ハウステンボス仕様の素敵な車両(ハウステンボスライナーでした。まあ、ダメだったらこれで満足して帰るしかないなと思っていたんです。1時間半ほど列車に揺られてハウステンボス駅に到着すると、駅のホームには旧型の真っ赤な「特急ハウステンボス」が止まっていました。たった今博多からやってきたばかりの列車です(この旧型には何度も乗っています)。最後尾から車掌さんが降りて来られたので、事情を話して明日の予定を教えてもらえないか、と尋ねてみました。すると、「明日のことは分からないけれど、今、博多から来る時に途中で新型車両にすれ違いましたよ」とのこと。おっ、なななんと私の買っていた切符の列車です!「もしかしたら…!」と、淡い期待を抱きながら、大浦湾を臨みつつ駅の階段を上がっていきました。改札口で切符を渡し(この駅は自動改札化されておらず手渡しです)駅員さんに事情を話して、「どうしても乗りたいんですが、明日は朝から来て新型を待つしかないんでしょうか?」と尋ねました。すると親切な駅員さんは、しばらく考えておられて、「ちょっと待っていてください。聞いてみてあげますから」と言われます。7~8分くらい改札口で待っていると、1枚の白いメモを持ってやってこられました。「分かりましたよ。明日は11時46分発と16時46分発の2本です」ビンゴ!!。そのメモを手渡されたのでよく見ると、私が事前に買っていた「ハウステンボス14号」がその新型車両でした。駅員さんに感謝です。やはり日頃の行いがいい(?)と、こんな奇跡のような偶然が起こるんですね〔笑〕。そんな訳で、八幡はやっと念願の「特急ハウステンボス」の新型車両に初めて乗ることができたのでした。予想通り素敵な車両で、細かな所までパチリパチリ写真を撮りながらグルグルと見て回りました(⇒私のこの列車の詳細なレポートはコチラ)。

▲憧れだった新型「特急ハウステンボス

 今回の「特急ハウステンボス」の騒動を振り返ってみて、教訓がいくつかあります。まず第一に、強い夢は叶うんだ」ということ。なんとかしたいと強く強く願って努力すれば、実現するものなんだということを改めて感じました。第二に、過去のデータをしっかりと踏まえるということ。公表されていた当時の運行データから、今回の予想を立てて切符を買ったのですが、たまたまそれが当たった!やはり過去のデータは大事にしなければいけません(これは大学入試も同じですね)。第三に、一見ダメと思われることでも、あきらめずに粘り強く努力を続けて挑戦していれば、思わぬところからいいことが降ってくるということ。これは私が若い頃、故・渡部昇一先生から教えていただいた人生訓です。渡部先生が、人生で一番大切なことを一つだけ挙げよ、と求められた時に、いつも口にされたのが、できない理由を探すな!」でした。どんなに困難なことでも、努力を絶やさない人には、不思議なことに、天の一角から「助けのロープ」が降りてくる、と断言しておられました。私も今までにそんな体験を何度もしてきました。この時もやはりそうでした。第四に、いろいろな人脈を持っていることが大切です。いつどこで助けてもらえるか分かりません。私は今まで先生方だけでなく、進んでいろいろな職業の人たちと交わろうと努力してきました。思わぬところで力になってもらったことも多々ありましたよ。

 よくよく考えてみれば、このことは生徒たちにもそのまま当てはまることじゃないか!!ということで、「特急ハウステンボス」乗車顛末を教訓として、授業で当時の生徒たちに話したことを覚えています。♥♥♥

◎強い夢は叶うんだ!!マジで

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「名代とんかつかつくら京都ポルタ店」

◎週末はグルメ情報!!今週はとんかつ

 京都を訪れると無性に「名代とんかつかつくら」さんのとんかつが食べたくなります。京都駅「伊勢丹デパート」11階のポルタ店でいつもいただいています。落ち着いた雰囲気で、とても好印象です。とんかつが美味しいのはもちろん、味噌汁・キャベツおかわり自由で気持ちの良いサービスも気に入っています。お昼時は旅行者や出張客が多いために、常に行列ができるお店です。低温揚げで、肉の旨味を閉じ込めた、いかにも京都らしい、繊細で上品なとんかつなんです。

