I envy you再考

 「うらやましいな、あなたほっそりで」を英語に直した文、“I envy you. You’re so smart.”の問題点を、デビッド・セイン先生『ニッポン人のヘンな英語』(日本文芸社、2005年)の中で取り上げられておられました。英語のsmartが「あなたのそのズル賢さ、うらやましい」と取られかねないので、slenderに変える必要がある、というのが解説でした。私はここで、この前半部分のI envy you.という表現を取り上げたいと思います。「いいなあ~」「うらやましいなあ!」という意味で、日本人がよく使う表現に“I envy you!”があります。辞書や参考書にも堂々と載っている表現です。もちろん文法的には何ら問題はありません。

I envy you. あなたがうらやましい [ライトハウス英和、コンパスローズ英
和]
I envy you. うらやましい、いいなあ《素直にうらやましい気持ちを表現》[ア
クシスジーニアス英和]
I envy you. うらやましいよ、いいなあ《素直にうらやましい気持ちを表現;
相手に不快感を与える言葉ではない》[ジーニアス英和]

 日本の英語教育では「うらやましい=envy」と覚えがちですが、ネイティブスピーカーの感覚からすると、この言葉は少し「重い」響き(嫉妬・羨望・悔しい気持ち)を持っています。ネイティブは、この表現をほとんど使いません。ちょっと重い不自然な感じがして良くないし、人によっては引いてしまうかもしれないからでしょう。

 ‘envy’ というのは、他の誰かのものを欲しい、うらやましい、というだけでなく、その対象となる人に悪意すら持っている、というもともとのネガティブなニュアンスがあります。日本語でいう「ねたむ・そねむ」に近いと思います。「正直ちょっと悔しい」「自分もそれが欲しい」、場合によっては「ずるいなあ」という含みのように受け取られることもあります。単なる「いいなあ」ではなく、「あなたが持っていて私が持っていないことが)恨めしい、許せない」というドロドロとした独占欲や敗北感が背後に見え隠れします。初対面やビジネスの場で使うと、「この人は自分の成功を快く思っていないのではないか?」という警戒心を与えてしまう可能性があります。現代ではネイティブスピーカーもここまで細かく意識はしませんが、それでも “I envy you!” は使わないほうがいい表現です。私たちが日常会話で使う「うらやましいな」という気軽なニュアンスとはかけ離れているからです。髙橋基治『学校では教えてくれない英語の使い方がひと目でわかる本』(コスモピア、2018年)pp.152-153には、「日本語の「いいなー」はI envy you.じゃない」と題して、「envyには相手の持っているものや状況を「ねたむ」というネガティブな感覚が含まれています。そのため日本語で軽い気持ちで言う「うらやましいなー、いいなー」とはちょっと違います」「実際ネイティブはあまりこのフレーズを口にしません」とあります。

 他に「うらやましい」を辞書で引くと、出てくる英単語に ‘jealous’ があります。英語ネイティブには、 “I envy you!” よりも “I’m jealous.” という表現のほうが一般的です。 副詞‘so’ を付けて “I’m so jealous!” と表現することが多いようです。soをあえて強調して言うことで、カジュアルなニュアンスが伝わりやすくなります。面と向かって “I envy you!” と言うネイティブはほとんどいません。この表現を使ってはダメだということもないのですが、ネイティブは “I’m jealous” と言うので、それに倣うほうが無難だと思います。「いいな〜」「うらやましい」を英語で表すには“jealous”を使うのが最もナチュラルな言い方です。辞書や学校の教材などでは「jealous」=「嫉妬深い・焼きもち・妬ましい」など、ネガティブな表現で解説されることが多いかと思います。人の性格を表す時や状況・使い方によってはそれらを意味しますが、一般的に日常会話では、相手に良いことがあった時に言う「I’m (so) jealous」はネガティブな意味合いは全くありません。相手の良いニュースに対して使う「jealous」「いいな、うらやましい」とポジティブな意味を持ちます。“You’re cool/ awesome/ great.”なども使えるでしょう。尊敬する竹岡広信先生の最新刊『LEAP Basic必携英単語』(改訂版、2025年)では、envy「~を羨ましく思う ▲「自分も欲しいと思う」 [注意]会話では「あなたが羨ましい」は“Lucky you!”と表現するのが自然」という正確な記述が見られます。サスガです。

 高橋基治・阿部 一『ビッグデータ英会話』(西東社、2021年7月)では、「I envy you.は、嫉妬に聞こえるので要注意!」として、アメリカ人の日常会話300万語のコーパスデータでの使用率を挙げておられました。それによれば次の通りです: That’s nice.(64.9%)/ I’m jealous.(18.1%)/ Lucky you.(8.5%)/ You’re so lucky.(6.4%)/ I envy you.(2.1%)  上で述べたことが裏付けられていますね。この本、とても勉強になります。

 「うらやましい」をI envy you.と覚えている人もいるでしょう。でも実はこれ、ニュアンスは「嫉妬しちゃう、悔しい」ということで。場合によっては相手のもっているものを欲しがるという意味にもとられることがあるので要注意。気心の知れた親しい相手同士で、冗談ぽく使われることはありますが、面識のない相手には避けたほうがいいかもしれません。(p.32)

 特に初対面やフォーマルな場面では、That sounds wonderful!(それは素敵ですね)、That’s amazing!(すごいね)、I’m happy for you!(よかったね)、I wish I could do that too!(私もそうできたらなあ)のように言い換えたほうが自然で安全です。 

 友達や同僚の嬉しいニュースには、一緒に喜んであげる方が自然だということです。尊敬する山岸勝榮先生『スーパーアンカー英和辞典』(学研)が、「注意 日本語の「うらやましい」はしばしば他人をほめる社交辞令に用いられるが、英語のenvy, enviousはしっとの感情を含むことが多いので、その使用には注意が必要」と書いておられたのはさすがと思いました。ネイティブの意見を下に挙げておきます。

 This phrase is by no means a mistake; in fact, the meaning of ‘envy’ is correct in this kind of context. It’s not the phrase that native speakers use, however, and the actual phrase we prefer has interesting origins.

 The reason why “I envy you” is used by Japanese people is perhaps not so strange. There are two words that share a similar meaning – “envy” and “jealousy”. The interesting thing is that the perception and understanding of ‘jealousy’ has been warped over time by native speakers. So what do these words mean? “Envy” is felt when someone else has something that you don’t have, like when your friend is going off on holiday to Barbados. “Jealousy”, however, originally means the fear of losing something or someone to someone else, e.g. a man who feels threatened that his girlfriend might be stolen by another man.

 このように注意が必要なI envy you.ですが、『ジーニアス英和辞典』(第6版)には、「I envy you. うらやましいよ、いいなあ《♦素直にうらやましい気持ちを表現;相手に不快感を伝える言葉ではない》」と語法注記にあります。最新の『英語教育』6月号の「クエスチョンボックス欄」で、中邑光男教授「I envy you.は不快な表現?」と題して、この注記に関する解説をしておられました。この表現には「祝福・賞賛」の含みがある場合と、「妬み・嫉み」の含みがある場合があることを解説し、『ジーニアス』の記述はやや強すぎたとして、次のような改案を提示しておられます。

♦相手がもつ境遇・能力・幸運などを、自分も欲しいと思う気持ちを表す言い方;必ずしも否定的な感情を伴わず、しばしば賞賛・共感・行為を含む。

しかしこれでは、「使用に注意するように」という実態を注意喚起したことにはなりません。この改案では不十分だというのが私の実感です。

 言語の裏にある感情の温度差を捉える必要があります。単語レベルの直訳と実際の使用場面のニュアンスは、別物の場合があるということです。最近では、トランプ―高市会談における茂木外相“So-so.”という言葉でそれを感じました(この問題は後日改めて取り上げようと思っています)。♥♥♥