▲広々とした店内

 お味噌汁、キャベツはお代わりOKで、キャベツのシャキシャキ感とドレッシングが美味しいので何回もお代わりしてしまいます。胡麻を擦って待っていたら、熱々のとんかつがやって来ます。そしてここのお茶も大好きなのです。良い匂いですよ!ソースは、とんかつソース濃口ソースの二種類がテーブルに用意されているのでお好みで使います。待っている間に自分で胡麻を擦るのですけど、胡麻はすり鉢とすりこぎ棒がついてきて自分で擦ることができます。その時の香りが好きです。胡麻はカツにつけても、味噌汁に入れても美味しいのです。そして、卓上のお漬物「かつくら漬け」がとても美味しい。京都へ来たなって気分になります。特にお味噌汁が美味しかった。たっぷりの野菜と白味噌の甘味とまろやかさがマッチしていて、優しくて体に沁みる味でした。とんかつはちゃんと厚みもあって十分に食べ応えがあります。ごまスリも楽しかったし大満足です。是非再訪したい気分になります。

 席も広々としており、落ち着いた雰囲気の中で、美味しくいただきました。ここで出されるとんかつの特徴は、以下の通りです。

①優れた三種類の豚からそれぞれの長所を引き出す「三元交配」技術により生まれた銘柄豚を使用。こだわりの飼料と衛生面でも行き届いた飼育方法で健康的に育てられた豚は安心・安全の美味しさです。創業以来「味・飼育方法・衛生面」にこだわり、美味しく安全な豚肉を使用しています。

②植物を原料にして精製された白絞(シラシメ)油を使用したコレステロールゼロのオリジナルブレンド。揚げあがりはソフトで、コクがありながらもカラッと仕上がります。腰が強く、油ぎれがいいのが特長です。

③とんかつをより美味しくするためにこだわった、かつくら独自の釜焼きパン粉を使用。粗めにふわっと仕上げることで肉の旨味を包み、サクサクとした衣の食感を引き立たせます。

④かつと相性のいい付け合わせの甘味の多いキャベツ。季節ごとの旬に合わせたキャベツを選び、国内の指定農場から直送しています。肉と相性のいい付け合わせは、お代わり自由です。

国産のゆずをたっぷり使用した「かつくら」特製ノンオイルドレッシングです。

赤ワインをたっぷりと使い、りんごとナツメヤシを加えてまろやかさとコクを引き出しました。かつくら自慢のソースです。またりんご、チャツネ、プルーン等の果実をふんだんに使用。11種類のスパイスをブレンドした、濃い口ソースもご用意しております。

食物繊維、カルシウム、ビタミンB1等のミネラルを含み、腸内環境を整えダイエット効果や美容効果があると言われている麦。 かつくらでは、この麦を100%のコシヒカリに2割混ぜて炊いています。よりヘルシーな「麦ご飯」でした。

 今日は「大海老とヒレカツ」を注文しました。擦ったごまにソースを入れて、キャベツにはゆずドレッシング、辛子もつけて、大海老フライは大きくて、タルタルソースが別でついてきます。ごはんは麦飯で歯ごたえがあり、ヒレカツは柔らかくて、質が良いんです。衣は大きめのパン粉がふっくらとついていて、ソースは酸味が強くなく、甘みとバランスが良くて美味しいのです。どれをとってもよく考えられていて、大満足、ご馳走さまでした。海老も大海老だけあって大きくて食べごたえがあります。弾力があってプリっとした海老を、タルタルソースでいただきます。

 赤ワインをたっぷりと使い、りんごとナツメヤシを加えてまろやかさとコクを引き出した、「かつくら」自慢のオリジナル「とんかつソース」です。またりんご、チャツネ、プルーン等の果実をふんだんに使用、11種類のスパイスをブレンドした、「濃い口ソース」も用意されています。ゴマをすり鉢で擦ってソースと混ぜて使います。ご飯は「麦ごはん」です。食物繊維、カルシウム、ビタミンB1等のミネラルを豊富に含み、 腸内環境を整えダイエット効果や美容効果があると言われている麦。 かつくら」では、この麦を100%のコシヒカリに2割ほど混ぜて炊いています。これが実に美味しい。お代わりまでしてしまいました。お味噌汁もマイルドな味わいです。テーブル上に置いてある「かつくら漬」が実にご飯にマッチして食が進みます。熟成された広島菜に香ばしい胡麻を加えたお漬物で、程よい歯切れと、しその香りが特徴です。お店も雰囲気があって、落ち着いていて、満足度マックスです!店員さんに販売されていないのですか?と聞きましたが、ないとのこと。家に帰ってから「かつくら」のオンラインショッピングのページをのぞいたら、ちゃんとありました。早速大量に注文しました。なんと最近では、お店の壺に入ったものまで販売されています。