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藤田 田さんの誤り

 このところ、アメリカから初めて日本にマクドナルドを持ち込んだ伝説の起業家の故・藤田 田(ふじたでん)さんを再評価する動きが見られるようで、昔の著書が続々と再刊されています。藤田さんは松江北高の卒業生で、応援団長、クラス総代、記念祭委員長などを務められました。寮内で召集令状を受けて戦地に行く3年生の壮行会で軍国主義を堂々と批判し、「赤紙1枚で戦争に行き、死ぬことがどんな無意味なことか」と演説し、先輩から拍手喝采を受けたというエピソードも残っています。松江高校の寮内の食糧難解消のための交渉にも尽力し、当時から商才を発揮して解決しておられました。 

 高校在学中にお父さんが病死。米軍の空襲で家とほぼ全財産を失いました。戦災を避けるため、島根県・旧制松江高校で寮生活をしていた藤田さんは、そこで敗戦を迎えます。当時の松江高校は、全国の旧制高校の中でもバンカラ度の最も高い、荒々しさと汚さでは随一の学校だったといいます。それだけに自由革新の気風に溢れた高校でもあって、藤田さんは校風に馴染んだのでしょう。肩までかかる長髪に羽織袴、高下駄で町中を闊歩していたようです。ことあるごとに、全校生徒の前で自分の主張を早口の大阪弁で理路整然とまくしてたてていたそうです。最大の武器は「口」=弁論だったようです。宍道湖の美しさにも心を惹かれていた、と書いておられます。夕暮れ時に松江大橋から嫁ヶ島方向を見る景色の美しさはほかに例えようもなく、東洋のジュネーブと呼ばれるゆえんでもあります」と。ある日この松江大橋の上でばったり友人と出くわしました。その友人が面白半分に「この橋から飛び込めるか?」と挑発してきました。負けず嫌いの藤田さんは、「飛び込めるとも。なんなら5円かけようではないか」と答え、着物のまま飛び込みました。その後も懲りずに何度か飛び込んだ記憶があります。若気の至りですね。こうして多感な青春期を松江市で過ごした藤田さんは、同市に対してひとしお強い愛着を感じざるを得ませんでした。戦火に加えて、お父さんの死もあって、お金に困っていた藤田さんは、松江に進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に飛び込み、通訳のアルバイトをするようになります。それから東京大学・法学部に進学します。

 東京大学在学中に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立しました。女性ブランド商品やゴルフ用品を手がけた後に、ファーストフード業界に目をつけました。ハンバーガー・ショップマクドナルド」をアメリカから日本に持って来たのは、藤田 田(ふじたでん)さんでした。1971年、米国・マクドナルド社と提携し、東京銀座に日本で初めてマクドナルド一号店をオープンさせました。私は藤田さんの生き方をその数ある著書で詳しく調べてみて、たくさんのことを学んでいます。とってもいいことをいっぱい言っておられ、ずいぶんと勉強になる生き方でした。あのソフトバンク孫 正義(そんまさよし)さんが、高校生の時に、電話で何度も断られたにもかかわらず、佐賀県からはるばる東京の本社までおしかけて、藤田さんにアドバイスを受け、(これからはコンピューターの時代だ!」)、その足でアメリカ留学に向かったことは有名な話ですね。

 売り上げの低迷を世の中や政治のせいにするのは、己れの知恵の無さや勉強不足を露呈しているにすぎない。(藤田 田)

 しかしただ一つだけ、私には同意できない点がありました。それが「勝てば官軍」という哲学です。これは「勝てば官軍 負ければ賊軍」という言葉から来ていて、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえです。藤田さんは、ビジネスの世界には「勝てば官軍」の論理しかない、「勝てば官軍、負ければ倒産」食うか食われるかの修羅場なのだとして、「人生はすべて金だ、金だ」と主張しました。ただし、その儲けたお金を自分のためにため込んだのではなく、社員たちの給料や福祉・医療に還元しておられたことは名誉のために言っておかねばなりませんが。

▲藤田 田『勝てば官軍』

 この哲学に従い、日本全国で「価格破壊」を引き起こすなど、経済感覚、会社経営に長けたカリスマ的人物でしたが、晩年は、日本マクドナルド」の業績が迷走するなど、それらに翳りが見え始めます。2000年(平成12年)2月からは「平日半額セール」などの大胆な新戦略を展開。適正利益を度外視するようなコストすれすれの、競合他社が悲鳴を上げ、お手上げになるほどの超低価格路線を実践しました。デフレ下でも業績を一段と伸ばして、2001(平成13)年7月26日にはジャスダック市場に上場を果たし、日本マクドナルド「デフレ時代の勝ち組」、社長の藤田さん

▲藤田 田さん

「ハンバーガー王」と謳われました。しかし、インフレ時代が来ると、半額セールの打ち切りで、客数が減り再び値下げする、など価格政策の迷走により、経営が悪化したことや、悪夢であったBSE(狂牛病)の影響により客離れを引き起こし、同2001年(平成13年)に創業以来初の赤字に転落します。2002年(平成14年)7月、日本マクドナルドの不振や、自らの体調不良などにより社長を辞任せざるを得なくなります。2002年3月、会長兼CEOに就任しますが、連結決算で創業以来の最終赤字になったことから、2003年3月28日の株式総会後、会長退任を余儀なくされました。日本マクドナルドの経営から退いた後は、公の場に出ることは少なくなり、2004年(平成16年)4月21日、心不全のため東京都内の病院でひっそりと死去されました。78歳でした。桜の花が散るように静かに退きたい」というご本人の思いとは裏腹に、毀誉褒貶の相半ばする人生でした。いわば晩節を汚し、失意のうちにお亡くなりになり、一時は成功したように見えましたが、結局は自滅してしまった印象です。

 松下電器創業者で故・松下幸之助さんの薫陶を受けた、私の尊敬する江口克彦(元PHP社長)さんは、ここら辺の藤田さんの姿勢を手厳しく批判しておられました。私も同感です。

 私自身の思い出を振り返っても、あるとき一世を風靡した経営者が「勝てば官軍」という言葉をタイトルにつけて単行本を発刊したことがあります。私は非常な違和感を感じ、そのような考え方は間違っていると私は自らの著書でしばしば批判してきました。すると、やはり、数年後にその経営者の会社は、赤字転落してしまったのです。マスコミがよく持て囃した経営者でしたが、私の考えからすれば、その経営者の凋落は至極とうぜんのこと、私の予想通りになりました。そして、「勝てば官軍」と表明していただけに、まさに自らの経営人生の晩節を自ら汚してしまったという無念を、この経営者は死に際に後悔したことだろうと思います。   ―江口克彦『ほんとうの生き方』(PHP出版)

 松下さん自身も、「結果だけが商売であるという考えは間違いや。勝てば官軍であるという商売は、結局失敗する」江口さんに語っておられます。「ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑もかえりみず、しゃにむに進むということであれば、その事業は社会的に何ら存在意義を持たないことになる。だから、事業の場合も、やっぱりその成果の内容――つまり、いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になるわけである」

 さて、ここからは私の考えです。法律に触れなければ何をしてもよい、という姿勢で経営して莫大な利益をあげていくというのは、明らかに間違っています。人間的に正しい道というものを歩んでこその成果であって、法律に触れなければ何をしてもよいではなくて、あの松下幸之助さんが重視したように、勝ち方に美しさがなくてはいけません。藤田さんが唯一道を間違えた点がそこだったと思います。結果さえよければそれでよいというのではなく、よりよい成果をあげることが大事であると同時に、そのプロセスも大事にする、という姿勢が大切だと思うのです。結果を大事にする以上に、それを生むまでの過程も大切にしたいというのが、私の哲学です。最近のニデックの不正会計問題・品質面での不正問題も思い出されます。損得」ではなく、尊徳」で生きるということですね。私は英語の指導も、そんな思いで40年以上やってきました。とにかく点さえ取ればそれでいい」ではダメなんです。人間力に裏打ちされた本物の英語の力をつけないといけない。私が松江北高を辞したのはこれが理由でした。藤田さんの失敗例を心に刻んでおきたいですね。松下さん自身も「きみ、わかるか、商売するとき、結果を出せばいい、結果だけが商売や、と考えたらあかん。何をやってもいい、勝てば官軍、という商売はあかんよ」と言っておられました。