▲これ欲しい!「かつくら漬け」 壺も素敵

 「かつくら」とんかつは、ぜんぜん油っぽくなくて、サクサクしてて、お腹いっぱいになってきても、気持ち悪くならず、最後まで美味しく食べることができます。きっといい油を使って揚げておられるのでしょう。豚にこだわりがあり、植物性の油だからでしょうか、私は気に入っています。キャベツに含まれるキャベジンという成分が胸やけを防ぐので、とんかつとキャベツの組み合わせは理にかなったものなんですってね。ドレッシングはノンオイルの「ゆずドレッシング」なので、それも相まって、さっぱりと食べることができます。レジの所で販売していたので買って帰りました。家に帰ってこのドレッシングをかけて食べるとキャベツがとても美味しいので、オンラインでまとめて注文したくらいです。♥♥♥

▲ドレッシングととんかつソース

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shopとstoreの違い

 store(ストア)shop(ショップ)は、両方とも「店(店舗)」を表す英単語ですが、どちらを使用すべきかで悩んだことはないでしょうか?英作文の授業で、生徒たちがこの二語の意味をよく理解していなかったようなので、宿題としました。両者の違いと使い分けのポイントです。

 storeは、商品の販売に特化した店舗を指します。製造・加工・修繕・アレンジメントといった販売以外のサービスは基本的に行いません。storeに該当するのは、本屋・雑貨屋・コンビニエンスストア・酒店・スーパーマーケット・デパート(百貨店)などです。本屋は「book store」、雑貨屋は「variety store」、デパートは「department store」、コンビニは「convenience store」、食料品店は「grocery store」と表現します。storeには「保管する」という意味もあり、「物や情報を保管する場所」や「貯蔵庫」を指すケースもあります。チェーン店や大型店舗をイメージすると分かりやすいでしょう。

 storeが商品の販売のみを行う店舗であるのに対し、shopは販売だけでなく、製造・加工・修繕・アレンジメントといったサービスを伴うのが特徴です。小さめで個人経営の店が多く、特定の商品・サービスに特化したお店です。shopに該当するのは、コーヒーショップ(coffee shop)・花屋(flower shop)・修理店(repair shop)・床屋(barber shop)・靴屋(shoe shop)・おもちゃ屋(toy shop)などです。storeに比べると、小規模な店や専門店が多いことに気付くでしょう。例えば、コーヒーショップでは、仕入れた生豆を焙煎して顧客に提供しています。花屋は生花の販売だけでなく、生花を素材としたアレンジメントや花束も制作していますね。

 同じ英語圏でも、国や地域ごとに使われている英語が異なります。アメリカ英語イギリス英語におけるstoreshopの意味の違いを理解しましょう。

<アメリカ英語の場合>

 アメリカ英語では、小売店全般をstoreとする傾向があります。比較的規模が大きいことが多く、商品を保管して売るというニュアンスです。イギリス英語では、直営小売店は「retail shop」ですが、アメリカ英語では「retail store」です。アメリカに本社を置く大手IT企業「Apple」が直営する小売店も「Apple store」と呼ばれています。アメリカ英語のshopは、特定の商品を取り扱う専門店や規模の小さなお店を指すのが一般的です。

<イギリス英語の場合>

 イギリス英語では、小売店全般をshopとする傾向があります。アメリカ英語で本屋は「book store」ですが、イギリス英語では「book shop(bookseller’s)」です。イギリス英語のstoreは、規模の大きな店舗や多種多様な商品を扱う店舗を指します。

 日本では、storeshopも同じ「店」と翻訳されるため、使い分けを意識していない人も多いのではないでしょうか?グローバル化が進み、海外の顧客と接する機会が増えた現代、言葉の意味をよく理解した上で、正しく使い分けることが重要です。日本では、storeshopの違いが曖昧にされやすいですが、英語圏では明確な違いがあります。例えば、イギリス人のビジネスパートナーに「自分はstoreを運営している」と伝えれば、チェーン店やスーパーマーケットのような大きな店舗を運営していると認識されるでしょう。ビジネスシーンでは、言葉の選び方によって相手に誤解や混乱を与える恐れがあるため、相手国の文化的背景を考慮しながら、適切な言葉を選ばなければなりません。

 また小売業では、店の名前にstoreshopのどちらを付けるかで、顧客に与える印象がずいぶんと変わってきます。例えば、「THE BODY SHOP」のように、店名に「〇〇shop」と付ければ、特定の商品・サービスに特化していることやプロフェッショナルな専門店であることを示すことができるでしょう。さまざまな商品を幅広く取り扱うイメージを与えたい場合は、店名を「〇〇store」とするのも一つの手です。ただし、日常会話では入れ換えて使われることも多く、「間違い」と言われることはほぼありません。

 私たちの『ライトハウス英和辞典』(第7版)では、次のような語法注記を入れました。♥♥♥

【語法】 《米》でいうshopは、いろいろな商品を売るstoreに対して、それより小規模で特定の商品を売る専門店を指すのが普通。

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島根県に「天叢雲」!