 商売は「ギブ・アンド・テイク」と言われるたびに、藤田さんは「俺は慈善事業をやっているんじゃない」と反発して、「テイク・アンド・アスク・フォー・モア」つまり取った上で、「さらにもっとよこせ」と言っておられました。「ギブ・アンド・テイク」では、儲ける前にまず与えなければなりません。後でその分だけ儲けても、よくてトントン、下手をすれば大損をしかねません。名だたる商人が「テイク・アンド・アスクフォーモア」と手を出すからには、こちらも遠慮なく取りまくった上で「もっとよこせ」と手を出さなければ、彼らに太刀打ちすることはできない、としておられました。典型的な商売人の心得を説いたものでしょう。でもこれも間違っている、と私は感じています。

   よく人から「八幡先生の生き方のポリシーは何ですか?」と聞かれることがあるのですが、「Give and Giveです」とお答えすることにしています。見返りを求めず、周りの人のために行動していると、神様は必ず見てくれていて、必ず自分に戻ってくる、というわけです。これは、亡くなった私の母の生き方に学ぶところが多かったせいかもしれません。母は実際、おせっかいなくらいに人のために行動していました。人助けです。そうすると不思議なもので、その倍くらいになって戻ってくるものなんだよ、と教えてくれました。母は信仰心のあつい人だったので、神様の教えとしてそれを実践していたのかもしれません。母もずいぶんと裏切られたりもしたことを、子供ながらにまじかに見てきましたが、母はそのような生き方を貫き通していました。やはりそのDNAが流れているのでしょうね。見返りを求めずに人のために動いていると、自分も多くの人に助けてもらえている気がしてなりません。

  他の人との関わり方は、次の4つ(①~④)が考えられます。

①「Take and Take」

自己中心的な生き方で、自分さえよければそれでよい、相手からはもらうことしか考えていません。この生き方ではだれからも相手にされることはないでしょう。厚かましく、相手のことなどは眼中にありません。「もっとよこせ!」、アメリカのトランプ大統領がまさに見本です。

②「Take and Give」

基本は相手からもらうこと、に視点がある生き方で、ちょっとだけお返しもするけれど、やはりと同じでいけません。まずは自分のことを常に考えています。

③「Give and Take」

自分から相手に与える、そして相手に与える分は、相手からもいただこうとする考え方。ほとんどの人はこの生き方でしょう。①②に比べて少し進歩はしていますが、常にもらうことが心の隅に渦巻いている気がします。TAKEを目指してGIVEしているのであれば、あさましくちょっと嫌な気もします。人様にGIVEをして、もしご縁があれば自分もTAKEする機会があるかもしれない、くらいの考えでいたいものですね。

④「Give and Give」

見返りを求めない生き方。自分で役に立つことは何でも相手にしてあげよう。人の役に立ちたい、相手を喜ばすことに力点を置く「利他」の生き方です。周りの人の幸せや社会への貢献を考えるならば、TAKEなどはなくても構いません。

 私も若い頃は、①②③で生きていた時代もありましたが、一時期からは、徹底しての生き方を実践しています。不思議なもので、利他」の生き方で相手に喜んでもらっていると、思いもかけないところから返ってくるみたいですよ。自分にできる範囲内で、の生き方を心がけたいですね。人様にGIVEする気持ちがあれば、幸せな気持ちを感じることができます。自分自身のことだけを考えるのではなく、他の人や組織や社会の人たちの幸せを願うと、不思議と自らが幸せになれるのです。「利他」の精神が自分の幸福度を高めてくれるのです。私がこのような考えを実践するきっかけになったのは、京セラの創業者・稲盛和夫(いなもりかずお)さんの著書を読むようになってからです。稲盛さんは新たな事業を始める時には常に、「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問い続けたそうです。全ては人のためです。よ~く考えてみるに、親の愛」は間違いなくの生き方ですね。子どもを慈しんで、あれもしてやりたい、これもしてやりたい、決して見返りなどを求めません。子どもの幸せだけをひらすら願っています。こうやって優しさの中で育った子ども達は、何も言われなくても親に恩返しをするようになりますね。

 「Give and Give」で生きていると、もちろんだまされることもあります。私もずいぶん人にだまされて辛い思いをしたことが何度もあります。でもだます」より「だまされる」方が人間的に魅力的だ、とおっしゃっておられたのが、私の尊敬する偉大なプロレスラーの故・ジャイアント馬場さんでした。

 たとえば、オレの場合は、自分でできる約束しかしない。できる約束かどうかを見極めて、できない約束はしないことにしてるね。できない約束なんて約束じゃないと思うな。だから、変な話かもしれないが、人と待ち合わせの約束をしたら、絶対に相手を待たせないとかね。お金に関しても同じで、払えない金額をいくらいってもしょうがない。相手を裏切ることだし、結果的には信用をなくしてしまうからね。
 やっぱりね、人生で一番大事なのは人間関係だろうな。自分で決めたルールではないが、自分から他人をだましたことはない。だますよりだまされた方がいいよ。だますヤツには魅力はないけど、だまされるヤツには魅力がある。オレが思うには、絶対に他人にだまされないヤツって、よっぽど警戒心が強く、猜疑心が強いヤツでね。そんな人間に魅力は感じないね、オレは。これはオレの性格なんだろうね。裏切られたらオレは、その人間を許さない。性格上そんな人間とは二度と付き合いたくないからね。別に潔癖症ではないけど(笑)。さっき言ったように約束したらきちんと守るといったようにね。できない約束ならしない方が楽だとオレは思うしね。  (馬場さんインタビュー、下線は八幡)

 松江北高時代に、「何のために学ぶのですか?」という質問には、私はWe learn to be. であって、We learn to  have.ではない!と断言しました。学校では生徒たちに、「人が先、成績は後」と言っていました。点を取ればあとは何をしてもよし、では困ります。人の道にはずれるようなことを平気でする生徒もいました。礼儀のかけらも全くない生徒がいます。点数のためならどんな汚い手を使ってもOKという生徒がいます(「進研模試」の解答・解説が有料でネットで出回っているという報道がありました)。約束を平気で破る生徒がいます。提出物の締め切りを平気で破る生徒もいます。また掃除時間中に、単語集片手に英単語の勉強をしている人がいます。努力・準備も全くせずに「散歩のついでに富士山に登ろう」としている生徒も目立つようになりました。この人たちには、きちんと「人の道」を教えてあげないといけません。大人になってから困ります。そんな気持ちでずっと教えてきました(いくら嫌われてもこれもGiveです)。尊敬するクロネコヤマトの故・小倉昌男(おぐらまさお)社長(八幡家で利用する荷物はすべてクロネコヤマトです)、「サービスが先、利益は後」と喝破されました(その理由:良いサービスを提供すればお客様に喜んでいただける。→お客様に喜んでいただければ荷物が増える。→荷物が増えると、エリア当たりの荷物の個数が増えて密度化が進む。→密度化が進むと生産性が上昇し、自然に利益が出る。→とにかく良いサービスを提供することだ)。お客様のための数限りない改革を、この精神で貫き通した人物です。本当に大成功をおさめられましたね。最近の私は、“Give and Give”からもう一歩進めて、“Give, Give & Give”に踏みこみたいと考えています。自分のあり方、生き方を磨くことで、いくらでも後から利益はついてきます。このことを象徴的に表した、私の大好きなお話があります。ウェイン・ダイアーの本で読んだ逸話です。❤❤❤

 子猫が自分のしっぽをつかまえようとしているのを見て、大きな猫がこう尋ねた。「どうして自分のしっぽをつかまえようとするの」子猫が答えた。「猫にとって一番大事なのは幸せで、その幸せは僕のしっぽだってことがわかったんだ。だからつかまえようとしているの。しっぽをつかまえたら、きっと幸せになれるんだ」するとその年取った猫が言った。「坊や、私もそういうことに関心を持ったときがあった。私も幸せは自分のしっぽにあると考えた。けれど、気がついたんだよ。しっぽは追いかけると決まって逃げていく。でも、自分の仕事に精を出していると、しっぽは私がどこへ行っても必ずついてくるみたいだよ」

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城山稲荷神社

 昨年の9月から放送しているNHKの朝ドラ「ばけばけ」効果もあって、観光客がものすごく増えた松江市です。市内への観光入り込み客数は延べ950万9,197人で、2024年と比べて8.9%(約77万4,000人)増加しています。昨年の12月だけでも、小泉八雲記念館の入館者数は同月比で前年の3倍、小泉八雲旧居は5.5倍と異例の活況です。ドラマに出てくる八重垣神社城山稲荷神社月照寺などを巡る周遊観光も増えているようです。主な観光地の実態は次の通りです。

■松江市内の主な観光施設の入り込み客数(2025年)※( )内は対前年比

◎国宝松江城     42万1,404人(104.8%)
◎八重垣神社     24万3,318人(116.1%)
◎由志園       23万4,690人(105.2%)
◎松江歴史館     20万5,045人(147.5%)
◎堀川遊覧船     19万7,185人(103.7%)
◎松江フォーゲルパーク18万5,497人 (96.1%)
◎小泉八雲記念館   14万2,530人(165.2%)
◎レイクライン    13万6,811人(140.6%)
◎小泉八雲旧居    10万3,476人(258.4%)
◎武家屋敷       6万6,150人 (96.3%)

 松江城山内をのんびりと散策できる遊歩道があります。椿谷や梅林では緑浴も楽しめ、またお堀端では水鳥や亀が日向ぼっこをしている姿が見えます。その遊歩道のルート途中に「城山稲荷神社」があるのです。かつて武士や馬が通っただろう細い露地の傍らに、誰もが目を引く紅色の鳥居(写真上)。モノトーンの松江城、鎮守の森の趣を思うと、その「赤」はどこか異様でもあります。いくつも並ぶ赤い鳥居のその奥に何があるのか・・・引きずり込まれるかのようにそちらへと足が向きます。幾つもの鳥居をくぐると、拝殿門へ続く長い石段が現れます。

 寛永15年(1638年)、家康の孫である松平直政が松江に来たとき、枕元に一人の美しい少年が現れたといいます。その少年は「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門です。城内に私の住む場所をお作りくださるなら、城内の建物はもちろん、江戸のお屋敷まで火事からお守り致しましょう」と告げて消えました。そこで直政は城内に「稲荷神社」を建てたと言われています。そのことからここの神札は火難除けとして、町中のどの家にも貼られていたようで、あの小泉八雲(ラフカディオハーン)も、この神札が「松江の唯一の防火設備」と話をしています。言わば一枚の紙きれが魔除けになる・・・そんな日本人の信仰心は八雲にとって衝撃的だったようです。きっと枕元の謎の美少年が、今でも約束どおり松江城、そして松江の町を守っているに違いありません。小泉八雲は、この神社の「火除けの御札」をイギリスのオックスフォード大学にある博物館に送ったりもしているそうです。彼は著書の『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japanでも火除けのお札について触れており、「木造建築に関していえば、この御札が松江唯一の防火設備である」という文章を残しています(いや、さすがに他にもなにかあったと信じたいですが……)。

 そんな不思議な逸話が残る城山稲荷神社には、千匹もの石の狐が社を囲むように座っています。石狐は風化して苔むし、眼がないものや、ぼんやりと狐の形が分かるものや、大きいものから小さいものまでさまざまです。なぜこんなに石狐があるのでしょうか?火難から守られた人たちがお礼の意を込めて狐を置いていったのだろうか?そんなことを思いながら数えきれない石狐に囲まれて佇んでいると、誰かに見られているような気配を感じる。まるで自分が怪しい人物になったかのようです。狐に見られているのか?枕元の美少年がここにいるのか?ただ参拝に立ち寄っただけなのに・・・。降りかかってくるそんな錯覚を払いよけながら石壇を一歩ずつ下ると、異空間から現実へやっと戻った気がしました。

 小泉八雲は堀をひとつ隔てた所(現・小泉八雲旧居)に住んでいて、城山内の散歩が好きで、この「稲荷神社」にも毎日のように通い、お気に入りの石狐があったと言われるほどでした。その当時は今の倍、2千匹もの石狐がいたらしいですから、ここの「気」の強さも想像を絶するものであったに違いありません。日本の文化、松江の情緒をこよなく愛した八雲には「稲荷神社」はとても神秘的な場所でした。通勤途中によく訪れたと言われています。八雲は愛妻セツやいろいろな人から怪談や昔話を聞いて、それを自分の六感で感じ取っていました。ここ「稲荷神社」八雲の感性に合った場所の一つであり、もしかしたらこうして人知れず、狐と毎日対話をする中から、インスピレーションを感受していたのかもしれません。

 なんにせよ、異国出身の彼からしたら日本の文化は驚くことばかりだったのでしょう。そして「ホーランエンヤ」のスタート地点&ゴール地点でもあるのがこの神社なので、その解説看板もありました。凶作がきっかけで生まれた行事だったホーランエンヤですが、脈々と受け継がれて要素が追加されていき、今では日本三大船神事のひとつとなったわけです。10年に一度のホーランエンヤです。

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 そして階段を登って、こちらが「城山稲荷神社」です。そして自分の見たいものはこの奥にあるのです。かつては隋神門前にありましたが、現在は風化を避けるために、屋根を付けた場所に祀られています。

 そう、奥にあるこの石狐が小泉八雲がお気に入りだったものだそうです。しかしそもそもの話、「自分の好きな石狐を選ぶ」なんてことをしようと思ったということは、選べるほど多くの石狐がいたのでしょうか?その答えは周囲を見ればすぐに分かります。

 いやめちゃくちゃ多い!!そう、この神社は石狐だらけなのです。ちなみにこれでもめちゃくちゃ減ったらしく、明治の頃には数千体あったと言います。自分は「小泉八雲が通勤ついでによく寄っていた」と聞いて、「通勤経路にあるとはいえ、そんなに何度も神社に足を運ぶものか…?」と思っていましたが、『お気に入りの石狐探し』をしていたと思うとなんだか普通にあり得る気がしてきました。なにせ昔はこれが数千体いたわけだし、それにこの神社の石狐は大量生産品にはない味がひとつひとつから感じられる気がしないでしょうか?違いがあるなら自分好みのものをつい探してみたくなるのが人間というものです(いやもはや狐なのかどうかも分からないものもありますが……)。「玉を持つ石狐を見つけると願いが叶う」という言い伝えもあるのでぜひ探してみてください。♥♥♥

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ワークマン浦田

 巨人二年目の浦田俊輔(うらたしゅんすけ、23歳)選手が打撃時に着用しているバッティング・グローブが作業服専門店「ワークマン」で販売されているものだ、とテレビ中継で解説を務めた巨人OBの元木大介氏が紹介し、SNS上で大きな話題になりました。浦田選手が打席に立った際の選手紹介テロップに、「ワークマンの作業用手袋をバッティング・グローブとして使用」の文字が流れました。手元がテレビカメラに大写しされると、元木氏は「これがワークマンの手袋ですね、うーん」と発言。「初めてじゃないですか。プロ野球選手でワークマンの手袋で試合出てるのは」と話しました。その後、手の甲側が黄色で、手のひら側が黒色で手首にマジックテープのベルトがついた手袋がアップになり「ありがとうございます、カメラマンさん」と感謝。「刺しゅうとかも入ってないですよね」と説明しました。ほとんどのプロ野球選手は、スポーツ用品メーカーの野球専用の打撃グローブを着用しており、選手名や背番号が刺しゅうされています。元木氏は「ワークマンは冬とか風を通さない服とかいっぱいあって、すごくいいものがありますよね」と少々話が脱線すると、実況アナも「女性にも人気」などと追従します。「これだと家でも使えそうですよね。自分がしっくりくるんでしょうね」とまとめました。2人のやり取りにSNSでは「どういうわけかワークマン話になってる放送席」「野球の中継でワークマンの解説聞くとは思わなかった」「あたしも現場で使ってるよ!」などとコメントが並びました。