◎水戸岡ワールドが島根県に登場!

 「ばたでん」の愛称で知られるローカル鉄道一畑電車」では、新造車両10000系の「天叢雲(あめのむらくも)」を導入し、2026年11月より運行開始することが発表されました。地方鉄道の運行を支援する国の鉄道事業再構築実施計画の認定(2025年6月)を受けた取り組みの一環で、従来の車両にない座席設備などを備え、沿線人口の減少で伸び悩む利用客の増加につなげます。11月に運行を開始します。一畑電車は利用客の減少が続き、松江市出雲市が鉄道施設の整備や修繕の費用を負担する「みなし上下分離方式」を採用しています。新型車両で新たな観光需要の創出に取り組む予定です。経営の立て直しを進める同社にとって、この新型車両は「単なる移動手段の車両ではなく、乗車することを目的とする魅力的な車両」という位置づけです。

 車名に関しては、出雲神話において素戔嗚尊(スサノオノミコト)八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した際、その尾から出た剣の名「天叢雲剣」にちなみ、車両愛称を「天叢雲(あめのむらくも)」と命名しました。群がり集まった雲の下を走り抜ける電車を連想してもらいたいという思いも込めました。

 一畑電車沿線には、松江城出雲大社など、国内外から高い評価を受ける魅力ある観光資源が数多く存在します。新造車両「天叢雲」の導入を機に、地域資源と観光需要の新たな創出を沿線自治体・観光事業者と連携を図りながら計画し、地域全体の魅力発信に貢献します。

 イメージを見る限り、既存の7000系・8000系をベースにしたような仕様で、そこに「水戸岡テイスト」を加えたスタイルですね。印象的な名前である「天叢雲」とは、島根県の出雲神話においての用語で、そこから採られた名前のようです。今後、米子市後藤総合車両所で製造されます。車両は7月までに完成し、試運転を経て、11月から営業運転を始めます。今から乗るのが楽しみです。♥♥♥

▲車内デザイン

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Blue Wall of Silence

 刑事物のドラマを見ていると、警察組織内部の隠蔽体質に立ち向かう刑事の奮闘ぶりを描くシーンがよく出てきます。今日はこれを表す英語表現を取り上げます。

 「Blue Wall of Silence」(ブルー・ウォール・オブ・サイレンス)とは、主に警察組織に関して使われる表現で、警察官同士が不正・違法行為・不適切な行動を見ても、仲間を守るために外部に告発せず、調査で尋ねられても「知らない」と偽証して沈黙を守る慣行・文化を指して使われます。アメリカのドラマや映画あるいはニュース番組で警察の不祥事が扱われる際、必ずと言っていいほど登場する重要なキーワード表現です。英語では、“Strict secretiveness maintained by members of a police force with respect to information which might be contrary to their interests”(仲間の不正に関する情報を秘匿する警察内部の秘密主義)ということです。仲間の非行に沈黙し、かばい合う体質を意味します。警察文化に根ざした非公式な表現で、社会学・犯罪学の文献や報道で頻出します。語の成り立ちとしては、Blueは多くの警察官が着用する制服の色(→警察組織)で、青は警察を象徴する色として広く認識されています。Wallは外部からの調査や批判を遮断する「壁」、Silenceは沈黙・隠蔽の意味。直訳すると「沈黙の青い壁」。 実質的には「警察内部の口止め文化/不正隠蔽体質」というニュアンスです。blue wall of silence (沈黙の壁)は「警察内部で不正を守るために築かれる沈黙の壁」という意味で、問題行為・不正を外部に漏らさない、という透明性を遮断する比喩表現です。警察官という仕事は常に危険と隣り合わせで、お互いの命を預け合う強い結束力が求められる反面、それが「仲間を売ることは裏切りである」という極端な倫理観にすり変わってしまった状態を指します。また、不正を内部告発しようとする警察官は、組織内で孤立したり、嫌がらせを受けたり、最悪の場合は現場でバックアップを受けられなくなる(=命の危険にさらされる)といった恐怖から、沈黙を選ばざるを得ない構造・体質があります。使われる文脈としては、次のようなものがあります。