浦田俊輔 読売ジャイアンツ 内野手

 読売ジャイアンツの浦田俊輔選手といえば、プレーだけでなく、ひと目で分かる黄色い手袋が話題です。実際にこの手袋は、スポーツ用のバッティング・グローブではなく、ワークマンの作業用手袋が出発点だったことが報じられています。浦田選手は2024年にドラフト2位で入団した内野手です。この話が一気に広まったのは、2025年5月の「スポニチ」報道がきっかけです。記事では、チームメートが浦田選手の派手な黄色の手袋を見て驚き、確認したところワークマンの作業用手袋だったと紹介されています。さらに浦田選手本人も「本当です」と認めたうえで、中学校の頃からずっと使っていると説明しています。「薄くもなくぶ厚くもなく、自分の手にちょうどいい」という感覚面の理由からです。つまり、話題作りのためのネタではなく、浦田選手にとっては実戦向きの道具として長く使ってきた、というのが実態のようです。一般的にプロ野球選手のバッティング・グローブは、野球メーカーの専用品を使うイメージが強いですが、浦田選手はそれよりも手に馴染む感覚を優先しているようです。2026年4月放送の番組紹介でも、浦田選手ワークマンの手袋をバッティング・グローブとして使用していると紹介され、オープン戦でのアピールと合わせて取り上げられていました。「スポニチ」の記事では、先輩の小林誠司選手から打席前に「ワークマン行け!」といじられているエピソードも紹介されていました。珍しい道具ではあるものの、チーム内でもすでに“浦田らしさ”として認識されているのが分かります。

 浦田俊輔選手は、海星高→九州産業大→巨人の経歴を持つ内野手で、背番号は32です。大学時代は(福岡六大学野球連盟)、首位打者、盗塁王、最優秀選手賞(MVP)などを何度も獲得しました。走攻守三拍子揃った即戦力内野手として、一昨年ドラフト2位で入団した若手選手です。171cm67kg、右投左打の小柄な選手ながら、バットコントロールが非常に巧みで、広角に安打を打ち分けることができます。三振が非常に少なく、四球を選んで出塁できる粘り強さも持ち味です。最大の武器としては、50メートル5秒8の俊足があり、セーフティバントなどで自慢の快足を飛ばして内野安打をもぎ取る能力にも長けています。オープン戦で打率3割超とアピールし、開幕後もレギュラーとして使われることが増えました。俊足巧打タイプの若手として見られているのは、道具の話題だけでは終わらない強みです。俊敏性が高いだけに、フットワークがよく守備にも素晴らしいものがあります。5月30日の日本ハム戦では2盗、3盗と決めて一試合に3盗塁も記録し、現時点で盗塁12とチームトップで、セリーグでも2位です。「塁に出たら、常に次の塁を狙っている」ますます存在感を発揮して欲しい若手有望株選手です。これだけ足を使って走ることのできる選手は巨人では珍しいですから。球場への移動時間など、寸暇を惜しんで対戦相手の投球映像を見返す研究熱心さが、成功率の高さを支えています。チーム打率・総得点がいずれもリーグ5位にとどまっている中、攻撃を動かす存在になっている積極果敢な23歳の役割は、ますます重要性を増すものと思います。

 浦田選手の手袋がここまで注目されたのは、珍しいからだけではありません。プロ野球選手といえば高価な専用品を使うイメージが強い中で、身近な作業用手袋を自分に合うから使い続けているというエピソードには、どこか親しみやすさを感じます。テレビ番組やSNSでも、黄色い手袋が浦田選手の象徴のように扱われているのは、その“人柄が見える道具選び”が理由の一つだと考えられます。私は親しみを込めて「ワークマン浦田」と呼んでいます。

 株式会社ワークマンの広報担当者の話によれば、

「浦田選手が以前から弊社の作業用手袋をご利用いただいているという話は聞いておりました。放送後から、店舗にお問い合わせがきていると聞いています。ただ、この商品は基本的に全店で置いてある商品ではないため、たまたま浦田選手が行った店で取り扱われていたということになります。現在も全店で取り扱っている商品ではないので、お取り寄せということになります」

 プロが使うバッティング・グローブの値段はピンキリですが、平均でも5,000円以上とか。その点、ワークマンの作業用手袋は1,000円~1,500円ほどで購入でき、革の薄いバッティング・グローブよりも丈夫だし、手のひらを覆うグリップも強力で、バットを握ったときの滑り止めには最適でもあることから、浦田選手のお気に入りになったんでしょう。♥♥♥

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出雲のBOOKOFF

 出雲市渡橋町に位置する「BOOKOFF 出雲渡橋店」は、アクセスも便利で、出雲市駅から徒歩約18分です。この大型店では、様々な商品(書籍・CD・DVD・ゲーム等)が取り揃えられています。また、書店としても知られており、数多くの本を取り揃え、積極的に買い取りも行っています。店内のスペースも広々としており、快適に買い物をすることができます。私は出雲イオンに行った時には帰り道に必ず立ち寄ることにしています。以前は、出雲市駅方面の帰りのバスは1時間おきに1本あったんですが、今では1日たったの6本で(2時間おき)、不便になりました。

 今から10年くらい前󠄂だったでしょうか、出雲で映画を観た帰りに立ち寄った際に、このお店で私の大好きなシンガーソング・ライターの小田和正さんの稀少な昔のコンサートパンフレットを5冊ほど(1冊500円)見つけて全部買って帰ったことが始まりでした。出雲に出る度に寄っていますが、このお店には松江市ブックオフでは絶対に見つからないような珍しい本がいっぱい見つかるんです。今日も尊敬する経営コンサルタント・新 将命(あたらしまさみ)さんの昔の単行本(現在入手不可)を見つけました。何よりも品揃いが豊富なんです。今日も10冊以上買って帰りました。♥♥♥

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うどんの「どんどん」

◎週末はグルメ情報!!今週はうどん

 松江市西津田町にある「どんどん松江店」山口からやってきたうどんのチェーン店です。国道9号線沿いにあります。2024年の6月下旬にオープンしました。リーズナブルなお値段で美味しいうどんや丼物を楽しめるセルフ式のうどん専門店です。もっちりとした食感の柔らかめのうどんは、コシがありながらも優しい味わい。安さと家庭的な味を兼ね備えたうどん店で、根強いファンを着実にゲットしている印象です。「どんどん松江店」はすべて自家製生麺を使用し、おふくろの味をベースに完成させたうどんをいつでも提供できるように、「うまい、はやい、やすい」の三本柱をモットーのお店です。価格は一杯300円〜と非常にリーズナブルで、おにぎりとセットで頼んでもワンコインでお腹いっぱいになれます。「手打ちうどん どんどん」は、山口県を中心に広島、島根、福岡、東京に34店舗を展開するうどんチェーン店です。島根県内では「ゆめタウン益田」内に1店舗ありますが、県東部の松江には初出店です。全て茹でたて、釜あげの麺にこだわり、毎日食べても飽きのこないおいしさを提供するうどん店です。うどんだけでなく丼モノもありますので、がっつり食べたい気分の時でも満足できると思います(写真下の券売機参照)。

 1972年山口県萩市で砂田シゲヨさんが作ったうどん。材料は萩の水と小麦粉と塩だけ。時が流れても、「うどんの幸せ」を届けるために「うどんへのこだわり」は変わらずに新たなチャレンジを続け、山口県を中心に中国地方東京都に店舗を拡大してきました。

 広い店内で断然目立つのは、横5m近い大きさの巨大な壁画です(写真上)。元の原画は横60cmほどだったそうですが、和風の味わいを出したかったので、荒めの水彩紙を使いました。和紙に似たテクスチュアは十分活かされていて、一方で文字や線が粗くなることもありませんでした。店の紹介を兼ねた大規模壁画です。

 初めてお邪魔して、 「天ぷらうどん」(530円)を注文しました。テーブル上にある薬味のネギをこれでもかというぐらいぶっかけていただきます。肝心のうどんですが、これがまた旨い。本当に美味しいのです。本当にコシのある麺というのは、やわらかく茹でても弾力が失われないもので、歯の丈夫な人にも、良くない高齢者にも美味しくいただけるものです。

 二回目の訪問の今日は、「カツ丼」(650円)をいただいてみました。甘めのつゆが染み込んだふわとろ卵のカツ丼です。何よりも私を驚かせたのは、注文客のテーブルに運ばれる、無料の取り放題ネギでした。とんでもない量のネギがサービスでついてきます。これ程の気前のいいネギは初めてでした。幼い頃からネギ好きの私は(「頭が良くなる」という母の教えです)これをたんまりかけていただきます。セルフサービスながらも清潔感のある店内で、家族連れや一人客にもぴったりです。聞くところによると、リーズナブルでボリューム満点のセットメニューが好評で、地元の方々に長く愛されています。 ♥♥♥

▲このとんでもないネギの量!!