  • 警察の暴力行為

  • 汚職・不正捜査

  • 内部告発者(whistleblower)が孤立する問題

  • 警察改革・人権問題の議論 

 ニューヨーク州の弁護士・旦 英夫さんの『米語ウォッチ アメリカの「今」を読み解くキーワード131』(PHPエディターズグループ、2024年)でもこの表現が取り上げられていました。ニュース、学術論文、社会問題の議論でよく使われます。使用例を見てみましょう。

The Blue Wall of Silence makes it difficult to hold police officers accountable for misconduct. (沈黙のブルーウォールは、警察官の不正行為の責任追及を困難にしている)

Breaking the Blue Wall of Silence is essential for police reform. (警察改革にはブルーウォール・オブ・サイレンスを打破することが不可欠だ)[break the blue wall of silenceの形でよく使われる]

Many officers knew what happened, but the Blue Wall of Silence prevented them from speaking out.(多くの警官は何が起きたか知っていたが、沈黙の壁が発言を妨げた)

The police officers formed a blue wall of silence around their colleague’s misconduct.(警察官たちは同僚の不正を守るために沈黙の壁を築いた)

日本語で近い表現としては、次の物が該当するでしょう。

  • 「警察内部の 不祥事隠し体質」

  • 「組織防衛の沈黙」

  • 「内部告発を許さない文化」

  ただし、Blue Wall of Silenceは、特に「警察」に特化した表現です。専門的な社会科学用語・慣用句のため、一般の語彙辞典では扱われない場合が多いようです。オンラインの Wiktionary YourDictionary などの公開辞書には記載が見られます。

 この語が一般社会や報道で大きく広まった契機として、警察の不正・暴力事件が表面化した事例が挙げられます。1970年代のニューヨーク市警の汚職腐敗告発(Frank Serpico事件」など)で、 内部告発が困難だった警察内部の文化を象徴する出来事として語られました。1991年のロサンゼルス警察によるロドニー・キング暴行事件(LAPD)では、 同僚同士が互いに証言せずに、結果として大規模な抗議・暴動へと発展しました。これらの事件がきっかけで、メディアや研究者が “blue wall of silence” という表現を使って、警察の「内部の沈黙コード」を批判・説明するようになりました。

 「Blue Wall of Silence」は、20世紀前半〜中盤のアメリカの警察組織内で自然発生的に形成された文化・慣行に由来するとされています。もともと、警察官同士の忠誠心や連帯意識が強い文化が存在し、仲間の不正を報告しない・隠す傾向がありました。この慣習が非公式に語られるようになり、やがて言語化されたのが「Blue Wall of Silence」です。「警察官は仲間を裏切らない(Cops don’t tell on cops)」という考え方が文化として浸透。語そのものは1970年代頃の警察研究や報道で広まりました。特に「Blue Code (of Silence)」「Blue Curtain(青いカーテン)」と並んで使われています。

 2021年12月、ミネソタ州の裁判所で、黒人ジョージ・フロイド氏を膝で抑えつけ殺害した白人警官に対して、殺人罪による有罪の評決が出されました。裁判で、この警官の上司が、問題の行為は警察の訓練指針に違反すると明確に糾弾したことが、評決の決め手となりました。2023年、ミネソタの上級裁判所は、白人警官からの控訴を退け、有罪が確定しました。この裁判にアメリカ社会は安堵し、専門家からは、Blue Wall of Silence、つまり「沈黙の青い壁」が崩壊する前兆かもしれないというコメントが聞かれました。この公判中にも、裁判所近くで黒人青年が白人警官に撃たれて死にました。その女性警官の上司は、彼女がTaser (スタンガン)と「間違えて」ピストルを撃ってしまったと弁護しました。連邦議会においてフロイド氏の名を冠した警察改革法が論議されています。容疑者の拘束方法などの規制や警官の責任強化など、法的な改革は達成できるでしょう。しかし、Blue Wall of Silence という壁が崩れ、警察そのものへの信頼が取り戻せなければ、社会が望む真の警察改革にはなりません。近年では、警察官の胸に取り付けられた「ボディカメラ(body cams)」の普及や、市民によるスマートフォンの撮影などによって、この「壁」が物理的に壊され始めています。

Investigators found it difficult to break through the blue wall of silence within the department.(調査官たちは、部署内の沈黙の壁を打ち破るのが難しいと感じた)

The blue wall of silence makes it hard to hold officers accountable.(沈黙の壁のせいで責任追及が難しくなる)

 この句は、本来は警察文化を指して使いますが、「特定の集団が仲間の不正を守るために沈黙する文化」「組織ぐるみの隠蔽体質」という意味で、比喩的に使われることもあります。♥♥♥

There seems to be a blue wall of silence in the company’s management.(会社の経営陣にも沈黙の壁があるようだ)

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