 そんな「どんどん」のうどんが、「サッポロ一番 ご当地熱愛麺 うどんのどんどん監修 肉だしうどん」というカップで発売になりました。私はローソンで見つけました。山口県を中心に長年親しまれている、県民のソウルフードうどんチェーン店「うどんのどんどん」のおいしさを再現した「肉だしうどん」です。 つるみともっちりした食感が特徴のうどんです。ややちぢれのあるめんで、つゆが程よく絡みます。 さば、煮干のうまみにこんぶのうまみを合わせ、ビーフのコクを加えた、だしのうまみと甘みが感じられるうどんつゆです。 具材はあげ玉、味付豚肉、ねぎの組み合わせです。この出汁がなかなか美味しかった!!「わかめうどん」も試してみましたがいい味をしていました。♥♥♥

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戸郷投手の矜持

 巨人・戸郷翔征投手(とごうしょうせい、26歳)が開幕二軍スタートの出遅れから、今季3度目の登板でようやく今季初白星を挙げました。昨年9月17日のヤクルト戦以来244日ぶりの勝利でした。5月19日のヤクルト戦(いわき)で7回115球無失点。最後までストレートのスピードが150キロ台で落ちず、フォークもいい所に落ちていました。試合後には「今までたくさん迷惑をかけたので、1イニングでも長く、1球でも多くと思っていました」「1年半ぐらい苦しい投球が続きながらも監督が使ってくれた。その期待に応えられて良かった」とはにかみながら振り返りました。今季の戸郷投手は、この試合前まで2試合で0勝1敗、防御率7.20でした。

 ヒーローインタビューでは、いつも以上に一段と明るい声で喜びをはきはきと語っていたのが印象的でした。ようやく復活の白星を挙げた戸郷投手の声を直接聞くべく、多くの報道陣が詰めかけました。普段は中継局による代表質問で終わるテレビ局の囲み取材も、複数社が質問攻めにし、宿舎に戻るチームのバスが出発する時間が迫る中でも、テレビ局の質問が終わった後に行われた新聞社などの取材まで、約10分間にわたって1問ずつ丁寧に答えていました。しかも東京ドームではなく頻繁に訪れることがない球場。地元メディアからはマウンドで投げた感想も聞かれ、「本当にいい球場でしたね。いわきのファンの方に1勝を届けられたというのもそうですし、また来た時に投げて勝てれば一番かなと思います」とリップサービスも惜しみませんでした。

 なかなか一軍の舞台に戻れず、歯がゆさを抱えていたであろう二軍の再調整。そんな時でも報道陣の取材には正面から向き合っていました。調子が上がらない、結果が伴わない時でも全く姿勢が変わらないため「どうしていつもそんなにしゃべってくれるのか?」と率直な思いをぶつけたことがありました「もともとしゃべるのが好きなのもありますけどね。巨人軍の選手としてお給料をもらっている以上、取材に応えることも仕事の一つ。伝えた言葉が新聞やテレビを通してファンの方に届くわけですから。でも、いつか自分も年をとったら気難しくなってしゃべらなくなる日が来たりしてね(笑い)」26歳にして伝統球団・巨人のエースという大看板を背負う男。その立ち振る舞いにプロ野球選手・戸郷翔征の矜持が少し見えた気がしました。

 「戸郷は5年ぐらい同じようないい成績を残してきましたけど、それからが難しくなるところです。永久的にいい選手はいません。対戦が非常に多くなった相手も、戸郷という投手の特性、特徴にアジャストしてきています。球の出どころ、変化球の落ち方や曲がり方にマッチしてきた部分があります」と、二軍調整時代を支えた久保巡回コーチ

 聖心ウルスラ学園から2018年ドラフト6位で入団。1年目にプロ初勝利を挙げると、2年目から先発ローテーションに定着しました。2、3年目は9勝。4年目からは3年連続で12勝を挙げ、2023年には日本代表にも選出されてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一にも貢献しました。初めて開幕投手を務めた2024年は防御率1.95と抜群の安定感を披露します。しかし、2年連続開幕投手を担った昨年は8勝9敗、防御率4.14と成績が急降下してしまいます。先発ローテーション入りして今年で7年目。相手の研究が進み、対応されてくるのは当然のことでしょう。自身も毎年、進化を目指す中で、フォームを含めて微妙に投球のバランスを崩すケースはあります。さらに勤続疲労も出てくる時期です。戸郷投手の2軍での調整中、復調に向けて話をしてきた久保コーチは、「全部の要素が、いっぺんにやってきているんだと感じます。トレーニング方法、フォームなど、どのように行動していくか。いろんなことに直面している」と説明しました。近鉄コーチ時代に岩隈、阪神コーチ時代には藤川球児、ソフトバンクのコーチ時代は大竹耕太郎ら数多くの好投手を育成してきた久保コーチは、2023年から巨人でコーチを務めています。2023年に4勝に終わった菅野智之を、2024年は15勝と復活に導いて、メジャーリーグ挑戦につなげたのは記憶に新しいところです。

 昨年は「投球のバランスが結構崩れていました」という田中将大投手を魔改造。「長くやっている選手は、変化や進化を求めて、良かれと思っていろいろアレンジする。違う方向に挑戦すると、バランスが崩れて自分の良さが失われていくことがあるんです」田中投手には平均台の上で投球フォームを再確認させるなど、本来のバランス感覚を取り戻すところから着手。0勝だった前年から復活させ、日米通算200勝達成をサポートしました。育成選手を含め55人もの投手を預かる今年は、戸郷投手の復調にも取り組みました。26歳右腕のプロ野球人生については「非常に順調にきている。感性が強く、いい感覚を持った投手」と分析。「おそらく、こうやって動いたらこうなるという素質は素晴らしく、その部分に頼ってきたところは多分にある」といいます。素材の良さを生かして実績を重ねてきたが「これからは、より上を目指していくには、これまでの経験と探求心が必要」と見ています。天性の感覚の良さと戸郷ブランドが少々薄れた現在は、さらなるスキルアップが求められます。「どこかで大きく変貌を遂げていく必要がある中で、ちょうどターニングポイントに来ている。今が分岐点だと感じます。これを抜けられる人たちが100勝、150勝、200勝というところにたどり着いていける」。現在通算64勝の右腕が真のエースとなるために、避けて通れない大事な時期が訪れているのです。「極端なことを言えば、もっと速い球か、もっと遅い球か、もっと違う戸郷か、今までと違うところが大きく出て、大きく変われば、彼はまた同じ軌道に乗って、勝っていくことができる」。もちろん、それは簡単ではない。だからこの時期に「物事の理を追求していくこと」が必要なのです。「菅野投手や田中投手と同じで、勝つすべ、球をコントロールして相手に対峙していく面ではいい感覚を持ち合わせている。そこは消えていくものではない。ここまでは若さで突っ走ってきて、エネルギーが切れてきた。ここで終わってしまう投手はたくさんいるんです。ここから上がっていく投手になってほしい。もっともがいて、もっと勉強して、試してみる。そこで必要なものが浮き彫りになります」

 「僕の一番の球種はフォーク」と言います。今季は見極められることも多かった得意球の改善は、大きなテーマでした。相手に研究され、警戒されても、「それを上回らないといけない。根気強く投げていくことが勝ちにつながる」。最も信頼を置く球が輝きを取り戻し、前回対戦で5失点を喫したヤクルト打線を封じ込めました。

 不振にあえぐ中、16日に日米通算150勝を挙げた菅野智之投手(36歳=米ロッキーズ)に大きな刺激を受けました。「(菅野の)野球に対する姿勢は、どれだけ成績が出なくても変わらなかった。それは僕も見習うところ」「菅野さんには『後悔しない選択をしなさい』って言われてきた。菅野さんは何回同じ場面が来てもカットボールを選択するって。だからこそ尊敬できる先輩なんです」。昨年は何を投げても打たれました。自信がなくなり、キャッチャーのサインに首を振ることも少なくありませんでした。幾多の苦悩を乗り越えてきた先輩のように、めげずにフォームの改良などに取り組み、「試行錯誤した中で、真っすぐの強さやフォークの落差が出てきた」と明かしました。支えになったのは先輩・菅野の姿で、不調に苦しんだ2023年から2024年の苦悩を、戸郷投手は自らの不振を通じて痛いほど理解したと言います。「今活躍している菅野さんでも、この“苦しい恐怖”っていうのを感じていただろうし。苦しみながらも走り続けていれば、何かいいものはどこかで見つかるはず。気持ちが落ちていたらダメだと思う」「(菅野さんの)野球に対する姿勢は、どれだけ成績が出なくても変わらなかった。それは僕も見習うところ」。

 聖ウルスラ学園時代、2年生で背番号1をつけた頃は、仲間がエラーをすると滅茶苦茶どなっていたと言います。監督に呼ばれて、「チームの柱となる人は、いろいろなことがあると思うけど、最後は人間性」と言われてハッとしたと言います。不調時の映像を見直してみると、それが顔に出ていました。表情が悪ければチームの士気もさがります。巨人のエースとして恥じぬ姿をと思い描いて、腕を振り抜きました。「(悩みが)一つ晴れたような気持ちだけど、1試合良かっただけじゃだめ。続けていける投手がチームの柱になれる」「継続して良い投球を出していくのが先発の使命。良いものは出たので、継続していくことを次の課題にしたい」戸郷投手。揺るぎない信頼を取り戻すために、真価を発揮するのはここからです。巨人の優勝争いへ再加速させるための戸郷自身の再出発でもありました。今の戸郷にとっては、勝ち星が何よりの自信になります。

 続く5月27日のソフトバンク戦で先発し、7回117球で今季2勝目です。前日に、阿部慎之助監督の娘に対する暴力による突然の辞任発表に揺れる中、我慢して使ってくれた指揮官に応えるべく見事なピッチングで、泥沼の連敗をストップしました。「ジャイアンツはここで終わるわけにはいかないですし、なんとか前を向いていかないといけないので、何とか勝ててよかったです。」さらに「阿部監督もテレビで見てると思うし、やっぱりジャイアンツが勝つことが一番嬉しいことだと思います。3年弱ですかね。今まで監督が作り上げた選手達が活躍してると思いますし、監督の無念を晴らすって意味でも、僕らが優勝しなきゃいけないです。優勝すると、やってきたことが良かったじゃないかって監督自身も思うと思いますし、それが選手の使命だと思います」阿部監督を気遣いました。♥♥♥

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井上真央の情熱大陸を再び見る

 天真爛漫な笑顔が印象的な女優・井上真央(いのうえまお、当時25歳)さんが、かつて2012年6月10日・17日にドキュメンタリー番組『情熱大陸』(TBS系)のディレクターに挑戦して、自分でカメラを回し、シンガーソングライターの小田和正さん(当時64歳)を密着取材して大きな話題になったことがあります。その二週(前󠄂編・後編)にわたる番組が、CS「ホームドラマチャンネル」で再放送になり、懐かしくて釘付けになって見ました。『情熱大陸』700回突破記念シリーズ「井上真央が撮る小田和正」です。

最新主演作『綱引いちゃった!』で女性ばかりだった撮影現場を語る井上真央(写真:逢坂 聡)

 「どうせやるなら、自分が大好きで心から尊敬する人を取材したい。作り手として第一線で走り続けている小田和正さんが、なぜ走り続けられるのかを知りたい」という彼女の強い希望で、こちらも番組初登場・ミュージシャンの小田和正さんへの密着がスタートしました。井上さんからの熱意あるオファーだったからこそ実現した、この番組初登場の小田さんでした。普段は「取材される側」から「取材する側」(=ディレクター)に回った井上ディレクターは、当初は自分の立ち位置がわからず悩む日々でしたが、やがて番組スタッフの手も借りずに、カメラ片手にたった一人で小田さんの東北ツアーに密着し始めました。

 持ち前の明るさとはつらつとした元気あふれる姿や笑顔で、その場を和やかにする井上さん。常に前向きに自ら新しい仕事に積極的に踏み込んでいるのかと思いきや、そうでない時期を乗り越えての今の姿がある、とのことです。「以前は弱気になってばかりの時期もあったんです。でも、昨年から今年にかけていろんな新しいチャレンジをさせていただくなかで、段々と考え方も変化してきました」。その意識が変わるきっかけになったのが、アーティストの小田和正さんに密着したディレクター経験でした。「ものすごく嬉しいことだけど、同時にプレッシャーも大きかった。心のどこかで弱気になっていたら、小田さんにその気持ちが見透かされてしまったみたいで、『初めてということを言い訳にはしないで』と言われたんです」。密着取材の冒頭で、優しそうな顔で「初めてということを言い訳にしないで」と、小田さんがくぎを刺す場面は確かに印象的でした。小田さんの厳しくも優しさのある言葉に触れて、井上さんにとっては、この仕事以外のいろいろなことについても考えさせられるきっかけになりました。「小田さんにその言葉をかけていただいて、本当に感謝しています。私にとってはとても大きな意味を持っていました」「プロのスタッフに囲まれていては、小田さんの懐に入り込めない。身一つでぶつかるべきだ」と決意します。その後はテレビ番組の制作スタッフの手を一切借りず、たった一人で小型カメラを持って小田さんの東北ツアーに同行します。その後は、経験のないことにどんどん挑みたいという意欲が増しているといいます。ライブの舞台裏や、打ち上げで小田さんの隣の席に座る姿など、「井上真央という一人の熱意ある女優」だからこそ撮影できた、小田さんの素顔・本音やリラックスした表情が数多く収められました。番組では、小田さんの音楽に対する妥協のない姿勢や魅力が描かれると同時に、初めての挑戦に体当たりで挑み、悩みながらも人間として成長していく井上さん自身のドキュメンタリーとしても見応えのある作品となりました。

 井上さんが小田さんを取材していく中で、感じたことをまとめておられますので、挙げておきます。♥♥♥

  • 「自分はゴールが見えているものはやりたくない」(小田さん談)

  • 小田さんは怖いとか無口な人というイメージがあるようですけど、確かに決して言葉自体が優しいとかじゃない。でも本当にいつも気を遣ってくださいます。

  • ちょこちょこ、背筋がピッと伸びるようなことを言われます。

  • 小田さん自身がすごく一生懸命で、ストイックで、妥協しない方なので、私も、自分ができることに限界ををつくらないことを、常に頭においてできたように思います。

  • 絶対、現状に満足したり、過去の栄光に頼ることはない。常に目の前にあるものに向き合って、自分の限界を超えようとする。

 

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「京都タワー」景観論争

 1964年、東京ではオリンピックが開催され、東海道新幹線が開業し、京都が大衆観光の洗礼を受けていた真っ最中に、京都の玄関である京都駅の真正面に高さ131メートルの「京都タワー」が誕生しました。今やすっかり京都の顔になったタワーですが、50年経とうが、60年経とうが、京都で最も京都らしくない建築物であることには変わりはありません。こんなに「らしくない」ものを玄関口に置くことを、よく当時の京都人は承知したものだと思いますが、このタワーの誕生は決して順風満帆と言えるものではありませんでした。オリンピックを機に京都にやって来る海外からの観光客を迎えるために、京都の政財界の後押しで観光振興と都市の近代化の象徴として進められた大事業でした。おりしも1958年に東京タワー、1961年に横浜マリンタワーと、日本の大都市でタワーの建設が相次いでいた頃でした。

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 「京都タワー景観論争」は、1964年の「京都タワー」建設時に巻き起こった、日本の都市景観論争の先駆けとも言える歴史的な出来事です。当時、古都・京都の玄関口に突如として現れた「鉄骨を使わない白いタワー」は、街の調和をめぐって世論を真っ二つに割る大騒動となりました。「東寺の塔より高い建物は建ててはいけない」という京の不文律を破るこの計画は激しい議論を呼ぶことになります。主な対立軸は、「伝統保護(古都の風格)」 vs 「近代化(観光・経済発展)」 でした。反対派の意見(文化人・建築家・一部市民)としては、「東寺の五重塔を見下ろすような高い建物は、古都の景観を破壊する」「京都は歩いて見る街であり、上から見下ろすものではない」「デザインが低俗(ビルの上にタワーを乗せる形)であり、コマーシャリズム(商業主義)の象徴だ」「卑俗な観光塔」「京都の雰囲気を壊す」「文化財都市にふさわしくない」「工業的で無機質」 賛成派の意見(京都市・商工会議所・開発業者)としては、「駅前を近代化し、観光客を呼ぶためのシンボルが必要」「エッフェル塔も当初は反対されたが、今はパリの象徴。京都タワーもそうなるはずだ」「山に囲まれた京都では、この程度の高さ(131m)は自然景観に大きな影響を与えない」文化人を中心に反対運動が起こり、今までにはなかった都市景観をめぐる大きな論争へと発展しました。「京都らしさ」とはどうあるべきか?という根本の問題提起でした。千年の歴史をもち、わが国が世界に誇り得る古都の観光タワー建設をめぐり、計画の発表前後から多くの知識人や市民の間に起こった論争でした。太平洋戦争の末期、当時敵国であったアメリカのウォーナ一博士の提言により、京都は戦災から免れることができたのに、商業主義による「京都タワー」は、著しく京都の伝統を踏みにじるものである、というのが争点でした。この建設計画に対し、フランス人のJ・P・オーシュコルヌ氏による京都市長宛の建設反対の覚え書きを端緒に、反対運動は一気に広がりを見せました。これに呼応して、「京都を愛する会」が結成され、マスコミ、市民団体、芸術家、文化人たちがこぞって反対の意を表明します。彼らは、京都の美観が商業主義によって損なわれることに熱い思いで抵抗しました。特に、「京都は高さよりも水平の美を重視する都市」という価値観が強く、タワーの存在自体がその思想と対立したのです。この論争は、単なる建築物の高さの問題に留まらず、「古都とは何か」「京都らしさとは何か」という、京都のアイデンティティそのものを問う激しい議論となりました。反対運動が十分に市民にまで浸透しなかったこともあり、結局は1964(昭和39)年京都駅北口に、ホテルとその屋上に展望タワーが完成しました。京都駅の中央口を出ると、正面に見えるのが地上高さ131メートルの「京都タワー」。伝統的な木造建築が並ぶ古都の空にそびえ立つ異物として、多くの人々に衝撃を与えました。鉄骨を一切使わない「モノコック構造(応力外皮構造)」という当時最新の航空機技術が使われており、円筒状の鋼板をつなぎ合わせた非常に珍しい作りをしています。

 タワーだから電波塔なのだろうと勘違いされることも多いのですが、「京都タワー」にはその役割はなく、純粋に観光施設です。展望台をはじめ、ホテルや温泉、飲食店、土産物店、など観光客向けのテナントがぎっしり詰まった観光雑居ビルです。巷では、「京都タワー」のデザインはお寺や仏壇のお灯明(ろうそくの火)をイメージしたものだとよく言われるのですが、これは都市伝説です。実際には、これは「海のない」京都の街並みを海に見立てて、それを照らす灯台をイメージしたものでした。

 この「京都タワー景観論争」は単なる建物の是非ではなく、●伝統vs近代化 ●美意識vs経済発展 ●保存vs利用 といった普遍的なテーマを含んでいました。「京都タワー」の経験は、その後の京都の都市政策に大きな影響を与えています。「建物の高さ制限」「景観条例の整備」「屋外広告の規制」などが強化されました。

 遠方から帰ってきた際に、タワーが見えると「京都に帰ってきた」と安心感を得る市民が増え、今では京都を象徴する景色の一部として観光名所として受け入れられています。夜景などの魅力も評価されています。「京都で一番景観が良い場所は京都タワーだ(なぜなら、そこからなら京都タワーが見えないから)」という、かつてのエッフェル塔と同じようなジョークも語り継がれています。京都駅に降り立つ度に、カメラを向けてしまう八幡です。

 そうそう、1993年の怪獣映画「ゴジラvsメカゴジラ」で、ゴジラの吐く青白い放射熱線で破壊された京都のシンボルが「京都タワー」でした。♥♥♥

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Be my guest.

 先日、5月8日に全国で封切られた「グランドイリュージョン:ダイヤモンドミッション」を映画館で見ていて、こんな台詞が出てきました。“A wise man once told me in the mirror in fact. Never assume you’re the smartest person in the room, prove it.”――“Be my guest.”(「…自分が一番賢いと思うな、それを証明してみせろ」――「どうぞやってごらんなさい」) 私は学生時代からこの“Be my guest.”という口語表現に注目していまして(当時は辞典にも収録はありませんでした)、新聞を読んだり、小説中で出くわす度にカードに記録をとっていました。

Maybe you’d like to share this with your readers. If so, be my guest.――”Ann Landers,” Aug.10, 1993.

“You don’t mind if I look around?” Jeffrey asked. He felt a certain kinship with his dead colleague but did not want to trespass on Kelly’s feelings.
Be my guest,” she said. ――R.Cook, Harmful Intent.

“I don’t know yet,” Seibert said, “but the chart is in my office――down the hall on the left just past the library. Be my guest. I’ll be through in here in fifteen or twenty minutes.”――Ibid.

“Would you mind terribly if I borrowed these notes?” He patted the pile.
“Heavens no,” Kelly said. “Be my guest. May I ask why you’re so interested in them?”――Ibid.

“Could I take a look at this?” she asked. “I didn’t have a chance when I left the house this morning.”
Be my guest.” ――C. Keene, Very Deadly Yours.

“But if you’d like to spend a couple of days checking out the Personals column, be my guest,” Mr. Whittaker said.――Ibid.

  “Be my guest.” は、直訳すると「私のお客さんになってください」となりますが、現代英語では「どうぞ」「ご自由に」「遠慮なく」という意味で使われる定番表現です。もともとは「客として歓迎する」という感覚から発展した言い回しです。ここでの guest は「招かれた客」です。英語圏では昔から、客を歓迎する、客には自由に振る舞ってもらう、主人が許可を与えるという社交文化が強くありました。客人へのおもてなし“hospitality”(歓待)が非常に重要な価値観でした。主人が客に対して、食事をすすめる、家を自由に使わせる、安心させる、という場面で、“You are my guest.”(あなたは私の大切なお客様です)という考え方が使われていました。つまり、「あなたは私の客なのだから、遠慮しなくていい」という感覚が、この表現の核にあります。かつて、家を訪れた客人は、主人の配慮によって最大限の自由を与えられました。「私のゲストでいてください(=この家では何でも自由に使ってください)」という、ホスト側の寛容な姿勢がこの表現の根底にはあります。文献に登場するのは古くからですが、現代のような許可を意味する慣用句として広く使われるようになったのは、1950年代頃のアメリカと言われています。最初はかなり文字通りで、「ぜひお客様としてお越しください」に近いニュアンスでした。そこから次第に「許可を与える」「気軽に促す」意味へ変化していきました。

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